ニート男と少女達

第01話


 平成十八年。


 ピピー、ピピー。と、コンビニのATMから機械的な音が鳴った。


 残り三十万か。


 そう心で呟いた小田切雅彦おだぎりまさひこは、一万円札とキャッシュカードを財布へ入れ、ATMの前から離れた。それから、飲料水を置いているガラスドアに手を掛けると、己のみすぼらしい姿が目に入った。


 中肉中背。

 真っ黒のダッフルコートとジーパンという服装に、まるで手入れがされていない伸びきった髪と、顎と口周りだけでなく頬半分を埋める髭。まるで浮浪者かのような醜態を確認すると、雅彦は自嘲的な笑みを浮かべて緑茶を手に取った。そして、弁当コーナーで唐揚げ弁当を取り、レジへと持っていく。


「お弁当は温めますか?」

 目を合わせようとしない男性店員が、恒例の言葉を口にした。


「要りません」

 と、答えた雅彦の声は完全にこもっていた。


「六百五十円です」

 雅彦の声量でも淀みなく済ませる店員。


 雅彦が弁当を買う時は大体この店員であり、毎回弁当の温めを不要としているから覚えたのかもしれない。それに、双方共に無為な会話を続けなくてすむため、雅彦はこの男性店員に会計をしてもらうことが好きだった。


 雅彦は財布から一万円札を出し、お釣りと品物を受け取ってコンビニを出た。


 時刻は午後十一時を過ぎており、真っ暗な闇が辺りを支配していた。


 また、十二月中旬ではあるものの尋常じゃない寒さであった。

 本日の最高気温は7℃で、今年は東京も大雪の恐れあり、とテレビで報じられていたほどである。当然のように、外に出ている人は皆無だった。


 自宅からコンビニまで徒歩で約十分だが、この移動距離だけでも雅彦はかなり堪えていた。雅彦はかじかむ両手を口元に当てて、温かい息を吐いた。


 速度遅めに帰路を辿る。ようやく自宅とコンビニの中間地点である公園が見えた。雅彦は公園の横を通り過ぎる最中、公園内の遊具へと目を向けた。


 ……いないか。


 そう思ってから正面へ顔を戻す。


 刹那、雅彦は人の気配がした水飲み場へ視線を向けた。


 少女。


 身長はそこそこ高い。百六十センチあるか、ないか。顔は判別できない。肩まで伸びた髪。服はダウンジャケットとスカート。夜なので当然色はわからない。


 この気温でスカートかよ。


 そう、雅彦が心の中で服装にケチをつけると、水を飲んでいた少女が雅彦に気付いた。


 その瞬間、少女は言葉にならない声を発し、公園内の遊具であるタコの山へと走り去った。


 立ち止まっていた雅彦は、少女がタコの山へ消えたことを確認すると、

「まぁ、そりゃそうだわな」

 と無機質な声で呟いた。


 雅彦が深夜の公園で少女を見たのは、昨日が初めてだった。時刻は今日とほぼ同じで、タコの山にある穴から出てきたところであった。


 幽霊かと雅彦は思っていたが、実在の人間だと判明した。


 恐らく、高校生か中学生。この時間帯に子供が外に出ていることも驚きだが、男子ではなく女子である。


 家出だと思われるが、危険にさらすことを親御さんは理解していないのだろうか。日本が安全とはいえ、少女を誘拐や暴行殺害する事件だってないわけじゃない。


 雅彦は帰路を辿りながら少女のことを危惧していたが、自宅のドアを開けた途端に面倒くさくなり思考が消えた。


 築三十年の木造二階建てアパート。道路側の一階角部屋が、雅彦の自宅である。

 中は1DK。風呂トイレ別。閑静な住宅街にあるが、最寄り駅の調布まで徒歩二十五分と距離がある。それでも、家賃五万は調布では破格だった。


 雅彦は自宅へ入り、玄関のドアを施錠した。冷蔵庫やゴミ袋が置いている台所を通過し、自室への襖を開ける。


 部屋は七畳、フローリング。万年床となっている布団と、パソコンデスクとパソコン、テレビ、長方形のガラステーブル、グリーン色のカーテン。部屋の電気は滅多につけず、もっぱらパソコンの明かりだけだった。更に、部屋の掃除は大体二、三ヶ月おきで、常に埃が固まりとなって部屋の隅に散らばっている。


 雅彦は脱いだダッフルコートを布団へと投げ、テーブルにコンビニのレジ袋を置き、布団に座ってから唐揚げ弁当を取り出した。


 弁当に張り付いているビニールを強引に破き、プラスチックの蓋を開ける。安っぽい油の匂いを無意識に嗅いでしまい、雅彦はげんなりしながら食事を始めた。


 唐揚げを一口食べ、緑茶を手に取って飲む。


 わかってはいたが、美味しくはなかった。


 雅彦はご飯を食べたいわけじゃなかったが、空腹には勝てないから食べるというものであった。


 雅彦は表情を変えず、淡々と口へと運んだ。弁当を温めれば少しは味が変わるのかもしれないが、雅彦は機械的に食べ物が温かくなることが嫌だった。


 したがって、食べる弁当はいつも冷たかった。


 雅彦は空になった弁当容器をゴミ袋へ入れ、部屋へ戻ってパソコンの前に座った。

 パソコンデスクは座イス用の高さのため、床に座ることになるが、最近は寒いので布団をパソコンデスクの側まで持ってきて、布団の上に座っていた。


 雅彦はマウスを動かし、ディスプレイに映っているゲーム内キャラクターを動かした。


 ワールドファンタジーオンライン。

 通称、WFOと呼ばれるオンラインゲームである。


 草原でモンスターを倒したり、ギルドに参加してミッションをこなしたり、友人同士と街で喋ったりと、よくあるオンラインゲームの一つだ。


 ちなみに雅彦は、このWFOが好きなわけではなかった。

 大体二ヶ月周期で飽きて、プレイするゲームを変える。昨今オンラインゲームやブラウザゲーム、スマートフォン向けゲームも多々普及しているため、飽きても安心であった。


 とはいえ、携帯電話を持っていない雅彦にはパソコンでプレイできる物に限られる。


 このWFOもそうだが、雅彦は基本無料のゲーム内課金制を選んでおり、課金はせずにプレイをしていた。


 また、雅彦のプレイスタイルは、ただひたすらモンスターを倒して経験値を貯めてレベルを上げる、お金を貯めて武器を買う、本当にそれだけだった。


 強いモンスターと闘う場合には複数人で闘った方が効率的だが、雅彦は必ず一人でプレイしていた。


 誰かと関わることが嫌だからだ。


 オンラインゲームとは名ばかりの、オフラインゲームに等しいプレイスタイルであった。


 一日一回コンビニへご飯を買いに行き、ご飯を食べて、後はゲーム。


 雅彦がこの引きこもり生活を始め、もう三年以上経過していた。

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