少女達の事情

第15話


 紅葉での業務内容は、一言で説明すると雑用だった。


 皿洗い、野菜の皮剥き、掃除、厨房が主だが調理などは一切せず、毒島と宮部の使いっぱしりだった。更に付け足すと、手が足りなければお客がいるフロアで給仕もしていた。


 働くこと自体が初めてだったので、これが他と比べてキツイのか雅彦にはわからなかったが、休憩時間もしっかり取れて賄いもでるし、残業代もつくし特に不満はなかった。


 そして最大の懸念点であった向坂だが、初対面で含みを持たせておきながら、それからは特に何もなかったかのように接してきた。


 逆に演技なのではないかと雅彦の疑念は消えていないが、相手が行動を移すまではこのままでいようと普通に接している。


 また、紅葉の営業時間は午前九時から午後十一時となっているが、午前九時から午後六時の早番、午後二時から午後十一時の遅番とシフトが二つあり、雅彦は主に早番で向坂が遅番だったため、関わる時間が少ないという利点もあった。


 また、週に五回シフトに入っている雅彦とは異なり、向坂は週に三、四回の時もあれば、一回の時もあってあまり会わない。


 要するに、雅彦が向坂と接することは多くなかったのである。


 三年以上の引きこもり生活が尾を引き、始めてから一週間は疲労感が慢性的に拭えなかったが、既に二週間以上経った今は雅彦も慣れた。


 業務終了後、真人間らしい充足感に包まれながら着替えをしていると、スタッフルームのドアをノックする音が聞こえてきた。


 雅彦は着替え中だったが、肌を露出してはいなかったので返事をすると、店長の長谷川が入ってきた。


「ごめんね、着替え中だった?」


「はい、でも大丈夫です」


「ならよかった。小田切君、お給料だよ。中には明細も入っているからね」

 長谷川は手に持っていた茶封筒を雅彦に見せ、そう言った。


「え?」


 あれ?


 給料って手渡し?


 ネットでアルバイト募集を検索していた際、ほとんどが給与は銀行振り込みと書いてあったが?


 そう思い、雅彦は受け取った茶封筒を凝視して固まった。


「契約書にも書いてあるけど、ウチは二十日締めの月末払いなのね。小田切君は十五日に入ったから、五日分しかないけど」

 長谷川は給与の補足をしてくれた。

 が、雅彦が気になったのはそこではない。


「あ、いや。そうじゃなくて……」


「あー、ごめん。ウチって手渡しなんだ。古くさいかもしれないけど、勘弁してね」

 雅彦の愛想笑いに長谷川が勘付いたらしく、紅葉のルールを説明してくれた。


「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 雅彦は切り替え顔を上げた。


「毒島さんも助かっているって言ってたし、私も凄く助かってる。これからもお願いね」

 そう言って、長谷川は笑顔でスタッフルームを出ていった。


 雅彦は長谷川がいなくなっても、茶封筒を両手で握り締めていた。


 ニヤニヤが止まらない。初めて自分で稼いだ金と満足感に、雅彦は頬を緩ませた。


「おー、お前も給料もらった?」

 と言って入ってくる向坂、手には雅彦と同じく茶封筒を持っていた。


「ええ。まぁ」


「じゃ飲みに行こうぜ。奢れよ」

 向坂は休憩するつもりなのか、タバコを取り出してパイプ椅子に座った。


「は? 何でですか? というか奢るのって普通先輩でしょ?」


「いや、俺あんまりシフト入ってないじゃんか。給料少なくて」


「俺だって五日分だから少ないですよ。後輩にたからないでくださいよ」


「けちくさ」

 口を尖らせる向坂は、華耶を蓮想させる仕草だった。


「そもそも、向坂さん遅番でしょ? 俺もう上がりですから」

 いじけた姿でタバコをふかす向坂へそう言い、雅彦は着替えを再開した。


「じゃ、今度でいいよ。ハンバーガーでもいい。牛丼一杯でもいい」

 向坂はタバコを吸い終えると、そんな虚しいことを言って去っていった。


 雅彦は向坂の捨て台詞に呆れながらも、軽く笑みを浮かべた。


 馴れ馴れしくて適当だが、悪意はない。


 この少ない期間で向坂のことを雅彦はそう判断していた。


 含みを持たせていることなどの疑惑は消えていないし、恐怖心もある。しかし、雅彦は向坂が真の悪人とは思えなかった。


 着替え終わり、店を出て真っ直ぐ帰り道を辿る。


 初給料を手にしたら両親へ贈り物をするのだと、小さい頃に雅彦は聞いたことがあったが、生活するだけ精一杯の現状である。雅彦は全額生活費に充てるつもりだった。


 だが、調布駅北口改札を出ると、駅前に連ねるショップの内、一軒のケーキ屋に目が止まった。


 初給料ということもあり、雅彦の思考も正常ではなかったのかもしれない。


 たまにはいいかと思い、雅彦はケーキ屋でショートケーキを三つ購入して帰宅した。


「おかえりなさい」

「まさひこ、おそい」

 雅彦が家へ戻ると、いつも蓮穂と華耶は玄関まで出迎えてくれる。雅彦は何も言わずに家へ入り、朝に作っておいたクリームシチューの残量を確認した。


「夜飯、また食ってねぇのか?」

 目分量だったが、昼食分までしか減っていなかったので、雅彦は蓮穂へ聞いた。


「あ、ごめんなさい」


「いいよ。別に怒ってないって言ったろ」

 蓮穂の返答に、口元を緩める雅彦。毎日律儀に待っているので、もう日課だった。


「用意しますので、部屋で待っていてください」

 蓮穂はクリームシチューを温め始めた。


 雅彦が蓮穂の後ろを通り過ぎようとした時、

「おなかすいたー。む、まさひこ、なんかもってる」

 目ざとい華耶に見つかった。


「ああ。たまには……と、思ってな」

 雅彦は恥ずかしそうに頭をかいて、ショートケーキが入った箱を華耶に渡した。


 華耶は雅彦から受け取った箱を乱暴に開け始める。


「何ですか? それ?」

 華耶を見つつ蓮穂は雅彦へ聞くが、雅彦は直ぐにわかると思い答えなかった。


「ケーキだぁ!」

 力任せに開封し終えると華耶が叫んだ。


「え? いいんですか?」

 ショートケーキを見て蓮穂は顔をしかめた。


 雅彦は蓮穂がまた遠慮をしているのだと思い、

「よくなかったら買ってこねぇよ」

 と言って部屋へ入った。


「たべていい? ねぇ、たべていいよね?」


「ご飯食べてから、ね」


「やったー」

 小さく跳ねて喜び表現をしている華耶。その様子を見て微笑む蓮穂。


 全く、ケーキ一つでよくもここまで喜べるものだ、安上がりな奴ら。と内心小馬鹿にしつつも、雅彦の目尻は下がっていた。


 その後、一つ目のケーキを食べ終えても物欲しそうに見つめる華耶に負けて、雅彦は自分の分のケーキも華耶にあげた。結局、雅彦はケーキを食べることはできなかった。



 しかし、悪くない気分だった。


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