第26話


 向坂はデスクへ移動し、

「お前。過去に複数回、同じことをしてんな?」

 そう言いながら引き出しから茶封筒を取り出した。


「代々政財界にもパイプを持つ名家。パパは元財務省のお偉いさんで今は政治家。もうすぐ党の幹事長もやるって話だったっけ? それだけの力があるんだもん、揉み消すのは楽勝だよね。でも、蛇の道は蛇ってな。非公式だけど記録が残ってんだわ」

 向坂はA4サイズの茶封筒から複数の用紙を取り出すと、ぺろりと舐めた指で用紙をめくり、その場で立ったまま話を続ける。


「えー。高二の頃に小学一年生の女の子を路上で悪戯、しかも複数回に渡り行う。大学三年の頃には園児をレイプ。と、その他にも沢山あるなぁ。ははっ、すげぇな、おい。ガチでただの変態じゃん」

 おどけた声色に反して、向坂は凍て付く瞳を山岸へと向けていた。山岸は額の汗を拭いながら、徐々に顔色が悪くなっていった。


「えー。妻の小百合さゆりさんとはお見合い、去年の六月に籍を入れたらしいね。資産家の娘さんを娶るとは、名家で金持ち、有名大学出身、大手金融企業、三拍子揃ったエリートというところですかね。結婚後直ぐに自宅を購入。広尾に一軒家を一括購入とは凄いなぁ。えーと、それから七月に調布支店に異動。その時にここ調布の社宅に一人で来たと。小百合さんも来たがっていたのにさ。そもそも頑張れば広尾から通える距離だと思うんだけどなぁ。何でだろうね?」

 向坂は読んでいた用紙をうちわ代わりにして扇ぐ。目線だけは山岸に向け、答えがわかっているのにあえて確認しているような姿だと雅彦は思った。


 山岸が何も反応しないことがわかると、向坂は一つ息を吐いた。


「八月に蓮穂と華耶を養子に迎えることを決める。結婚して二ヶ月、実子もまだなのにと小百合さんは結構動揺したみたいね。そりゃそうだわな、だって……」


「小百合に会ったのか?」

 向坂が喋っている最中、山岸は割って入った。


 向坂は黙れと言わんばかりに人差し指を口に付け、

「当たり前でしょ」

 と言って怪しく笑った。


 雅彦はその姿に背筋を凍らせる。


「はい、続けますね。養子を取ることに驚きながらも、困っている人をできる限り助けたいという思いに心を打たれた。と小百合さんは言っていますね。昔からボランティアにも積極的で、慈善活動にも前向きな姿勢が結婚する上で決め手だったとも言っていました。なるほどなるほど、確かに大学生の頃とか色々やってたもんな」

 大袈裟に用紙をめくって確認する向坂。


「へぇ。こりゃ凄い」

 と、経歴を見ながら楽しんでいる姿は、相手を追及し威嚇するものではなかったが、場を支配しているような異様さを雅彦は感じていた。


「少し脱線したけど続けますよ。蓮穂と華耶を広尾の自宅で暮らさせるのかと思いきや、養子となった都合で転校させてしまうのは可哀想だと、調布の社宅で暮らすことに。あら、優しいですねぇ。小百合さんも社宅で一緒に暮らそうと言ったみたいですが、自分のわがままでやったことだし、小百合には自分の時間をしっかり使って欲しい、自宅をしっかり守って欲しいと、申し出を拒否。これまた優しいですねぇ。結局小百合さんは広尾から出ず、調布の社宅には養子二人とお前で暮らすことになったと」

 向坂は話し終えると用紙を封筒に入れデスクへしまった。再び藤堂の横に座り、タバコに火をつける。


「もう一度言う。お前狙ってやったな?」

 紫煙を燻らせ、そう言う向坂の目は怒りに満ちていた。


 山岸は一瞬向坂と目を合わせたが、直ぐに下を向いて唾を飲み込むだけだった。


 向坂は灰皿にタバコの灰を落とすと、タバコをくわえ天井に向かって紫煙を吐いた。


「去年の一月。結婚する半年前には会社から異動の辞令が出ていた。お見合いしたのも大体その時期。垢ぬけてなく世間に疎そうな資産家の嫁は、盤石の世間体が手に入るだけでなく、自分にとって都合のいい道具になると考えたわけだ。養子として迎える性玩具を邪魔されず、一人で遊べるようにな」

 向坂は話し終えるとタバコの煙を山岸に浴びせ、

「この……ゲス野郎」

 と冷たく言い放った。


「いくら払えばいい?」

 膝の上に握り拳を置き、山岸は微かに震えていた。


 向坂はフッと笑ってから、

「話が早くて助かるなぁ。そうだな、五千万円でどう?」

 軽いノリで言った。


「そっ! そんな大金あるわけないだろう!」

 山岸が目を剥いて捲くし立てるが、向坂は素知らぬ顔でタバコをふかす。


「えー。パパに頼めば余裕でしょ?」


「父に頼めば用途がバレる」


「そりゃそうでしょ。いけないことしていた自分が悪いんだからさ」

 向坂は鼻を鳴らした。


「そうだなぁ。じゃあ蓮穂と華耶、一人頭の賠償額を一千万円ということにして、二千万円にするか。ただしこちらの期限は明日までとする」


「明日までって無理だ!」


「あのねぇ。無理無理って言える立場じゃねぇんだよ!」

 食い下がる山岸に、向坂からの痛烈な怒号。山岸は硬直し、場がシーンとなる。向坂はそんな中、スッと立ち上がりデスクへと向かった。


「わかっていると思うが、蓮穂と華耶、二人との養子縁組の離縁もやる。こっちで書ける分は書いておいた」

 向坂はデスクの引き出しから紙切れを一枚出すと、山岸の前に置いた。


 養子離縁届。

 と書かれている用紙であり、いくつかの項目は既に埋まっていた。


「保証人とやらはそっちで何とかしろ。こっちも期限は明日まで、提出も一緒に確認するから最低でも午後四時までには来い。五千万円なら一週間待つ。二千万円なら明日の午後四時までが期限。これら全ての要求を反故した場合、速やかにデータは関係各所に流させてもらう」

 向坂は話し終えるとタバコを消し、また次のタバコに火をつけた。

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