第5話
演奏は静かに滑り出した。
音は徐々い大きくなっていく。
重低音が葛城身体を揺さぶるー
本物の演奏とはこんなにも身体全身に響き渡るのか…
葛城は驚きを覚え、その心地よさに思わず目を瞑り、旋律に身を委ねた。
音の大海の上を静かに漂っているような感覚に囚われる。
秋月の様子は演奏を始める前の悲しみに包まれ、無気力な様子とはうって変わり、バイオリンにのめり込んでいた。まるで、そこには葛城は居ないが如く、ただバイオリンと向かい合っているようだ。弦をかき鳴らすことでバイオリンと対話しているかのようだった。
秋月も目を瞑る。
バイオリンとのシンクロが高まってくるような気がした。
そしてバイオリンとの境界が揺らぎ、溶け合い、一つになったような感覚が断続的に秋月に訪れた。
その演奏は魂の底から出る、心迫るメロディーだった。
曲は段々とアップテンポになってゆくー
そして、明るく華やかにー。
この曲は…
「夢の旋律だ」
と葛城は思わずつぶやいてしまった。
急いでその口を手で覆った。そうすることで自分の発した言葉が消すことができるかのように。
曲のサビに入るかというところで、音の連なりは急に途切れた。雪山の山頂を目指すクライマーが、足元のクレバスが崩れ落ちて、突然地の底まで落ちてしまった様だった。
葛城は目を開けた。
秋月も閉じていた目をゆっくりと開いた。
その目から薄っすらと涙が零れ落ちた。
「ここから先は…」
秋月は身体を少し強張らせる。数秒後、身体からは力が抜けていた。
静かにバイオリンと弓を置いた。
「…まだ弾くことができない様です」
そう言って秋月は寂しそうに笑った。
「でも、先生。演奏を勧めていただきありがとうございます。何か、なんて言うんでしょうか…」
秋月は少し天井を見上げながら言葉を続けた。
「少しだけ、楽しかったんです……何か、何もかもが愉しかったあの頃に一瞬戻った様に感じました」
反対の目からも涙が伝って落ちた。
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