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『その廃墟工場は、所有会社が売却相手と係争中で、現在も電気が通っているようだ。何らかの仕掛けが施されていても不思議ではない。慎重に進入しろ』

 乙部の無線を聞きながら、捜査一課が緊張の面持ちで正面玄関から工場内に進んで行く。機械類には半透明のビニールが被せられ、やや埃っぽく土臭い場内は、晴れていても薄暗い。刑事たちは辺りを窺いながら物音を立てないように進みながら、現れるドアをひとつひとつ開けて、室内を確認していく。

「ここにもいない」

 先頭を行く瀬古が腰に下げた拳銃の重みを感じながら部屋を出る。栗原の動きがパタッと止まる。彼女は大きな機械が居並ぶ空間の方を見上げて、耳を澄ましていた。

「何かが聞こえます……。音楽?」

 彼女が一同を先導して音が聞こえる方へ向かう。次第に奔放なピアノの旋律とパーカッションのリズムが刑事たちの耳にも明確に届くようになる。周囲を警戒しながらも、音の出所を探り、刑事たちは工場の奥にアルミ製のドアを見つけた。

「この中からだ……」

 瀬古が栗原に代わって先頭に立ち、刑事たちに部屋の中の様子が窺えないか調べるように指示をした。だが、すぐに目の前のドアを開けるほかないと判断して、ドアノブに手をかけた。静かにドアノブを回して、ドアを押し開けた。蝶番が古くなっていたようで、金属の擦れる嫌な音が響いてしまった。しかし、部屋の中から反応はない。ドアで隔たれていた激しい曲のボリュームが上がっただけだ。やがて、曲は終わる。その後、すぐにパイプオルガンの音が流れ出す。長いインスト曲がずっとループ再生されているのだ。

 部屋の中は、窓が締め切られ、暗幕が張られて真っ暗だ。瀬古たちは懐中電灯を点けて大きく部屋の中に歩み出た。コンクリートの地面を擦る靴音が続いていくと、瀬古の鼻が反応する。

「ションベン臭えな……」

 栗原の息を飲む音がした。彼女の持つ懐中電灯の光が照らし出す先に、巨大な機械に固定された車椅子と、そこに腰かける男の姿があった。

 ズボンの中を汚物に塗れさせ、頬も顎も口まわりもヒゲだらけになってやせ細った男は、辛うじて命を繋いでいた。首元には猿轡だったと思われる帯が垂れ下がっていたのだが、もはや助けを呼ぶ力も残されていないようだった。すぐに救急隊が駆けつけ、男は病院に搬送されることになった。


 搬送された被害者・宗谷篤そうやあつしは長期間の低栄養状態が続いていた。そのため、急激な栄養投与によって引き起こされるリフィーディング症候群という危険な症状を避けるための処置が続けられた。搬送先の病院では、宗谷への追撃が懸念され、その警護のために多数の警官が配備されることになった。


***


「とにかく、次の犠牲者を救い出せたことは、我々の勝利と言える。今後は宗谷さんの回復を待って、事件の状況を聴取することになる。吉野に共犯者がいるのであれば、その特定はなんとしても果たさなければならない」

 捜査会議の最後に関永が激励を行った。栗原は浮かない顔でメモ帳を閉じた。瀬古がやって来る。

「なんだ、辛気臭い顔して」

 栗原は関永たち共同捜査本部の首脳陣が部屋を出て行くのを見届けて言った。

「もうOCASの存在はなかったことに……。手柄を横取りしてるみたいで、スッキリしないんです」

「そう言うな。あんなことがあった以上、あの部署は凍結せざるを得なかったんだ」

「いや、分かりますよ。刑事が被疑者を殺すなんて、あり得ないですもん。それに、記者への暴行疑惑……あれだけニュースになったら、どうしようもないですし」

 寺田が吉野を殺害してから、メディアは警察に対する大バッシングを始めた。そういう意味では、宗谷の救出劇というのは一服の清涼剤のようなものではあった。

「分かってるなら飲み込め」

「宗谷さんを助けられたのは、OCASが頑張ったおかげですよ」

 宗谷は仙堂が利用していた元やくざの情報屋だった。いわゆる、秘密情報提供者というやつで、情報を提供する代わりに過去の罪に目を瞑ってもらっていた。

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