第09話


 二人が出て行ってから二日が経過した、朝方。


 雅彦はこの二日間、一切外出しなかった。


 お陰で食事はしておらず、タバコも昨日切れた。


 それでも、雅彦は外に出たくなかった。


 ……二人に遭いそうな気がしたからだ。


 遭ってしまったら、どうすればいいのかわからなかった。


 雅彦がそう思ってはいても、空腹は限界にきており、タバコも吸いたくてしょうがない。そんなジレンマを感じつつ、ふとつけっぱなしにしていたテレビの音が耳に入った。


「昨日の夜から雪が凄いですね。六十年振りの大寒波です」


「いくらホワイトクリスマスがいいからって、限度がありますからねぇ。それでは現場の真壁さんを呼んでみましょう。真壁さぁん」

 朝の情報番組。男女のキャスターが掛け合った後、お天気キャスターの名前を呼び、画面が切り替わる。


「はい。東京は昨夜からの記録的な降雪量で、首都圏の交通機関は完全に麻痺しております」

 女性のお天気キャスターがそう言うと、新宿駅が真っ白になっている光景が映し出された。


 雅彦は部屋のカーテンを開けると、目を見開く。一面白い綿かと見間違えてしまうかのように舞う雪、地面は白色以外なく、もう早くも十センチは積もっていそうだった。

 いつも寒く暗い部屋なので気付かなかったが、間違いなく記録的な降雪だった。というより、雅彦はこんなに降って積もった雪を見ること自体が初めてであった。


 これではさすがに外出するのは無理だし、今日は強制的に飯抜きか。と、朝五時にして早くも三日目の断食が決定し、雅彦は溜め息を吐いた。


 雅彦は定位置であるパソコンの前に座ると、ふと脳裏をよぎった。


 ……蓮穂と華耶、二人のことである。


 もしかしてまだ家へ戻っていないとしたら?


 この雪の中、あの公園にいたとしたら?


 まさかそんなはずはない、関係ない。と言い聞かせてはいるものの、雅彦の頭から二人のことが離れない。そして思考の最中、雅彦の腹の虫が大きく鳴った。


「腹が減っているだけだ」

 雅彦は独りでに言うと、急いでダッフルコートを着て外へ出た。


 外を出た瞬間、風に舞う雪が顔にぶつかり続けるので、傘を差してもほとんど意味はない。視界不良に凍て付く寒さ、歩けば靴が雪に沈む。こんな経験、雅彦は一度もなかった。


 ようやく歩行を始めた幼児のように、たどたどしい歩みの雅彦。早朝、大雪のおかげで人がいなく、この醜態を見られなかったことだけが救いだった。


 雅彦はなんとかコンビニに着くと、弁当、パン、飲み物、タバコを三日分ほど買い込んだ。ずっしりとしたレジ袋を片手に帰路を辿り、二人を見つけた公園の前で立ち止まった。


 見た限り白一色で人の気配はなかったが、雅彦は蓮穂がタコの山にある穴から出てきたことを思い出した。


 まさかな……。

 と、傘を強く振って積もった雪を落とし、雅彦はタコの山へ足を進めた。


 いないならそれでいい。いや、それが一番いい。


 そう、雅彦は二人がいないことを願いながら近付き、腰を下ろして穴の中を覗いた。


 中には女児が二人いた。


 幼女は少女の膝上で眠っているようだった。


 少女は両手に息を吹きかけて、寒さに耐えている様子だった。



 間違いなく、蓮穂と華耶だった。



「……おい」

 雅彦が呆れた声を出した。


「ひぃ!」

 突然声がしたからか蓮穂は悲鳴を上げたが、


「お……小田切さん……ですか?」

 と、確かめるように言った。


 その姿に雅彦の肩の力が抜ける。


「本当にいるとは思わなかった。お前ら、凍死したいのか?」


「……だって」


「家に帰れって言ったろ?」

 蓮穂の言葉を雅彦は強引に止めた。諭すような態度の雅彦に蓮穂は黙った。


「帰れよ。このままじゃ、風邪を引くだけでは済まないかもしれんぞ」


「帰れません」

 雅彦は説得を続けたが、今度は蓮穂がきっぱりと拒否の意を示した。その姿に雅彦は顔をしかめる。


「何でだよ?」

「あそこは、私達の家ではありません。帰りたくない。絶対に、もう二度と帰りたくない」

 言い切った蓮穂の言葉は、嘘偽りのない本心であると雅彦には思えた。


「どういう事情か知らないし、知る気もないが、意地を張っている場合か?」

 再び雅彦は説得しようと試みたが、

「そういう問題ではないんです」

 と、またも蓮穂に拒否された。


「例えここで凍え死んでも、その方がいいです」

 蓮穂は言った後、雅彦に目でもその意思を伝えた。


 ……見たことがある目だった。


 本気で死んでもいいと思っている。


 雅彦はそう確信した。


 今もなお降り続いている雪は、いつ止むかもわからない。死にはしないかもしれない、だけど、この状態が平気だとはお世辞にも言えない。


 だったら……。

 と、雅彦は自分の考えに大きく溜め息を吐いた。


 心の奥底、ほんの0.1パーセントだが、望んでいたのかもしれない。


「わかったよ」

 雅彦は蓮穂へ言った。


「すみません」

 蓮穂は申し訳なさそうに返し、座りながら頭を下げた。


 雅彦はその姿を見てから、

「俺の家に来い」

 そう、はっきりと口にした。


「……え?」

 蓮穂は伏していた顔を上げ、目を丸くした。


「放っておいたら、俺が殺人者になるわ」

 雅彦は自嘲的な言い方をして、

「ま、屋内だけど寒いし、こんなむさい男と汚い部屋は嫌だって言うなら放っておくけど?」

 と目と口の両方で蓮穂へ判断を委ねた。


「嫌……じゃないです」

 呆然と口を開けた状態で、蓮穂が声を漏らす。


「いいんですか?」


「ああ」


「でも、また何日かしたら出て行かなくてはいけないんですよね?」

 なるほど。雪で緊急事態だから家へ入れると思ったのか。と雅彦は蓮穂の意を汲み、


「いいよ、別に。何日いても」

 と正確に付け足した。


「本当に、いいんですか?」


「まぁ、未成年の家出少女を家に連れ込むわけだから、俺が捕まったらそこで終わりだけどな」

 雅彦は何度も確認する蓮穂に、家へ来る危険性もそれとなく伝えた。


「小田切さんは悪くないです!」

 と蓮穂は声を上げたが、

「そうは言ってもな……」

 と、苦笑する雅彦であった。


 互いに言葉が止まり、白い息と雪が顔の前で散っていく。


「すみません」

 蓮穂はまた、申し訳なさそうに俯いた。


「でも、知りながら放っておいたら寝覚めが悪い。だから、来い」

 沈む蓮穂に雅彦は優しく言った。


 蓮穂は顔を上げなかったが、鼻を大きくすすり、

「はい」

 と、泣き声まじりの声で答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る