第23話


 蓮穂と水野は雰囲気が似ているのだ。


 自分に近しいものを感じているから、蓮穂は水野が好きなのかもしれない。だが、似ているからこそやることも近い。水野は給料が少なくなった状況でも相手を気遣う。蓮穂が運営状況のことを知っていたとしたら……。


 雅彦はそこで思考を止め、即座に導き出された答えを口にする。


「蓮穂は、聞いていたでしょうね。あんなに遠慮をする子供なんか、見たことありませんよ」


「蓮穂ちゃん、そういう子ですからね」

 雅彦の言葉に対し、水野は寂しげに言った。


「あいつらは戻って来れないんでしょうか?」

 雅彦が藤堂へ聞くと、藤堂は視線を下げて黙るだけだった。水野も状況を把握しているのか、何も言わなかった。


 黙して語らず、という言葉が当てはまる。蓮穂と華耶がここに戻ることができない状況だと、雅彦は察した。


 これでは山岸の家を出たとしても、蓮穂と華耶の行き先がないではないか。どうすればいいのだ。そう思って雅彦が表情を歪めている最中、

「概ね状況は理解しました。二人が暮らす場所については自分に考えがあります」

 向坂は言い切り、

「ですが、まずは二人を助け出すことが最優先ですね。今日はこれで失礼します。また進捗があれば連絡しますので」

 と続け、座っている雅彦へ目で合図した。


 雅彦は頷いて立ち上がると、向坂と一緒に部屋を出た。


 玄関まで見送りに来てくれた藤堂と水野に軽く頭を下げ、雅彦と向坂は家を出ようとした。


「あの、蓮穂ちゃんと華耶ちゃんのこと。よろしくお願いします」

 と、後ろから声。水野だった。振り返った向坂は、何も言わず深く頷いた。


 冬は日が暮れるのが早い。


 外を出ると、もう暗闇が支配していた。


 向坂は歩き始めると、タバコに火をつけた。


 黒色の中で一点の燃ゆる赤色。

 幻想的ではないが、なぜか雅彦は目を奪われた。ネガティブな話を続けていたから、心象的にそう感じたのかも、と雅彦は思った。


 三葉児童園から出て、雅彦と向坂は何も話さずに歩いていた。


 山岸への対策にしても、雅彦にはどうすることもできない。雅彦は向坂の様子をうかがうが、物思いに耽っているのか前を見据え紫煙を燻らすだけ。歩きタバコ禁止ですよ、とは口が裂けても言えない空気である。


 二人は黙々と歩き続け、鶴川街道に戻り大きな交差点の前、信号が赤になり二人揃って足を止めた時だった。


 向坂は吸っていたタバコを携帯灰皿に入れると、思い詰めた表情で呟く。


「まさか……ジリ貧だったとはな」

 行き交う車の音でかき消されそうな、小さな声量だった。雅彦が向坂を見ると、向坂も雅彦と視線を合わせ苦笑した。


「つってもさ。蓮穂ちゃんだっけ? 小銭漁るわ、施設には遠慮して帰らないわって。涙ぐましい嬢ちゃんだな」


「涙ぐましいかは別として、俺の家にいる時もそうでしたよ」


「へぇ」


「子供の癖に遠慮するなって話ですよ」

 雅彦は蓮穂が遠慮する様を思い出してしまい、少し語気を荒げた。


「ククッフフッ」

 薄気味悪い笑い声が雅彦の耳に届く。勿論笑っているのは向坂だが、雅彦はバカにされている気がして、

「何ですか?」

 と向坂へ目と口で反抗した。


「いや、お前やっぱりいい奴だな」

 笑いを殺しながら向坂が言った。雅彦はその言葉に頬を赤らめる。


「はぁ? 冗談止めてください」

 雅彦は顔を背けて言った。同時に、信号が青に変わり二人は歩き始める。


「雅彦」

 向坂はもう笑っておらず、真顔でそのまま言葉を続ける。


「一週間、俺のシフトにも入ってくれねぇか?」


「え?」


「俺の分もやるのはキツイだろうけど、一週間でケリをつけるからよ。頼むわ」

 ケリをつける。それは山岸のことだと雅彦は判断した。


 期待していたので願ってもないことだったが、代償である向坂のシフトは遅番である。自分の分も含めると、開店から閉店まで働くことになる厳しいものだ。しかし、背に腹は代えられないと雅彦は覚悟を決める。


「わかりました」

 横断歩道を渡り終えたところで、雅彦ははっきりと答えた。


「サンキュ」

 向坂は微笑み、雅彦の頭に手を置いた。


「向坂さん」


「ん?」


「ここまで話しておいて今更かもしれませんが、信じていいんですよね?」

 雅彦は歩みを止め、先に進む向坂へ確認した。


 向坂が悪い人間ではない、施設にも顔を出して話も通した。だが、スムーズに進みすぎているし、何か見落としているような違和感が雅彦にはあった。


 小学生が性的虐待されている可能性があるので助けたい、警察であるならばそうするのかもしれない。しかし向坂は探偵である。冷静になると、雅彦は向坂を完全に信じることができなかった。


 向坂は雅彦の言葉で振り返り、

「信じてないのか?」

 と真剣な面持ちで言った。


「正直、探偵である向坂さんが依頼人の山岸を売るメリットがないでしょう?」

 至極当然な理屈だ。と雅彦は思い、表情を引き締めた。


「確かに、普通に考えるとそうかもな」

 向坂は一呼吸置くとフッと笑い、続ける。


「だが……メリットならあるさ」


「そのメリットは何ですか?」


「まぁ、そもそもこの仕事を受けたことにメリットがあった。というところか」

 不敵な笑みを浮かべて言う向坂に対し、雅彦は眉をひそめた。


「意味が良くわかりません」


「ま、いずれわかるだろ」

 向坂は曖昧な言い方をして、再び歩き始めた。


「俺には向坂さんしか頼れる人がいません。一人じゃ何もできなかった……だから!」


「わかってるよ」

 雅彦が小走りで近付き想いを続けようとした刹那、向坂は意を汲むような声色で制した。


「あいつらを、お願いします」


「任しとけ」

 懇願する雅彦に対して向坂は短い返答だったが、雅彦は向坂の顔を見て寒気がした。


 間違ってもこれから楽しく一仕事する顔ではなかった。


 向坂の視線の先には仇敵がいる、そう思わせる表情だった。

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