3匹目 獣人の商人
教会の端の暗がり。そこには使い魔である霊体に手を伸ばすハルの姿があった。
しかしその伸ばした手が霊体に触れることはない。生者が霊体に触れることは決して叶わないからだ。
しかし彼女は諦めず、狼の霊体に手を伸ばしては虚しく空を切り続ける。そんな行為をかれこれ数日単位で続ける彼女の表情は、まるで人間が生きるために重要な何かが、綺麗さっぱり抜け落ちているような状態であった。
そんなハルに女神は憐れみ。暫くの間仕事の話しをしなかったが今日は違った。
「商人がきます」
不意に女神は言う。
しかしハルが振り返ることはなく。相変わらず触れることのできない狼の霊体を必死に抱きしめようとしている。
女神は軽く咳払いをしてから言い直す。
「商人がきます。今回は嘘偽りなくモフモフです」
ここ数日意思疎通ができなかったハルであったが、女神の言い放った「モフモフ」と言うワードに体性反射した様でグルリと首だけで振り向く。
「この村にモフモフの商人が来ます」
繰り返しモフモフと言う女神にハルは訊ねる。
「なんで商人とモフモフがセットなんですか。毛皮でも買ってこいってことですか?悪いですが、毛皮程度では私の渇きは満たせませんよ?」
女神ははっきりした口調で「違います」と返すと。ハルの反応を待つことなく続けた。
「その商人は。私の古い友人で、そして獣人です」
その言葉に、ハルは目にも止まらぬ速さで姿勢を正したかと思うと女神に向き合いそして丁寧に訊ねる。
「容姿を正確に教えてください」
「え?あ、はい」
彼女の急激な代わりように女神はびっくりしながら答える。
ハルの顔からは既に先程までの虚さは消え、面接中の大学生のような真面目な顔をしていた。
「基本的な体の作りはあなた方人間と同じような人型です。しかし、頭には三角の耳が生えています。確か短毛のグレーです」
「ほう…」
「そしてお尻には地面に着く程に長いしなやかな尻尾が生えています」
「ほうほう」
「手足は鋭い爪と柔らかい肉球が特徴的です。これらの特徴は全体的にあなたの世界でいう所の猫に近いかもしれません」
「ほうほうほう」
女神の言葉に、ハルは目を瞑りながら短く相槌を打ちその容姿を想像していた。
そして暫く考え込んだ後に女神に釘を刺す。
「女神の発言に嘘偽りはありませんか?」
「え、はい」
ハルの言葉に女神は肯定するが、ハルは納得いっていない様子で続ける。
「偽りがないなら復唱してください。何度騙されてきたか分かりませんからね。女神の発言に嘘偽りはありませんか?」
「はい。女神の発言に嘘偽りはありません」
言われるがまま復唱する女神の言葉を聞いたハルは小さく頷き、再び目を瞑った。
ふた呼吸ほどしても微動だにしないハルに、女神はゆっくりと口を開く。
「ですから、そのモフモフの商人に会ってきてくれませんか。ついでにお使いを頼まれて欲しいのです」
「いや、騙されないぞ!」
ハルは目をカッと開き、女神に食いつく。
「そんなこと言って、実はムキムキの男だったりするんじゃないか?」
「いえ、あなたと同じくらいの歳で可憐な女性です」
出鼻を挫かれたハルはヒートダウンすると再び長考を始めた。
しばらくしてからハルは口を開く「女神の発言に?」
女神も仕方なく返す「嘘偽りはありません」
その言葉を待って、ハルはゆっくりと腰を上げた。
「…じゃあちょっくら頼まれてきますかね」
その表情は、魔界に似つかわしくないほど実に爽やかなものだった。
「ありがとうございます。では祭壇の上にリストとお金を置いておきますね」
女神が言い終わるのを待たずにハルは狼に飛び乗ると、光の速さで村へと繰り出して行った。
―――
村に着くと中心の広場に見慣れない馬車が止まっていた。
馬車の前では露天が開かれており周囲には人だかりができている。
そして、その中央に一際目立つ猫耳が飛び出しているのをハルは見逃さなかった。
「あらハルちゃん。あなたもお買い物?」
ハルに気づいた村の老人が声をかけるが、その声は途中で遮られた。
「ごめん、女神様のお使いなんだ。急ぎだから通してもらっていい?」
もちろん女神の話に時間の制限など設けられていなかった。しかしハルはそんなデタラメを申し訳なさそうな表情で言い続け、モーゼのように村人の波をかき分けて行く。
そしてついにハルは商人と対面した。
しかし、その商人は全身を黒いローブで覆っており、頭上の穴から飛び出た猫耳と口元以外は全く見えない。それは角度を変えてたり身を捩っても変わらなかった。
「ん?もしかしてキミが転生者のハルかニャ?」
ハルに気づいた商人が先に声を掛けてきた。
「はい、女神の使いできました」
ハルは典型的な語尾に高まる興奮を抑えながら挨拶を返す。
そして深くお辞儀をすると共に彼女の足の間を覗き込む。すると、一瞬綺麗な灰色の尻尾がハルの目に飛び込んできた。
ハルは今すぐにでもそのローブを引っぺがしたい衝動に駆られるがなんとか抑え、一度深く深呼吸をする。そしてその商人に向かって丁寧に嘘をつく。
「女神からの依頼で秘密の取引がしたい。二人きりになれる場所に移れないか?」
その言葉を要約すると「密室でモフモフしまくりたい」という意味であったが。そんな嘘まみれの言語など知る由もない商人は二つ返事で承諾する。
「いいよー。女神ちゃんの頼みとあれば断る義理はニャイからね。私が泊まる予定の宿でどうかニャ?」
明るくそう言う商人に向かって、ハルは小さく頷く。
そして、集まっていた村人に少ししたら戻るからと誤りを入れてからその場を後にするのだった。
―――
「改めて自己紹介させてもらうニャンよ」
宿の一室につくと、その商人は猫のように身軽な動きで開けっ放しの窓辺に座り口を開いた。
「私の名前はロロ。魔界各地で商売をしているニャン。ここの女神とは、まあ腐れ縁ってやつだニャんね」
ロロと名乗った商人は気さくにそう話すが、依然としてローブを全身に被る彼女に、ハルは必要のない警戒の表情を浮かべながら冷静に言う。
「疑うわけじゃないけど、念の為その服を脱いでくれないか?」
「あ、ごめんニャ。確かに初対面でこの格好は失礼だったニャンね」
「魔物がなりすましている可能性を排除したいから早く脱いでほしい。それとも何か都合悪いのか?」
一刻も早くその獣人の姿を拝みたい一心で言い放つハルに、ロロは足音を立てずに窓辺から降りる。
そして「後ろめたいことは何もないニャンよ、ちょっと待っててニャ」とハルに言い、ローブを足元から捲るように脱ぎ出した。
少しずつローブの下のその姿がハルの両眼に入ってくる。
長ズボンを履いているので足はどうなっているか分からない。しかし、その腰からは確かに灰色の艶やかな尻尾が伸びていた。
その時点でハルは、今まで押えつけられていた欲情が込み上げて脊髄の両側を駆け上っていく感覚に肩と背中を小刻みに震わせた。
そんなハルの心境など知らぬロロはどんどんローブを捲る。
次に見えてきたのは腹だった。
どうやら上半身は胸当てしかつけていないようで、彼女の白い肌が薄暗い部屋の下であらわになる。しかし、その滑らかに引き締まったウエストは人間とは何も変わらず、その中心にある艶やかなヘソも人間同様の形状をしていた。
次に顔がローブの下から出てくる。
端正な顔立ち。しかしそこには長い髭など動物を連想させるものは一切なく、これまた人間のそれと変わりがない。
最後にアッシュグレーの短い髪が一瞬持ち上げられると、やがて重力に負けてフワッと降りる。その頭の上では村でも見た猫耳がピコピコ動いていた。
「………」
ハルは静かにその姿を見つめる。
フードを脱ぎ切った商人は、今脱いだそれを適当に近くのベッドに投げ捨てた。その彼女の腕もまた人間のものと殆ど同じであった。確かに、手首から先は猫の前足のような形状をしているが、あくまでそれは手首の下だけで肩から二の腕にかけては普通の人間だった。
「これで信用してくれたかニャ?」
人間の少女に、耳と、尻尾と、手首から先の猫要素をつけただけの商人ロロはハルにそう問いかけた。
その瞬間、これまで蓄積した感情がまるで雪崩のように崩れ激情となってハルを襲った。そして。
「ハロウィンのコスプレかぁぁ!」
気がついたら叫んでいた。
「にゃ!?」
その空気を引き裂くような叫び声にロロは思わず声を上げる。
しかしハルの叫びは止まらない。
「獣人をバカにしてんのかぁぁ!」
これまで燻っていたもの全てを爆発させたハル声は部屋中に響き渡る。
「私は!耳と尻尾だけつけて獣娘って主張するキャラクターが一番嫌いなんだ!」
「キャラクターってなんの話ニャ!?」
急な事にロロは萎縮し戸惑いながら訊ねる。
しかしその声はハルには届かない。
「獣人って言ったら、全身とは言わないけど最低でも身体の30〜50%は獣よりでなくてはダメだろ!」
「ぱ、パーセント・・?」
ハルはそこまで言うと肩から崩れ落ちる。
その表情は愁傷そのものであった。
「これじゃ、別に獣に本気で萌えていないイラストレーターが人気にあやかる為だけに書いた獣娘だよ。それはもはや獣娘じゃなくて、ただの獣の耳が生えただけの人間。ただの獣耳キャラだよ…」
「えっとニャにが違うのよく分からないんだけど…」
項垂れ、細かく震える彼女にロロは声を掛けるが、そんなロロをハルは親の仇さながらの形相で睨み、再び勢いを取り戻して怒鳴りつけた。
「全然違うよ!カニカマとカニ、ケンコバとキム兄、みちょぱとゆきぽよくらい別物だよ!」
「それって限りなく近い別物ってこと…?」
「近くない!」
「えぇ…じゃあどうすればいいのニャ」
何も悪いことをしていないロロは、オロオロと戸惑い続ける。
しかし、ハルは更に言い放つ。
「後そのニャて語尾も安っぽすぎるからやめて」
「え、あ…えっと、なんか。ごめん…」
両耳と尻尾を垂らしながら謝るロロと、床に突っ伏すハル。
宿屋の一室には静寂が戻り、空気はお通夜のように重い。
そして、開けっ放しの窓から吹き込んだ冷たい風は二人の間を抜けていく。
「…申し訳ないと思うなら両手を私の顔に押し当てて」
ふとハルが呟いた。
何が申し訳ないのかすら分からないロロであったが、この場を収束する為に言われた通りハルの顔面に両手の肉球を押し当てた。
「次は尻尾を私の首に巻いて」
少し穏やかな声色でハルは続けて要望する。
ロロはなんとも言えない表情のまま、黙って言われた通りにする。
「最後に耳触らせて」
「はい…」
屈むロロの両耳をハルは指先でいじり始める。
そして吐き出すように言った。
「はあ、ちょっと癒される…」
ロロの肉球と尻尾のふわふわと、柔らかい耳の感触に酔いしれながらハルは決心していた。この魔界のどこかに必ず自分が納得するモフモフが居るはずだ、たとえそれが魔物だとしても必ず手懐けて見せると。そしてそれが自分がこの魔界にいる意味だと。
そして、そのモフモフが見つかるまではこの中途半端な猫耳娘で我慢しようと、そう強く決心していた。
「何これ…」
動きを制限されたロロは困惑し、小さく呟く。
しかし、その言葉がハルに届くことはなく。結局ハルが眠りにつくまでの数時間そのままの体勢を崩すことは許されなかった。
もふもふが足りない! 井黒 灯 @yuuhi3939
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