◆17 ~ 棘

「おーっす」


 坂上翔は、遅れて待ち合わせにやった同僚に「おっせえよ」と声をかけた。


「わりぃわりぃ、道が混んでてさ」


 まったく悪びれもせず笑うのは、自分の親友にして悪友。名前は大河正人という。

 正人は髪を茶色に染めた、いわゆる『チャラい』系の人間だが、それだけないことをよく知っている。実際に女癖はよくないが、浮気まではしたことがない、とは本人談だ。まあヘタレなお前には無理だな、と笑ってやったのだが。


「ったくお前、毎回遅刻しやがって……」


「おー、さすが軍人。時間には正確なこって」


「軍人じゃねぇ自衛官だバカ」


 坂上翔――二等陸尉。年齢の割に階級がそこそこなのは、彼が防衛大卒のエリートだからだ。


「まあまあ、店は予約してあっから、行こうぜ?」


「はいはい」


 軽口を叩きあいながらも、東京の繁華街を進む。

 やがて見えてきたいつもの居酒屋チェーン店の一角に腰を下ろす。「生ふたつ」と親友が注文するのを待ってから、翔は切り出した。


「で? わざわざ店まで取って呼び出して、今日は何の話だよ?」


 この男が自分を呼び出すとき、大抵は何か話があるのだ。

 大河正人はいわゆるジャーナリスト、しかもインターネットを中心としたニュースサイトに勤務している。

 このネットニュースというやつは割と何でもありで、時にはソーシャルメディア界隈の話題を大袈裟に切り取ることもする。正人の会社はそこまで悪質でないものの、まあ似たようなものだ。


 そんな彼らはいつでも話題に飢えている。自衛隊に勤務する翔に、何か裏話がないかなんて聞いたことも一度や二度じゃない。

 もっとも自衛官である彼が、職務上の秘密を漏らすことなど絶対にありえないが、この男はそれを分かっている聞いている節があるのだ。


「まあ、それで? 今日は何の話なわけ。言っとくが、今の内閣だの防衛大臣だのについて聞かれても、何もないからな」


「わぁってるって。今日はな、ちょっと見て欲しいモンがあんだよ」


 なぜか声を潜めた正人は、常用しているバッグからスマホを取り出し、ある写真を画面に映した。


「なんだこれ」


 そうとしか言いようのない写真だった。

 真っ暗な風景、雨が降っていて山なのはわかるが、それ以上はさっぱりわからない。むしろちょっと不気味な気さえした。


「この間の山火事、覚えてるか? ほら、ある男が娘を助けるために、山火事の中を突っ切ったって話」


「ああ、そりゃ覚えてる」


 一時期、特にインターネットを中心に出回った事件だ。

 奇跡の救出、なんて名前で全国紙にも取り上げられ、公共放送が取り上げたりもした。

 その事件の詳細の聞き、自衛官として身が引き締まる思いがしたものだ。


 娘のため、たった一人山中を渡り、全身に重傷を負いながら娘を救出する。

 その話を聞いて、身が引き締めらない自衛官なんていないだろう。

 身命を賭して国民を守るのが自衛官の使命。災害救助の中で命を落とした自衛官も少なくなく、そうした話を聞くこともある。

 そのたびに、より訓練し国民を守らなければと、自衛官なら誰でも思うものだ。


 それを、ただ一人の民間人が、娘のために命を賭した。

 まったくもって敬礼を捧げたい。そしてこういう人たちこそ、自分たちが守らねばならない相手だと思う。


 もちろん、褒められたことでは断じてない。

 本当なら自殺行為だ。自分がそこにいたら真っ先に止める。行かせた方も、行った方も、あってはならない選択をした。だがそれはそれ、一人の人間として敬意を抱くのも当然だった。


「奇跡的に雨が降って山火事は収まったけど、その後総出で救助作業が行われたんだ」


「ああ、地元の人も大勢参加したとか」


「その直前の、雨が降った直後の写真さ。良く見てくれ」


 とん、と男の指が写真の一点を指した。そして両指で写真をズームさせる。


「これは……人か?」


「そう見えるよなぁ」


 だがおかしい。この人間――いや人間だとして、どう見ても宙に浮いているのだ。


「おい、お前いつからオカルト方面に転向したんだよ」


「いや、そういうわけじゃないんだけど。どうも気になっちまってさ。実はもう一枚あるんだよ」


 そう言って、指で画面をスクロールすると、もう一枚の写真が表示された。

 それは山頂を捉えた写真だった。時刻は恐らく同じぐらい。


「これは……」


 山火事が消化しきる前だったからだろうか。そこの映る影は、確かに人に見えた。そしてその対面……巨大な犬のような影が、写真に写り込んでいた。


「なあ、どう思う?」


「どうって――どうせ何かの影が、こんな風に映っただけだろ?」


 でなければ心霊写真か何かだ。

 しかし、と思う。恐らく、正人も同じ結論に達したから、翔に写真を見せたのだろう。


「なあ……この山火事の原因さ、雷って言ったろ」


「ああ、そう聞いてるけど」


「それがさ、妙にしっくりこないっていうか……」


 何を言ってるんだ、と翔は首を傾げる。


 ちょうどその時、「お待たせしました!」と威勢の良い声が二人の間に割って入った。

 注文していた生ビールが机に置かれ、正一が嬉しそうに頬を綻ばせる。

 それを見ながら……机に置かれたままの写真が、視界の端に映った。


(落雷、か)


 落雷と言えば。

 先日、東シナで起きたという奇妙な雷。

 海上保安庁の友人から聞いた妙な噂があった。


 絶対にありえない、雷による巡洋艦の沈没。

 あの雷はただの雷ではなかったのではないか――。


 ただの偶然だ。雷なんて、そこかしこで起きている。

 ただ……奇妙な寒気のようなものだけが、棘のように残った。

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