第13話


 調布に着いても、雅彦の気持ちは落ちたままだった。


 合格した場合は二、三日中に連絡が来ることになっているので、まだ不合格と決まったわけではない。しかし、どう考えてもあの対応で自分が受かったと雅彦には思えなかった。


 それに、ダメだったら他の店を選べばいいという話ではない。


 この状態で受かるのか?


 自問する雅彦の答えは直ぐに出た。


 ……無理に決まっている。


 三年も引きこもって人を遠ざけていた自分に、何ができる。何もできない、できなかったではないか。愚か過ぎて、あまりにも滑稽で笑うことすらできない。


 どうすればいいんだ?


 働くことなど今更できもしない。やはり、二人を追い出すしかないのか。そう思いつつ、雅彦は虚ろな状態になっていた。


 雅彦は沈んだまま帰宅すると、

「おかえりなさい」

「おそいよ」

 二人揃って出迎えにきた。


 雅彦は何も言わず部屋へ入り、コートを脱いだ。


「ごはんだー、はやくカレーたべよ」


「わかった。待ってて、今温めるから」


 ……ん?


 二人の会話を聞いて、虚ろだった雅彦の意識が正常に戻る。パソコンで時刻を確認すると、八時四十五分だった。


「おい、先に食ってろって言ったよな?」

 雅彦は台所に行き、蓮穂へ言った。


「え? あの。小田切さんと一緒にと思って、その、ごめんなさい」

 カレーを温めながら申し訳なさそうに言う蓮穂。


 ……待っていたのか。と予想外の展開に雅彦は唖然としていた。


「小田切さんの分も用意するので、待っていてください」

 笑みを浮かべる蓮穂に、バカじゃねぇの、さっさと食ってろよ。と雅彦は心中で暴言を撒き散らす。しかし、言われるがままに部屋へと戻った。


 部屋の中は、バラエティ番組を見ている華耶の笑い声に包まれていた。


 雅彦はタバコを吸おうと箱を取ったが、朝に吸った一本が最後であったことを思い出した。


 買いに行くか?


 いや、タバコを吸える余裕なんてないだろう。雅彦の脳内会議は、欲ではなく現実が勝利することになり、図らずも本日から金銭的な理由で禁煙することになった。


 だが、納得はできないので雅彦は舌打ちをする。そんな中、蓮穂がカレーを盛った皿を部屋へ運んできた。


 テーブルの上にカレーライスを三つ並べる。雅彦は一緒のテーブルで食べるつもりはなかったが、何も言わなかった。


「じゃ、食べよっか?」


「うん!」


 蓮穂と華耶はそう言って顔を見合わせると、カレーを食べ始めた。


 ただの市販のカレーなのに、美味そうに食べる二人だった。


 表情を緩めて食べる蓮穂、口元にカレーをベッタリとつけながら食べる笑顔の華

耶。雅彦もカレーを口へ運んだ。


 紛れもなく一般的なカレーの味だった。



 だが、異常なほど美味かった。



 雅彦は久しぶりに食べ物を口に入れて美味いと思った。


 身体の中に染み込んでくるようだった。


 雅彦はカレーを食べながら、美味そうにカレーを食べている二人をもう一度見る.

そして、心の中で呟いた。

 仕方ない……やるしかねぇか。



 無為な三年間のブランクは、一週間の内に十回も面接に落ちるという現実を雅彦に突きつけた。


 時給が高めで賄い付きを条件に、数打てば当たる戦法でやってみたものの散々であった。


 ニートで自堕落な毎日でした。

 と一行でも充分な三年間を、どうやったって誤魔化せるわけがなかったのだ。


 だから雅彦は開き直った。


 十一回目の面接時に、ニートで何もしてなかった、だが、これから自分を変えたい、ここで変わりたい。と相手を引かせるような暑苦しいことを述べた。


 そして。


 今、雅彦は新宿西口にある洒落た洋食店の前に立っている。


 目の前の洋食店は、えんじ色のレンガで外装が覆われており、中は濃い橙色で統一されている。木製のテーブルや椅子はどこにでもありそうな物であったが、夜に生演奏をすることがあるらしく、店内の片隅に専用のスペースが設けられていた。


 店の名前は紅葉。


 ランチとディナーを主とする洋食店である。


 雅彦は、この紅葉のアルバイト従業員として採用されたのだ。


 暑苦しい自分本位な主張で受かり、信じ難い気持ちもあったが、苦節十一回目、嬉しくないと言ったら嘘になる。


 雅彦は気合いを入れ直し店内に入ると、気付いた店長の長谷川はせがわがやってきた。


 長谷川は、長い茶髪を後ろへ一つにして束ね、整った顔立ちをしている女性だった。綺麗な身なりをしているため、四十二歳だと面接の時に聞かされ雅彦は驚いた。


 長谷川に連れられるようにして店の奥へ行き、そのまま地下へ。紅葉は一階がお客用となっており、地下にスタッフルーム、厨房があった。


 面接の時にはスタッフルームしか入らなかったが、本日は厨房を案内された。


 厨房は、とにかく狭い。

 というのが雅彦の第一印象だった。


 銀色の業務用冷蔵庫が羅列し、後は調理するところが確保されているだけ。恐らく面積自体はあるのだろうが、通路の幅が非常に狭く、雅彦が狭いと感じてしまうのも無理はなかった。


 それから雅彦は、料理長の毒島ぶすじま、補佐の宮部みやべという男性を長谷川に紹介された。


 毒島は丸い顔つきで太っており、見るからに三十代後半、もしくは四十代だと思われた。


 宮部は細身で眼鏡を掛けており、神経質そうな男で年齢がわかりにくかった。


 初対面ということもあり、威圧されるような雰囲気に雅彦は委縮していたが、二人に笑顔で挨拶されると、緊張の糸が切れて笑顔で返した。


 厨房での紹介が終わったところで、早速業務をするので着替えて欲しいと毒島に言われ、雅彦は厨房用の服に着替えるためスタッフルームへ入った。


 スタッフルームは十畳ほどの広さで、真ん中に大きなテーブル、パイプ椅子が四つ、壁の周りに銀色のロッカーが羅列していた。


 ロッカーは雅彦よりも少し高い長方形の物で、学生時代の掃除用具入れに酷似している。掃除用具入れとの違いは、ロッカー使用者の名前がシールで貼られていることくらいだった。

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