第22話

 数分後、藤堂が湯飲みを乗せたお盆を持って和室に入ってきたが、その横には見たことがない女性がいた。


「あの、こちらも同席してもいいかしら? 蓮穂と華耶がいなくなったって聞いて、人一倍心配してたから」

 藤堂はお盆をテーブルに置くと、隣にいる女性を紹介した。


 紹介された女性は、長い黒髪を一つに縛って肩から前に流しており、垂れ目で黒ぶち眼鏡をかけていた。薄青のカーディガンと紺色のロングスカートという格好で地味な感じもしたが、雅彦は女性の顔立ちや姿から母性的な印象を受けた。


「水野唯と言います」

 と名乗った水野唯みずのゆいは頭を下げた。


 雅彦もそれに続いて頭を下げたが、名前や仕草と身なりから、蓮穂が好きだと言っていた水野先生なのだと直感した。


「同席で構いませんよ。でも、子供達は大丈夫ですか?」

 向坂が言った。


「ええ。日下部くさかべ先生にお願いしているから大丈夫よ」

 藤堂はそう答えてから水野と一緒に着席し、

「で。そちらの方は?」

 と向坂へ言った後、雅彦を見た。


「小田切雅彦です」

 雅彦は向坂に言われる前に名乗った。


「慎司君のお友達?」


「まぁ、そうと言えばそうなんですけど。雅彦、話してくれるか?」

 向坂が雅彦へそれとなく促すように言った。


 雅彦は向坂の意図を汲み、

「始めからお話します」

 と前置きした上で話し始めた。


 話の内容は、ファミリーレストランで向坂に打ち明けた時とほとんど同じだ。それと、今日向坂に話した内容も含めた。雅彦が話している最中、誰も口を挟まなかった。


 そして、藤堂と水野は徐々に顔面が蒼白になっていった。雅彦は包み隠さず全てを話し終えると、お茶を一口飲んだ。


 場がシーンと静まる。


「……最悪だわ」

 藤堂が額に手を当て呟いた。


「ちなみに、こいつは二人に手を出すようなことはしてませんよ。多分」


「するわけないでしょ」

 向坂が雅彦の頭に手を置いて弁護するが、気に食わず手を払い除ける雅彦。


「ええ、わかってるわ。でも、小田切さんにも迷惑を掛けました。で、済む話ではないでしょう?」


「まぁ、それなりには」

 藤堂の言葉に気にはしていないと言えず、雅彦は正直な気持ちを吐露した。


 間が空いて、部屋がまた静まり返る。


 重苦しい雰囲気が続いた。


「……虐待ですか」

 漏らすような声で沈黙を破ったのは水野だった。


「だけだといいんですが、性的虐待の可能性が高いと自分は思っています」


 向坂は平然とした口調で答えた。


 だが反対に、藤堂と水野は目を見開き驚愕していた。


 ……性的虐待。


 雅彦も蓮穂から話を聞いた時、その可能性があると思っていた。違うだろうと言い聞かせても、頭から離れなかった。


「その件はこちらで何とかするつもりです」


「何とかって、どうするの? 警察に行きましょう!」

 冷静に話す向坂とは対照的に、藤堂はいきり立っていた。


「証拠がないのに警察へ行って何とかなると思っているんですか? 山岸は養父なので二人の親権を持っていますし、社会的にも地位が高いです。揉み消される可能性もありますし、実際に二人が警察へ助けを求めに行った時も揉み消されました。今から警察へ行って不利になるのはこちらです。そもそも、人が死ななきゃ警察は動きません」


「だからって……」


「だから、俺がいるんです。大丈夫です。この件は任せてください」


「……慎司君」

 向坂が諭すように続けると、藤堂は吐息と共にそう言い、膝立ちしていた状態を崩した。


 向坂は藤堂が座り直したタイミングで話を再開する。


「二人を外で見掛け、何かおかしいのかもってことが、今回の依頼でしたね?」


「ええ。水野先生が見たの」

 藤堂はそう答えてから、水野へ顔を向けた。


「あの日。サッカースタジアムからバスで帰っている途中だったんです。大きなバックを背負って歩いている二人を見つけて、直ぐに下車したんですけど見つからなくて、結局園長に相談しました」

 水野は思い出しながら喋っている様子だった。


「疑問なんですが。そもそもなぜ……二人はここに帰って来ないんでしょう?」

 そう言って向坂が藤堂と水野を見た。相手を突き刺すような目つきだと、雅彦は感じた。


「そんなことしていませんっ!」

 水野は向坂が何を言いたいのかわかったのか、眉を吊り上げて語気を荒げた。


「そう言われてもね」

 向坂は水野の態度を流し、タバコを取り出し火をつけた。


「向坂さん」


「ん?」

 雅彦に呼ばれると、向坂はタバコを吸おうとしていた動きを止めた。


「違うと思います。ここではそういうことはなかったと思いますよ」


「何で?」


「施設には戻れないのかと蓮穂に聞いたんですが、黙っていました。ただ、施設のことを話す蓮穂からはマイナスな感情や拒絶を感じませんでした。本当に拒絶している山岸との態度が全然違います。でも、施設へ戻れない理由があるようには思えました」

 雅彦は向坂へ言ってから、今度は藤堂と水野を見た。


「何か、あるんじゃないんですか?」

 雅彦は目の前の二人に対し、核心に迫る聞き方をした。


 雅彦に問われ、藤堂と水野はお互いの顔を見合わせる。その後、双方考えている様子が続いたが、お互い心当たりがないのか返答がなかった。


 ところが、

「……あ」

 と、突然水野が声を出して藤堂へ顔を向けた。


「園長」


「ん。な、何?」

 考え中だったのか、藤堂は我に返ったかのように聞き直した。


「もしかしたらなんですけど。運営の話をしているところを、蓮穂ちゃんに聞かれていたのかもしれません。蓮穂ちゃんは五年生へ上がってから、早く仕事をしたい、内職とかできませんか? ってよく聞いてきたんです」


「そうだったの?」

 水野の話が寝耳に水だったのか、藤堂は表情を曇らせていた。


「どういうことですか?」

 向坂が割って入った。


「ええ……とね。実は二年ほど前からなんだけど、運営状況が厳しいの」


「え! 潰れちゃうんですか?」

 青天の霹靂だったのか、向坂がタバコを床に落とす。急いで拾って灰皿で消した。


「来月一人養子にいく子がいて、それでまだ何とかやれる程度かしら。私だけじゃなくて、日下部先生と水野先生のお給料も少しずつカットしているし」

 藤堂は沈痛な面持ちで水野を見た。


「私はいいんです、子供たちが無事に生活できるなら」

 水野はそう言い、気を使わないでと藤堂へ両手でジェスチャーした。雅彦は水野の仕草を見て、蓮穂が水野を慕う理由が何となくわかった。

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