第21話


 向坂はタバコの灰を灰皿に落とし、

「雅彦」

 と言って雅彦を見つめてきた。


 雅彦は名前で呼ばれたことがなかったので一瞬戸惑ったが、

「はい」

 と真っ直ぐに見つめ返した。


「二人をどうしたいんだ?」


「あいつらが、安全に暮らせる場所があればいい……とは思いますけど」

 助けたいが結局どうしたいのかわからず、漠然とした回答をする雅彦であった。


「フワフワとした答えだなぁ。山岸の家へ乗り込んだ後、怪我をしてここまで来た奴がさ。二人を救う覚悟はあるのか?」

 鼻を鳴らし、最後に向坂は雅彦を刺すような視線を向けた。


「始めに言った通りです。俺はどうなっても構いません。だからここに来ました」

 今度は淀みなく答えた雅彦であった。


 向坂は雅彦の回答に満足したのか、小刻みに頷いていた。


「明日……ていうか、もう今日か。お前バイト休みだったよな?」


「はい」


「じゃあ、今日の午後三時に調布駅南口バスロータリーの前で待ち合わせな」


「え?」

 何のことだと、雅彦が聞き返した。


「山岸の調査を依頼していた方へ会いに行く。そこで詳しく話そう」

 と、向坂は話を終えた。


 午前一時を回り、すでに終電は終わっている。雅彦はこのままファミレスで、始発まで待つことにした。


 話を終えた矢先にパフェやアイスを軽快に頼む向坂を眺め、雅彦は内心半信半疑であった。


 探偵や興信所は信用で成り立つ商売ではないのだろうか?


 依頼人である山岸を売って、向坂にメリットはあるのだろうか?


 疑念は消えない。


 だが、雅彦は頼る人間もいなければ、自力でどうすることもできない状況である。



 話をし、ここまで来た以上、向坂に賭けるしかなかった。



 雅彦は始発電車で帰宅した後、布団へ倒れ込み昼まで睡眠をとった。


 待ち合わせ一時間前に起床し、昨日からほとんど何も口にしていなかったので、調布駅へ向かう途中のコンビニでパンと牛乳を買い、その場で素早く食事を済ませた。


 調布駅から南西へ数十分、多摩川を渡る四車線の道路、鶴川街道。


 ガソリンスタンドや大型のゲームセンターなどがその街道沿いにあるが、少し道路から外れると完全に住宅街になっていた。


 雅彦は向坂と調布駅南口で落ち合った後、徒歩で鶴川街道の道路沿いを歩いていた。


 歩いている最中、雅彦は向坂から質問攻めを受けていた。


 蓮穂や華耶がどういう子なのか?


 どういう生活をしていたのか? 


 等々、二人のことが主であった。


 雅彦は自分のわかる範囲で答え、また、ファミレスでは話していなかった蓮穂が受けた虐待などにも言及した。


 知りたいことがある程度聞けたのか、向坂は質問をやめると口を結んだ。


 行き先については行けばわかる、と向坂が教えてくれないため、雅彦は黙って向坂の後ろについて行った。


 鶴川街道から住宅街へ入り、何度か道を曲がり、向坂が歩みを緩めた。


 雅彦は着いたのかと思い、場所を確認する。


 目の前の敷地内にはジャングルジム、砂場、鉄棒などがあり、庭というか小さな公園のようであった。そして、併設されている一階建ての大きな建物と、二階建ての一軒家。雅彦は眺め終わると、自分が通っていた幼稚園を思い出した。


 三葉児童園。


 門に貼られているプレートにはそう書かれている。


 敷地内へ入っている向坂に気付くと、雅彦は急いでその後に続いた。


 広場には子供のみならず人が誰もいなかったが、広場の真ん中辺りまで歩いたところで、一軒家の方から初老の女性が現れた。


 初老の女性は紫色のストールを巻いていて、優しげな雰囲気を出していた。


 隣室の高梨とは真逆だなと雅彦が思っていると、向坂が初老の女性へ近付いていった。


「あら、慎司君」

 向坂に気付いた女性が喋り掛けてきた。


「香苗先生。報告に来ました」


「蓮穂と華耶は見つかったの?」


「ええ。それも含めて話します」

 向坂は頭をかいてから雅彦の方へ顔を向けた。


 女性は向坂の視線を辿って雅彦を視認し、

「そちらの方は?」

 と言った。


「連れです。こいつも一緒に話をしたいんですが、今からでもいいですかね? 出掛ける準備をしているようでしたけど大丈夫ですか?」


「ちょっと買い物に行こうと思っていたのだけど、後でも平気だから大丈夫よ。お茶を用意するから、部屋へ先に行ってもらえる?」


「わかりました」

 向坂が返事をすると女性は踵を返した。


 向坂の口調から初老の女性はここの関係者だと察し、

「今の方、ここの先生ですか?」

 と雅彦は確認をした。


「ああ、藤堂香苗。ずっと昔からここで先生をやっていて、今は園長」

 向坂は雅彦を見ずにそう言うと、藤堂香苗とうどうかなえが戻った家の中に行くぞと指をさした。


 向坂に続いて雅彦も靴を脱いで家へ上がると、何の料理かわからないが食べ物の匂いがした。


 久しく他人の家に入っていない雅彦は、昔遊びに行った友達の家を思い出し、少しノスタルジックな気持ちになった。


「こっちだよ」

 雅彦がボーッとしていると、向坂が階段の横にある部屋を親指でさして言う。雅彦は向坂の声で我に返り、指示された部屋へ入った。


 部屋は、八畳はあるかと思われる和室だった。壁掛けの大時計があり、木製の大きなテーブル、あとは四枚の座布団のみ。壺や掛け軸、ましてや日本刀などの嗜好品は全くない簡素な部屋だった。


 向坂はあぐらをかいていたが、雅彦はとりあえず正座で座った。しかし、普段正座などしないものだからすぐに足が痺れてきた。


「何してんだお前? 足、楽にしていいよ」

 正座で踏ん張る雅彦を見て向坂は笑うと、タバコを吸い始めた。


 確かに灰皿がテーブルに置いてあるが、遠慮なくタバコを吸い始めてリラックスをする向坂に、雅彦は少々気後れしていた。

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