第04話


 雅彦は額から手を離し、少女を見据える。


「おい、お前」


「はっ、はい!」

 雅彦が呼ぶと、少女は体育座りからいつの間にか正座になっていた。


「何で、あんなところにいたんだ?」


「銭湯に行っていて、帰りに雨が突然降ってきてしまって、それで……」

 そう答える少女に、やっぱり雨宿りか。と雅彦は思いながら、パソコンデスクの上に置いてあるタバコを取って火をつけた。


 火をつけると、少女はビクッとし怯えた表情を見せた。


「何だよ?」


「……いえ」

 少女が俯くと、雅彦は舌打ちをした。


 関係ない。関わらないと決めたものの、現状二人は家の中で、幼女は熱があって、さすがに今すぐ外へ放り出せる状態ではない。


 やはり状況だけは確認しておいた方がいいか。


 紫煙を燻らせながら雅彦はそう思うと、タバコの灰を灰皿へ指で弾き落とし、もう一度少女へ喋り掛ける。


「ここ二、三日。お前を深夜の公園で見掛けたことがあった」

 俯いていた少女が顔を上げた。


「家出だろ?」

 雅彦は鋭く射抜いたが、少女は目を下げただけで何も答えない。十秒以上経っても返事がないので、雅彦は続ける。


「事情は知らんが、帰る家があるならさっさと帰れ。親が心配するぞ」

 雅彦が抑揚をつけて諭したが、やはり何も答えない。その仕草に雅彦は大きな溜め息を吐く。そして、喋ろうと雅彦が口を開いた瞬間、

「親……いません」

 ポツリと言葉が漏れた。


 部屋が静まり返る。


 雅彦は、開けていた口にタバコのフィルターを付け、大きく吸って煙をゆっくりと吐いた。


 少女を見るが、終始雅彦とは目を合わさず何かに怯えているようだった。その様子に雅彦は頭をかく。


「お前、名前は?」


 雅彦は少女へ顔を向けず聞いた。


「間宮、蓮穂です。十一歳です」

 追加で聞かれると思ったのか、少女改め、蓮穂は年齢も答えた。それから蓮穂は眠っている幼女へ目を向け、

「こっちは遠野華耶。七歳です」

 と続けた。


 間宮蓮穂まみやれんほ、十一歳。


 遠野華耶とおのかや、七歳。


 なぜ二人で公園にいたのかまだわからないが、雅彦はとりあえず二人の名前と年齢を確認できた。


 そして、学生、しかも小学生。


 一見すると到底十一歳には見えないほど蓮穂は大人びているが、それでも小学生。

 警察が乗り込んで来たら即逮捕だ。いや、華耶を自ら家に入れた時点でアウトか。と、最悪な状況から何も変わっていないことに雅彦は自嘲した。


「小田切雅彦」

 雅彦はタバコを灰皿で揉み消すと、肺に残っていた紫煙を出してから早口で言った。


「え?」

 案の定聞き取ることができなかったのか、蓮穂は目を丸くした。


「え? じゃない。小田切、雅彦。俺の名前だよ。一応こっちも答えてやったんだよ」


「す、すみません」

 雅彦はイラつきながら言い直したが、身体を縮めた蓮穂を見ると、


「別に謝らなくていい」

 そう言って顔を背けた。


「あの。私達のこと、警察には秘密にしてください」

 蓮穂の言葉に、雅彦は再び顔を戻す。蓮穂は背筋を伸ばし、両手を膝の上で拳にし正座だった。


「何でだよ?」

 聞き返しても、蓮穂はやはり何も答えない。雅彦はもう一度タバコを取って火をつけた。


「お前な、今の状況わかっているのか?」

 質問しても、蓮穂はだんまりを決め込んでいるかのように口を開かなかった。雅彦は溜め息を煙と共に吐き出した。


「この状況で警察に行ったら、俺が捕まるわ」

 呆れた口調で言う雅彦に、蓮穂は伸びていた背筋を丸めた。


「ありがとう……ございます」

 雅彦の言葉を聞いて蓮穂がそう言ったが、笑みは一切なかった。


 未成年。高校生でもなければ、中学生でもない。


 小学生。


 間宮蓮穂と、遠野華耶。


 姉妹ではない?


 ではなぜ、夜な夜な公園にいたのか?


 雅彦は状況を整理しながら、蓮穂を見つめていた。そして、タバコの灰を灰皿へ落とそうとした時、蓮穂が身体を震えさせたことを雅彦は見逃さなかった。


「寒いのか?」

 間髪入れずに雅彦が聞くと、

「いえ、すみません」

 と言い、震えたことがバレてしまったからか、蓮穂は下を向いたまま身体を縮めた。


 雅彦の家にある備え付けのエアコンは、暖房が効きにくい不良品だった。


 したがって夏はまだしも、冬は過酷な部屋となる。外よりはマシだが、築三十年の木造アパート。隙間風もあるし、息を吐くと部屋の中でもうっすら白くなることもある。


 しかも、蓮穂は雨に少し濡れていた。だから、気温以上に寒く感じているのだろう。そう思い、雅彦は吸っていたタバコを灰皿で消すと、押し入れを開けた。中からタオルを二枚取って、蓮穂へ投げる。


「シャワー浴びてこい。そこに風呂場があるから」

 雅彦は部屋と台所を繋ぐ襖を開けて、風呂場を指した。


「大丈夫です。要りません」

 蓮穂は雅彦からタオルを受け取り、風呂場の方に目を向けたが拒否の言葉。


「いいから、入れ。お前まで風邪を引かれたら迷惑なんだよ」

 雅彦はそう言うと、パソコンの前に座り蓮穂を睨み付けた。


 しかしながら、蓮穂が一向に動く気配が無いので雅彦の眼光が鋭くなり、

「早く入れ」

 と声に凄味を利かせた。


 すると、

「は、はい!」

 と言って蓮穂はすぐさま風呂場へと走り去った。


 それから、風呂場から水が流れる音が聞こえたのは一分ほど後だった。雅彦は風呂場からの水音を聞きながらボーッとしていたが、ふと寝ている華耶を見た。


 さっきまで苦しそうに呼吸をしていたのだが、薬が効いたのかしっかり口を閉じて眠っていた。


 雅彦は華耶の顔色を確認し、おでこに貼っている冷却シートへそっと手を乗せる。貼ってからそれほど時間は経っていなかったが、冷たさがほとんどなかった。


 雅彦は新しい冷却シートに貼り換えると、華耶の顔をジッと見つめた。


 雅彦が初めて蓮穂を見た日から、三日目。それに、雅彦が知らないだけで本当はもっと経っているのかもしれない。家出だとしても、頑な。一体、何が彼女達をそうさせているのだろうか。


 雅彦は、華耶の顔を見ながら二人のことを考えていたが、華耶の首筋が汗ばんでいることに気が付くと、タオルで首筋を拭いた。


「あの、お風呂ありがとうございました」

 雅彦が華耶の首筋の汗を拭き終えたと同時に襖が開き、蓮穂は着ていた衣服を持って部屋に入ってきた。


 白地のTシャツ、下は青色のジャージという姿、間宮という名札がついているので、恐らく学校指定の体操着と推定できた。蓮穂は入ると同時に雅彦へお礼を言ったが、雅彦は蓮穂を見ただけで何も答えなかった。


 蓮穂は布団の横に座り、タオルで髪を拭く。雅彦はその姿を何気なく見ていただけだったが、蓮穂の右腕を見ると自然と目が見開かれた。


 ミミズ腫れ。


 半袖に隠れているので全部は見えないが、肘辺りまで続いていた。それも、見える右腕だけで三ヶ所。


 蕁麻疹か?


 不自然な姿に疑問を感じ、雅彦は凝視していた。


 蓮穂は両手を使って髪を拭いていたが、雅彦に右腕を見られていることに気付くと、左手でミミズ腫れの箇所を隠す。だが、左腕には酷い青痣がいくつも見える。蓮穂は痣を見られていることにも気付き、慌ててジャージを着用した。


 気まずい空気が部屋を包んだ。

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