第07話
「あのう……」
意気消沈している雅彦に気を使ったのか、蓮穂は遠慮がちに声を出し、
「さっき体温計をお借りして熱を計ったんですが。37.7℃。でした」
と経過を報告した。
「お前、気分はどうだ? 喉とか痛いか?」
「んー。あたまがボーッとする。のどはちょっといたい」
拙いながらも答えた華耶の姿に、顔色も昨日よりは良くなっているように見受けられた。
「そっか、腹減ってるか?」
「ん。あまり」
「これ、食えるようなら食え」
昨日買っておいたゼリータイプの携帯食を一つ取り、吸い込み口の蓋を開けてから華耶の枕元へ置いた。
「なに、これ?」
食べたことがないのか、華耶は上半身だけ起き上がると、枕元に置かれた携帯食を手に取って雅彦を見た。
「ゼリーだよ。そこに口を付けて、チューブを押しながら吸え」
携帯食を両手で持ったまま動く気配がない華耶へ、吸いこみ口を指さし雅彦は食べ方を教えた。その後、華耶は怪訝な表情を浮かべながら口元へ携帯食を運び、吸った。
「ん」
華耶の目がカッと開く。
「あ、りんごだ」
と言い、美味しかったらしく、無垢な笑みを浮かべていた。
雅彦は安堵してコンビニのレジ袋から弁当を取り出した。
「ほれ」
温めてもらった方の弁当と、お茶を蓮穂へ渡した。
「え、でも」
蓮穂は一旦受け取るも、弁当を床に置いて拒否の言葉を続けようとした。しかし、雅彦が直ぐに目で威圧したため、
「ありがとうございます」
と素直に弁当を食べ始めた。
いい加減学習しろよと雅彦は内心思ったが、蓮穂が食べ始めたことを確認すると、言葉には出さずハンバーグ弁当を取り出した。
ビニールを破いて蓋を開け、割り箸を二つに割る。レトルト特有のデミグラスソースが香り、いつもなら食べる気をなくす匂いだが、空腹だった雅彦の食欲を駆り立てる。
さぁ食うか。とハンバーグを箸で切った瞬間、雅彦は華耶にジッと見られていることに気が付いた。
「何だよ? 食いたいのか?」
雅彦は箸を止め聞くと、華耶は頷いた。
「華耶、私のあげるから」
蓮穂が割って入ったが、
「ハンバーグがいい」
華耶はハンバーグを所望しているらしく、特製幕の内弁当は嫌とのことだった。
特製幕の内弁当の方が二百円高いんだが、ガキだからハンバーグがいいのか。と、自分もハンバーグを選んでおきながら、雅彦は華耶を下に見る。
まだ口も付けていないし、固形物を食いたいと思うのは悪い状態ではないし、別にいいか。雅彦はそう思い、弁当を華耶へ渡す。
「つめたい、まずい」
受け取った弁当のハンバーグを一口食べて、華耶に文句を言われた。
「あたたかいほうが、おいしいのに」
満足したのか、一口で弁当を突き返された。電子レンジで温めてやるつもりだったが、こいつ可愛くねぇなと思って雅彦はやめた。
「俺は冷たい弁当が好きなんだよ」
ただ、機械的に温められるのが嫌なんだよ。と言おうとしたが、言葉を変えた。
「へんなの」
華耶に一言で返される。雅彦は内心舌打ちをしたが、ムキになっても仕方がないと、フンッと鼻息を出して弁当にがっついた。
雅彦は弁当を食べ終えると、蓮穂の弁当容器も一緒に台所のゴミ袋に入れ、部屋へ戻った。そして、パソコンで時間を確認する。
午前、七時二十分。
次に雅彦は蓮穂を見た。
蓮穂は、布団で寝ている華耶をボーッと眺めていた。
「お前、学校には行かないのか?」
小学生ならそろそろ登校時間だろうと思い、雅彦は蓮穂へ聞いた。
「……冬休みです」
少し間を置き、蓮穂は目を逸らして答えた。
「え?」
蓮穂の答えに疑問を思ったのか、華耶が声を漏らす。だが、蓮穂から制するような視線を向けられると、華耶は口を閉じた。
雅彦はそのやり取りを見つつ、パソコンで日時を再確認する。
十二月二十日、午前、七時二十二分。
寝起きに蓮穂が話した内容だと、今から一週間前に家出をしていたわけだが、そんなに早く冬休みが始まっているとは思えない。そもそも、冬休みは地域によって差があるが、関東は概ね十二月二十五日前後から開始されるはずだ。
したがって、雅彦は蓮穂の答えが嘘であると即座にわかったが、
「そうか、冬休みか。ガキはいいな」
と言い、深入りはしたくないので追及はしなかった。
焦った様子だった蓮穂は、雅彦の返答を受けると安堵した表情になった。
「だから、後は私が華耶の面倒を見ますので大丈夫です」
蓮穂は雅彦へそう言うと、華耶が寝ている布団をさすった。
「俺は信用できんというわけか。ま、そう思うよな」
不審者極まりないナリだしな。と雅彦は心の中で付け加えた。
「あ、いえ、そうじゃなくて」
蓮穂は困った様子で言ったが、咳払いをした後、
「小田切さん」
と区切る。
雅彦はタバコを取ったが、声の様子から真剣だと感じ動作を止めた。
「寝てください。後は私がやります」
そう言い、蓮穂は実直な眼差しで雅彦を見つめる。蓮穂の態度と言葉に、雅彦は少し目を見開いた。
意外だったからである。
雅彦は、まさか自分が気遣われるとは思ってもいなかった。
「好きにしろ」
タバコを置き、ぶっきらぼうに言う雅彦。
「はい。ありがとうございます」
「テレビ見ていいから、あとこれ、お前の昼飯」
微笑む蓮穂から雅彦は咄嗟に目を逸らし、コンビニのレジ袋からメロンパンを取り出した。
「かやのは?」
「チビはこれだよ。あと水分もいっぱい取れよ」
雅彦は華耶に返答し、ゼリータイプの携帯食とスポーツ飲料水を華耶の枕元に置いた。
「俺のダッフルコート取って」
「布団を使わないんですか?」
雅彦は蓮穂からダッフルコートを受け取ると、何も答えず部屋の隅で横になり自分の身体に掛けた。
自分の物とはいえ、さすがに女児が寝た後の布団を使うことに抵抗があったし、蓮穂もいい気分ではないと思い、雅彦は雑魚寝をすることにした。
雑魚寝であったが疲労もあり、睡魔は直ぐに訪れた。
見ず知らずの子供を家に入れ、見ず知らずの子供の寝顔を見て夜を過ごし、今度は見ず知らずの子供に見守られながらか。
そんなことを頭の中で並べ、雅彦は意識を遠くした。
雅彦の長い一日が、ようやく終わった。
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