禁忌の技

絆師きずなしとして生きていく覚悟。

みかどとのわだかまりの解消。

冬色としきの気持ちは、もうすっかり固まっている。


みかども話す準備は出来ているが、話の内容を考慮すると会議室で話したい。


しかし、万が一警察から連絡が入ると、会議室では対応できない。

公永きみえからのヘルプ要請連絡も、受けられない事になる。


会議室が完全防音な上、電波まで遮断されているのは、秘匿性を高める目的。

盗聴の可能性を排除するため、電話機を含め通信機器は一切置いていない。

会議室には、携帯電話や電子機器の持ち込み禁止。

情報漏洩防止を徹底している。


何もなければ、警察は連絡してこないだろう。

冬色としきは自ら問い合わせる事にした。


「昨日の事、いつまでも当てもなく待っているのはストレスになりますから、あとでこちらから警察に問い合わせます。

成川なりかわさんから連絡が来るとしても16:30までの間ですから、ご都合がよろしければ、例の件16:30以降にお願いします。」


冬色としきが、自らこれほど具体的に意思表示する事はこれまで殆どなかった。

みかどはもちろんのこと、冬色としき自身が一番驚いている。


「わかった。

じゃあ、仕事をしましょう。」


9:48

みかど冬色としきが各々のデスクへと戻る。


公永きみえは午前中に加藤かとうの妻を観察すると話していた。

調査中は、お昼休みの時間に張り込む事もままある。


節約の為、いつも弁当持参している公永きみえ

張り込みをする時はTPOに合わせてコンビニで買った食事を摂ることもあり、お昼に弁当を食べられなければ夕飯として食べている。


昨日、公永きみえは調査の為外出して直帰していたがタイムカードの打刻は18:04。

外出先から勤務を終えると連絡して、みかどが打刻したものだ。


冬色としきが事務所に戻ったのは18:15過ぎだったから、いつもなら公永きみえはとっくに業務を終えて帰宅済み。

だが、即日現金払いで急ぎの依頼という場合だ。

残っていても不思議はない。


昨日は、加藤かとうの自宅を確認の上、周辺で目立たずに観察できる場所にあたりをつけて業務を終えていた。


加藤かとうの自宅は閑静な住宅街にあるから、選ぶ場所を間違えれば不審者として通報されるリスクが高い。

初動が夕方で目立たない時刻だったのは、幸いだったと言える。


通信制大学で学んでいる公永きみえは、通学する必要がなく勤務時間に制約はない。

しかし、計画的に毎日ペースを乱さないよう勉強を進めるため、アルバイトという雇用形態のまま16:30までの勤務にしている。

時折残業が発生したり、出勤日の予定が変わる程度なら対応可能だ。


なるべくお昼休憩はきちんと摂るようにみかどが指導しているため、張り込みを継続する場合は移動時間+20分の余裕を持って交代を申請するための連絡をするルール。

加藤かとうの自宅までは50分程かかるから、連絡があるとすれば10:50までに連絡があるはずだ。

どうせなら、みかどが外出せずに済むようにしたい。

冬色としきは、10:30までには警察への電話を済ませる必要があると気付き、早々に受話器を取った。


10:21

警察に問い合わせ。

5分ほど後に、担当者からの折り返し連絡を受けて問題は解決した。


亡くなった方は、直近の健康診断でもなんら異常がなく、健康そのもの。

心配な事が何一つなかったのに、突然死。

状況を受け入れられないご家族が、側にいた人が何かしたのではないか、と訴えていたらしい。


警察が周辺を聞き込んでも、目撃者は冬色としきだけ。

突然に人が亡くなった。

目立った外傷もなく不審な点はないものの、家族が不審を訴えた。

遺体を詳しく調べてみない事には警察とて結論が出せない。


救助した人を犯人扱いするわけにもいかないが、万が一本当に事件であり、冬色としきが犯人だった場合。

黙って帰していたと発覚すれば責任問題になる。

警察も板挟みだ。


何はともあれ解決した。

いや、実際には解決したとは言い難いが、残念ながら表向きには解決したとしか言いようがない。


冬色としきみかどに直接報告した上で、メールで公永きみえに連絡した。


公永きみえは、小学校の下校時刻には子供の学校近辺で張り込むと話していたから、お昼に一度事務所へ戻るという事は考えにくい。

今日の昼休みは外出先でとる事になるだろう。


昼休みは、45分ずつ開始をずらしている。

公永きみえが12:00~13:30、みかど12:45~14:15、冬色としき13:30~15:00。

冬色としき公永きみえと交代する事が多いため、時間が重ならないようにしているが、これもまた臨機応変だ。


加藤かとうには、6歳年下の妻と小学5年生の娘が一人いる。

有名大学在学中に税理士の資格を取得。

卒業後すぐに大手の会計事務所へ就職した。

26歳の時に公認会計士の資格を取得。

30歳を機に独立開業を目指す事を決意。

32歳で事務所を開設した。


大手会計事務所の事務職員で、一緒に仕事をしていた奈津乃なつの(旧姓:斉木)と33歳の時に、交際5年目で結婚。

35歳の時に娘が誕生している。

娘の誕生に合わせ、現在の住居であるマンションの一室を購入。

現在46歳。


冬色としきが情報を整理しているうちに、時刻は11:00を回っていた。


気を付けているつもりでも、個人情報はネットに溢れている。

悪意ある第三者によるものなどではない。

本人が無自覚に垂れ流している事が殆どだ。


通勤電車の遅延について愚痴を呟く。

電車に乗っていたら、○○の看板が…。

近所のスーパーで○○がタイムセールでいくらだった。

娘の小学校で今日運動会があった。


他愛もない日常を、何気なく呟いているだけでもある程度の個人情報が洩れている。

パズルのピースのような情報の欠片たちを集めて行けば、やがて一つの大きな情報となる。


帝事務所は決して探偵事務所ではないが、情報収集力では引けを取らない。

その大きな要因は、インターネットにある。

裏垢と呼ばれる裏のアカウントも作っている人がいるけれど、大抵は見つけられる。

正に情報の宝庫だ。


ある程度の調査を進めたら、依頼者と相談する。


絆の調整をする時には、両端を捉えた状態で行う決まり。

対象者が二人とも近くにいないと、絆の調整はできない。

だから、加藤かとうの依頼の場合は家族で食事をする場を設けてもらう必要がある。


一度両端を見たことがあったとしても、同じだ。

可能かどうかの話をすると可能なのだが危険を伴う。


絆を完全に断ち切ってはいけない。

それは、絆の繊維1本1本についても同じことが言える。

絆師きずなしが絆を調整する時、絡まり合っている細い糸の繊維を解して動かすのだ。

決して切ってはいけない。


途方も無い作業だから、1日にできる操作は限られている。

場合によっては解いたそばから再び絡まり合ってしまう。

それが、絆の強さだ。


両端を捉えられる状態でないと、どこがどう絡まっているのか、全容が見えないまま解くことになる。

それでうっかり絆の繊維を切ってしまうと、絆の繊維は失った部分を補修するために、切った者を探して襲いかかる。


絆を完全に断ち切ると言うことは、即ちそれほど多くの絆の繊維を切り落とすことになり、絆師きずなしが命を落とす危険があるから禁止なのだ。

だからこそ、常に絆を操作する時には最新の状態を捉えながら操作する。


帝事務所では、絆に影響がありそうな工作を多少なり必ず行う。

夫婦の絆に関わるものなら浮気相手を登場させれば、大概夫婦の絆は影響を受け弱くなる。

そして、絆師きずなしの能力を用いれば、きちんと工作の効果が出ているのかを確認できるから間違いない。


絆師きずなしの能力を依頼者に対して誤魔化すための工作という時もあるが、工作を主力として問題を解決し、絆師きずなしの能力は殆ど確認だけに用いるという場合もある。

結果として能力を多用する事になったとしても、まずは絆師きずなしの能力を使用せず道を探し、可能な限り最小限にしようとする帝事務所の方針は、冬色としきにはとても合っていた。


禁忌の技について知らずとも、冬色としきがこれまで不自由しなかったのは、知る必要がなかったからだ。

禁忌の技を行使したであろう光景を目撃しなければ、あるいはずっと知らないままで済んだのかもしれない。


師が弟子に教えなくてはならない事の中に、禁忌の技に関する項目はない。

大抵の場合、師匠は弟子の身に危険が及ばぬように教える。

弟子の身に危険が及ばなければそれで良いのだから、教えない方が安全ならば教えなければいい。


結局、今日の帝事務所の業務は、公永きみえが調査に終始。


11月も中旬に差し掛かっている。

寒い中、長時間一人外で張り込みをするのは大変な事だ。

冬色としきが途中で変わる事を提案したものの、公永きみえは防寒対策はぬかりない、と勤務時間ギリギリまで観察して直帰した。


冬色としきは、インターネットからの情報集めに終始。

みかどは、例によって公苑くおんへの連絡や、独自ルートでの調査に終始した。


「今日はこのまま何もなく17:30過ぎには業務を終えられそうだから、その後に会議室で話しましょう。」


16:38

公永きみえから業務終了の連絡を受け、代わりにタイムカードを打刻をしたみかどが、自分のデスクに戻りながら冬色としきへ声をかけた。


「よろしくお願いします。」


帝事務所の所員は、公永きみえが原付バイクでの通勤。天気が悪い時は、バスを使用している。

いずれも通勤時間は30分くらいだ。


冬色としきは近くに部屋を借りており、徒歩7分。

みかどは徒歩4分の場所に部屋を借りているが、ここ5年程は桃院とうのいん家へ寝泊りする事が多いことを、冬色としきは知っていた。


桃院とうのいん家までは、車で30~50分ほどかかる。

時間にばらつきがあるのは、道路の混雑状況による為。

電車移動すると、徒歩を含めて1時間程かかる。


桃院とうのいん家の立地を考えると、元より桃院とうのいん家の近隣に帝事務所を構える事は不可能だろう。

それにしたって、もう少し近くに建てる事は出来たろうに。

と、冬色としきは内心疑問に感じているが一度も訊いたことはない。


変な話だが、これを機にもっといろいろ話してみようか。

と、冬色としきは考えている。


17:00

みかどは、会議室のドアを開け放しエアコンのスイッチをオンにした。

気密性こそ高いが、鉄筋コンクリートの建物内はやはり暖房を入れておかねばもう寒い時期だ。


明日は土曜。

一先ずの調査を明日中に終わらせる予定だから、冬色としきは17:30までに明日観察する対象を絞りこんだ。

公永きみえと手分けして効率よく観察できるよう計画を立てる。

作業を終わらせ、自分のデスクにおいてある時計を見る。


17:29

冬色としきは、スマホや電子機器などを全て机上へと置いた。

取りこぼしはないか、自分の身をまさぐって確認していると。


冬色としき、準備出来たら会議室に入って座って待っていて。」


みかどからかかった声に返事をしてすぐに移動する。

会議室に入り、下手側のソファへ腰かけた。

みかどは忙しそうにしていたから、少なくとも2~3分は待つだろう。

冬色としきは少し緊張している。


「お待たせ。」


会議室は飲食禁止。

換気や休憩のため1時間ごとにドアを解放するから、会議室のテーブルの上に置いたままのアナログのキッチンタイマーを60分にセットする。


「1時間で終わるかわからないけど、時間は大丈夫?」


「はい。」


会議室での会話は記録を残さない前提だ。

当然筆記用具も不要。

極力身軽であることが望ましい。


外出時、必要なものをスーツのジャケットにはしまいきれず、コートのあらゆるポケットに入れている冬色としき

ポケットが足りない場合は、洋服のリメイクをしている店にポケットの追加を依頼して自分が携行したいものをもれなく収められるようにしている。

鞄を持ち歩いた方が良いのだろうが、冬色としきは鞄の扱いが絶望的に下手なのだ。


小さめのカジュアルなバッグならまだマシなのだが、ビジネスバッグともなると、まるで異次元に繋がっているかのように鞄の中でうまく物を探せない。

契約書の類を出すのに手間取り、依頼主を焦らしてしまう。

どんなに工夫をして整理をしても、どうにも改善しないから今の状態に落ち着いた。


コートとスーツのジャケットが冬色としきにとっては鞄のようなものだから、脱げば殆ど何も持たない状態になる。

冬色としきは、カーディガンかファスナー付きのパーカーをデスクの引き出しにしまってあり、先ほど会議室に入る前にカーディガンに着替えていた。


プライベートで外出する時にも、スーツとコートで出かける方が楽だから本当はそうしたい。

しかし、みかどから注意されている。

業務上支障が出る可能性があるから、プライベートでは変装するくらいの気持ちでいるように、と。


目が良く普段は裸眼の冬色としきが、プライベートでダテ眼鏡をかけているのはその為。

趣味、好み、こだわりがろくになく、 金の使いどころは主に妹。

冬色としきが持っている洋服や装飾品は、仕事用プライベート共に半分程がみかどから贈られたものだ。


「まずどこから話しましょうね。」


絆師きずなしが手持無沙汰の時にしがちな、自分の絆を整える動作をしながら、みかどは思案している。


手習いに、絆師きずなしが一番最初に絆の繊維を動かすのは、まず自分と誰かの間にある絆だ。

伸縮性のある絆の繊維は、無理に引っ張ったりしない限りは切れない。


「自分と誰かの間にある絆を操作してはならない。

これは知ってるわね?」


絆の繊維を移動させ、特定の絆に関わる絆の繊維を減らしたり増やしたりすることを『操作する』と言う絆師きずなし

『調整』という事もあるが、正しくは『操作する』という。


絆を構成している絆の繊維量を増減させずに、複雑に絡んでいる状態を綺麗に整えるのも絆師きずなしの仕事の一つ。

その練習として、自らの絆を使うのだが決して『操作』してはいけない。


これは、絆師きずなしが自らと他人の絆を操作し始めると際限がなくなり、絆を生み出す禁忌や断ち切る禁忌を犯しやすくなるためだ。


「全く何もないところに絆を産むという事は、不可能。

だからこれは言葉のあやね。」


みかどはずっと、冬色としきとの間にある絆を整えながら話している。


「絆の繊維をどこかから持ってくる。

その時に、既に別の誰かと結ばれている絆の繊維を使うか、あるいは未使用の絆の繊維を使うか。

その人が生きてきた状態によって変わる。

未使用の絆の繊維は、絆師きずなしとは言え新しく作る事は出来ない。」


絆の繊維には総量があるが、未使用の繊維は絹糸になる前の蚕のようなもの。

新しく絆が繋がれる時に紡ぎ出すことが出来るのは、本人だけなのだ。

絆師きずなしの能力があれば、その様を見ることが出来る。


「この場合、動かし方の問題よりも重要なのは、絆が繋がれていない人と人との間に絆師きずなしが勝手に絆を結ぶな。

と、言う事を言いたいのよ。」


絆師きずなしの行う絆の操作は、ことわりを少なからず歪めている。

決して大きく歪めるな。

そういう教えがある事は、冬色としきも重々承知している。


「絆を断ち切ってはならない。

これも知っているわね。」


みかどが絆を整えるのをやめた。


「理由は、絆の繊維を失うと補おうとする。

切られた者の意思とは無関係に、絆の繊維が勝手に動いて切った者へと襲い掛かるから。

それだけでも死に至る危険がある。

問題はこの先ね。」


みかどは組んでいた足を入れ替えてから続ける。


「絆は、人と人の間にある。

基本的にはそうだけれど、動物にもある。ごく稀に物にもある。

生命エネルギーの関与するところ全てに存在し得るもの。」


動物の絆は、よほどの能力者でなければ捉える事は出来ない。

物からは基本的に絆の繊維が発出しないため、人間の絆の繊維が巻き付くように物に結ばれ、人間と物の間に絆が繋がる場合が一つ。


もう一つは、名匠と呼ばれるような者が丹精込めて作り上げた作品に、絆の繊維が練りこまれるように存在する場合。

それは作者が精魂を込めている証とも言えるもの。

絆師きずなしから見れば、絆の繊維を自ら切り離して作品に埋め込んでいるようなものだ。

文字通り、身を削って作られた名品。

そんな品を大切に使用すれば、持ち主との間に絆が結ばれる。


「絆にはね、病と繋がる絆。

命の絆と言われる、この世と繋がっている絆があるの。」


冬色としきはこの時点で理解し、戦慄した。


絆師きずなしの能力は、病や命でさえどうにかできてしまうものなのよ。」


絆師きずなしが、歴史にどう介入してきたのか。

何故、国外に生活拠点を移す際に能力をはく奪されるほど厳重に管理されているのか。

その理由がようやく理解できた。


「禁忌の技とは、そういう部分に関わること。

病との絆を結べば病気にすることだってできるし、断ち切れば治癒すらできてしまう。

この世との絆を断ち切れば、断ち切られた人は亡くなる。」


冬色としきの目の前で起きた事は、正にその禁忌の技だったのだろう。


「昨日のことは、たぶん冬色としきが私の弟子だから起きたことよ。

ごめんなさい。」


みかどは立ち上がり、頭を下げた。

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