◆16 ~ 円卓
「――で?」
それは、この世界にはないどこか。
いくつもの本棚が並ぶ、図書館のような場所。しかしその本棚に並べられた本は、どれ一つとして真っ当な言語では書かれていない。
その中心に、巨大な円卓があった。
卓上で頼りなく揺れる炎が照らすのは、十の影。
円卓に座るそのほとんどは、人の
だがそれが
フィノス・フィオルは、円卓の一席、正確にはその正面の机の上に座りつつ、冷や汗を流していた。
「
そう告げたのは、若い女性だ。
十戒と称される円卓の中で、唯一『死』の名を冠する彼女は、外見だけであれば間違いなく美少女。それこそアイドルが素足で逃げ出しそうな美少女だった。
だがその内面たるや、十戒の中で最も恐ろしく理不尽であることをフィノスは知っていた。
「いや、それはそのぉ……主サマ次第と言いますか」
「あのねぇ」
バン、と彼女が机を叩いた。その音に、フィノスがビクリと跳ねる。
フィノス・フィオルは神鳥とも称された存在である。
だがそんなフィノスをして、彼女を相手に戦えば、間違いなく塵も残らない。
フィノスは十戒の中でも、戦闘力で言うのならば下位の存在なのである。
「こっちはねぇ! 暇! なのよ!!」
一方、戦闘力で言えば間違いなく上位にあたる彼女は、柳眉を逆立てながらそう告げた。
まあ、これは分からないでもない話である。
この空間――十戒の主によって生み出されたこの異界に、彼女たちは住んでいる。
本来なら、出入りは自由だ。十戒全員が揃ってこの空間にいるのは、死にゆく主の魂を見送るため、いわば追悼のためだった。
かつて主が死んだとき、この異界も長い年月をかけて崩壊し――そして崩壊する前に、彼女たちも各々「引っ越し」をする予定、だった。
しかし、主が死後に転生してしまったことで事情は一変した。
元の世界への出口は閉ざされ、彼女たちはこの空間に閉じ込められた。外に出るためには、主に召喚してもらう他にない。
とはいえ、不便はこれといってないのだ。十戒全員、この異界に自分の住まう領域を持っているし、何なら神のごとく新たな領域すら作れる権限も与えられている。
が、だ。
「あんな面白そうな世界、私たちだって色々見てみたいのに!」
――そう。
まさかの未知の異世界、なのだ。
こちら側から見るその世界は、とても不思議で、魅力的に映っていた。
「確かにね~」
そう言って朗らかに笑ったのは、褐色の肌に銀髪をもつ小柄な少女だった。
椅子に背を預け、両手を頭の上で組み、ぶらぶらと足を揺らしている。
「あの世界って、何だかとっても楽しそうだよね! ボクはあのテレビってやつを見たい!」
「私はあの化粧品が気になるわよ」
やいのやいの、あれが気になる、これが気になる――最近の円卓はいつも、日本の話題に満ちている。
彼らが共通して思うことは一つ。
――早く行かせろ、ここから出せ、だ。
その意味で、フィノスはひどく肩身が狭い。
この中で唯一、あちらの世界と行き来できるのはフィノスだけ。
要は羨ましがられているのだ。「なんでお前だけ」と。
もちろん十戒同士で喧嘩なんてしないし、本気で怒っているわけでも嫉妬しているわけでもない。が、上位者相手からのプレッシャーは、それだけで胃が潰れそうになるのだ。
「まあまあ、みんな、落ち着きましょう」
静かに響いたのは、大人びた女性の声。
まるで慈母のような、落ち着いた女性がゆっくりと語り掛ける。
「フィノスさん。私たちが外に出れないのも、理由があるのでしょう? あの子のことですし、意地悪なんかじゃないと思うの」
「それは勿論」
迷いなく頷くフィノスに、ですよね、と彼女は笑う。
そしてそんな彼女に、異論を唱えるものはいなかった。『あの子』呼びにさえ誰も指摘しない。――中には、フィノス以上の狂信者と言える者もいるに関わらず、だ。
ようやく落ち着いた円卓を前に、フィノスは語る。
彼らがここから出られない理由――それは一言でいうと、『住む場所がないから』だ。
夜は異界に戻ればいい――と思うかもしれないが、実はこの異界、入口を開けられるのは七日に一度という制限があるのだ。
そして、祐真はまだ小学生。子供だ。
彼らが住む場所など、用意できるはずもない。
「そしてもう一点は……いえ、これはさっきの理由の被るのですが……金がないことです」
「金ぇ?」
紫紺の少女が意外そうに声をあげるが、これは当然である。
彼らの言った漫画も、化粧品も、金がなければ手に入らない。
いくら千堂祐真の中身が外道の類でも、強奪してくるわけにもいかない。そんなことをすれば両親や妹に大迷惑がかかるのは自明だからだ。
「そういうわけで、祐真様が一人で金を稼げるようになるまで、今しばらくお時間を頂ければ――」
「う、うう……」
その泣き声に。
円卓に居る全員が――凍り付いた。
泣いているのは、慈母のように笑っていた女性。
フィノスだけではない。先ほどまで不満を顔に浮かべていた紫紺の少女も、顔面を蒼白にして固まっている。
しばらく円卓に緊張が走ったが――何も起きる気配がない、と徐々に空気は弛緩していった。
……この女、本気で泣いているわけではないのだと。
もし本当に慈母が泣いたなら、彼らは全力でこの場から離脱しなければならない。その上で、自らの主をこの空間に呼ぶしかなくなるのだ。
「良かった……あの子も、そういうことを立派に考えられるようになったのですね……」
「は、はあ」
何のことはない。単に、祐真の成長を喜んでいただけだ。
ほっと肩を撫でおろす面々に、まるで気にする様子もなく、慈母は告げた。
「では、あの子に伝えてください。決して無理はせず、ですがいつかまた、お会いする日を楽しみにしていますと」
「わ、わかりましたっ!」
フィノスは背筋を正す。
楽しみにしている――それは言い換えれば、早く会いたいということ。
これは早く何とかせねばと、フィノス・フィオルは止まらない冷や汗を拭うこともせずに、異界から姿を消した。
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