2匹目 魔狼の使い魔

魔界にきて一番最初に気づいたこと。それはこの世界にモフモフした生き物が居ないと言うことだ。


犬猫といった愛玩動物は当然として、牛や羊と言った家畜すらも存在しない。魔界にいるのは魔物だけで動物が一切として存在しないのだ。


現世にいたときは確かに毎日が辛かった。仕事が忙しくて毎日死にたいと思っていた。でも家に帰ればニャン吉スコティッシュフォールドが居たから我慢できた。でもニャン吉はもう居ない。だから、この魔界で次のモフモフを探す為に女神の条件を飲んだのに。それなのに。


「モフモフが足りない!!」


数十体のゴブリンの死体の上でハルは叫んでいた。

しかし心の底から放たれたその言葉は誰もいない森の中へ消えるだけで、後に残るのは虚しさだけであった。


「今思えば魔界には輝く太陽がない。太陽がなければ紫外線から身を守る必要がない、と言うことになるのではないだろうか?」

ハルは白目を剥いたゴブリン長老の上に座ると、その白く長い髭を無意識に片手の指先でいじりながら考え始めていた。


「紫外線がないのなら日焼けをしない、つまり体毛で皮膚を守る必要がないと言うことだから…。魔界の生物には体毛が必要ない…?」

ぶつぶつと呟きながら、ひたすらにゴブリン長老の髭をくるくるといじる。長老の髭は案外柔らかく、指の隙間を抜けていく感覚は結構気持ちが良い。


「いや、でも魔界には寒暖の激しい地域も存在するらしい。つまりそこから導き出される答えは……寒冷地に行けばモフモフできるのでは?…ん?いや待てよ、紫外線がないってことはつまりっ!」

そこでハルはハっと何かに気付き立ち上がる。


長頭の髭を握ったままだったので、力無い死体もだらんと操り人形のように持ち上げられた。しかしハルは気にする事なく呟く。


「私のビタミンD、大丈夫?」


論点がずれたところで、ハルは長老を雑に投げ捨ててからその場を後にした。

ビタミンDが豊富な魚をもっと食べようと決意だけを固めて。



―――



「と言うわけなので、私は寒冷地に行ってきます。場所を教えてください。とりあえず北北西に向かえばいいですか?」

「どう言う訳か知りませんが、行かせませんし教えません」

教会に戻ってきたハルと女神はまた言い合っていた。


「この森の中ではモフモフに出会えません、だから寒冷地に行くんです。あと美味しいお魚を食べてきます」

「いや、だからじゃないです。いいですか、あなたの使命は…」「それは聞き飽きました。それでも私は寒冷地に行きます」


女神は説教を始めるが言葉が終わるのを待たずにハルは差し込む。すると、流石の女神も若干苛立ちながら返す。


「それでも、では無いのです。それに寒冷地に行ったからと言ってあなたの言うモフモフがいるとは限りませんよ」

「可能性がある限り私は行きます!」

「ダメです、あなたには使命があるのです」

「じゃあ有給を使わせてください!」

「それもダメです。休むだけならまだしもこの場所を離れることは許しません。あなたがいない間に魔物が攻めてきたらどうするんですか?」


断固として譲らないハルに、女神は深いため息をついてから一つの提案を投げることにした。


「わかりました、寒冷地に行くことを許します。ただし、その前に使い魔を手に入れてきなさい」

「使い魔?」「はい、使い魔です」

予想外の提案に、ハルは少し落ち着いた様子で訊ねる。


「なんで今になって使い魔なんですか?」

「使い魔に乗れば移動も楽になります、そうすれば多少の遠征も許容できるようになるでしょう」

「え、使い魔乗れるんですか?」

「はい、乗れますよ。移動手段以外にも一緒に戦ってくれたり、あなたの味方になってくれるでしょう」


黙って聞くハルに女神は続ける。


「この村から少し離れた山の麓に、とある魔物の《遺灰》が封印されています。まずはその《遺灰》を手に入れなさい。そして《遺灰》を手に入れた後に使い魔の呪文を唱えることで、遺灰を霊体として蘇らせることが出来るようになります」


女神がそこまで言うと、ハルの目の前の祭壇が鮮やかな光に包まれる。その光は少しずつ集約しやがて一冊の本が現れた。


「使い魔の呪文はこの呪文書を読めば習得できます」

女神の言葉を聞きながらハルは静かに呪文書を手に取り、そして訊ねる。


「魔物の名前は?」

「名はフェンリル。かつて世界を呑みこむと恐れられた凶悪な魔物です、しかしあなたなら手懐けられ…―」

女神の話の途中。ハルは手に持った呪文書で、教会のシンボルでもある女神像を力任せにぶっ叩いた。


「何をするんですか!」

「それはこっちのセリフだろうがぁ!!」

女神は自分の怒りより更に上をいくハルの怒号と形相に思わず口を止める。


「乗れるってところからちょっと引っかかってたんだよ。その上フェンリルだって?フェンリルってことは名前からしてベースは狼だろ?って事はモフモフ出来るってことだろうが!!」

ハルは血眼でそう叫ぶとそのままの勢いで教会を飛び出し、女神の示した祠に向かって駆け出してしまった。



―――


「ああ、やってしまった…」

教会に残された女神はひどく反省していた。

これから起こるであろう悲劇を回避する方法は幾らでもあったはずだった、だからこそ余計に反省していた。


女神は話す順番を間違えてしまったのだ。


使い魔として召喚した霊体はあくまで霊体であり。命あるものが触れることはできない。霊体が行う攻撃はあくまで霊障であり、また、背中に乗れると言っても霊体に触れられる特別な鞍の上だけなのだ。


だから、そんなことを知る由もないハルが、意気揚々と霊体を手に入れ。しかし目の前にあるモフモフ使い魔を触ることができず。その余計なストレスから彼女がしばらくの間寝込み。そして有給を全て使い果たす。その結果までを女神は確実に起こるであろう予知として感じ、ひたすらに反省した。


「だから今まで黙ってたのに…」

女神の小さな呟きは嬉々と祠に向かうハルに届くことはなかった。

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