第3話

 サイとヨコは体育館に到着する。

 重々として錆び付いた扉は在校生時代から建て付けが悪く、閉めるのが面倒だったのか全開だ。

 そこには体育館ステージの青紫の舞台幕を見上げている2人の人影がある。残されたウネとフラだ。


「……っ」


 サイは体育館に居る2人に声を掛けようとする。もしかしたら隣に居たヨコも、同じだったかもしれない。だけどメグの一件をどう伝えて良いのか分からなくて、なりふり構わず大声で喚くのも気が引けて、挙句開放された入り口をくぐることさえも躊躇われる。


 ウネとフラへの情報共有のために、また学校へと戻って来た。

 けれどいざそのときになると、すくんでしまう。


「サイ……とヨコ? なんで、そんなところで立ち止まってんだー?」

「……フラ」


 気配を感じ取ったのか、雨音に惹かれたのか定かじゃないけど、決意が固まり切らないサイとヨコを見つけてフラが話し掛けてくる。ウネも釣られて振り返ると、瞬く間に瞳孔を拡げていく。


「ちょ、ちょっと2人ともっ、どうしてそんなにずぶ濡れなの……え!? と、とにかく早く体育館に入って。私の荷物にタオルがあるはずだから、それ使って」

「ウネウネ……ありがとう」


 雨に打たれ、髪の毛に余白が無く地肌に引っ付き、衣服が濃くなっている姿。いくら本校舎と体育館が離れているとはいえ、途中には庇になり得る場所がいくつかある。

だから何をしたらこんなに濡れているのかと疑問に思いながらウネは、肩掛けていたバッグから無地のタオルを一つ、そして暫し悩んだのち、自らのクリーム色のセーターを取り出す。


「……ごめんタオルが一つしかなくて。私のセーターなら代わりになりそうではあるけど……」

「それ、中学の頃に着てたやつだって、船で言ってなかったっけ? そんなの私、代わりに使えるわけないよ」

「でも、なるべく早く拭いとかないと。病気にでもなったら、どうするの」

「……いや待てウネ、確か俺のバッグにもタオルがあるかもしれない。ちょ、ちょっと見て来るわ。あればそっちをサイに渡せる」


 そう言い残してフラが体育館の右隅にある控え室扉の方へ行く。彼の荷物は一旦そこへ置いていたなとサイは朧げに振り返る。


「サイ……」


 ウネからタオルを受け取ったヨコが、同様に雨水を浴びて濡れて、メグの流した血まで付着しているサイに気を遣って目配をする。彼女なりの謙虚な性格が滲み出ている。


「ああ……僕は最悪このままでも問題ない。ヨコ、早くウネのタオルを使って、少しでも乾かしときな。金髪に染めて傷んだ髪が、更に悪化しちまうかもしれないしよ」

「何よその言い方は……せっかく心配してあげたのに」

「んな上から目線の心配ならご無用だ……お前はお前の心配だけ、しとけばいいんだよ」

「……ん」


 ヨコが頭からタオルを覆う。そして頬や首筋を伝っていたり、垂直落下する雨雫ごと髪の毛を巻き込んで吸着性の布地を湿らせる。その様子はまるで、金色の毛並みが美麗なキタキツネがフルフルと、身体に積もる小雪を払うかのようだ。


 一見して口悪い言い合いでヨコが拗ねたようにも映るが、サイはサイなりにヨコを案じて、ヨコはヨコなりにサイを慮っている……ただ、お互いがブランクもあってか不器用過ぎて、上手く伝達し合っていないだけ。


「サイ、タオルあったよ」

「お、ありがとうフラ」

「何言ってるんだよ。困ったときは、お互い様じゃないか」


 ボストンバッグごと抱いて、体育館ステージ袖の控え室から戻って来るフラ。サイの正面に立つとすぐ、そのボストンバッグからついさっき開封したような平たい長方形の箱を適当に避けて、彼の持ち物にしては随分と可愛らしいマスコットキャラクターが描かれている、やたらふんわりと弾力があるタオルをサイ渡される。


「いや待て、これ……」

「あー、やっぱ気付くか……まあ、それ以上言うな言うな。またいつか別のもので埋め合わせすればいい」

「でも——」

「——こういうのは必要なヤツに、必要なときに使って貰う方が幸せなんだ。だから、気にすることないよ」


 フラがサイに手渡した物は使用感がまるで無い。ボストンバッグに中身のない四角い箱を詰め込む理由もないことからも、どう見てもこのタオルが元々、誰かへのプレゼントとなるはずだった代物だと察する。きっと咄嗟に封を破って、あわよくばスルーされるかもと考えたようだ。


「じゃあ、お言葉に甘えて……」

「ああ」


 後頭部から目元までを覆い隠すように、サイはフラに手渡された柄物のタオルの温もりに包まれる。飲料水よりも重い水分が段々とタオルに吸い込まれて行き、急激な乾燥具合から、身体に張り付いて微かにのしかかる衣服の違和感が増幅する。


 視界が物理的に暗転させ、ダンボール箱が発するの香りに似た匂いが鼻腔を無遠慮に通り抜ける。ひとときだけノスタルジーをリセットさせる環境に様変わる。


 それは普段なら良いことにもなり得ないけれど、特別悪い方向にもならない瞬間。ぼんやりとサイ自身を見つめ直す想像の住人となる密やかな余暇。


「う、うぅ……」

「えっ? ど、どうしたサイ……」


 突然、咽ぶサイ。

 フラも何事かと声掛ける。

 けれどサイには良く聴こえなかった。


 想像に耽ると人は冷静になる。

 自らの思考のみが頼りだからだ。

 しかし同時に、強烈なフラッシュバッグが蒸し返される脆弱性にもなってしまう。


 サイが思い出したのは、メグを刺した患部と冷んやりとした彼女の地肌。抱き上げても何の反応もない人形のような肢体……どんなに切望しても、絶望しても止まらなかった鮮血。それでも必死に運命に抗おうとする脈拍。

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