秘密

帝事務所の業務を終え、冬色としきは急遽桃院とうのいん家を訪問することになった。

10年ぶりの訪問だ。

前々から日程が決まっているよりは緊張せずに済むかもしれない。


公枝きみえは予定していた残業がなくなったことで、通常の事項に退勤。

冬色としきは、実篤さねあつ へ打ち合わせを行いたい旨のメールを送信済みだ。


みかどは、今日も諸々の連絡をしていて、それでもなんとか17:45にはなんとか切り上げた。

身支度を整えた後、冬色としき へ声をかけ18:00には事務所を出発。


少し歩いたところにあるコインパーキングに、不釣り合いな雰囲気の高級車が停まっており、運転席には人がいる。


みかどに気がつくと、運転手は車から降りて後部座席のドアを開けた。


「ありがとうございます。」


冬色としきはさすがに驚き、乗車するのを躊躇する。


「どうぞ。」


運転手に促されながら、それでも本当に乗って良いのか尻込みしていると。


「早く乗って。」


車内からみかどが声をかけた。


「すみません、能代のしろさんお願いします。

仕事をさせてくださいね。」


みかどはスマートフォンでメールを打っている。


「何かお手伝いすることはありますか?」


冬色としきが声をかけると、みかどはスマートフォンに視線を落としたままで返事をした。


「大丈夫よ。

例の件で、私の知り合いと連絡を取り合っているの。」


手伝えない件なら、野良の絡みだと冬色としきは感じた。


「着くまで1時間くらいかかるから、寝ていても大丈夫よ。」


どうにも落ち着かず、とても眠れそうにない。

かといって、あからさまにそわそわ落ち着かないとみかども落ち着かないはずだ。

冬色としきはせめて仕事の邪魔をしないよう、座席に身体を預け、腹のあたりで手を組み窓の外へ目を向けた。


今日は昼間も車に乗ったが、今は夜。

走るのは都心の道路だから、車窓から見える景色はきらびやかなネオンの街並み。


冬色としきは車に乗るのが好きだ。

絆師きずなしでなければ、車の免許を取得して、車を所有していただろう。


何よりも、誰にも邪魔され無い一人だけの空間だ。

もっとも、冬色としきが一人きりの静かな空間を好むようになったのも絆師きずなしゆえのこと。

絆師きずなしでなかったら、車に対する考え方も違ったかもしれない。


兎にも角にも、一目見ておおよその値段がわかるくらいには車に詳しい。

日本では誰もが知る一族も乗っている黒塗りの高級車は、重厚感と気品を併せ持つ。

こんな車がコインパーキングに止まっているのは、場違いにも程があるというもの。


桃院とうのいん家が所有している車は、おそらくこの他にもあるだろうと想像した冬色としきは、桃院とうのいん家の所有車に興味が湧いた。


実際のところ、桃院とうのいん家は、使いもしないものを有り余るほどに買う事はない。

公苑くおんの事や、絆師きずなしの事を考えている。


車で送迎するのは、桃院とうのいん家の者に限らないし、みかどだから特別というわけではない。

名家の依頼を受け、絆師きずなしが訪問する折にも送迎する事がある。

実質的には社用車と言えるが、絆師きずなしの為に会社を興しているわけではないので、桃院とうのいん当主の個人所有だ。


そんなこととは知らない冬色としき

みかどが最近頻繁に桃院とうのいん家を訪れていることは認識していたが、まさか車の送迎があるとは少しも想像していなかった。

みかどの慣れた様子から、日常的に桃院とうのいん家の車で送迎されていることがわかり驚愕している。


公苑くおん家が実際の管理を担っているとはいえ、あくまで桃院とうのいん家が主体だ。

絆師きずなし公苑くおんに会う場合には、必ず桃院とうのいん家当主も同席する。


絆師きずなしだからといって、いつでも公苑くおんと面談できるわけではない。

約束なく今日いきなり桃院とうのいん家を訪れ、公苑くおんと面談することが叶うのは、みかどだから通用する行動だ。


桃院とうのいん家に到着し、桔梗ききょうの寝室へと通され入ると、部屋の主は可動式のベッドで上半身を起こした状態で待ち構えていた。


「…吉岡か。」


10年の間にすっかり別人のように変わった桃院とうのいん桔梗ききょうの姿に、冬色としきは驚きを隠し切れない。

いい加減、驚きの許容量が限界を超えそうな心持ちだ。


それほど鮮明に覚えているわけでもないけれど、桔梗ききょう痩せているのは明らか。

何よりも、可動式のベッドで一日の大半を過ごしている空気感。

重い病でも患っている雰囲気だ。


しかし、それよりも。


桔梗ききょう冬色としきの事がわかるの?」


冬色としきよりも驚いているみかどの方が気になった。


「ん?ああ。みかどの弟子だろう?」


涙を浮かべる程に驚いているみかどを見て更に驚いた冬色としきだが、みかどに促されて挨拶をする。


「ご当主、ご無沙汰しております。」


当主へ挨拶するため、自然とベッドの横に正座した冬色としき

内心パニック状態だが、何とか平静を装った。


「旦那様、わたくしは下がります。」


公苑くおんが気を利かせて部屋を出ていく。


「ああ。」


桔梗ききょうははっきりと返事をする。

通常ならば、公苑くおんが同席する状況だ。


しかし、ここに居る絆師きずなしみかど

桔梗ききょうの最愛の人間。


とはいえ、今日帝みかど冬色としきが話をしにきた相手は自分だと理解している。

それでも公苑くおんが部屋を出たのは、状況判断だった。


冬色としきと呼んでも構わないか?」


桔梗ききょうは僅かに笑みを浮かべ、至極穏やかな表情で語りかける。


「はい。」


桔梗ききょうの絆の繊維は、執拗にみかどと繋がった絆にからみついている。

固執を視覚したようなその様子を目の当たりにすると、桔梗桔梗みかどの間にある絆の調整の件は安請け合いだったかもしれない、と一瞬過ぎる。


当主の絆は他にどの程度繋がりがあるのか。

絆の繊維を外したところで、行き先はあるのか。

それが問題だった。


だが、冬色としきは気がついた。

自分との絆があるなら、そちらに移動しても良いと考えてはいたが、どうやら実現可能かもしれない。


しかし、それはまた別件だ。

戸惑う冬色としきは、助けを求めるようにみかどを見上げた。


「おい、冬色としき。」


呼ばれて慌てて向き直ったが、真っ直ぐに自分へと向けられた視線にまた驚く。

なんとなく、みかどの方を見ているように想像していたから。


「もうすっかり大人だな。

いくつになった?」


慈しむように見つめながら頭を撫でた後に、手の平を上に向ける桔梗ききょう

冬色としきは少し考えてから、おずおずと自分の手を重ねた。


骨ばった手は弱々しく見えたが、握る力はある程度の力を込めて手を引かなければ解けないように感じる。


「26です。」


状況が呑み込めず思考が停止する。

一方のみかども、同様に困惑していた。

しかし、冬色としきをなんとかしてやらねば、と一度深呼吸をしてから。


桔梗ききょう、今日は絆師きずなしの大事な用事で来たの。」


みかどの言う事だけは、いつでも素直に聞くイメージは変わらない。


「ああ、それじゃあ門倉かどくらを呼び戻そう。」


公苑くおんには苗字のような名前を付ける習わしがある。

公苑くおんが氏で、門倉かどくらが名だ。


桔梗ききょうが呼び出しボタンを押すと、門倉かどくらが戻ってきた。


「はい。旦那様。」


障子を少し開き、部屋には入らず頭を下げて主人の話に耳を傾ける様は古式ゆかしき有り様。


絆師きずなしの用件だそうだ。」


冬色としきはまだ桔梗ききょうに手を握られており動けない。


「かしこまりました。

失礼いたします。」


入室する門倉かどくらの所作は洋服を着ているが、着物を着ていると見間違うほどに隙がなく美しい。


「先日、吉岡様の件を伺っておりましたので、そちらの準備も整えております。

本日はどのようなご用向きでしょうか。」


桃院とうのいん家の側仕えの家系である公苑くおんの人間は、例外なく武芸の達人。


現在は合気道が必修。

その他、各々が己に合った武術を身に付ける。

かつては主に剣術や時代ごとに有力な武術を身につけており、護衛の役割を果たせるように努めるのが公苑くおんの使命。


加えて、明治維新のあたりから、英語を学ぶようになった。

秘書の役割もになっている公苑くおんは、桃院とうのいんと関わりがある国の言葉なら最低限あいさつ程度は話せるようにしている。


どんな状況にでも対応できるよう、日々鍛錬を怠らない生き様が、自然と佇まいに現れていた。


絆師きずなしのような能力持ちは生命エネルギーの動きに敏感なもの。

公苑くおんの中でも群を抜く門倉かどくらに対して苦手意識を持つ者は多い。

彼はまるで虎のような気配だ。

飼い慣らされているから、普段は主人の横で大人しくしているけれども、どうあれ猛獣。


主人である桃院とうのいんから命じられるか、主人に危険が及べば、一瞬の猶予もなく牙を剥いて襲いかかって来そうな気迫が恐ろしい。


冬色としきも例外なく公苑くおんが苦手だ。

緊張感から身体に変な力が入る。


「私は横にならせてもらうよ。」


桔梗ききょうが言うと、介助に動いたのはみかどだった。

冬色としきはようやく解放され、みかどへ場所を譲る。


疲れていたのか、ベッドを平らに戻して布団をかけてもらうと、少しみじろぎをしただけですぐに寝息を立て始めた。


「先日お知らせした、禁忌の術を使用する絆師きずなしの件です。」


みかどは敷かれた座布団に座りながら答えた。


寝室だから、畳敷きの8畳間に設置されているのは、ベッドのみ。

冬色としきみかど門倉かどくらが予め他の部屋から持ち込んだ座布団へ、それぞれ正座している。

そもそも来客を寝室へは通さない。

みかどだからこそ通された。


門倉かどくらは畳へ直に正座している。


見計らったかのように使用人がお茶を運んできたのは、門倉かどくらが入室直前に目配せしたため。

秘密の多い家だから、使用人は全て公苑くおんの人間だ。

それでも、茶を運んできた人間が下がるのを待ってから。


「吉岡様、その節は大変でしたね。」


門倉かどくら冬色としきの前に茶を置きながら労うと、応じて頭を下げた。


「以前からうちの事務所の依頼主に、野良の絆師きずなしが手を出してきているようだ、と伝えていましたよね。

今回の件、つながりがあるように感じます。

しかも、人が殺されたのですから、これ以上捨て置けません。」


報告する毎に公苑くおんは対処しているのかもしれないが、対処した旨の知らせを受けた事はない。

だから、みかどは念を押すような言い方をした。


「こちらでも可能な限り動いています。

みかど様には、方々連絡していただき感謝しています。」


桃院とうのいん家は、いつの時代も時の権力者や、有力者との繋がりがあった。

その裏に絆師きずなしが居る。


絆師きずなしから見れば、生きるのに苦労しない為の後ろ盾。

桃院とうのいん家は、絆師きずなしにとって欠かせない存在だ。


力関係の均衡を保つために管理一切を桃院とうのいんに一任している。

桃院とうのいんは甘い汁を吸っていると誤解されることがあるが、実態は互いに協力し支え合っている関係だ。

だから、桃院とうのいん公苑くおん絆師きずなしに対して偉ぶった態度を取ることはない。


「いえ。」


もちろん、絆師きずなしも同様。


「引退間近の方々なら、あるいは禁忌の術を使用していただく事も出来るかもしれません。

情報収集も含めて、ご高齢の方から順に連絡を差し上げています。」


引退間近なら、禁忌の技を行使して代償として絆師きずなしの能力を剥奪されるにしても悔やむ者は少ないと考えられる。

公苑くおんとしても体裁が整えやすい。


絆師きずなしが引退する時には、儀式が行われ、桃院とうのいんから慰労金が支払われる。

引退に際して絆師きずなしの証を自らが断ち切るため、未届ける絆師きずなしが2人以上必要な儀式だ。


絆師きずなしとして一切仕事をせずに絆師きずなしの証を断ち切る場合にも、桃院とうのいんは人生の新たな門出と考え、祝い金を渡している。


「しかし、出来れば禁忌の術は避けたい。

あくまで最終手段として、視野に入れておく程度です。

今回の件、吉岡様が鍵を握っています。」


門倉かどくらの顔つきが急変し、獲物を狙っているかのような目つきになる。


「どういう事でしょう?」


みかどがすかさず尋ねた。


「動植物の絆を捉えられる程の絆師きずなしが現れるのは随分久しぶりの事。

現在、そのような絆師きずなしについて詳細を知っているのは、旦那様とわたくしだけです。」


桃院とうのいんの重要な極秘事項ということだ。


「実質、門倉かどくらさんだけという事ですね。」


桃院とうのいん当主はなぜ頭数に入らないのか。

みかどがそれをわざわざ口にしたのは、門倉かどくらを警戒している?

冬色としきは不思議に感じながらも、話の腰を折らぬよう口をつぐんだまま。


「ええ。

わたくしの目の黒いうちに、秘術を扱える絆師きずなしにお目にかかれたのは大変に光栄なことです。」


冬色としきは、座布団に正座したまま畳の一点を見つめている。


「ところで、先ほどから吉岡様は酷く困惑されているご様子。

差し出がましいようですが、一先ずは旦那様のお身体の事をお話した方がよろしいのではないでしょうか。」


名前を呼ばれて顔を上げた冬色としきは、門倉かどくらみかどの間で目だけを右往左往させた。

もはや、何をどこから問えば良いのかわからなくなっている。


「そうですね。

ちょっと私には上手く話せそうにないから、門倉かどくらさんお願いします。」


桔梗ききょうのこととなると、どうしても私情を挟んでしまう。

そう考えたみかど門倉かどくらへ任せることにする。


「さようでございますか。

では、この後の予定もございますから、なるべく手短に。

旦那様は、8年程前に脳の萎縮が認められ、若年性認知症と診断されました。」


冬色としきは、ようやく合点がいった。


「以来、お仕事は体調の良い時にだけ。

絆師きずなしとの面会は、ほとんど断っています。

若年性認知症は、この8年間で徐々にではありますが、確実に進行してきました。」


門倉かどくらは、自然に桔梗ききょうへ顔を向けた。

悲しそうな、淋しそうな表情を浮かべている。


「記憶が曖昧だったり、突然様子が変わることもあります。

日によって調子は異なりますが…」


冬色としきの方へ向き直り、まっすぐ見つめる門倉かどくら


「先ほどは毎日拝見しているわたくしでも驚く程に明朗快活なご様子でした。」


「私も驚きました。」


みかどがすかさず同意した。


「わたくしの口から申し上げるのは大変恐縮ですが、旦那様は吉岡様に特別な思い入れを持っておいでです。」


冬色としきを見る門倉かどくらの瞳は優しく、祖父を思わせた。


「特別な思い入れ?」


いつのまにか緊張が解けていることに気がつき、恥ずかしい気持ちになる。

武士たるものはいついかなる状況でも気を緩めないものだ、と門倉かどくらの存在が語っているように思えた。


「はい。

それというのも、お…失礼。」


一つ咳払いを挟み。


みかど様が、旦那様に吉岡様の成長過程をお見せになっていたからです。」


言いながら、門倉かどくらは、桔梗ききょうから見せられた冬色としきの写真を思い出していた。


「僕の、成長過程ですか?」


(まさか、監視でもつけられていたのか?)


「はい。

みかど様が、弟子の写真を見せてくださる。

最初はどうでも良かったが、そのうち楽しみに感じるようになった。」


門倉かどくらは、少し言葉を詰まらせ、複雑そうな表情を浮かべつつ。


「あるいは自分に子供がいたならば、こんな気持ちになったのだろうか。

いや、なんの苦労もせずたまに写真を見たり、様子を聞くだけならば、せいぜい親戚といったところかもしれない。

旦那さまは、そのように話してくださいました。」


やはり、先ほどの桔梗ききょうの言動を考えても、想像に間違いはないようだ。

と、冬色としきは思った。


「僕が最初にこちらに伺った後には、何か仰っていましたか?」


あとは、これさえ確認できれば。


「私は君のことを知っていたが、君にとっては初対面だったろう?

どう話して良いかわからなかった。」


答えは、予想外の方向から返ってきた。


「旦那様。

騒がしいでしょうか。」


話し声で起きてしまったかと気遣う門倉かどくら


「構わない。

すまないな。

ずっとは起きていられないだろうが、これも一つの決まりだ。

寝ていては意味がないとも思うだろうが、大目に見てくれ。」


桔梗ききょう冬色としきに向かって話している。


「気にしないで休んでいて。」


みかどが、柔らかい口調で声をかけると視線を向けて自然に微笑んだ。


「ああ。」


桔梗ききょうは答えるなりすぐに再び寝息を立て始めた。


冬色としきは、先ほどより少し小声で。


「ところで、僕の写真とは…」


知らぬうちに写真を。

それも、小さい頃から成長過程を見ていたとは、聞き捨てならない。


「その辺りの詳しい事情は、みかど様からお聞きください。

わたくしは準備していたものを取りにまいります。

すぐに戻ります。」


まったく、門倉かどくらの所作は惚れ惚れする。

それなりに年を重ねていることは明らかだが、冬色としきの記憶する限りでは10年前とほとんど変わっていない。


冬色としきのご両親と手紙でやり取りしていた時、いつも写真が送られてきていたの。

すっかり親戚の気分になるくらい。」


「ぼくにとってみかどさんは家族ですよ。」


「そうね。

冬色としきにとっては、直接会ってからのことでしょう。

一緒に生活したことが大きいんじゃない?」


「そう、ですね。」


「あなたが生まれた時、私はここに居た。

だから、桔梗ききょうに向かって叫んだのよ。

弟子が生まれた!ってね。

その話は知っているでしょう?」


「はい。

まさか、桔梗ききょう様の前だったとは思いもよりませんでした。」


「はっきり話したことはないけれど、桔梗ききょうと私のこと、気がついていたわよね。」


「はい。

最初にこちらを訪れた時に。」


「そう、最初からだったのね。

桔梗ききょうには、ずっとあなたの写真を見せて話していた。」


「そうでしたか。」


「結構頻繁に送ってくれたから、私もだんだん楽しみになっていたわ。

携帯電話でやり取りをするようになってからは、一層頻繁になってね。

だから、冬色としきの写真だけが収まったSDカードが何枚かあるわよ。」


両親からは、そんな話を聞いたことがなかった。


「え。」


「まさか、桔梗ききょうも私と同じように感じていたなんてねぇ。」


それほど頻繁に冬色としきの写真を見ていたのなら、2度目に桃院とうのいん当主と会った時の様子を思い返し、違う視点でとらえてみると。


「あれは僕じゃなくてみかどさんに嫉妬していたのか?」


おおげさな例え話だが、母親の方ばかり子供と過ごす時間が長く、必然的に仲が良くなる。

父親としては、自分も子供と仲良くしたい。

だが普段接する時間が短いから、どう接していいかよくわからない。

そんな気持ちを向けていたのではないか?


みかどさん、これはすごくいい事かも知れません。」


桔梗ききょうが執着する対象が、みかどだけではないのなら、桔梗ききょうの絆の繊維が暴走する事を防げるどころか均衡を保てる事になる。


部屋に戻ってきた門倉かどくらは巻物を手にしており、その後ろに別の男が続いて入室した。


「この者はわたくしの息子です。

同席をお許しいただけますか。」


門倉かどくらの後ろについてきた男は小脇にパソコンを抱え、反対側の手にパソコンがちょうど乗るくらいの折りたたみ机を持ったまま頭を下げた。


公苑くおん鈴木すずきです。

書記としてお邪魔したいのですが、よろしいでしょうか。」


「構いません。よろしくお願いします。」


みかどの答えに賛同する形で冬色としきは軽く頭を下げた。


「感謝します。

吉岡様、どうか楽にしてくださいね。

少々…いえ、長くなりますから。」


正座の姿勢で身を固くしている冬色としき門倉かどくらが声をかける。


「お心遣いありがとうございます。

僕は正座が楽ですから。」


冬色としきは自宅でご飯を食べる時にも正座で食べている。


「これから吉岡様には絆師きずなしの秘術についてお話します。

みかど様には、師として立ち会って頂きます。」


「はい。」


「よろしくお願いします。」


「これは、代々伝わる秘術について記された巻物。

江戸の末期に書き記されて以来、現代語訳しないまま、ずっと保管しておりました。」


秘術の巻物は、長い間保管されている倉庫から持ち出されたことがない。

桃院とうのいん家の外へは持ち出せないものだ。


桃院とうのいん桔梗ききょうみかどの間にある絆を操作するために、冬色としきがいずれ訪れると連絡を受けていた公苑くおん

冬色としきが実際に訪れた際に、巻物を見せつつ説明しようと準備していた。


「この機会に、現代語訳を記録したいので、わたくしが同席して書き記します。

このパソコンはネットワーク機能を一切持っていないものです。

パソコンというより、ワープロの方がイメージとしては近いかもしれません。

プリントアウトする時には、SDカードを使用します。

冊子にまとめ終わりましたら、引き続き公苑くおんが管理致します。」


鈴木すずきは説明が終わると折りたたみ机を開くなど準備を始めた。


「秘術に関しては、外部へ一切漏らしたくありません。

ですから、本は一冊だけで管理します。

データは出力後に破棄します。

もし、今後確認したいことがありましたら、ご足労をお掛けしますがこちらにおいでください。」


「わかりました。」


「この秘術を知っていただく事は、大変重要な意味を持ちます。

野良への対抗手段としてかなり有効な内容が含まれていますから。」


──────


この書に記す秘術は、動植物の絆が捉えられる能力者に限り使用可能。


◇秘術一覧


絆師きずなしの能力を持たない者に絆を見せる、能力貸与の術。


・絆を第三者からの攻撃などによる損傷を受けないよう保護する、絆保管の術。

※これは、同時に絆の状態を固定する事でもある。


・他の絆師きずなしから絆を見えなくする、絆隠しの術。


・動物や植物の間にある絆の操作を行う、人外の絆操作。


・家族の絆を意図的に構築する、和合の術。


・絆が繋がっている相手を引き寄せる、絆寄せの術。


◆禁忌の術<神の御技として禁忌であるため総じて神術と言う>


絆師きずなしの能力を強化する、絆強化の術。


絆師きずなしの能力を分与する、能力分与の術。

※上記二つを組み合わせれば、無尽蔵に絆師きずなしを新たに生み出す事になる。


・絆の繊維へ損傷を与えずに繋がりを解消する、

※リスクなしに絆を断ち切れるということ。


・絆を生み出す、絆生成の術。

※言葉のあやでなく本当に無から有を生む。


──────


秘術の書として巻物になっているくらいだから、他にも諸注意は記載されていたが、冬色としきが記憶したのは以上の内容だ。


「吉岡様の妹さんについては絆が見えないとの事でしたね。

恐らくそれは、無意識に秘術を行使されているのです。」


(絆隠しの術を自分でかけて見えなくしているということか。)


「恐らく吉岡様は歴史上で誰よりも能力量の多い絆師きずなしです。

幼いころは大変なご苦労をされたでしょうね。」


冬色としきに見える絆は、動植物の絆ばかりではない。

あらゆる絆が捉えられる。


絆の繊維は肉体と精神と霊魂それぞれに存在している。

概ね精神から出ているのだが、厳密にいうとそうとは言い切れない。

エネルギーが循環しているため、明確に一つの根源から発出していると言い切れないところがある。


切っても切れない絆は、精神と肉体で繋がっている事が殆どで、両方解いてしまえば解けることが多い。

だが、肉体的な繋がりというのが親子である場合これはまず切れない。

冬色としきに限らず、絆師きずなしが捉えることの出来る親子の絆。

DNA判定をせずとも、親子関係がわかることもある。

何事にも例外はあるから、100%とは言い難い。


時折、肉体から生じた絆の繊維だけで繋がっている絆も冬色としきは見てきた。


この際だから、と、冬色としきはこれまで自分が見てきたものを話し、途中何度もみかどに詫びた。


「これは、巻物の記述を現代語訳にするだけでは事足りないようです。

まさかここまでとは。

みかど様が把握できないのも無理はありません。

歴史的に見ても、記録されている限りは前例が皆無です。」


門倉かどくらの言葉からは、みかどを慮っている様子が感じ取れた。


絆師きずなしの多くはどこから繊維が伸びているのか区別がついていない。

霊魂の絆は最も捉えづらいと言える。

肉体関係を持つと、絆が色づくのは冬色としきには肉体の絆が別のものとして見えているため。

肉体関係を持ったと気が付いても、面と向かって確かめることなど出来るはずがない。

みかどに言えなかったのは、その点が大きい。

話をすれば、そこに触れなければならない。


みかどは驚きと共に、何故冬色としきが過ぎる程に人間不信になったのかを理解して涙が出る。


冬色としきが見ていた世界は、他の絆師きずなしでも知りえないものだった。


霊魂から発している絆の繊維、精神から発している絆の繊維、肉体から発している絆の繊維。

精神というのは本心や潜在意識、無意識の領域だ。

本心では苦手な人を、表向きはそんなことはないと自分自身に言い聞かせてしまえば時に本心すらも変えてしまう実に不安定なもの。


だからこそ絆は両方の端をとらえた状態で行う必要がある。

それは冬色としきも同じだと思っていたが、秘術を行使すれば片方だけでできるということがわかった。


絆師きずなしが見ている絆の繊維は、通常色の濃淡がわからない。

全て微弱な光を発している白のような黄金色のようなもの。

この世と繋がる絆を捉えられる場合と捉えられない場合があるのは、霊魂が動き回るためだ。


冬色としきが絆を見た時に、肉体関係がわかる理由は肉体の絆の繊維が識別できるからで、更に肉体関係を持った直後には色合いに変化が生じるからわかる。


芯のある絆の芯の部分は霊魂から発している絆だ。


絆師きずなしの証は、霊魂から発している絆の繊維で出来ている。


精神から発している絆と肉体から発せられている絆は根源が重なって見えるため、通常は区別がつかないが霊魂から発せられる絆については霊魂が重なって見える位置になければ区別がつく。

しかし、霊魂そのものが目に見えるものではないので、その絆がどこから発しているのかわからない。


ただし、霊魂と肉体、精神に繋がる絆。いわゆる命の絆は明らかに他の絆と違う。

虹色に輝いているのだが、冬色としき以外の絆師きずなしには、虹色を一度セピア色にした後に発光させた様に見えている。


冬色としきは、全て識別可能だ。

絆の繊維それぞれに異なる色があるし、霊魂をも捉えることが出来るからだ。


霊魂を捉えることができる絆師きずなしは過去にもいたはずだ。

しかし、霊魂から発している絆の識別について、これまで絆師きずなしの中ではもちろん公苑くおん家も把握していた記録がない。


霊感があるという話をしたくなかったのか、それ以外に何か理由があったのか不明だ。

あえて記録に残さなかったのかもしれない。

いずれにしても、何もかもが今日に繋がっていたように感じられた。


病の絆というものがあるのなら、絆の操作で治せないだろうか。

特別な思いを抱いているとわかったからなのか、桔梗ききょうの容態を少しでも良くしたいという思いが冬色としきの中に湧いていた。


桔梗ききょうの状態さえ今日初めて知ったのだ。

みかどにとってかけがえのない人なのだから、それだけでどうにかしたいと思ったに違いない。


しかし、病の絆を操作することは、禁忌の術ではないにしろ、師弟感でも教えていないことだ。


肉体に何らかの病が生じている場合、それは肉体という器が蝕まれている。

その病を治すために精神エネルギーが使用される時には病と絆が繋がるだろう。


精神と肉体、霊魂は三角形のような状態で絆が繋がっている。

最初は精神と霊魂の間にある絆が削られるが、やがて肉体が霊魂との絆を削り精神と肉体の絆を強化し始める。

これが、気力だけで生き延びている状態。


精神エネルギーで肉体を補修しようとしているのなら、その絆は果たして操作して良いものか?


肉体の絆の繊維は基本的に肉体そのものを動かす為に繋がって機能している。

外側に伸びるのは一時的な事でしかない。

だから、肉体関係を持った時に一時的に絆が繋がる。


肉体そのものの絆の繊維が病と繋がっている場合も、病を治すための絆だと考えると、操作して良いのか?

それは本当に病と繋がっているのか?

周辺の細胞を活性化させるために繋がっているのだとしたら、操作するのは問題がありそうだ。


これまでは、どういう理屈なのか判断ができなくて見て見ぬ振りをすることしか出来なかった。


これからは、もう一人で悩まなくてもいい。

話しても通じないと思ったのはいつだったのか。

自分で勝手に思い込んだのに違いない。


冬色としきの衝撃の告白にみかどが一番驚いていた。

弟子が自分よりも能力がある事は何も問題ない。

師としてのプライドなどというものは、元より持ち合わせていない。


自分が冬色としきに対して何も出来ていなかったのではないか。

そんな無力感に苛まれていた。


桔梗ききょう様の病の絆は動かしたことがありますか?」


「やってみた事はあるのだけれどね。

どうにも一定のところまでしか動かせなくてその範囲が徐々に増えているの。

一応、多少なり進行は食い止められていると思うわ。」


「僕に依頼をもらえませんか。」


今、冬色としき絆師きずなしと初めて、心底から自らの意思で動こうとしている。


「今日、僕にだけ見えている世界があることが、よくわかりました。

見ているだけでは、わからないことがたくさんあることも、よくわかりました。」


わからないことは聞く。

そういう習慣は出来ている。

けれども、冬色としきはわからないことが何かをわかっていなかったし、相手の都合を考え過ぎていた。


「だから、これからも教えて下さい。」


一般的に絆師きずなしが一人の人を目の前にして絆を見るだけでは、その絆が誰と繋がっているどんな関係性のものなのかはわからない。

けれども、冬色としきには関係性がわかる。


絆の繊維は、その色で判別できるのだ。

恋愛感情、憎悪、嫌悪、憤怒、友愛など。

絆が一色の繊維で構成されることはない。


浮気や不倫はもちろんのこと、嫌いな人なのに好きな振りをしたり。

他に好きな人がいるのに、告白されたから付き合う人。

本当は同棲が好きなのに異性と付き合っている者。

誰に対しても恋愛感情を持たないのに、恋愛のことを他の誰かと楽しげに話している人。

冬色としきは全てを捉えて、それを誰にも言えずに苦しんできた。


桃院とうのいん家の書庫でしたら、吉岡様の疑問を解決するお手伝いができるかもしれません。」


門倉かどくらによると、桃院とうのいんの書庫に保管されている文書の中に、絆の繊維の色について記載されているものを見たことがあるという。


「吉岡様の事は、ここに居る者だけの秘密という事で、くれぐれもよろしくお願い致します。

洗脳や催眠術などを用いて吉岡様の能力を悪用されてしまったら、とんでもない事になりますからね。

脅かすつもりはありませんが、桃院とうのいん家に閉じ込めて一歩も外に出したくない位です。」


冗談のような言い回しをした門倉かどくらだが、無言の圧力に背筋が凍りそうだ。

と、冬色としきは感じていた。


みかど様と吉岡様は、お二人ともお名前が絆師きずなし然とされている。

吉岡様は、その中でも特別絆師きずなしと縁が深いと言えるお名前ですから。

何かしらあるだろうと予想していましたが、予想以上でしたね。

まさか、秘術の書にわたくしの手で加筆をする事になろうとは。」


門倉かどくらは、耐え切れないという様子で笑い、隣に座っている息子の鈴木すずきがあからさまに驚いていた。

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