第16話


 次の日。


 雅彦のアルバイトが休みの日だった。


 場所は駅前のスーパーの中。バイト帰りに寄ると、セール品などは売り切れている状態だったので、休日にまとめて買っておこうと雅彦は思ったのである。


「まさひこ、おかしがほしい」


「おいチビ。お前既に三つもカゴに入れてるじゃねぇか。充分だろ」


「いいじゃん。ね、ね?」


「ったく。わかったよ。あと一つだけな」


「小田切さん、合挽肉がセールで安いですよ」


「お、そりゃラッキーだな。毎回鳥の胸肉ばっかりだったから、たまにはハンバーグでも作るか」


「本当ですか? 私も手伝います!」


「結構難しいぞ、手もベトベトになるからな」


「望むところですよ」


「かやも、かやもやる!」


「チビは無理だろ。てかよ、お前はドサクサ紛れに菓子を五個も入れてんじゃねぇ」


「えへ」

 そして、三人一緒だった。


 発端は、買い物を蓮穂が手伝いたいと言ったことであった。


 一緒に暮らすようになって一ヶ月以上過ぎており、向坂にしても初対面の時から際立った動きはない。単独で外出するわけではなし、自分と一緒なら大丈夫だろう。


 雅彦はそう思って連れて行くことにした。


 また、二人は一日中家の中で缶詰状態なのだから、息苦しさを感じているのかもしれない。外に出れば気晴らしになるだろう。

 という気遣いも雅彦にはあった。


 ただのスーパーで生き生きとしている二人の姿を見ると、連れて来て良かったと雅彦は思った。


 しかし、迂闊。この行動が引き金となってしまった。


 スーパーからの帰路、蓮穂を見た公園沿いの道路へと続く道。雅彦達は、その手前にある信号機の前で止まった。


 ここは鶴川街道にも続く道を挟んでいるため、交通量が多い道路だった。


 したがってここのボタン式信号機は、ボタンを押してから青になるまで一分以上は待たされる。


 そんな信号機のボタンを蓮穂が押し、横断歩道を挟んだ先を見ていた時だった。


 隣に立っていた雅彦は、蓮穂の顔が青ざめ身体を震わせていることに気付く。不思議に思い蓮穂の視線を辿ると、そこには黄土色のトレンチコートを着ている男性がいた。


 十メートル以上離れているので顔の輪郭はわからなかったが、黒髪オールバックで低身長、年齢は三十歳前後、そう雅彦が分析している時、男も蓮穂と華耶に気付いたようで身を乗り出してきた。


 しかしながら、人通りは少ないものの、車の通りは多いので動けない様子だった。


 突然、蓮穂は華耶を手に取って後ろへ駆け出した。


 雅彦は呆気にとられたが、

「お、おい!」

 と叫んで追う。


 小学生にしては中々速かったが、華耶を連れているので直ぐに追いついた。


「お前、どうしたんだよ?」

 息を切らしながら、雅彦は蓮穂の肩をつかんだ。


 蓮穂の身体はまだ震えている。蒼白な表情に目は虚ろで、雅彦が続けて声を掛けても応答がなかった。雅彦はとりあえず場所を変えようと思い、蓮穂の手を取って駅前まで戻った。


 それでも、状況が変わらない。華耶は男性を見ていなかったのか、ただ蓮穂の様子を心配していた。


 このまま普通に戻るのは賢明ではないと雅彦は判断し、南口からぐるっと西調布まで迂回して自宅へ戻ることにした。


 帰宅すると、蓮穂は部屋の片隅で縮こまって動かなかった。


 華耶も蓮穂から離れようとしなかったので、雅彦は一人で夕飯を作った。その後、夕飯は食べたが会話はほとんどなかった。


 夜も更けて、雅彦はいつものように部屋の隅で毛布類に包まった。


 蓮穂と華耶が来てから二人は部屋にある布団で寝させ、雅彦は毛布やダッフルコートをまとめ包まって寝ていた。


 さて、どうしたものかな。あの男性が原因であるのは間違いないが。そういえば、あの男どこかで見たな。

 と、雅彦は思い返していた。


 匿っておきながら今更ではあるが、雅彦は二人の事情に深く関わるつもりはなかった。二人が単なる家出ではなく、止むを得ない事情であることも察している。


 だが、雅彦は嫌だった。


 これ以上、他人に踏み込みたくなかった。


 両腕を枕にして天井を見つめ、二人のことを考える雅彦だったが、蓮穂が立ち上がったので咄嗟に目を閉じた。


 雅彦は寝たふりをしていたが、襖が開く音すらしないので瞼をうっすらと開けた。


「あの、小田切さん。起きてます?」

 小声で言い、蓮穂は雅彦の横に座るところだった。


「ん、ああ。どうした?」


「今日のことなんですが……」

 蓮穂は言葉を続けようとしたが、止まった。暗くて顔色がよくわからないが、気落ちしているのは見て取れた。


 雅彦は蓮穂の言葉を待ったがいつまでも続かないので、

「喋りたくなかったら別にいい」

 と言って終わらせようとした。


 正直、このまま寝てくれた方がいいと雅彦は思っていた。


「あの……」

 雅彦の意図に反し、蓮穂は話したいのか何かを言おうとする。しかしやはり言葉が続かず、また間が空いた。


 今日はやめにしようと雅彦は言おうと思ったが、蓮穂が震えていることに気付いてしまった。


 雅彦は頭をかいてから、

「華耶が起きるかもしれないから、台所で話そう」

 と言って蓮穂を台所へ連れ、襖を閉める。


 その場で対面するように座り、雅彦は小さく息を吐く。


「帰りに見た男のことか?」


「はい。山岸康晴という方です」

 雅彦に聞かれると、蓮穂は淀みなく答えた。


 あの低身長男の名前は山岸康晴やまぎしやすはるというのか、と雅彦が情報を整理し始めようとする最中、蓮穂は口ごもっていたことが嘘かのように喋り始める。


「私達は、三葉児童園みつばじどうえんという施設にいました。私は、物心がついた時には施設にいたので、両親のことはよくわかりません。華耶は、二歳の時に来ました。両親が交通事故で一緒に亡くなって、身寄りがなくなったということでした。華耶は幼かったし、主に私が面倒を見ていました。華耶も私に懐いてくれて、血は繋がってませんが本当の妹だと思っています」


 それから、水野先生という人が優しくて好きだったこと、華耶は昔からやんちゃだったこと、ピーマンが嫌いで食べさせるのが大変だったこと、等々。


 蓮穂は施設での生活内容を延々と話した。


 しかし、雅彦としては華耶がピーマンをどうやって克服をしたのかは別に興味がなく、早く本題の続きを聞こうと思った。

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