第25話


 蓮穂は身体を丸めながらも手を伸ばし、

『華耶に、酷いことしないでください』

 と必死に訴え掛けていた。


 その態度に山岸は大きく息を吐くと、

『黙れっつってんだろ!』

 大声を上げ、サッカーボールのように蓮穂を蹴り飛ばす。

 蓮穂の呻き声が聞こえた。


『わ、私が、しますから……』

 蓮穂は蹴り飛ばされてもなお、山岸の足元まで這って再び懇願した。


 山岸は蓮穂の襟元をつかみ上げると、顔面を殴りつけた。振り下ろされるように殴られた蓮穂は、リビングに倒れると呻き声と共に口から血を出した。


 映像を見入る藤堂から、何かを吐き出しそうな声。そして雅彦は呼吸が酷く乱れ、口元が震え、全身が痙攣しているような感覚に陥っていた。


『毎回代わりたがるな、ええ? お前売女か? どうせあの男にも身体使って丸め込んだんだろ? なぁ?』

 蓮穂の髪を鷲掴みにして持ち上げ、山岸は顔を覗き込むようにして言った。


『そ、そんなことしてません。小田切さんは……そんな人じゃ……』


『っるせぇんだよ!』

 蓮穂の答えにイラついたのか、言い終える前に山岸は蓮穂の顔を床へと叩き付けた。ガンッという生々しい音がした。


『ガキの癖に大人びた外見しやがって、お前は賞味期限が切れてるって前から言ってんだろ。お前はどうでもいいけど、華耶が触られでもしたらどうすんだよ! ああ? 聞いてんのか? おらぁ!』

 山岸は足で蓮穂を踏み潰しながら言った後、タバコを取り出して火をつけた。


 一口吸って、

『お仕置きだ。背中出せ』

 と言って蓮穂を蹴った。


 しかし、蓮穂の反応がないとわかると、山岸は舌打ちをして蓮穂の上着を無理やり脱がす。そして、タバコを背中にグリグリと押し付けた。


『うぁうああぁああああ!』

 蓮穂の断末魔のような呻きが部屋中に響く。


 もう見ていられないと藤堂は顔を両手で覆い俯き、雅彦は我慢しようと無意識に唇を噛んでいたが、噛みすぎて血が出ていた。


『おねえちゃんを、いじめないで』

 華耶は泣いていた。


『華……耶……』

 蓮穂が華耶の声に反応して、微かに声を出した。


『かや、がまんするから』

 大きく鼻をすすると、華耶は山岸に言った。


『ふっ。そうかそうかぁ。華耶は偉いな』

 蓮穂への態度とは一変し、山岸は厭らしい笑みを浮かべた。


 再び山岸は華耶の前にしゃがみ、自分のズボンを下ろした。


 この後何をするのか、雅彦にはわかった。


 ……もう……限界だった。


 雅彦が拳を振り上げて山岸に近付く。


「はいストップー、落ち着いてー」

 途端、雅彦を後ろから羽交い絞めする向坂が言った。


「てめぇええ! ぶっ殺す! そこ動くなぁ!」

 雅彦は呼吸を乱して怒りをぶちまける。山岸は身体をすくめ、怯えた表情で雅彦を見ていた。


「だから、ストップー」


「離せ! こいつ……こんな奴! 絶対殺す!」

 雅彦は鬼のような形相で山岸を睨んでいるが、ジタバタするだけで先へ進めなかった。羽交い絞めをする向坂の力があまりにも強すぎて動けないのだ。


「ここで殴ればお前の負けだ。嬢ちゃん達は助からない。抑えろ、雅彦!」

 向坂は言葉と腕の力の両方で、雅彦を言い聞かせようとした。


 山岸を殺して自分が負けてもいい、元より自分はどうなってもいいのだ。だが、蓮穂と華耶は助からない。そう思うと雅彦の身体が弛緩していった。


 力が抜けた雅彦の身体から、ゆっくりと向坂が離れる。


「ま、この先も撮ってあるけど、雅彦がマジでブチ切れちゃうから止めとこうか」

 向坂はテレビとDVDプレイヤーの電源を消し、

「いやしかし、どうよ? 凄く綺麗に映って、音声もバッチリ。高いんだぁ、このカメラ」

 そう言ってデスクの正面に回ると、小型のカメラを取り出した。


 それから向坂は藤堂が座っているソファの横に座り、対面の山岸へカメラを見せた。


 山岸の顔は青ざめて冷や汗も滲ませている。視線をただ下げていたが、山岸はギリッと歯ぎしりをすると、

「と、盗撮じゃないか! それに不法侵入だ! 犯罪だぞ!」

 大声を上げてテーブルを叩いた。


「犯罪って、それをお前が言うのかよ!」

 雅彦は山岸の態度に怒りの言葉を放つが、

「雅彦っ!」

 と、向坂の制する声で動きを止めた。


 荒れた雰囲気の中、向坂だけは余裕の表情だった。


「犯罪ね。確かにそうですね」

 向坂の口振りはまるで他人事のようであった。


「それに、勝手に依頼者のプライバシーを侵害する行為、漏洩。契約違反だ」


「そうですね。違約金を払わないと、ですね」


「そもそも、俺の娘にどうしようと貴様には関係ないだろう! 貴様がやったことは犯罪以外の何物でもない!」

 薄ら笑いを浮かべて答える向坂に、山岸は青筋を立て怒鳴り続けた。


「あなたね……」

 藤堂が顔を上げて怒りの表情。俺の娘なのだから何をしてもいい。そう言った山岸に、藤堂だけでなく雅彦も怒気を再び燃え上がらせ、身体を動かしそうになったが、動くなよと言わんばかりに向坂から視線で止められる。


「そうですね……」

 向坂は鼻で笑った後、目つきを変えた。


「俺がやったことは確かに犯罪だが。お前がやったことが許されるとでも思っているのか? 例え揉み消して法律がお前を許しても、社会の倫理がお前を許してくれるかな?」

 向坂が言い放つと、威勢が良かった山岸の態度は一変した。


「何が言いたい?」

 怯えた様子で息をのみ、山岸は聞き返していた。


「この映像データをお前の会社、親族、友人、知人宛てに送りつける。それと、実名込みで世界中にネット配信もする」

 向坂が淡々と続けた言葉に、山岸は目を大きく開き絶句していた。


「ちょっ、ちょっと慎司君?」

 藤堂が驚愕して声を上げたが、向坂は手で遮って山岸へ視線を戻す。


「何驚いてんの? 嗜好を皆に知ってもらう絶好の機会じゃないの。配送と配信の準備は概ね終わってるんだけど、今からやろうか?」


「や……止めろぉ!」


「……止めろ?」

 声を荒げる山岸に対して、向坂が右眉を吊り上げた。


 お前、今の状況わかっているのか?


 口の利き方に気を付けろよ。とでも言うような、雅彦にはこの場の上下関係を改めて認識させる所作に見えた。


「止め……てください」

 山岸も向坂の意を理解したのか、開いたままの口から小さい声。


「お前、始めから狙ってたろ?」

 射抜くような視線を山岸へ向け、向坂は言った。


 山岸があからさまにたじろぐ。


「ペドフィリア」

 向坂がそう一言。


 その言葉を聞いて再び山岸は動揺し、藤堂も目を見開いていたが、雅彦は聞いたことがない言葉だったので意味がわからなかった。

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