話しても信じてもらえない事実

あたりを見回す。

200mほど先、逃げるように去っていく人影があった。

だが、今この場で救急車を呼べるのは自分一人。


冬色としきは、追いかけて正体を探りたい気持ちを堪え、みかどとの通話を切るや119番へ掛け直した。


たまたま、その場に居合わせただけの冬色としきだが、倒れた人は殆ど即死の状況。

警察が介入した。


目撃者は他に一人もおらず、怪しい人影は性別すら不明。

他に証言する者がいない以上、冬色としき一人が主張しているに過ぎない。


冬色としき自身の身元を、明確にするのは容易だが、依頼人の個人情報は守らねばならない。


任意同行だし任意の所持品検査だから、全部漏れなく見せる必要もないが、下手に隠せば怪しまれる。

皮肉なことに、現金20万円を持ち合わせていたことで、任意の事情聴取はますますややこしくなった。


警察官は、ズバリ言葉にはしないが、あからさまに。「事件性がない、と、判明するまでは帰せない」

と、言いたいことが、言動から伝わってくる。

冬色としきは、精一杯の知識で応戦。

やっとの思いで解放された。


加藤かとうの事務所がある建物から出て、十数歩程度の道端。

その辺りを管轄している警察署から出た時、空は夜の色。


(煌めくネオンが、光の海。行き交う人は、溺れてもがく人。)


冬色としきの目には、そんな風に映った。


行きと変わらず、電車で一本。

事務所の最寄駅までは、徒歩を含めて30分弱。


都会を走る電車は、立っている足元も危ういほどに混雑する。

時刻は17:30、平日。

正に帰宅ラッシュの時刻。


駅から事務所までは、疲れのためかいつもより足取りが重い。


(合戦場の中で、もみくちゃにされ、弾き飛ばされ、取り残され、とぼとぼと自陣に帰るつわものは、こんな気分だっただろうか。)


年季の入った建物。

ワンフロア2〜3室、4階建ての3階にある帝事務所。

4階に住む大家が、3階の一部屋を倉庫として使用しており、実質3階は帝事務所のみ。


2階部分は、元は2室のものを後から間仕切りを加えて無理やり3室にしたらしい。

建物1階にある6つの郵便受けには、101、201、202-1と、202-2、301、401と表記されている。


1階はワンフロアで空手教室なのだが、2階は元々2室。

何故、郵便受けが6つあるのか、冬色としきは大家に尋ねたことがある。


「足りないのは困るけど、多くても困らないじゃない?」


あっけらかんと話す大家は、二代目。

今年65歳になるはずだ。


ちょうど5年前。


「還暦で孫がお祝いに来てくれるから、ちょっといつもより騒がしくて、下にも響くかもしれない。

うるさかったら、ごめんね。」


と、嬉しそうな笑顔で詫びられたのを、冬色としきは覚えていた。


郵便受けを確認すると、ポスティング広告ばかり。

大家が設置してくれたゴミ箱へ、いつものように放り込んでから、かろうじて人がすれ違えるほどの階段をゆっくり上る。


ネオンが眩しい大都会ではないが、東京都の23区内。

土地の形が歪なところ「最大限の面積を活用した!」と、大家が自慢げに話した建物。


事務所に入ると、変な位置に大層な存在感をもって鎮座している柱。

立った姿勢からさらに見上げる位置に、学校の教室にあるような時計がかけてある。


冬色としきは、事務所に入ると時計に目をやり時刻を確認する習慣がついている。

おおよそ検討していた18:15を、ほんのわずかに過ぎており、小さくため息が漏れた。


所員は、ホワイトボードに、外出、直帰など書く決まり。

アルバイトの成川なりかわ公永きみえは、みかどの指示の下に対象の観察ヘと出かけ、そのまま直帰したようだ。


帝事務所は、今からちょうど20年前の2002年に内田うちだみかどが設立した、縁結びと縁切りを生業とする事務所。


みかどの見た目は女性そのもので、声色も限りなく女性に近い。

生まれ持った性別は、男性。

身長は170cmと、ほぼ日本男性の平均身長ではあるものの、生物学的に男性という事実に気がつく者は殆どいない。


身長は、冬色としきの方が3〜4cmほど高い。

けれども、みかどが常に5cm以上のヒールを履いているため、みかどの方が背が高い。と、周囲には認識されている。


みかど本人は。

「ありのままの自分でいる。」

と、宣っているに止まり、それ以上は語ろうとしない。

訊かれても、有耶無耶にしている。


冬色としきは、最初に会った時から、みかどがどんな格好をしようと、誰を好きであろうと、全くの無関心。


帝事務所の周辺では、みかどと誰よりも付き合いの長い冬色としきがそんな風だから、みかどが行きつけの飲食店ですら"正体不明の一見美女"と言う認識だ。


柱の影、雑然とした机に埋もれるようにみかどは居た。


「戻りました。」


今の心境が全て声に出たのではないか、と、冬色としき自身が耳に反響した自分の声にうんざりした。


「おかえり。

お疲れ様。」


みかどは、敢えて指摘せずに淡々と返した。


「難儀なものです。

目撃者が僕だけですからね。

なんだかんだと足止めに必死なのが伝わってきて。

仕方がない、と思わされました。」


疑う余地のない突然死なのか、不審死なのか、そばにいた冬色としきに事情を聴くのは仕方がない。


「確認ができるまでは、ここにいてもらわないと困る。と、態度に出ていたわけね。」


問題なのは、明言しないまでも事件性があるのならば、冬色としきが容疑者である、と、いう警察の考えが透けて見えていたことだ。


「ええ。

でも、それだけじゃあ、ありません。

僕自身、倒れて亡くなった…

いや、亡くなって倒れたのか?

いずれにしても、あの方の身元を確認したかったので留まりました。」


その行動により、亡くなった方を知らない、とアピールすることにもなっていた。

冬色としきが意図したところではない棚ぼただ。


「なにか、気になることでも?」


みかどは、加藤かとうからの依頼内容をあらゆる角度から検討するためにパソコンを操作したり、プリントアウトした書類を整理しながら冬色としきの話を聞いていた。

が、話の様相が不穏になったことを感じ、手を止めた。


「あれは、何者かが意図的にやったことです。」


みかどは、老眼鏡を外しパソコンのキーボードの上へと無造作に置いた。

涼しい目元があらわになると、冬色としきは少し空気が張り詰めたように感じた。


「なぜ、さっきの電話で話さなかったの?」


冬色としきは慌てて電話を切る折に、かけ直す、と言った。

その通りに、警察署内から一度。

解放され、警察署から出た時に一度、みかどへ連絡していた。


「とても、話せる状況ではなかったからです。」


警察官の前ではもちろんのこと、他に誰が聞いているかわからぬ状況では話せるはずがなかった。


「いま、ここで話しても構いませんか?」


冬色としきの様子を見て、みかどは席を立つ。


シンプルな、白い膝丈ワンピースの上に、黒いジャケットを肩にかけているみかど

一歩を踏み出す前に、ジャケットの袖に腕を通した。

見え隠れする腕の様子から、ワンピースがノースリーブだと判る。


ワンポイントとなる、細いエナメル質の黒いベルトをウエストに着けているのが、洒落た雰囲気だ。

ベルトと似た色、材質の靴は、およそ7cmのピンヒール。


ベルトの金具と、ヒールの先端に飾りでついている金具が、共に金色。


「奥で聴かせてちょうだい。」


事務所の奥には、電波を遮断した防音室が会議室として据えられていた。

みかどが、冬色としきを先に入室させ後ろ手でドアを閉める。


「いいわよ。

聴かせてちょうだい。」


みがどは、ベッコウのような風合いの挟むタイプのバレッタで、背中の真ん中あたりまである長く美しい黒髪を一度捩って上に持ち上げ留めている。


首元に、光の加減で控えめに存在感を出す、細い金のネックレス1つ。

ヘッドには、極小だか明らかに極上のダイヤモンド。


「あんな切れ方は、初めて見ました。

あくまでも想像ですけれど、あれは禁忌の技なのではないかと。」


みかどは、頭を抱えたい気持ちだったけれど努めてなんでもない風を装った。


「絆が目に見えそれを結ぶ、あるいは絶ち切ることができる、"絆師きずなし"の、禁忌の技…だと、思うの?」


内田うちだみかどと、吉岡よしおか冬色としきは、ただの雇用主と従業員にあらず。


共に、"絆師きずなし"という特殊な能力を生まれ持つ者であり師と弟子。


「はい。」


絆師きずなしにとって禁忌の技。

その詳細を、冬色としきは知らない。


絆師きずなしである冬色としきの目の前でそんなことが起きたのは、偶然なのかしらね?」


心の声が漏れてしまったつぶやきは、幸い冬色としきには届いておらず。みかどは誤魔化すように、どうしてそう思ったのかを尋ねた。


「弾け飛ぶように、絆が切れました。

ロープを、拳銃で撃ち抜いたような、そんなイメージです。

それで、あの人は倒れて…」


帝事務所で行われている縁結び、縁切りは、絆師きずなしの能力を用いたものだ。

偶然を装うなどという、曖昧で不確定なものではない。

絆を、視覚的に捉えて操作している。


「もし本当に禁忌の技ならば、あるいは僕を絆師きずなしだと認識して、敢えて目の前で見せた可能性は高いと思います。」


これまで、帝事務所で仕事を続けているばかりか、絆師の能力と存在を認知している旧家や、名家の繋がりで、知らず知らずのうちに絆師きずなしとして認識されている可能性はある。


「そう、ね。」


帝事務所は、能力を隠しながら絆師きずなしとして行っている表向きの仕事。

その実態である絆師とは、過去に歴史さえも動かした者が在る能力者のことだ。


「おそらく今回の件は突然死として処理されます。

いくら探したところで、何も出てこないでしょうから。

しかし、警察の僕に対する事情聴取はまだあるかもしれません。」


冬色としきは、警察が引き止めたいところを、半ば無理やりに脱してきた。

少しの疑問もなく、突然死だと判断されない限りは、警察が再び接触してくるだろう。


「唯一の目撃者だから、仕方がないでしょうね。

あからさまに、犯人扱いされるようなら弁護士を呼ぶから、逐一報告してちょうだい。」


冬色としきが口を挟む隙のないよう、みかどは早口だ。


「警察の聴取が終わるまで加藤かとう様の依頼については私とキミちゃんでやるから心配しないで。」


みかどは、預けていた背中をドアから離し、重心を移動させた。


「怪しい人物については、つてを頼って調べてもらうわ。

冬色としきは、警察の聴取が終わり次第、加藤かとう様の依頼に集中してちょうだい。」


言いながら、体から先にドアの方へ向き、冬色としきの返事を待たずに部屋を出て行った。


「…はい。」


冬色としきの返事は、ドアが閉まる音と重なった。


みかどと出会い、師弟の関係になってから、12年ほど。


(まただ。まだ、教えてくれないのか。)



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