半ば者・吉岡冬色

しろがね みゆ

帝事務所の吉岡冬色

|(ああ、あの二人は、もうだめだな。)


吉岡よしおか冬色としきは、目的地へ向け、都会の雑踏を歩いていた。


大型ビジョンの一つが、15:00を知らせている。


(あちらの二人は、これからだろう。)


大きな交差点を渡り切ると冬色としきは、店先の角に立ち止まり、ほんの数秒間目頭を摘んだ。

視界が遮られると、途端に耳に入る音や鼻をつく匂いが鮮明に感じられた。


(人混みは、とても疲れる。)


白いシャツ、黒いスーツの上、グレーのロングコートを着ている。

スーツもコートも、前は開いているが、きちんとした印象。

20代半ば、短髪、細身の170cm強の青年。

行き交う人で、目が回りそうな場所。

特別に目立つ風貌でもない冬色としきへ、意識を向ける者など一人もなかった。


ふと、冬色としきが立ち止まるよりも前から店先に佇んでいた20代前半と思しき、カジュアルではあるが落ち着いた装いの男が冬色としきへ僅かに横目を向けた。

冬色としきが気づき視線を返すと、糸のようにか細い"それ"がその男との間に見えた。


直後、佇んでいた男へと向かい人混みの中から、 真っ直ぐに飛び出してくる、20歳前後の愛らしい女性。

淡い桃色のワンピースの上に、同系色濃いめ色のコートを羽織った女性へ向け、一歩踏み出す男性。

二人の間には、直径1cmほどの紐状の"それ"が見える。


(ああ、この二人は、それなりに長い期間、交際しているのだな。)


二人へ視線を送り続けていると、女性の方から視線とともに、髪の毛ほどの"それ"が伸びた。

冬色としきは、避けるように踵を返し再び目的地へ向かい歩き出す。

女性は何事もなかったように目の前の男性へ意識を戻した。


冬色としきはしばらく歩き、やがて人通りの少ない路地へ入る。

目的地と思しき建物を確かめ、脇にある非常階段を上った。


都会の片隅にある古びた雑居ビルの階段は、上るたびに独特の金属音を響かせる。

3階の非常ドアを開けると、薄暗い廊下の両脇にいくつかドアが並んでいた。


(建物に入り、右手側3番目の扉)


メールの一文を思い返しながら立ち止まった冬色としきは、スーツとコートのボタンをとめる。

一部分が磨りガラスになっているドアを3回、右手中指の背で叩く。

間も無く、中から入室を許可する声が届いた。

ドアの上部を確認し、手前に引くドアだと理解できた冬色としきは、迷いなくドアを開ける。

軽く会釈してから、歩をすすめた。


「職務上コートは着たままで失礼いたします。

ご依頼の詳細を伺いに参りました、帝事務所の吉岡よしおか冬色としき、と申します。」


丁寧なお辞儀をしながら名刺を差し出す吉岡よしおかに、迎えた40代の男性はどこか居心地が悪そうに頭を下げながら名刺を受け取った。

吉岡よしおかにしてみれば、このような反応は慣れたもの。


「少し、早かったでしょうか。」


「いえ。

ご足労頂きありがとうございます。

ご覧の通り会計事務所を営んでおります、加藤かとう実篤さねあつと申します。」


加藤かとうは、自分ばかりが動揺していたからなんとか取り繕おうと無駄にスーツの襟を直しながら、挨拶をし名刺を差し出した。


メールには名前や事務所のことは明記せず、住所と部屋の位置だけを記載した加藤かとう

住所と部屋番号を調べれば、事務所のことはわかるだろうことは想像に容易い。


けれども、名前も人となりもわからぬ無礼なメールに対応して、わざわざ足を運んでくれた吉岡よしおかへ、純粋な感謝を伝えるためにきちんと名乗り、頭を下げた。


「こちらこそ、ご依頼のメールを頂きありがとうございます。」


吉岡よしおかは変わらず堂々としており、慣れた手つきで名刺を受け取った。


加藤かとうは、手狭な事務所にかろうじて設けた応接スペースへと吉岡よしおかを導く。

テーブルを挟み向き合う形で、ソファへと腰掛けた。

促されるままに従った吉岡よしおか

一息つくなり、話を始める。


「これから、詳しいお話を伺い、お引き受けできるかどうか。

お引き受けする場合、どのような流れでことを運ぶのかをお話しします。

加藤かとう様は、その上でご判断ください。」


まだ、緊張した面持ちの加藤かとうは、連絡した理由を時折言葉に詰まりながら話した。


自分が喉の渇きを感じて初めて、飲み物を出していないことに気がついた加藤かとう

慌てて飲み物を出そうとするが、吉岡よしおかはそれを断った。

諸々アレルギーがあるから、お気遣いなく、と。

そう言われると、なんのアレルギーがあるのかと追及するのも失礼かと思うから、下手に飲み物を出さない方が良い、と感じる。

きっと、気を使わせないための断り方なのだ、と加藤かとうは感心した。


加藤かとうは、二週間ほど前ヤケ酒を煽った勢いで初めて入った居酒屋に貼られていたチラシを見て、帝事務所へと連絡をしていた。


『良縁を結び、悪縁を断ち切ります。

─帝事務所─

TEL:.×××-×××-××××

E-Mail:×××@×××.×××』


加藤かとうは元来、多少なりとも足元がおぼつかなくなるまで飲むような質ではない。

酒に酔いながら半信半疑で連絡をした加藤かとうの依頼は、本心では決して望んでいない妻子との縁切り。


吉岡よしおかは、見習いの頃から10年近くこの仕事をしている。

依頼主がどれほど切羽詰まっているか、ある程度予想がついていた。

表情を変えずに加藤かとうの話を聞き終えるなり。


加藤かとう様のご希望でしたら、当社でお引き受けできると思います。

概ね、偶然を演出をして縁がある、と思わせたり。

逆に、縁がないと思わせる。

違法にならない範囲で、時には過激なことも、必要な限り。

場合によっては、縁を切らねば命に関わるような危機感を持たせて決別を促す。

…と、いうことを当社は行っております。」


更に吉岡よしおかは、具体的に今回のケースではどのように対応するのが良いかを提案した。


「本当に、そんなことができるんですか?」


加藤かとうは、ほとんど驚きで占められた感情を向ける。


「人間同士のことですから、100%間違いなくとは、言い難いですね。」


繕うことは一切せず、吉岡よしおかは応えた。


「…そうですか。」


ため息混じり諦めを匂わせた加藤かとうだが、興味は失せていない。


「料金は、かかった日数分の諸経費。

成功した時のみ、成功報酬を別途頂戴いたします。」


吉岡よしおかは、かつて、上司であるみかどから。

「真面目で堅苦しい顔では、相手を警戒させてしまうから、微笑んでいる少し手前くらいにしておきなさい。」と、言われ、守り続けていた。


「成功しない場合、それまでにかかった経費は無駄になる、ということですよね。」


加藤かとうが、吉岡よしおかを真っ直ぐに見つめる。


吉岡よしおかは、みかどから。

「微笑むとね、詐欺っぽくなるのよ。」

とも、言われ、ギリギリのラインを探して鏡と睨み合い。

研究した成果である表情を、決して崩さない。


「はい、仰る通りです。

ですから、よくお考えになってください。」


依頼を決めた理由として、吉岡よしおかの表情をあげる客は多い。


「いえ、お願いします。

どうしても…

藁にもすがりたい気持ちなんだ。」


冬色としきは、ため息を飲み込み。


「それでは、なるべく手早く済むよう努めます。

こちらは契約書です。」


いかなる時も鞄の類を持っていない吉岡よしおか

折りたたんで封筒に入れた書類を、スーツの胸ポケットから取り出して開きテーブルに置いた。


「一先ず契約料3万円と、一週間分の見込み経費を先払いで頂戴します。

一週間未満でご依頼を達成し、使用しなかった経費がある場合は、返金。

逆に、追加の経費が生じている場合は、精算時に頂戴します。

いずれも、必ず明細をご提示します。」


「はい。」


「一週間よりも長くかかることは、多々あります。

続行をご希望であれば、一週間単位での延長を都度経費を精算した上で、お申し込みいただけます。」


加藤かとうは、書面上に記載された20万円を鞄の中から取り出し、テーブルの上に置いてから書面にサインした。


「すぐに、取り掛かってください。」


加藤かとうは、念を押すように20万円をテーブルの上に置いたまま吉岡よしおかの方へと押しやる。


「かしこまりました。」


吉岡よしおかは、手早く書類と現金をスーツの胸ポケットへと収め挨拶もそこそこに加藤かとうの事務所を後にする。


非常階段を降りてから、ようやく大きなため息をついた冬色としき

すぐに気を取り直し、スマートフォンをコートの右ポケットから取り出す。

慣れた手つきで電話をかけた。


「お疲れ様です。

みかどさん、現金即払いですぐに仕事にかかって欲しいとのことです。」


冬色としきの電話に応答した内田うちだみかどは、冬色としきの上司であり、帝事務所の経営者。


「それはまた、切羽詰まってるねぇ。」


気だるそうな口ぶりは、殆どいつも変わらない。

冬色としきは、スーツとコートのボタンを外しながらため息をつく。


「胸が痛みますよ。」


少しだけ歩き、曲がり角で足を止めた。


「騙しているようで、かしら?」


今更、なにを言っているの?

と、いうセリフが、冬色としきには聞こえた気がした。


「わかっていますよ。

騙しているわけではない。

詐欺の要素は、一つもありません。

それも、成功率は事実90%以上ですから。」


真顔の冬色としきは、人を寄せ付けない気配を放つ。

もっとも、飲食店のない都会の路地には、人通りがほとんどなく、車も滅多に通らない。


「経費も、余剰分はきちんとお返ししているじゃあないの。」


酒でも飲んでいるのだろうか?と、感じられるみかどの口調は、不用意に人をイラつかせることがあった。

冬色としきは、みかどと出会ってから12年。

最初の3年で慣れているから、口調でどうこう思うことはない。


それでも焦燥感が募るのは、何故か。

実際、法に触れることは何一つしていない。

確かに、今更なのだ。

みかどが言ったわけでもないのにそう言われたように感じたのは、自分自身がそう思っているからなのだろう。


「ええ。」


納得できていないだけのこと。


「ただ、事実を隠しているだけのことで、いつまでも気に病むことはないでしょう?

まして、事実を述べたところで誰一人として信じやしないのだから。」


その通り。

事実を話すことになんの意味もないことくらい、わかりきっている。

それでも、罪悪感はつきまとう。

ふいに、通話をしている冬色としきの目の前を通り過ぎた人の"それ"が、突然、弾けるように切れた。


みかどさん!対象は加藤かとう様からのメールを確認してください!かけ直します!」


冬色としきの目前に、先ほど通り過ぎた人が白目をむいて倒れていた。

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