第11話


 金がない。


 コンビニ弁当では費用がかさむ。


 であれば、節約するしかない。


 収入がゼロの状態では、如何に所持金を減らさないかが重要である。


 と雅彦は考え、本日から自炊をすることにした。


 幸い、雅彦が自堕落な生活になる前、高校生の頃から少なからず家事はしていたので、料理はそこそこできる。


 雅彦はスーパーへ入ると、じゃがいも、人参、玉葱、サラダ油をカゴへ入れ、肉は少し迷ったが安い鶏の胸肉を選んだ。そして市販のカレールウと米五キロをカゴに入れてレジへ向かう。それから手早く会計と袋詰めを済ませて、外へ出た。


 アルバイトの面接時間は午後七時。


 午後二時に理髪店を出て、三十分は経っていると思われた。


 カレーなら三日は持つけど、飽きるかな?


 いや、居候の分際で文句なんか言わせるか。


 やり取りを想像し、含み笑いをする雅彦の足取りは軽い。外の、他人の状況などに気を配ってはいなかった。悪い言い方をすれば油断をしていた。


 だから、完全に不意を突かれた。


 自宅から三分の一の距離。場所は蓮穂を見掛けた公園より大分前の道路。雅彦は歩いてる最中、男性とぶつかってしまった。


 男性が小銭を道へこぼす、雅彦は謝罪しながら一緒に拾っていた。


 その時であった。


「大分バッサリいったね」

 男性からの言葉。


 雅彦は驚愕の表情で顔を上げ、男性を見る。


 手入れがされていないボサボサの髪、彫りが深い顔つきで、口と顎だけでなく頬まで覆う無精ひげ、二重の大きな目、長身で逞しい身体、灰色のスーツと茶色のマフラーを着用している男性が、雅彦の前にいる。


 誰だ?


 そう不安と恐れが雅彦を支配した。


 雅彦が硬直していると男性は薄く笑い、

「しっかり見ていてくれないと困るな」

 と言った。


 しかし、またしても雅彦には意味がわからなかった。


「手伝ってくれてありがとう」

 男性は小銭を全て拾うと立ち上がり、そう言って去った。


 去り際にタバコを取り出し、歩きながら吸っていた。その匂いが、雅彦にも微かに届く。雅彦は男性が視界から消えるまでその場で立ち尽くし、完全に視界から消えると大きく息を吐いた。


 俺を知っているのか?


 誰だ?


 しっかり見ろって何を?


 予期せぬ出来事。雅彦は一つ一つの言葉を整理しようとしたが、やはり意味がわからないし、初めて会った人で旧知の人間でもなかった。


 見知らぬ人間からの言葉と警告に、雅彦の胸中は恐怖と不安が渦巻く。


 未だ早鐘を続ける心臓を休ませるために、深呼吸をする。その後、長くこの場所にいることも危険だと思い、雅彦は足早に帰宅した。


 アパートの前まで来ると、隣室に住んでいる老婆が花の手入れをしていた。


 老婆は高梨たかなしといい、髪は半分以上白くシワだらけの顔で目は細い。雅彦がこのアパートに入居した時から住んでいる人である。


 花と植物の鉢植えは高梨の家の前だけではなく、雅彦の家の前近くにまでいくつも並べられていた。


 雅彦としては歩くスペースが埋まるので迷惑であったが、強く言えなかった。


 雅彦は会釈してから高梨の邪魔にならぬように動き、家の鍵穴に鍵を差し込んだ。


「最近、喧しくなったねぇ」


「え?」

 高梨に話し掛けられ、雅彦は解錠する手を止めた。高梨を見ると、花に肥料をやっていてこちらには向いていなかった。


「あっ……と。親戚の子が来てまして、すみません」

 雅彦が咄嗟に嘘の言い訳をすると、

「壁も薄いんだから、わかってるでしょ? 騒々しいのは嫌だよ」

 高梨は嫌みったらしく言って雅彦を睨み付けた。


「申し訳ないです。注意します」

 言い返そうかと思ったが、雅彦は自分を抑えて素直に詫びた。


 全く。不気味な男には会うわ、婆さんには文句を言われるわ、最悪じゃねえか。


 そう思い、雅彦は落ちた気持ちと共にドアノブを回した。


 雅彦が家の中に入ると、パタパタと小さな足音を鳴らして蓮穂と華耶がやってきた。


「おかえりな……え?」

「まさひこ、ごはん。……だれ?」

 二人は雅彦の姿を見ると、口を半開きに立ち尽くしていた。というか、引いている雰囲気を雅彦は感じた。


 確かに丸刈りだし、顔を覆っていた髭も剃ったよ。今からグローブを持って、グラウンドでサッコーイと叫んでも違和感ゼロなのはわかっている。


 でも、そこまで引かなくてもいいだろ?

 と雅彦は二人の所作に内心ショックを隠し切れなかった。


「お、小田切……さん?」

 蓮穂が確認するように聞いてくる。その対応に雅彦はムッとし、


「そうだよ。失礼な奴らだな」

 と言ってスーパーのレジ袋を乱暴に置いた。


「ハゲ」

 華耶がニヤニヤしながら言った。


「黙れ。チビ助」

 このガキ殺したろか。というような殺意で雅彦は華耶を睨むが、

「ハーゲ、ハーゲ」

 と、華耶は楽しそうに笑っていた。


 蓮穂は無邪気にはしゃぐ華耶を抑えながら、

「その。似合ってますよ」

 そうフォローしてくれたが、笑いを堪えているのか口元がピクピクと動いていた。


「嬉しくねぇよ」


「いや、さっぱりしましたよ。短い方がいいです。お猿さんみたいだし」

 しまった、とでも言いたそうな口を抑える蓮穂。それに舌打ちの雅彦であった。


「もう、いいから」

 絶対にニット帽を買おう。そう思って、これ以上傷が深くならないよう雅彦は話題を切り上げた。


 部屋に入ってコートを脱いでから再び台所へ行き、レジ袋から買った物を取り出した。


「金がないので今日から自炊をする」

 雅彦は二人へ言ってから、台所の戸棚に収納されていた鍋やフライパンを取り出して洗い始めた。三年も使っていなかったので、埃が溜まっていたのである。


「お手伝いします」

 雅彦が洗い始めると、蓮穂は雅彦の隣に立った。


「あ? いいよ別に。テレビでも見てろ」


「いえ、やります」


「あっそ。じゃ、米研いでくれ。やり方わかるか?」


「はい!」

 何度拒否してもやると言いそうだったので、雅彦は折れた。台所に置かれている炊飯器を指さしてから、米が入った袋を蓮穂へ渡した。


「かやも!」

 蓮穂が手伝い始めたので、華耶もやりたいと言い出した。


「チビは無理だろ」


「できるよぉ。やらしてよ!」


「いいから、あっち行ってろ」


「やだ。やらせてよぉ!」


「わかったよ、っせぇな。これで皮むきしてくれ」

 雅彦は溜め息を吐いてから、ピーラーを華耶へ渡した。人参くらいなら危なくないだろうと思い、先に水洗いしてそれも華耶へ渡した。

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