煙草を吸う貴方

 この前、唐突に高校生の頃好きだった人のことを思い出した。その人は私よりずっとずっと年上で、休憩時間になると煙草を吸いに外へ出ていってしまう塾の先生だった。私はその先生が好きで、丁寧な黒板の字も、話し方や生き方は荒っぽいのに、教えることだけは丁寧だったところが、たまらなかったのだと思う。でも正直、どうして好きになったのか見当もつかないほど、お世辞にも先生らしいとは言えない人だった。

 私は少しでも話したくて、英語の勉強を必死にして、分からないところを見つけては話す口実として喜んでいたの。おかげで今は立派な英文学科生だわ。此処が分からない、と差しだせば、少しだけ近くなる距離。なのに一度も煙草の匂いがしたことはなくて、……それが逆にグッときてしまったのかもしれない、今思うとね。もしかすると、知っているのは私だけだったのかも。たまたま、貴方が煙草を吸っていることを見かけてしまって知った秘密のようなもの。まるでそんな雰囲気も出さずに先生をしているところが悪そうで、でも学生の私にはひどく大人に映った。

 そろそろ受験の季節がやってくる。私はコロナの影響もあって、その先生にありがとうを言えないままもう時が経ってしまった。でも、もう一度会いたい。いつか、最期に一度だけでもいいから、と何度思ったか。でも、心のどこかでは会いたくない気もしてしまう。だって、私のことを忘れていたら、本当に傷つくとわかっているから。好きすぎて、もう話しかけられない。貴方は誰?という風に瞳が揺れたら、それを見てしまったら、多分その場で泣いてしまうかもしれない。

 だから一生会いたくない。好きだから、もう会いたくないと思う気持ちがあるなんて、一生涯で貴方にしか向けない感情でしょう。

 永遠にさようなら。私が、人生で一番好きだった人。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る