物事には適切な時期がある

僕が、禁忌の技について初めて認識したのは、高校1年生の頃。

絆師きずなしを取り仕切っている、桃院とうのいん家を訪れた時のことだ。


みかどさんに聞いたところによると…


桃院とうのいん家は、430年ほど続く名家。

元は愛知県の辺りにあり、江戸時代中期に拠点を現在の東京である江戸へ移した。


商いを生業としているが、いつの世も一歩先を行く物品を扱い財を成し、積み上げてきた。

事業内容は、時代とともに変化している。

自社ビルを持たぬ経営形態で、できる限りコンパクトにがモットーだ。


自宅は戦時中に焼かれた後に、建て直したきり。

築74年の日本家屋。


現当主は、一人息子の桔梗ききょう様。

生まれつき呼吸器系の疾患を抱えており、あまり丈夫な身体ではないが見た目にはわからない。

身長は平均を上回り、体重も標準を僅かに下回る程度。


オフィスは今いる場所、というスタイルを、早くから実現。

パソコンさえあれば、仕事が可能。

桔梗ききょう様の体調がすぐれない時にも、ある程度の時間ならば自宅で仕事ができる。


桔梗ききょう様の寝室は、起き上がれない時にも仕事が可能な状態にしてある。


名家故に、養子が後を継いだ例は記録上ない。

家督争いを避けるため、長男にのみ継承権がある。


次男以降は生まれるとすぐに養子に出され、己の出自を知らぬまま一生を終えるケースがほとんど。と、言う徹底っぷり。


長男の身に何かあった場合のみ、次男以降が当主になる習わしで、過去に次男以降が継承した例はある。


先代である桔梗ききょう様のお父様も一人息子で、桔梗ききょう様の代わりに後を継ぐ者はない。


桔梗ききょう様は結婚こそしたものの、子供を作ろうとせず、桃院とうのいん家は桔梗ききょう様の代で断絶する見込み。


代々桃院とうのいん家の側仕えを務め、実質的に絆師きずなしの管理を一任されている公苑くおん家は、桃院とうのいん家と隣り合わせに居を構えている。


外側から見ると全く別のお隣同士の家に見えるが、内部に地下通路があり、ほとんど生活を共にしている状態。


ビジネスの面では最先端であるにも関わらず、名家としての考え方が古いことに対し、桔梗ききょう様は物心ついた時から懐疑的。

中学生の頃には明らかに反抗的になり、高校在学中には子供を作る意志のない旨を宣言した。


らしい。


あの時は、僕が帝事務所でアルバイトをするという報告のための訪問だった。


桃院とうのいん家の当主、桔梗ききょう様が、あからさまに僕への嫌がらせの為に声をかけてきた。


「どいつもこいつも、絆師きずなしの正しい活用方法を知らないねぇ。」


努めて悪い口調で言っていると判断できたので、腹は立たなかった。

何故、顔を合わせるのが2度目である僕に対して、牽制を試みるのかも、当主と師匠の間にある絆を見れば察しがつく。


桔梗ききょう様…。」


師匠からの制止を受けた当主の様は、いたずらっ子のようだ。

妻があると聞いていたが、それらしき絆は見えない。


僕は、そもそも当主が、何のことを話しているのか皆目見当がつかなかったから呆けた顔で見上げていた。


「おい、みかど

まさか、まだ伝えていないのか?」


当主は、僕が知っている前提で嫌味を言ったらしい。


「物事には、適切な時期があります。」


と、有無を言わさぬ調子で師匠が言い。


「うん。それもそうだな。」


当主がやけに素直に応じたものだから、僕もその時には、それ以上の追求をすることはできなかった。


その時僕が感じていたのは、当主が師匠に構ってもらいたくて仕方がなくて、弟子である僕を目の敵にしているのだなということ。


桃院とうのいん当主と師匠が、恋愛関係にあることは、絆師きずなしが見れば一目瞭然。

14歳の時に初めて、師匠の後継として桃院とうのいん家を訪れた時、既にわかっていた。


当時は、当主が随分不機嫌そうに一瞥をくれ、早々に目を逸らしただけ。

それでも、十分に嫉妬している事は伝わってきた。


2年前よりも明確な敵意を向けられたその時に、僕は、桃院とうのいん家への訪問は、くれぐれも必要最低限にしようと心に決めた。


あの時、聞けずにいたこと。

当主が言わんとしていたことは、恐らく禁忌の技を用いてこそ、絆師きずなしは本来の価値があると言うこと。

とはいえ、決して本心ではなく、絆師きずなしならば反論するのが通常の話と推測できた。


「当主、ご冗談を。」

あたりが、模範解答と言ったところだろう。


当時、修行のためにみかどさんと同居していた家に戻り、一息ついて早々にみかどさんがぼやいていた。


「悪かったわね。

まったく、桔梗ききょうは。

あれで、私より8歳年上なのよ。

子供っぽいったら、ありゃあしない。」


他の者の目があるから、桃院家では桔梗ききょう様と呼んでいたけれど、普段は呼び捨てなのだろうな。

そうでなくとも、あの稀に見る縄のような絆だ。

弟子だからといって僕が師匠と同じ家で生活している事も、当主にとっては大いに気に入らないに違いない。


それから先は、もうすっかり、当主が何のことを話していたのかなど思慮の外。

みかどさんの話さえ耳に入る事はなく、当番で作る夕飯を何にするかとばかり考えていた。


不意にその時のことを思い出したのは、数ヶ月後。

長期休暇で、実家に帰っていた時の事だった。


高校に入学するタイミングで、本格的に弟子入りをすること。

同時に同居すること。

初めてみかどさんと直接対面した14歳の時、家族と共に相談して決めていた。


6歳の時、能力を制御する方法を紙にわかりやすく書き記した簡易的な指南書を、親づてに渡してくれていた。

だから、小学校に上がる頃には、ある程度は制御できるようになっていた。


それでも、小中学校の間、絆が見えることでだいぶ苦労した。

なるべく人との関わりを少なくするために定時制の高校に行くことを検討していた僕に、両親は好きにすると良いと言った。

が、みかどさんは。


「もし、絆が見えて辛いのが定時制高校を選ぶ唯一の理由なら、修行だと思って通常の高校に行った方が良いわ。」


確かに、辛いからと言って逃げていれば能力制御は上達しない。

必要に迫られる状況の方が、明らかに上達するだろう。

と、僕自身納得して、みかどさんが事務所を構えている場所の近辺に、受験する高校を探すことに決めた。


6歳の頃からずっと、両親がみかどさんの話を聞かせてくれていた。


絆師きずなしさんって、後継者が生まれてへその緒が切られた瞬間に、師弟間の絆が結ばれるんですって。」


母が、箱に納められた臍の緒を見せながら、話してくれた。


師匠と弟子が何かも、アニメや映画を通じて教えてくれた。


みかどさんは、冬色としきが生まれた時、僕の後継が生まれた!って、凄く喜んだそうだ。」


父が、僕の頭を撫でながら、嬉しそうに話していた。


そして、特異な能力を、まず受け入れること。

周囲の人たちと、どう接すれば良いのか、きちんと教えてくれた。


時には、一緒に考えてくれた。


両親は今でも元気だけれど、絆師きずなしとして弟子入りするために家を出る僕の姿を見た時、巣立ったように感じていたんじゃないだろうか。


両親との思い出の中には、みかどさんの話が必ずある。


まず、みかどさんは、両親と会うために訪問したのだそうだ。

それが、僕が6歳の時。

直接会って行ってはどうかと提案する両親に対し。


「まだ年端もいかない子供の前に。

『わたしが君の師匠だ、これからよろしく!』

などと、現れたところで、実感が沸かないだろうから、ある程度の年齢になり、自分から師匠に会いたいと望んだ時、対面する。」


と、伝えると共に、子供でもわかるよう手作りした指南書を両親に託してくれた。


みかどさんは、師匠がやるべきことの一部を、両親に分けてくれた。

その結果、僕は何の不安もなく、みかどさんと対面できたし弟子入りできた。


そんなみかどさんを、僕は対面する前から信頼していた。


いつ会えるか、楽しみにしながら。

まだかな?

どうかな?

と、なかなか決心がつかず、14歳でようやく対面した。


禁忌の技については、みかどさんが言うように、適切な時期に教えてくれるのだろう。

と、判断はしていた。

けれど、吉岡よしおか家に伝わる文書に書かれていること位は、いずれにしても確認した方が良いのではないだろうか?

と、その時になって、初めて自分から文書全てに目を通した。


それが、高校1年生の正月の頃だった。


文書には、禁忌の技が具体的にどんなものなのかまでは記されていなかったが、禁忌の技があると言うことは書かれていた。

禁忌の技だからこそ、師弟間で口伝されるものなのだろうと感じた。


絆師きずなしを取りまとめている桃院とうのいん家や公苑くおん家も、当主のみが知る事なのではないだろうか。


そうして、おおまかな検討をつけたが、やはり僕は師匠の言う適切な時が、待っていればやがて来るのだろうと結論づけ10年近く。


人が亡くなる異常事態に際しても、まだその時ではないようだ。


いや、待て。


僕は、桃院とうのいん家と公苑くおん家との直接的な関わりを、極力避けてきた。

自分の意思でそうしてきたけれど、みかどさんの考えも同じだったように思う。


僕が、今やっている仕事は、一つが帝事務所の仕事。

もう一つが、公苑くおん家に依頼され、みかどさんが引き受けた仕事の代行や手伝いだ。


年齢的には、もう独立しても良い頃合い。

帝事務所に所属しているからと言って、一人の絆師きずなしとして、公苑くおん家から直接依頼を受けることは出来るはずだ。


みかどさんには、桃院とうのいん家や公苑くおん家と最低限の関わりを心がけると言う意思を伝えていない。


伝えていないのに現状そうなっているのは、他でもないみかどさんの思惑があるのだろう。


果たして、僕を、禁忌の技から遠ざけるためなのだろうか。


僕に、後継が現れていれば、話は違ったのかもしれない。


だが、殆どの場合、25歳までに確認できるとされている絆師きずなしの後継が僕には現れなかった。


絆師きずなしは、血で継がれるものではない。


能力者が出る家は決まっているが、不定期に現るから、身内で師弟関係が結ばれることなど殆どない。


みかどさんの師匠は、希少なことにお母様が師匠だったと聞いているけれど、詳しくは知らない。


ただ。


「私には、師匠がたくさんいるのよ。

師弟の絆が繋がった師匠は、実の母ただ一人だけれど。当の母の方針だったの。

他の絆師きずなしにも、教わりなさい、ってね。」


僕が、みかどさんの師匠について聞いたのは、後にも先にもその話だけだ。


その時のみかどさんは、とても悲しそうな寂しそうな顔で、僕は話題を変えた。


一緒に暮らし始めた頃、何気なく投げかけた。


「師匠の師匠は、どんな方だったんですか?」


と、言う質問からあんな表情になるとは想像していなくて、当時は結構焦った。


僕は、絆を操作するのがあまり好きではない。

修行を始めてからずっと、想いは同じだ。


あるべき状態を意図的に歪めている。

不自然な行いだ。


絆師きずなしは、その能力を一度でも使えば神の意志に逆らったと判断され、定期的な禊を行うことになる。


業が深い存在だと、絆師きずなし本人が自覚している必要があるというのが、最初に教わること。

最初の説明だけで、能力を放棄する者もいるらしい。


絆師きずなしには、それぞれ能力を示す証があり、師弟の絆はその証同士を繋ぐ。

だから、師弟の絆はすぐにそれとわかる。


絆は、絆の繊維で形成される。

実際には繊維状に見える、生物から放出されている一種のエネルギーのような、なにか。


人間だけでなく生物全てに存在するけれど、人間以外の生き物は人間の絆に比べて微弱。

よほどの能力者でもない限り、絆師きずなしと言えど、見えるのは人間同士の絆だけらしい。


絆師きずなしの証とは、その絆の繊維が、無限大マーク、三角、リース状など、個性豊かな形を成して、へその辺りに定着しているものを指す。

僕の、絆師きずなしの証は、四角だ。


絆の繊維で形成されていれば、絆師きずなしが意図的に動かせるもの。

絆師きずなしであれば、他の絆師きずなしの能力を失くすことが可能ということ。


絆師きずなしは、絆の繊維を移動させることで、人と人との間にある絆を調整できる。


けれども、無から有を生むことになるような、全く絆がない人と人との間に新たに絆を作る行為は禁じられている。


また、絆を完全に断ち切ることも禁じられているが、これには例外がある。


絆師きずなしには、師弟の繋がりが必ず存在するもの。

これは、絆師きずなしが、何の所以か因果か、血ではなく絆による継承を行うためだ。


だからこそ師匠だけが、弟子の能力の根源たる証を断つことが許されている。


絆師きずなしとして生きる道を、選ぶか否か。

意思決定をするまでの期間は無制限。

師匠は、弟子に求められたら、いつでも絆師きずなしの証を切断する決まり。


禁じられている事を、既にいくつか知っている。

けれども、それらが例え禁忌の技だとしても、決して全てではないと感じていた。


反射的に、これは禁忌の技だと感じたあの光景


目の前で、人と大地との間に結ばれていた太い絆が、弾けるように切れた様が脳裏から離れない。


知らないものに対する恐怖で、初めてみかどさんに対する信頼が揺らいでいる。


それが、何者かの狙いだとしたら。


僕は、今こそ禁忌の技について知らなければならないのではないか。


ずっと、"適切な時期"とは師が決めるものと思い込んでいた。

けれど、本当にそうなのか。


今まで絆師きずなしとしてやってきたことは、ほとんどが、みかどさんの指示によるもの。


どこか、他人事のように考えていたのではないか。


小中学校の辛い期間を経て、辛いからと定時制高校を選ぼうとしたあの時から、何一つ変わっていないのではないか。


もしかして、みかどさんが待っている“適切な時期”は…

僕が覚悟を持って禁忌の技について知ろうとする姿勢を見せた時、なんじゃないか。


考えてみれば、僕は。

絆師きずなしになる!」

と、言ったことはもちろんないし、心に決めたことすらなかった。


ただ、目の前に指し示された道をなんとなく歩いてきただけだ。


「いい加減、覚悟を決める時なんじゃないのか。」

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