第10話
埃まみれだった雅彦の部屋は、蓮穂がこまめに掃除をしているお陰で、指でどこをなぞっても塵一つ付かなくなった。
無論、部屋の隅に陣取っていた埃の親玉も、とっくに消滅していた。
だが、清潔にはなったが若干肌寒くなった部屋に対し、埃って暖房効果があったのかなとか雅彦はそんなことを思っていた。
大雪のクリスマスから二週間が過ぎていた。
蓮穂を初めて公園で見た時に、まさか一緒に年を越すことになるとは、雅彦は微塵も思わなかった。
そして、今も二人と一緒に暮らし続けている。
二人が家を出ると言ったら雅彦は喜んで了承をするつもりだが、二週間も狭い部屋で共同生活をしていれば慣れもあり、二人がいることの不快感は徐々に薄れていった。
この状況を、雅彦は受け入れているのであった。
しかし……である。
コンビニのATMから雅彦はキャッシュカードと紙幣、そして明細書を取ると、記されている残高を渋い表情で見つめる。月末に家賃五万と光熱費が引かれた直後とはいえ、残高は二十万円。正直、後一ヶ月半持つかどうかだった。
自分一人であれば何も問題はないのだが、今は蓮穂と華耶がいる。金が尽きたら否が応でも家で匿うことはできない。二人を再び路頭へ迷わすことになってしまう。
やはり、今すぐ帰れと言うべきだろうか。
雅彦はそう考えたが、大雪の日、穴の中で見せた蓮穂の強い表情が頭に浮かんだ。
金が尽きて家を出ることになっても、二人は帰らないだろう。単なる家出ではなく、重大な事情だと雅彦は判断していた。
「働くしかねぇか」
雅彦は弱々しく呟くと、食料を買ってコンビニを出た。
誰とも関わるつもりはなかった。
だから引きこもっていた。
にも関わらず、小学生二人を匿い、わけありだからと面倒を見ている始末。
……率先して関わっている。
そして金がなくなりそうだから、働かざるを得ない状況になった。
何をしているんだ……俺は。
と、自責の念に駆られている雅彦は、蓮穂を初めて見た公園で歩みを止めた。
ここで見掛けなければなと悔いていた雅彦だったが、公園の中で男性が佇んでいる姿が視界に入った。
距離がそれほど近くなかったため判別し辛かったが、年齢は三十歳前後、黒髪オールバックで背が低く細身、紺色のスーツを着用していた。
男性は公園を見渡すように少しずつ身体の向きを変えていた。
サラリーマン?
だとしても、まだ昼間だというのにこんなところで何をやっているんだろう?
雅彦はニートの自分を棚に上げてそんなことを思っていたが、注視していたので目が合ってしまった。
ドクンッ。
雅彦の心臓が身体を震わせる。
やばい。
第一に思ったのはこれだった。
雅彦は咄嗟に踵を返して、コンビニがある方へ歩き始める。このまま普通に自宅へ戻ることは、危険だと感じたからだ。
コンビニがある方からぐるりと迂回して、反対側から帰宅することにした。
もしかしたら、不動産関係の人かもしれないし、ただ単にそこにいた人なのかもしれない。けれど、雅彦は目が合った僅か三秒間に、男性から何か得体の知れないものを感じた。
早鐘を打つ心臓を落ち着かせながら、雅彦は歩いていた。
迂回で少し時間を要したが、雅彦は近所の銭湯に着いたところだった。
ここから自宅までは一本道なので、まずは人がいるか目を凝らして確認する。犬を散歩させている女性しかおらず、男性はいなかった。
雅彦は安心して歩き始めようとしたが、銭湯の入り口に設置されている自販機へ目を移した。
銭湯の目の前に来た時から、雅彦はずっと気になっていたのである。
気になっていたそれは、自販機の下を覗き込むように這いずっている。止まったかと思いきや、手を伸ばして自販機の下から小銭を取り出すと、嬉しそうな顔をしていた。
ああ、小さい頃に俺も友達とやったよ。小遣い使い切った時とかね。だけど、さもしいって言うか。実際に見ると泣けてくるわ。
雅彦は心でそうツッコミを入れざるを得なかった。
なぜならば、小銭を握り締めて喜んでいるのが蓮穂だからである。
「お前、何しているんだ?」
雅彦は深く溜め息をした後、蓮穂へ話し掛けた。
蓮穂は雅彦に話し掛けられると即座に立ち上がり、
「え! あ……いえ。これは、その。私働けないし。お金……ないので……だから」
しどろもどろで明らかに狼狽していた。
日に一時間ほど外出していたのはこれだったのかと、雅彦は蓮穂の姿を見ては嘆きの息を出す。
「そういうこと、しなくていいから。ていうかお前、家族に見つかってもいいのか?」
「でも」
これで何度目だろうか。と、雅彦は説得すると渋る蓮穂の態度に呆れていた。
「ガキが遠慮するんじゃねぇ。って言ってんだろ」
怒気はない平坦な口調で続ける。
「迷惑を掛けてるなんて思うんじゃねぇよ。そう思われる方がムカつくんだよ」
「あ、あの」
「返事は?」
蓮穂が何か言いかけたが、雅彦は強引に確認する。そして、蓮穂の頭へ当てるようなチョップを見舞う。痛みはないと思われたが、蓮穂はチョップされたところを擦って、
「はい」
と微笑を浮かべて答えた。
ひたすらに面倒なガキだな。そう思い雅彦は苦笑したが、瞬時に頭を切り替えた。
二人には、わけがある。
家へ戻れない、頑なにならざる得ないわけがあるんだ。解決し、無事にあるべき場所へ帰ることが一番だ。
時間が必要って言うなら、それまでは何とかしてやるよ。
仕方ねぇからな。
隣で歩く蓮穂を横目で見つつ、雅彦はそう心に決めた。
翌日。
場所は理髪店。三年振りに雅彦は他人に髪を切ってもらっていた。
伸び放題でうざったい時には自身で切っていたが、夜にアルバイトの面接があるため、雅彦は浮浪者の状態ではまずいと判断したわけである。
「こんな感じでどうでしょうか?」
切り終えたのであろう、初老の理容師が雅彦へ確認してきた。
前面の巨大な鏡と、理容師が手に持つ鏡と合わせ、頭全体を雅彦に見えるようにしてくれた。
雅彦は声を出さずに確認していたが、正直確認するまでもなかった。
バッサリ切ってくれと言った手前仕方ないが、高校球児みたいな丸刈りだった。
否、多少それよりは長いが猿みたいに見える。
また、髭も全て剃ってもらったので、顔が少し寒かった。
とはいえ、毛に覆われていない顔を見るのは久しぶりで、いつかのコンビニで見た浮浪者の極みである姿よりは清廉に見えた。
まぁ、色々ツッコミどころもあったが総じて、
「問題ありません」
雅彦はそう答えた。
会計を済ませて理髪店を出たが、冬真っ只中の寒気に頭を刺激され、雅彦は先程の言葉を直ぐに後悔した。
さすがにニット帽を買おうかなと雅彦は思ったが、金がないので我慢するしかなかった。
冷やされる頭を何度か擦って、雅彦は駅前のスーパーへ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます