第06話


 年中閉めきっているカーテンに、うっすら光が差し込み始めた。


 オンラインゲームをしながら大体十分おきに華耶の様子を見て、汗をかいていたら拭いて、その繰り返しだった。


 ずっと起きていた雅彦は、眠気を感じて目を擦る。その時、華耶が少し唸り声を上げた。雅彦は華耶の顔を覗き込み、汗で滲んでいた首筋を拭く。もう溜め息も出ず、雅彦は無心で華耶の面倒を見ていた。


「あ。おはよう……ございます」

 蓮穂は身体の上半身を起こし、目を擦りながら言った。


 雅彦は手を止めたが、返事は頷きだけだった。


「代わります」

 と言う蓮穂に、雅彦は無表情のままタオルを渡した。


「寝てないんですか?」

 蓮穂は華耶をタオルで拭きながら、上目遣いで雅彦へ言った。


「あ? ああ、まぁな」

 雅彦はタバコを吸おうと火をつけるところだったが、動きを止めて答えた。


「申し訳ないです。それと、ありがとうございます」

 謝罪と感謝がまざっているが、言葉の抑揚から申し訳なさだけが雅彦には伝わった。


「あの」

 華耶の世話が一段落したところで、蓮穂が言葉を発した。


「私達は、施設にいました。だけど、この前潰れちゃって。それから、公園で生活しています」

 言葉をパッチワークしているかのような、たどたどしい言い方だった。


「いつから公園で生活をしていた?」


「えと、一週間くらい前からです」

 そう答える蓮穂と雅彦の視線は合わない。


「施設の名前は? あと、いつ潰れたんだ?」


「あ……あの……えと……その」


「自分がいた施設の名前がわからない……とは思えんが?」

 雅彦からの質問攻めに、蓮穂は要領の得ない回答か、俯いての無言だった。


 感謝はしているが言いたくはない、といった感じか。受け付けようとしない蓮穂の所作を見て、雅彦はそう判断した。


 だが、雅彦自身もこの二人と深い関わりを持つ気はなかったので、どうでもいいことに変わりはなかった。


「タオルを寄こせ」

 雅彦は蓮穂にそう言ってタオルを受け取ると、台所へ向かった。


 台所の蛇口から水を出し、タオルを濡らして絞る。その後、冷蔵庫の上に置いてある電子レンジにタオルを入れ、一分加熱。ピーッと終了の合図が鳴ると、雅彦は電子レンジからタオルを取り出して蓮穂へ投げた。


「え? 熱いっ!」

 蓮穂はタオルを受け取ったが、熱さにびっくりして手放した。


 布団にタオルが落ち、湯気を上げている。


 雅彦は部屋へ戻りダッフルコートを着た。


「コンビニへ行ってくる。行っている間、チビの全身を拭いてやれ」

 布団に落ちてしまったタオルを指さして、雅彦は部屋を出た。


「あ、はい」

 雅彦の後ろから、蓮穂の声。雅彦は玄関のドアを開けた際、もう一度部屋を見る。蓮穂が華耶の身体を起こしているところだった。


 雅彦は声を掛けず、玄関のドアを閉めて施錠した。雨は止んで晴れていたが、朝方の冷たすぎる空気が雅彦を包んだ。


 雅彦は身体を縮めながらアパートを出ると、犬を散歩していた若い女性と目が合った。


 ベージュのコートに、下は紺色のジャージ。身長は蓮穂よりも低かったが、顔立ちから高校生くらいだと雅彦は思った。


 そう、雅彦は何となく見ていただけだったが、女性は汚物を見るような蔑む眼差しを雅彦へ向けてから小走りで去った。


 この身なりじゃな。


 自分の顔を半分埋める髭を触ってから、雅彦はそう思った。


 引きこもるようになってから、最初の内は他人の視線が気になったが、自然と気にならなくなっていった。他人にどう思われようと、雅彦はどうでもよかったからだ。


 今、家宅捜索をされたら、身なりの酷さもプラスで情状酌量の余地なし、問答無用で刑務所行きだろうな。雅彦はそんなことを思いながらも、口元を緩ませていた。


 自分が置かれている立場が危ういのはわかっているが、雅彦はそれすらどうでもよかった。


 雅彦は馴染みのコンビニに入ると、まずはATMでお金を引き落とした。


 その後カゴを取り、弁当が売っている奥の方へ向かう。お茶を二つカゴに入れてから、ハンバーグ弁当と特製幕の内弁当を取ってカゴヘ入れた。レジへ向かう途中にメロンパンも追加し、レジカウンターにカゴを置いた。


「お弁当は温めますか?」

 いつもの店員だった。


「要りま……」

 雅彦も定型文を述べるつもりだったが、今回は自分の分だけではないことを咄嗟に思い出して、

「あ、一つだけ温めてください」

 幕の内弁当だけを温めるよう言い直した。


 その言葉に店員も驚き隠せなかったのか、久方振りに両者の目が合った。


 ルーティンワークが崩れ、一瞬時が止まったようである。


「あ、はい。わかりました」

 そう言って店員は動作を開始し、弁当をレンジで温める。


「千六百円です」

 そして、最後はいつも通り淡白な会計作業で終わった。


 否、少し違った。


 暖かい弁当と冷たい弁当が、別々の袋に入れられていた。


 いつもと違う帰宅、不思議な感覚。雅彦は両手でコンビニ袋を持ち、いつもと同じ家路を辿り戻った。


「おかえりなさい」

 雅彦が家の中へ入ると、蓮穂が言った。


 雅彦はテーブルにコンビニのレジ袋を置いてから、蓮穂へ目を向ける。その時、華耶が起きていることに気が付いた。


 華耶は布団の中で横になっているが、興味深そうに雅彦を見つめている。


「このおじちゃん、だれ?」

 華耶が言った。


 ……おじちゃん?


 ……俺のことか?


 無垢な声色からの信じ難い言葉は、雅彦の身体を凍り付かせた。


「この人が華耶を助けてくれたんだよ」

 一方蓮穂は雅彦が凍り付いていることに気付かず、柔和な笑みで答えていた。そんなほのぼのとしたやり取りに、雅彦の身体が解凍される。


「おい、チビ。おじちゃんって呼ぶな」

 身体の自由は戻ったが精神的ダメージが大きかったため、語気が荒くなる雅彦。


「え? でも、なまえ、わかんない」

 強めに言ったはずなのに、華耶は全く動じていない素振りだった。


「小田切雅彦。おじちゃんって呼ぶなよ」

 雅彦は一呼吸置き、名前を述べてからもう一度大事なことを言った。


「うん、わかった。ま、まさひこ」

 おじちゃんではないが、ガキが呼び捨てにすんじゃねえよ。と、雅彦はすぐさま

「小田切さん、だよ。呼び捨てにすんな」

 追加で注文をした。


「わかった、まさひこ」

 わかってねぇよ、このガキ、聞いちゃいねぇ。そう思い、雅彦はげんなりした。


 訂正させようと口を開いたが、華耶の満足そうな笑み、子供特有の邪気のない緩んだ笑みに気が抜けてしまい、雅彦はそのまま肩を落として床に座った。

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