いつか始まるかもしれない新しい恋のために

三郎

本文

 私が中学を卒業する年、日本では歴史に残る大きな出来事が起きた。法律が改正され、今まで異性同士だけの特権だった婚姻制度が同性同士でも利用できるようになったのだ。

 私は異性に恋をしたことが無い。多分、レズビアンなのだと思う。だからこのニュースには喜ぶべきなのだけれど、素直に喜べない理由があった。私の好きな人は女性で、女性と付き合っている。同性婚が法制化されたということはきっと、彼女は近いうちに結婚してしまうのだろう。


「……やだな」


 おめでたいニュースを見て口から溢れた醜い感情。素直に祝えない自分が嫌になり、テレビを消して部屋に引きこもった。


「くるみー。ご飯は?」


「要らない。食べたくない」


「……そう。じゃあ、置いておくからお腹空いたら食べにおいでね」


「うん。ありがとう」


 母はこういう時、何も聞いてこない。私の好きなお姉さんだったらきっと、無理矢理部屋に入って来るのだろう。部屋の扉には鍵がついているから、かけてしまえば流石にこないだろうけど。なんてことを考えて、隙があれば彼女のことを考えている自分に呆れる。

 彼女は十歳年上で、出会ったのは大体十年くらい前。私が彼女への恋を自覚した時には既に恋人が居た。二番目でも良いなんて言って、彼女の恋人に怒られた日もあった。彼女の恋人は一回り近く離れている子供相手に本気で嫉妬する大人げない人だけど、それはそれで対等なライバルとして認められている気がして嬉しかった。なんだかんだで私はあの人のことは嫌いではない。だけど、ライバルの結婚を素直に祝えるほど大人ではない。


「あー……やだやだやだやだ」


 何か別のことを考えようとスマホを手に取る。すると、よりにもよってそのタイミングでメッセージがきた。大好きなお姉さんから。いつもならすぐに返信するのだけど、今日は開くのも嫌だった。そんな私の気持ちなど知らんと言わんばかりに、彼女はスタンプを連打する。まさか、見るまでやるつもりなのだろうか。


「もー! 分かった! 分かったから!」


 渋々、彼女からのメッセージを開く。


『やっと既読付いた』


『何の用?』


『ニュース見た?』


『見てない』


『嘘つけ。私、結婚するから』


 おめでとうと打つ手が震える。彼女は私の言葉を待たずに続けた。


『式挙げるけど、来る?』


 なんだよその聞き方。私が行きたくないみたいじゃないか。実際行きたくないけど。彼女のウェディングドレス姿は見たいが、恋人と一緒に並んでる姿は見たくないし、心から祝える気がしない。返信をせずに黙っていると、彼女は続ける。


『そうそう。飯はちゃんと食えよ。人間腹減るとろくなこと考えないから』


 何故ご飯を食べていないことがバレたのか。思わず部屋を飛び出し、母を問い詰めるが母はきょとんとしている。


「じゃあ大樹だいきくん?」


「いや、別に俺も何も送ってないけど。満さん、たまにそういうところあんだよなぁ」


 笑いながら言うのは私の父。父と言っても彼は私と血の繋がりはない母の再婚相手。彼と出会ったのもお姉さんと同時期だった。母より先に私が知り合い、友達になった。昔は冗談でパパと呼んだりしていたが、本当に父親になった今ではなんだか恥ずかしくてつい名前で呼んでしまう。


「で、くるみ。飯はどうすんの。食うの? 食わないなら冷蔵庫入れんぞ」


「……食べ——」


 ない。そう言いかけたが、腹の虫がお腹空いたと大きな声で鳴いた。それを聞いた両親はくすくすと笑いながら、食べることを促す。渋々席に着き、母がカレーを温め直すのを待つ。父が隣に座る。


「で、満さんなんて?」


「……結婚するけど来る? って」


「お前はどうしたいんだ?」


「正直、行きたくない。素直に祝えないし。でも……祝えない自分がやだし、みちるお姉さんのウェディングドレス姿は見たい。大樹くんもお母さんも行くんだよね?」


「そりゃまぁ、世話になってるし行かないわけにはいかないわな」


「……そうだよね。行かないのは失礼だよね」


 両親も私が彼女に恋をしていることは知っている。


「満さんの方からわざわざ来るか聞いて来たんだし、行かないと失礼かななんて考えずに自分で決めて良いよってことじゃない?」


 母が言う。私もそう思うが、だとしたらそんな気を使わないで欲しかった。いつもは強引なくせに。


「くるみ。カレー温まったからとりあえずご飯食べな。食べて、お風呂入って、そのあとどうしたいかゆっくり考えればいいよ。どうせまだ招待状も届いてないし」


「なんかあっていけなくなる可能性もゼロじゃないしな」


「演技でもないこと言わないでよ大樹くん」


「悪い悪い」


「……ごちそうさま」


「ん。片付けはしておくからお風呂入っておいで」


「……ん」


 お風呂に入り、歯を磨いて部屋に戻る。スマホを確認すると、彼女からメッセージが来ていた。「もう寝た?」の一言。「まだ起きてる」と返すと、電話がかかってきた。


「も、もしもし……? なに?」


「いや、声聴きたいかなーと思って」


「……用がないなら切りますよ」


「んな冷たいこと言うなよ」


 彼女はいつも通りの明るい声でケラケラと笑う。彼女の声が好き。話し方が好き。だけど今は、彼女の声を聴きたくない。話したくない。なのに、電話に出てしまった。声を聴きたくないのに、聴きたかった。矛盾している。


「……優しくしないでよ。私の気持ち知ってるくせに」


「あー……逆効果だったか。悪い」


 彼女は恋をしたことが無いらしい。恋人が居るのに。彼女曰く、恋人に対する感情は恋とは違うらしい。理解出来ないけれど『私とお前は違う人間なのだから感覚が違うのは当たり前だ。だから別に、理解しなくても良い。ただ、そういう人間なのだと頭に入れておいてくれれば』と、以前彼女にそう言われた。恋が分からないから、今の私に対する接し方も分からなくて探っている最中なのだろうか。


「……ごめんなさい。気を使ってくれたのに」


「いや、こっちこそごめん。放っておいた方が良かったな」


「ううん。……お姉さんの声聴けて嬉しい。……おめでとうって、思ってるのは本当だよ。でも、結婚しないでほしいって思ってるのも本当。法律、変わらないままでいてほしかった」


 溢れた醜い本音に嫌気がさす。嫌われたくない。だけどもう止まらない。涙と共にぽろぽろと本音が溢れる。口にするのも躊躇うくらい醜い本音が。彼女は止めることなく、静かにそれを受け止める。そういう優しいところが好き。好きなのに、今は嫌い。嫌だ。今すぐ電話を切ってほしい。聞かないでほしい。切らないならせめて耳を塞いでほしい。なら自分から切ればいいのだけど、切れない。話を聞いてほしいのか聞いてほしくないのか、分からない。


「切れないってことは、話したいんじゃないかな」


「満さんはなんで電話かけてきたの?」


「言ったろ。私の声聴きたいかなって思ったって」


みのりさんは?」


「居るよ。けど話は聞いてないから大丈夫。ところでくるみ、お前なんか私に言うことない?」


「無いよ」


「ふぅん。……私、もうすぐ人妻になるんだけどさ、告っとかなくていい?」


「な、なにそれ……言わなくても知ってるじゃん」


「知ってるよ。でも、改めてちゃんと告白してちゃんとフラれた方がスッキリするんじゃないかなと思ってさ。叶わないと分かってる恋なら無理にでも終わらせた方がいいと思う。いつか始まるかもしれない新しい恋のために。なんて、恋したことない私が言っても説得力ないかもだけど」


「……お姉さんって、本当に恋が分かんないの?」


「分かんないよ。全くわからん。でも、くるみが苦しんでるのは分かる。優しくするのは逆効果かなって思ったけど、やっぱり話したかったんだ。友達からは上辺だけじゃなくて心の底からおめでとうって言ってほしいし」


「そんなの、言えるわけないじゃん」


「やだ」


「いや、やだって言われても……」


「好きなんだろ? 私のこと。なら祝えよ。祈れよ。私の幸せを」


「う……無茶苦茶だなぁ……」


「わがままなんだよ私は。ほら、くるみ。告れよ」


 彼女の言っていることの意味は何一つ分からない。何を考えてるのか理解出来ない。だけど——


「……私は満さんが好きです。私を、あなたの恋人にしてください」


 彼女に導かれるように——というよりは強引に引っ張り出された言葉が、何故か胸を温かくする。


「うん。知ってる。好きでいてくれてありがとう。私も好きだよ。でも、私にはもう恋人がいる。恋人というか、もう妻なんだけど。だから、お前とは付き合えない」


分かってる。分かっている。そんなこと。改めて言葉にされるとやっぱり辛いのに、何故か胸のつっかえが消えていく。


「私があと十年早く生まれて、もうちょっと早くお姉さんと出会えたら、私のこと恋人にしてくれた?」


「どうだろう。無理かも。くるみは私のこと好きすぎるから」


 彼女の恋人も言っていた。『マウント取りたいならわたし以上に彼女の嫌いなところを言えるようになってからにしなさい』と。あの言葉の意味はまだよく分からないけれど、嫌いだけど好きという気持ちは、最近少しだけ理解出来るようになってきた。


「今ちょっと嫌いになりつつある」


「ええ? なんでよ。こんな可愛いのに」


「わがままだもん。満さん。何考えてるか分かんないし」


「ははは。ありがとー」


 不思議だ。結婚しないでほしいとずっと思っていたはずなのに。素直に祝えない自分が嫌だったのに。今なら言える。心から。


「満さん」


「うん」


「……結婚、おめでとう。お幸せに」


「あぁ、ありがとう」


「うん。……でも、ごめん。式は行かない」


「そうか。分かった」


「でも……満お姉さんのウェディングドレス姿は見たい。送ってよ。世界一可愛い花嫁さんの写真」


「任せろ。ベストショットを送ってやるよ」


「……うん。楽しみにしてる」


 後日、彼女から送られて来た彼女の写真には、不機嫌そうな顔の彼女の恋人が背後霊のように写り込んでいた。一瞬だけ加工して背後霊を消してしまおうかと思ってしまったが、やめた。そんなことしたって何にもならないし、改めて見るとこれはこれで良い写真だと思えたから。

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