新世

富田百

新世

 眠らないまま迎えた朝見た赤い太陽光線が網膜に突き刺さって、長い月日の末、僕はまたキーボードに指を並べることにした。それは、あの日、深い深い絶望のさなかで真っ二つに折った鉛筆の片方を掴んで、けさ、再びそれを白紙に突き立てることだった。あるいは、それは、あの日、血を飲んで斬り捨てたこの身体にもう一度生まれ直すことだった。


 あの日、僕は、僕の言葉が持つ価値や強さといった重みへの失望と、このか細い活字にすべてを託さざるを得ない文章表現への限界感のようなものを抱いて、その重みで正体不明の重力に嵌って、深く深くどこでもない暗い場所へ没して行って、そして、消えてしまうことにした。真っ二つに折った鉛筆をガムテープで白いキャンバスに貼り付けて、"I QUIT"と刻んだ。


 今朝、薄い魂のような白い息をいっぱい纏って、マフラーをぐるぐる巻いて、新しいローファーを鳴らして、夏休みっぽい音楽を聴きながら、駅へ向かう人の群れに逆らって、僕はのんびり歩いた。影を抜けた時、!っと射した昇りたての太陽の光線が想像の何倍も強く疾く僕の水晶体を突き抜けて、網膜に突き刺さって、耳の中では音楽がぐわっと広がって、鋭い冷気が鼻腔と頬と舌根を焼いたその時、僕が息を吹き返して、そうして抱いた願いが失望や限界感に取って代わって、ようやく僕を元居た場所へ引き戻した。


 文章表現はか弱い。漫画や動画といった視聴覚メディアが氾濫するこの時代にあって、わざわざ活字だけのものを娯楽にしようという人間はもうごく少ないからだ。エッセーのようなものに関しては、ことさらにこの傾向が強い。だから、僕がこうしてエッセーのような文を書き続けることが持つ力はとても弱く、世界の中ではほとんど何の意味もなさないだろう。そういうわけで、前世に引き続いて、僕は自分のためだけにここにこうして言葉を連ねていくことになる。それでも僕が再び言葉を連ねようというのは、結局、僕の世界は活字の中に一番よく生まれてくる気がしたから。絵も、動画も、他のどんなメディアを扱ってやろうにも、結局のところ僕の世界が無ければだめだったので、僕は活字で世界を織り、それを他のメディアへと昇華していくことにしようと思った。幸い、活字は簡単で、下地づくりには最適だ。形ある他のどの表現よりもインスタントで、それが表現者にとっての活字の最大の強みと思われる。が、しかし、それは観衆にとっての難点であるゆえに、他の視聴覚メディアが氾濫したとたんそれらに圧倒されてしまったのだった。——別に、今朝、こういった創作論のようなものを語るのは本旨ではないけど。


 とにかく、これは、僕が物を書くのを辞めてしまった日のことと、またすこしずつものを書こうと思った朝のことだ。もっと強い創作者になるために。

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新世 富田百 @tomita100

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