第05話


 雅彦は蓮穂の所作で察したので、

「随分早かったな、身体は温めたか?」

 意図的に空気を変えようと話し掛けた。


「あ、はい。大丈夫です」


「ドライヤーあるから今出すわ」


「いや、平気です」

 雅彦が言うと蓮穂は即座に拒否したが、長い髪がタオルだけで乾くわけがない。雅彦は押入れからドライヤーを出して、蓮穂へ渡した。


「すみません」

 蓮穂はペコリとし、受け取ったドライヤーを使い始める。機械的な風の音が部屋中に響いた。


 数分ほど使ってから、

「ふぅ。ありがとうございました」

 蓮穂は雅彦へドライヤーを返した。


 そして、蓮穂が華耶の傍へ移動したと同時に、きゅるるという音が鳴った。


 雅彦と蓮穂の目が合うが、直ぐに蓮穂は目を逸らした。


 ぐー、きゅる。


 また鳴った。


 雅彦はジッと蓮穂の目を見るが、彼女は下を向きながら何度も咳払いをしていた。


「お前、飯食っていないのか?」

 二回目の音で、蓮穂の腹から出た音だと雅彦は完全にわかった。


「だ、だ、大丈夫です。すみません、お腹鳴らして」

 顔の前で手を振り、焦ったように答える蓮穂。雅彦は引き続き様子をうかがうが、蓮穂は目を合わせようとはしない。すぐさま三回目の腹の音が鳴り、蓮穂はまた無意味な咳払いを繰り返していた。


 その痛ましい姿を見ていられず、雅彦は立ち上がると玄関へ向かった。


 玄関の隅に置いていたコンビニのレジ袋を手に取り部屋へ戻ると、

「ほら、これ食え」

 と言って、雅彦はレジ袋の中から弁当と緑茶を取り出して蓮穂に渡した。


「え? ……え?」

 受け取った弁当を両手で持って、唖然とする蓮穂。


「いいから、食え。死なれたら迷惑」


「でも、悪いです」


「いいから、食えよ」


「いえ、悪いです。いただけません」

 腹が空いていることがわかっているのに、遠慮する子供に雅彦は少しムッとした。

 だから、

「何が悪いんだよ、いいから食えって言ってんだよ!」

 と語気を荒げてしまった。


 しかし効果があったようで、

「はっ、はい!」

 蓮穂は背筋を伸ばして答え、遠慮の言葉は続かなかった。蓮穂が弁当のビニールを破いたことを確認すると、雅彦は鼻を鳴らした。


「いただきます」

 そう小さな声が聞こえ、雅彦は蓮穂を横目で見る。


 今から食べようと、蓮穂は弁当の前で両手を合わせていた。その姿を見て自然と広がる両目。と同時に、心臓を握り潰されるような感覚が雅彦を襲う。


「……はっ」

 と一瞬息を止め、雅彦はすぐにタバコを取って火をつけた。


 額に汗がうっすらと滲む。


 雅彦は気持ちを落ち着かせるために、ゆっくりとタバコを吸った。そしてタバコを吸い終わると、雅彦は深呼吸をする。



 ……何とか気持ちが……落ち着いた。



 安堵した雅彦だったが、今度は気が緩んだからか、腹から空腹を知らせる音が鳴った。咄嗟に蓮穂を見た雅彦は、バッチリ目が合ってしまった。


「あの、半分食べますか?」

 豚の生姜焼きを口に運ぼうとしていた蓮穂は、箸を止めて雅彦へ言った。


「あ? いいよ。お前が全部食べろ」

 雅彦は目を逸らした。


 食べろと言っておいて腹を鳴らす、最高に罰が悪かった。


「でも、お腹……」


「後で俺の分は買いに行くからいいんだよ」

 正直、雅彦はもう外に出る気がなかったが、遠慮させまいとはぐらかした。


「でも」

 と何度も気にする蓮穂に、

「でも、じゃない。ガキが遠慮すんじゃねぇ」

 雅彦は座った目で睨み、言い放った。


「あ……あう。すみません」

 蓮穂は雅彦に凄まれ俯いた。


 面倒くさいガキだな。


 箸が動いたことを確認し、雅彦はそう心の中で文句を言った。


 それから蓮穂が食べ終えて、雅彦はその弁当容器を台所のゴミ袋へ捨てる。部屋に戻ると、蓮穂がまた感謝の言葉を述べたが、雅彦は蓮穂を一瞥しただけでパソコンの前に座り、時刻を確認した。


 十一時十二分。


 雅彦は時刻を確認した後、蓮穂へ視線を移す。蓮穂は、華耶の顔周りや首筋をタオルで拭いているところだった。


「どけ」

 と言って蓮穂を部屋の隅に移動させ、雅彦は押し入れから布団一式をもう一つ取り出し、寝床を用意する。


「後は俺がやるから。お前、もう寝とけ」


「え? でも」

 蓮穂が申し訳なさそうに言うが、雅彦の目つきが鋭く変わると、


「はい、寝ます」

 直後にそう返事をして蓮穂は布団に入った。


 雅彦は蓮穂が横になったことを確認すると、部屋の電気を消した。


 暗くなった部屋で雅彦はパソコンの前に座り、マウスを動かして情報サイト等を適当に閲覧する。次第に目が闇に慣れると、雅彦は華耶の顔を覗き込んだ。


 特に問題がないことを確認し、少し離れて様子を見る。嘔吐などされたら部屋が大打撃を受けてしまうため、気は抜けなかった。


 その後も雅彦はパソコンを操作しながら華耶の様子を見ていたが、

「う……ううっ……う」

 聞こえる。声を詰まらせ、微かに鼻をすする音。


 蓮穂から聞こえたものだった。


 泣いているのか?


 雅彦はそう思うと同時に、小さな溜め息を吐く。


「今度は何だよ? 寒いのか?」


「ち、違います。あの、すみません……うぅ」

 雅彦の問い掛けに、蓮穂は声を詰まらせながら返事をした。


 マジで面倒くさいガキだな。と雅彦はまた心の中で呟き、

「さっさと寝ろ」

 と疲れた声色で蓮穂へ言った。


 すると、蓮穂は消え去りそうな声で返事をし、安心したのか五分後には寝息を立てていた。


 ……この光景……あり得ないな。


 雅彦は自分の部屋で寝入っている小学生二人を見て、自虐的に笑った。


 疲労を感じたので大きく背伸びをしてから首を回すと、ゴキッと関節が鳴った。そして一息つくと、腹からも音が鳴った。


 雅彦は自分の腹に手を当て、二人を見てからまた大きな溜め息を吐いた。

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