第18話


 朝日が台所の小窓から差した頃、雅彦は目を閉じ横たわっていたものの、結局ほとんど眠ることができなかった。


 だが、アルバイトへ行く時間が迫ってきたので、無心で用意をして家を出る。


 蓮穂に打ち明けられてから、何時間もずっと考えている状態。


 何も関係がない男の家に女児二人が匿われている。


 第三者として冷静に考えると、犯罪者以外の何者でもない。自分はそれで捕まってもいいとしても、だ。


 二人はこの家に缶詰め状態、学校にも行けてはいない。まぁ、山岸に見つかりたくないので、学校へ行っていないのは本人の希望なのだが。とはいえ、年相応の生活が満足にできていない、この状況が良いわけがないのだ。


 危険を承知で山岸という男性に会いに行くべきか、それとも事情がありそうな三葉児童園へ行くべきか。とにかく、何か行動を起こさなくてはならないと雅彦は考えていた。


 だが、雅彦は蓮穂の話を思い出すと二の足を踏めなかった。


 山岸が蓮穂達に何をしていたのかは見当がついたし、蓮穂の言葉が真実であれば警察や役所も助けにはならない。それに、施設へ戻れない理由もあるように思えた。


 赤の他人であり、女児二人を匿っている一見犯罪者である自分が行動したところで、信じて聞いてもらえるのか。いや、自分なら無理だなと雅彦はすぐさま折れる。客観的な視点から、その可能性が限りなく低いということは容易に想像できたのである。


 結局、八方塞がりってやつか。


 そんな悲観的な言葉が頭をかすめ、アルバイトを終えた雅彦は調布駅を出た。


 時刻は午後八時をまわっている。


 少し残り過ぎたと、雅彦は体力的な疲れと心労でぐったりしながら帰宅し、家のドアを開ける。すると、いつもと違う光景が広がっていた。


 真っ暗だったのである。


 いつもなら家に電気はついていた。蓮穂と華耶が玄関まで出迎えてくれた。


 しかし、二人はいなかった。


 雅彦は家のドアを閉めて、もう一度開けた。


 やはり同じ光景だった。


 一瞬で頭が真っ白になった。


 無造作に開かれたドアの前、雅彦は口を半開きに呆然としていた。


「あんた」

 後ろから聞こえる声に雅彦は意識を取り戻す。聞こえた方角に雅彦は顔を向けると、手にはコンビニのレジ袋を提げている高梨がいた。


 高梨は雅彦を一瞥してから、

「親戚の親御さんが来てたよ」

 そう言って自分の家の鍵を取り出した。


「親御さん?」

 高梨の言葉に雅彦は目を見開き、聞き返した。


「玄関前で説得してたみたいだったけど、声がうるさくて昼寝もできなかったわ」


「な、何て言っていたんです?」


「んー。いい加減にしなさい、とか、迷惑が掛かるんだぞ、とかそんなことだったと思うけど。あんまり憶えてないけどねぇ」

 高梨は興味なさそうに言って、ドアノブに鍵を差し込んだ。


「顔は、どんな人だったんですか?」


「あんたの親戚だろ? 知らないのかい? 私は家にいたから顔なんて見てないよ」

 高梨は訝しげな顔をして言うと、鍵で解錠はしたがそのまま雅彦を見つめていた。


 一方雅彦は、高梨から得た情報をまとめ始める。



 蓮穂と華耶は誰かに連れて行かれた。



 ……誰かとは?



 向坂、山岸、施設の人。もしくは警察。


 警察はないだろう、警察であれば一番先に雅彦が連行されている。


 次に施設の人だが、これも可能性としては低い。


 なぜなら、雅彦との面識が一切ないからだ。捜索依頼を出していたということも考えられるが、となれば警察が絡む。だから可能性は低い。


 そして一番可能性が高い向坂だが、本日バイト先で会っていた。遅番だったので、蓮穂達を連れ出す時間は充分にあった。


 しかし、今更やるのか?


 向坂は、自分が蓮穂達を匿っていることに気付いているはずだ。


 なぜ、今になってやるのか? 


 その意味がわからないし、高梨が言っていた説得の内容からして、身内が言うような内容だった。


 向坂は警察やその関係者でもなければ、蓮穂と華耶の身内でもない。未だ向坂が得体の知れない奴であることは間違いないが、説得するような言い方に疑問が残る。


 となると……山岸か。


 雅彦は消去法でいきついた結果に、一呼吸置いた。


 そして呼び起こされる記憶の断片。


 雨の中、蓮穂と華耶が駐輪場で身を寄せ合っていた姿。


 大雪の日、穴の中で身体を縮める二人の姿。


 山岸の話で嗚咽し、凄惨な姿を見せた蓮穂の姿。


 雅彦は動悸が激しくなり、熱くなる身体を感じる。



 足が、勝手に動いた。



「全く、何なんだい?」

 高梨の呆れる声を背に、雅彦は走り出していた。


 ……行き先は山岸の家。


 白い息が前に散る。時折人にぶつかりそうになるが、止まらない。いつも利用しているコンビニ、細い路地、小学校を通り過ぎ、スポーツクラブの前に着くと雅彦は足を止めた。


 約一、五キロを全速力だった。


 心臓が破裂しそうなほど動き、喉はカラカラ。滲む額の汗を手で拭うと、雅彦は目の前にあるマンションへ向けて歩き始めた。


 スポーツクラブ前の道路を跨いだ場所には、黒色と褐色のマンションが建っている。勿論目指すのは褐色のマンションの方だ。


 褐色で鉄筋コンクリート造りのマンション。十二階建て。


 外観を眺め、高級マンションだなと雅彦は思った。


 呼吸を整えてから自動ドアで中へ入るが、部屋へ行くための自動ドアがもう一つあり、そこが開かなかった。


 そう、このマンションはオートロック式なので、住人に開けてもらわない限り部屋へ行くことができない。いわば雅彦が現在いるのはマンションのロビーであり、そこから先へは進めないのであった。


 雅彦は舌打ちをし、とりあえずロビーの周りを見る。ガラス張りになっている四方と、下には黒の絨毯。目ぼしい物はないなと思った矢先、郵便受けを発見した。


 黒色のプラスチック製だが、洗練された印象を受けるものだった。


 雅彦のアパートで使用されている、何の変哲もない銀色の郵便受けとは雲泥の差である。


 更に、どの部屋も名札を貼っておらず、誰がどこにいるのか全然わからなかった。蓮穂に部屋番号を聞いていなければ、完全にアウトだったと雅彦は苦笑いを浮かべた。


 雅彦が806号室を探すと、直ぐに見つかった。


 各階の部屋は1から6までとなっているようだった。


 つまり、山岸は八階の角部屋ということになる。雅彦と同じ角部屋とはいえ造りも階層も違う。


 そう、雅彦が山岸との格差にケチをつけている時、ロビーに運送屋らしき男性が入ってきた。


 雅彦が郵便受けの前で様子を伺っていると、男性はロビーに設置されているインターホンを使い、マンションの住人と応答をする。程なくして、ロビーの自動ドアが開いた。


 恐らく宅配を受ける住人が開けたのだろうが、雅彦にとっては願ってもないチャンスである。住人の振りをして、男性の後に続いた。

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