第9話 恋愛アドバイザー
名前呼び。
それは親密さを対外的に表すのに最もポピュラーなコミュケーション方法の1つ。
相手に対して、自分は貴方に関心を持っている、その他大勢とはとは違うのだと承認と親愛を込めた意思表示。
聞く人が聞けば何を大袈裟なことをと笑うだろう。
実際、以前の私だったらそっち側だ。呼び方1つで人との在り方が変わるなんて思いもしなかっただろう。
でも、今の私は至って真面目だった。
アイツの名前を聞くまでは。
薄暗い旧校舎の廊下を幾分か歩いた先にそこはあった。
建物と同じくらいの歴史を感じさせる見るからに立て付けの悪そうな扉。
そこには分別のない子供が自分のものだという誇示のために貼るシールのように、お菓子の当たりがベタベタと貼り付けられていた。
本当にここであっているのだろうか。
正直、外観からはここが本当に天文部なのかどうか全く判別がつかなかった。
「本当にここであってる?」
ここまでの道案内をしてくれた山内くんに私が尋ねる。
すると彼も困ったように笑って首を傾げた。
「多分ここでいいと‥思う」
断言出来ないところから山内くんも正直あまり自信はなさそうだった。
仕方がないと鞄にしまっていたスマホで只野に連絡を取ろうとした時、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「‥番原先輩は‥‥?」
それは、親し気に会話する只野と知らない女子の声だった。
正直に言えば社交的とは言えないアイツには珍しい。
天文部に知り合いが居たなんて話は聞いた事がないが‥
まぁでも、相手はきっと天文部の部員だ。
部室に来た1年生が緊張しないように気を遣っているのだろうから、そう心配することでは無い。
そうだ。これこそが大人の余裕というものだろう。
少しのモヤモヤはありつつも、1年以上一緒にいるという自負がある私にとっては十分許容範囲だった。ここまでは‥
「‥咲月‥」
思いがけず答え合わせができたと思いノックをしようとした瞬間だった。
中の灯りが漏れ出すような薄く壊れかけの木の扉からその一言は聞こえてきた。
前後の言葉は分からない。
でも確かにそれだけは明瞭に聞き取れた。
咲月。
それはアイツの名前だった。
まるで女の子みたいで、男の子につけられるような自分のものとは真反対な印象を受ける名前。
へーそうか。
そうなんだ。
そんな簡単に呼ばせちゃうんだ。
さっきまで自分があれほど他の有象無象には呼べれまいと大切にしていたのに‥。
君はあって間もない人に呼ばせちゃうんだ。
たかが名前じゃないかと余裕ぶるキャパシティはもう無かった。
大人の余裕?そんなもの、15歳の私に期待してもらっても困る。
たかが名前されど名前だ。
私だってそんなに呼んだこと無いのに。
急速に自分の頭が冷えていくのを感じる。
さっきまで確かにあった余裕は木っ端微塵に消え果てた。
残ったのは、ドロドロとした綺麗とはお世辞にも言えない醜い嫉妬だった。
◇◆
名前で呼んでほしいなんて僕的には女子に言われてみたい言葉19位くらいには位置しているものだった。悲しいかな非モテな男子高校生というのは、同性ならまだしも異性間で名前呼びなんて使っているとより一層親近感みたいなものを感じてしまうものだ。
しかし今回の場合、それを言った相手が相手なわけで。
嬉しさよりも、恐ろしさが勝っていた。
一体この顔だけは良い悪魔は何を考えているのか。
完全に早乙女の意図が読めない僕は助けを求める様に向かいに座る山内に視線をやるが、向けられた奴も困った顔をするばかりで頼りにならない。
恐る恐るその横の早乙女は目を細めて冷たい笑みを浮かべていた。
「君、部活入ったんだ‥私にも一言も無しに」
「いや‥入部するとはまだ決まったわけじゃ」
完全にヘビに睨まれたカエル。
接待でキャバクラに行ったことがバレて、母さんと姉さんにとっちめられる父さんの姿が脳裏をかすめた。
「じゃああれは?」
早乙女が苛立ち気に僕の横を指差した。
そこには僕が持ってきた入部届をその無駄に綺麗な指で摘んで旗めかせる番原先輩の姿があった。
ご丁寧にも部長承認欄に判が押してあった。
ここだけ悪魔多くない?
「咲月はもうウチの部員だよ」
ニンマリとした笑顔を浮かべ、挑発的に番原先輩は言うと、早乙女はまるで親の仇を見るような目つきで先輩を睨みつけた。
「‥また‥私だってそんなに呼んで無いのに‥」
2人の間に火花が散っているように見えるのは気のせいだろうか。
胃酸が自分の胃壁をゴリゴリ削っていくのを感じる。
せめてもの救いはその苦痛を味わっているのは僕だけではない所だろう。
山内を見れば、今にも死にそうな顔で同じように胸に手をやっていた。
可哀想に。誰だよ彼をここまで追い詰めたのは。
「そんなわけだから、咲月は天文部の部員で、そこのなんて言ったけ‥まぁいいや彼は相談でここに来たと。それで、早乙女さんだっけ?貴方は何しに来たのかなぁ?」
僕から見れば悪魔同士の対決だったわけだが、番原先輩は先輩だけあって意地の悪さには1日の長があるようだった。この人が振られたのって多分だけどこういうとこじゃないかなぁ。
「‥それは」
言い淀む早乙女に番原先輩は畳み掛ける。
「いやー、ウチの部活って守秘義務とかもある訳でー、あんまりこういう事言いたくは無いんだけど外部の人には退場いただくほかないんだよね。辛いわー可愛い後輩の子にこんな事言うの辛いわー」
絶対嘘だ。
付き合いは数時間にも満たないがそれだけは言える。
「どうしてもって言うなら‥あぁこんな所に偶然にも未記入の入部届が!」
素人の大根役者もかくやと言った様子で先輩が取り出したのは、さっきまで見せびらかせていた僕の入部届と同じ書式で作られた白紙の入部届だった。
「‥入ります‥入部すればここにいて良いんですよね?」
もはや正常な判断力が失われているのか、早乙女の目は完全に座っていた。
しかし、そんな目を向けられた当の本人は涼しい顔をしていた。
「勿論」
最初からこれが狙いだったのだろう。
もはや隠そうとしていていない所に清々しさを感じる。
先輩悪魔は破れかぶれになった早乙女が部活名と氏名欄に記入するを見届けると、僕らの顔を交互に見て言った。
「ようこそ天文部もとい‥下世話な恋愛アドバイザー部に!」
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