覚悟

「何の覚悟かしら?」


心の中だけで呟いたつもりの言葉が、口を吐いて出ていた。

冬色としきは現状を理解するのに、数秒かかった。


「疲れてるでしょ。

今日は、もう帰って休みなさい。」


みかどに促され、会議室を出た冬色としきはそのまま数歩進み柱の時計を見上げた。

時刻は19:15近くを示しており、驚く。


「すみません。

こんなに時間が経っていたんですね。」


「良いわよ。

少しは落ち着いたみたいね。」


目の前で人が亡くなった。

その上、気持ちの整理をする間もなく警察に疑いの目を向けられ実質的に拘束されていたのだから混乱するだろう。

混乱していることすら気づかないほどに。


一見、平然としていた冬色としき

しかし、その目が血走っており、呼吸が浅く早くなっている事にみかどは気が付いていた。


防音の会議室なら、気持ちを落ち着けるのに役立つだろうと30分は放置する事にして、会議室を出たみかど


40分が経過しても、一向に出てくる気配がなく、会議室を覗いた。


思い詰めている冬色としきの様子をしばらく黙って見守っていたが、2分程で呟きを漏らしたため声をかけたという経緯。


二人は、冬色としきが高校に通った3年間と大学2年までの合計5年間、生活を共にしていた。

冬色としきが気持ちを落ち着けたい時に静寂を好むことを、みかどは知っている。


無邪気に遊ぶ6歳の冬色としきを、遠巻きに見た日を、みかどは鮮明に覚えている。

冬色としきが14歳で決心をするまでの8年間、冬色としきの両親と、月に一度程のペースで手紙のやり取りをしていたみかど

その時期毎に、習得してほしい事を指南書として同封していた。


冬色としきの両親がみかどに送る手紙には、必ず冬色としきの写真が同封されており、成長過程を見ていた。


時々、冬色としきからも、指南書の礼や質問が届いた。

血のつながりはないけれど、親戚のような感覚だ。


冬色としきが14歳の頃から、土日や長期休暇を利用し、師として指導するようになった。

みかどの家と、冬色としきの家は、ドアtoドアで1時間半程度。

金曜の夜から日曜の夕方まで、殆ど毎週、冬色としきみかどの家まで通った。


大学3年になるタイミングで、一人暮らしをすると冬色としきが言い出した時には、みかどは実に感慨深かった。


帝事務所で働く以外の選択肢は当然あったのだが、冬色としきは、帝事務所で働くことを希望し、みかどは受け入れた。


就職活動をしない為、大学3~4年の2年間は単位さえ取得できれば、殆ど自由になる。

更に一人暮らしをすれば交友関係が変化し、雰囲気が変わる可能性を考慮していたみかど

しかし、冬色としきは全く変わらなかった。


みかどの知る限り、恋人がいた様子どころか好きな人がいた様子も、これまで一度もない。

絆を見ても、新しいものが増えたり、特別に絆が成長した関係はなかったから、ほぼ、間違いない。


絆師きずなしは、能力を出来るだけ早くに制御出来るようになる方が良い。


力が強ければ強い程見える絆も多くなり、視界が絆だらけで歩くこともままならなくなる。

喋れるようになったら、すぐに始める位がちょうどいいのだが、実際には5~6歳から訓練を始める事が多い。


3~5歳まであたりは親が教える方が良いと考える絆師きずなしは多く、親子が日常的に行う交流の中で、自然に絆から焦点をずらす方法を身に着けてもらう。


親から見れば何もないはずの宙を見つめる我が子に対し、親の方を見るようにあえて呼び掛けてもらうのだ。

それをしているか否かで、大きく変わる。


5~6歳からは、目で見ていると感じているのは実は錯覚だと教える段階に入る。

視覚的に、「見ている」と感じてしまっている状態を、切り分ける訓練だ。

みかどは、その部分を冬色としきの両親に委ねた。


何代にも渡って絆師きずなしが出現せず、どんな世界が見えているのかわからない冬色としきの両親。

少しでも絆師きずなしが見ている世界を感じて、冬色としきに寄り添ってほしいと考えていた。


絆師きずなしが生まれる家は限られていて、そのほとんどを桃院とうのいん家と公苑くおん家が管理している。


後継が生まれた時、まず師となる者が師弟の絆が繋がった日時を、実質管理している公苑くおん家へ連絡する。


一方で、絆師きずなしが生まれた家庭では、その事実になかなか気が付かない。

本人が自覚するか、親が気が付くか。

きちんと語り継がれているか否かも関わってくるし、さまざまな要因で、後継側からの申告の時期には、かなりばらつきがある。


冬色としきの生まれた吉岡よしおか家は、絆師きずなしが生まれる家だと、きちんと語り継いでいた。

文書も、代表者が受け継いできている。


代表者は殆ど長男であるが、どんな場合でも、常に文書の所在を明らかにしておく決まり。


きちんと引き継がれていたが故に、冬色としきの父親が本人よりも先に気が付き、文書上に記されていた公苑くおん家に連絡を入れた。


その時点で、みかどの申告内容と冬色としきの生年月日、出生時刻が合致。

冬色としきが3歳の時には、師弟関係が判明した。


吉岡よしおか夫妻は、公苑くおん家を通して、みかどへ、いつでも冬色としきに会いに来てください、と、伝えていた。


けれどみかどは、一先ず手紙で。

5~6歳から修行を始める事が多いからと説明。

子育ての中で、絆師きずなしとして冬色としきへ伝えて欲しいことを記した。

両親への挨拶のために、冬色としきが小学校に入学する前には、直接訪問する旨を伝えるにとどまった。


みかどの師匠は、実の母。

だが、親子としての関わりよりも、師弟としての関わりが強かった。


記憶にないころから、絆師きずなしとしての教育は始まっており、母親が自分の事を絆師きずなしとしてしか見ていない事を感じていた。


みかどには父親がいない。

母親は、厳格な師匠。


思い返してみれば、みかどの母が、他の絆師にも教わるように言いつけたのは、母親という立場以外の師匠からも教わる機会を作るためだったのかもしれない。


だとしても、師弟関係の何たるか、親子関係の何たるかを測りかねみかどは躊躇していた。


後継が誕生し、師弟の絆が結ばれた瞬間は、純粋な嬉しさが込み上げ爆発した。

しかし、その後は目を回すほどに混乱。


自分に師匠が務まるのか。

何をどう教えていけば良いのか。

不安が募るばかり。


みかどの師匠5人に、師匠の何たるかを相談して回ったほどだ。


証同士が、師弟の絆で結ばれているのはただ一人。

けれども、広く教えを乞う事は推奨されている。


みかどは、母の方針の通り他の師匠にも教えを乞うた。

結果、母を含め6人の師匠に教わった。


もっとも、母親が存命であっても、みかどは母に相談することはなかっただろう。

みかどにとって、母は、反面教師だ。


なにしろ、冬色としきに、もっと厳しくするべきだったかもしれない。

親元から無理にでも引き離して、修行をさせて方がよかっただろうか。

そんな自問自動を、繰り返している。


冬色としきと、みかどの年齢差は21。

親子ほどの差だけれど、親ではない。

親代わりとも言われる師だけれど、師というのはやはり師なのだ。

みかどは、それを良く理解していた。


かつて。

今のような通信網がない時代。

絆師きずなしの管理が行き届いていない頃。

師弟の絆を頼りに後継を探し当てるため、探すのに時間がかかることも多かった。


生まれる家は決まっていても、当時は噂の域をでない曖昧な情報が聞こえればまだ幸運な方。

絆がどこまで伸びているのかわからないから、ゴールがどこなのか不明のまま辿り続けると、数週間かかる事もある。


交通手段も整備されていないし、時代背景によっては戦、飢饉、病などで、出会う前に片方が亡くなってしまう事もあった。

そうして師弟が出会えぬまま、弟子側の絆師きずなしの能力が消失する例も記録に残されている。


基本的に、師弟の絆は1対1。

稀に複数名と繋がる者もあるのだが、それは必ずしも曰く付き。


師匠が亡くなってしまい、新たな師匠と絆が繋がった例。

後継が亡くなり、新たな弟子と繋がった例もある。

その中に、弟子が亡くなる前それを予知するように、別の後継と繋がったという例も。


様々な師に教えを乞うことが推奨されているのは、身近なところに絆師きずなしが居るのならば、師弟の絆にこだわらず早いうちに教わっておけと言うのが根底にあるからだ。


現代で、問題となるケースは、絆師きずなしが日本国外に居る場合。

絆師きずなしが生まれる家であっても、海外生活が長くなると絆師きずなしはやがて生まれなくなる。


しかし、海外に渡って、間もなく子供が誕生した場合などは、出現する事がある。

その場合、各々が交通費を負担することになるため、大抵の場合は師匠が訪問。

本人に、意思確認を行う。


絆師きずなしの生活拠点は、日本に限定されている。

特異な力を、海外の機関などから研究対象とされる可能性があるためだ。


日本国外に生活拠点を置く事を本人が希望している場合には、能力を剥奪する事になる。


また、師弟の絆が結ばれた師匠が他界している絆師きずなしが、生活拠点を海外に移す場合は本人が絆の証を断ち切る決まりだ。

これは、特例中の特例と言える。


絆の繊維は、個々で持つ総本数がおおよそ決まっており、個人差はあまりない。

実際のところ繊維ではないので、あくまでイメージの話だ。


かなり伸縮性があり、どこまでも伸びるといわれている。

宇宙の果てまでも伸びる可能性があると言う説は、輪廻転生の概念に由来している。


いずれにしても、歴史上の記録と共に、絆師きずなしについて管理している大元が桃院とうのいん家。その側に仕えてきた公苑くおん家が、実質そのすべてを任されている。


絆師きずなしが生まれる家であるにも関わらず、文書や絆師きずなしの話が引き継がれなくなってしまった家は少なくない。

そんな家に、絆師きずなしが生まれた可能性がある場合、コンタクトをとるのは公苑くおん家の役割だ。


絆師きずなしを取りまとめる存在が必要になったのは、江戸の初期。

既に大店だった桃院とうのいん家が取り仕切る事になった。

以来、情報を収集、管理している。


絆師きずなしの存在を認識している旧家、名家は、今でも多く存在している。

極小数の家が、専属の絆師きずなしを持つことを許されている。

許可されていない家は、公苑くおん家に依頼するしきたり。

公苑くおん家が、受けた依頼を精査して、どの絆師きずなしに担当させるかを判断する。


みかどは、帝事務所の仕事の傍ら公苑くおんからの依頼も受けているため、基本的には事務所で待機している事が多い。


内密の依頼をしたい者もあるが、絆師きずなしは、受けた依頼を全て公苑くおん家に報告する。

帝事務所の仕事も、例外ではない。


これは、絆師きずなし同士が逆の立場からの依頼を受け競合が発生する事を防ぐ目的。

だから、桃院とうのいん家及び公苑くおん家の管理下にある絆師きずなしであれば、誰も怠らない。

競合は、絆師きずなしにとって不毛以外のなにものでもなく、より早く依頼した方が優先される。


とはいえ、いつの時代にもどの分野においても抜け道や例外は存在するもの。

当然の如く、絆師きずなしの世界にも管理から外れている存在がある。

野良の絆師きずなしと呼ばれ、敵対する事も少なくない。


希望の依頼を出来なかった者が、野良の絆師きずなしに依頼することがある。

管理の外にあるというだけで、平和的な者が多いのが、絆師きずなし


穏和な気質の者にこそ、能力が授けられると言われるほどである。


一部の野良が、手段を選ばず依頼を完遂しようとすることがあり、中には好戦的な者も在る。


そういった輩の、排除を担っていたのがみかどの母だ。


みかどの母、内田うちだふみは禁忌の技を多用する人で、みかどはそれを間近で見てきた。

そればかりか、同様の事を求められていたから、みかどは禁忌の技について現存するどの絆師きずなしよりも詳しいと言える。


禁忌の技を伝え聞く他の絆師きずなしとは異なり、禁忌の技を行使すれば実際にどのような事が起こるのかまでを克明に話す事が出来る。


『禁忌の一族』という異名を持つ、その最たるがみかどの母だった。

なにしろ、内田うちだみかどという絆師きずなしは、禁忌の技から産まれたのだから。


他の絆師きずなしと積極的に交流すれば、あるいは噂話を耳にすることもあるだろう。

だが、冬色としきは、他の絆師きずなしと全く交流を持っていない。


或いは、他の絆師きずなしから伝え聞いてくれた方が、些か気が楽であっただろう。

みかどにとって、禁忌の技について話す事は、他の絆師きずなしでは決して持ち得ない意味を持つ。


それでもみかどは、話す覚悟がとうの昔に出来ていた。

嫌われても、恐れられても、構わない。


ただ、絆師きずなしという道を冬色としきの選択肢から奪わぬように努めてきた。


みかどさん。

今日は、もう帰って休みます。」


冬色としきが、自らの意志で選び決められるようになるその時までは、と。


「ええ。」


事務所のドアの前、冬色としきは足を止め、振り返る。


みかどさん。

伺いたい事があるので、明日以降、ご都合のいい時に、お時間を下さい。」


みかどは、僅かに零れる笑みを隠すように、顔を伏せた。

が、すぐに冬色としきにも伝授した表情で、顔を上げ。


「わかったわ。

明日、都合のいい時に、声をかける。」


冬色としきが、安堵の表情を浮かべ。


「よろしくお願いします。」


頭を下げて、帝事務所を後にする。


ドアが閉まる金属音。

やがて、時計の針が進む音が、鮮明にみかどの耳に届いて数秒。

気を取り直し、大きく深呼吸すると。


「私も、今日は帰りましょう。」


誰に言うでもなく、声を発した。


ハイヒールからヒールの高いロングブーツに履き替え、ジャケットをコートに着替える。

脱いだ上着と靴は、それぞれ定位置に戻しておく。


パソコンの電源を落とし、カバンを持つ。

消灯、戸締りをしてから、みかども帰路についた。

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