少女達と怪物

第24話


 向坂のシフトにも入る。


 イコール、向坂と雅彦のシフト日が被っている場合、十四時間職場に拘束されることを意味する。その内、休憩時間を二時間もらえたので実質十二時間労働ではあったが、丸一日いることには変わりない。元ニートで体力がない雅彦、更に手も怪我をしている状態なので心身共にボロボロであった。


 長谷川にシフト追加の打診をした際、雅彦は断られると思った。


 いや、断って欲しいという気持ちが多少あった。開店から閉店までの労働となるし、普段まばらな向坂のシフトが、今週に限っては五回きっちりと入っていた。


 一日十二時間労働の日以外も、向坂のシフトと被っていない日は雅彦が通常シフトの早番で入り、雅彦のシフトが入っていない日は遅番で向坂の分として入る。


 丸一日休める日が雅彦にはなかった。


 そもそも、労働基準法を完全に無視することになるので、無理なのではないかという疑問も雅彦にはあった。


 しかしながら、長谷川はさもありなんと躊躇なく了承した。


 雅彦は呆気に取られたが、結果向坂のシフトも代わりに入ることができ、昼夜の食費が賄いで浮くというメリットで無理やり納得した。


 死の一週間最後の日。


 この日は早番だけで向坂のシフトは入っていない。疲労が極限まで達していた雅彦は、業務終了後スタッフルームで座ったまま動けなかった。


 帰って早く寝たい、しかし身体が動かない。あと一時間だけ休憩したら帰ろう。そう思い雅彦がぼんやりと天井を眺めていると、長谷川が入ってきた。


 どうやら店の電話に向坂から連絡が入り、雅彦に繋いで欲しいとのことだった。長谷川は、私用の連絡で店の電話を使わないように、と雅彦に忠告した上で出ていった。


 長谷川が去ってから数秒後、雅彦は我に返り座っていたパイプ椅子をガタッとさせる。


 ……向坂からの連絡。


 一週間でケリをつけると言っていた。今日は期限満了日である。


 何か進捗があったのだと思い、雅彦は即座にスタッフルームを出て一階のフロアへ上がる。店の電話は会計を済ませる場所に置かれていた。


 雅彦が受話器で応答すると、

「お前さ。携帯ぐらい買えよ」

 と言う向坂の呆れ気味な声が聞こえた。


「今から直ぐに来い」

 間髪入れずにそう言った向坂は、場所も付け加えた。


 場所は向坂の事務所だった。


 雅彦は行ったことがなかったので、事務所の場所をメモ帳に記してから電話を切る。その後長谷川に謝罪をし、着替えてから雅彦は店を出て調布へ向かった。


 向坂の事務所は、調布駅南口バスロータリーから少し南へ進んだ雑居ビルの一角にあった。


 目印がなく、午後八時を過ぎていて辺りが暗かったので、雅彦は少し迷ったが無事に辿り着くことができた。


 赤色の外装をした雑居ビルの二階。曇りガラスのドアには【向坂探偵事務所】というパネルが貼られていた。


 雅彦はドアノブを回し中へ入った。


「おう、いらっしゃい」

 部屋の中央に立っていた向坂は、入ってきた雅彦に向かって手を挙げた。雅彦は軽く会釈をして部屋の中に進み、辺りを見渡した。


 雅彦の部屋を二つ分以上、二十畳くらいの広さに見えた。


 壁は白かったが、タバコのヤニが酷いのか少し色が濁っている。部屋の奥には一人用のデスクがあって、その上にはなぜかテレビとDVDプレイヤーが置かれていた。部屋の中央には対面になっている黒いソファ、間にはガラステーブルがある。

 と、ここで雅彦は部屋の中を眺めていたが動きを止めた。



 なぜなら、二人の人間が黒いソファに座っていることに気付いたからである。



 対面して座っている二人は、雅彦が知っている人だった。


 三葉児童園の園長、藤堂香苗。



 そしてもう一人は、山岸康晴だった。



 ……山岸がいる。


 その事実に雅彦の目が大きく開かれていた。


「おい。何で犯罪者を呼んだんだ?」

 山岸は、雅彦を忌わしげに見ると向坂へ言った。


 最中、雅彦は山岸の言葉が耳に届いていなかった。


 それどころではない。心臓の鼓動が早くなり、全身の血が沸騰する。雅彦は自然と拳を強く握り締めていた。


「まぁまぁ、今から話しますから。雅彦もやめろよ」

 向坂は山岸と雅彦の間に入り、殺気を漲らせる雅彦に釘を刺した。


「チッ。仕事で疲れてるんだ、早くしてくれ」

 山岸は舌打ちをして、ふてぶてしくソファに深く座り直した。


 雅彦の心中は穏やかではなかったが、向坂の表情は余裕を見せていた。雅彦はその態度から何か考えがあるのだと思い、わき出る怒りを何とか殺していた。


「じゃ、ちょっとこれを見ましょう」

 向坂はそう言って、デスクの上に置いてあるテレビの電源をつけると、DVDプレイヤーも起動し再生させ、テレビに映像が流れ始めた。


 大きなソファとテレビ、テーブル、フローリングに絨毯が敷かれている。リビングだと雅彦は思った。そこには三人の人間が映っている。


 蓮穂は部屋の隅で丸くなっていた。


 華耶は口では言えない姿でソファに座らされていた。


 山岸は華耶の前にしゃがみ、おぞましいことをしようとしている。


『とうさま……いたいからやだよぉ』

 華耶が泣き声を出していた。


『だーいじょうぶ。とうさまを信じて、今日も優しくしますからねぇ』

 山岸は甘ったるい声を出し、華耶の頭をなでる。すると部屋の隅にいた蓮穂が山岸へ近寄った。


『もう止めてください!』

 蓮穂が山岸へ懇願していた。


 山岸は突如癇癪を起こし、

『てめぇは邪魔だって言ってんだろ!』

 と怒鳴り、蓮穂の腹と顔を殴った。


『かはっ』

 蓮穂の殴られる音が響き、リビングに倒れた。


 その映像を見る雅彦の目が尋常じゃないほど開かれる。先程から荒かった雅彦の呼吸が一定ではなくなった。


『ったく。華耶のオマケで付いてきた癖にうざってぇんだよ! 逃げ出すし、変な男は連れて来るしよぉ。いちいち賢しいんだよ! 立場わきまえろよ! ああっ!』

 山岸は怒鳴ると、倒れている蓮穂を蹴り続けた。


 その後、何度も蹴った山岸は疲れたのか、動きを止めると肩で呼吸をしていた。

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