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 OCASの部屋に戻ると、憔悴した寺田が椅子に座って、テレビを点けたモニターにボーッと見入っていた。

『──……における被疑者への暴行があった可能性を示している。そこで、当番組では警視庁への取材を敢行。しかし、事実関係を確認するという回答に留まった』

「これ……」

 三田村が画面を指さす。報道番組が独占スクープと称して、警視庁内での尋問中の被疑者に対する暴行を取り上げていた。

「あのウェブ記事の運営会社はこのテレビ局の系列ですね」

 鶴巻が溜息交じりに言う。

「正月から暇なことだよ、ホントに……」

 宇和島が首を振りながら自分の席に戻っていく。少し気が落ち着いてきたようだ。寺田は力なく俯いて頭を抱えた。仙堂がいきなり近くにあったゴミ箱を蹴っ飛ばした。大きな音がして、中身の入っていないゴミ箱が部屋の隅に転がっていった。しんと静まり返った部屋の中、OCASのメンバーたちは仙堂の眼に抑えきれないほどの怒りが湛えられているのを見た。


***


 一月五日の月曜日が九条の通夜式となった。年始早々の平日の日取りにもかかわらず、斎場は多くの喪服姿で溢れていた。焼香を終え、OCASのメンバーたちは通夜振る舞いの席でひとつのテーブルを囲んでいた。

「お前たちは来なくてもよかったんだぞ」

 仙堂が言うと、宇和島は三田村と鶴巻の顔を順番に眺めて、

「あの建物にいると肩身が狭くて……」

 とうそぶいた。吉野の尋問中の怪我について、関永はメディアの取材に対応するハメになり、OCASはますます刑事部内での立場を危ういものにしていた。

「あれも吉野の思惑通りだったのかもしれません。こうやって、組織を引っ掻き回すことで、破壊的な衝動を満たそうとしている」

 連日の吉野への尋問も成果はなく、捜査一課は日々仙堂たちへのプレッシャーを強めていった。メディアは記者クラブ内で吉野が次の犠牲者の存在を示唆していることは把握していたものの、報道協定によって公表を控えている。とはいうものの、メディアとしてのストレスの捌け口は、とある被疑者への警視庁内での尋問中の暴行疑惑報道として噴出し始めている。それだけではない。過去に流れた警視庁内におけるパワハラやセクハラ、押収品の横流しなどの疑惑も掘り返され始めている。その文脈で、メディアは暗に問いかけているのだ。次の犠牲者は助からないのではないか、と。

「あんなクズ、吐くまで痛めつければいいんだ」

 寺田がそう呟いて、コップに入ったビールを一気に呷った。乱暴なその言葉に、誰も咎める者はいなかった。

「九条さんはどういう方だったんですか?」

 鶴巻が尋ねる。仙堂は懐かしそうに目を細めた。

「戸板に水を流すように喋りまくる人だった。学生の俺たちは圧倒されるしかなかった。だが、いつも興味深い視点で話をしてくれるから退屈はしなかったな」

 寺田がガクリと肩を落とす。三田村が勤めて明るく応じる。

「へえ~、まさに教授って感じですね。ウチの大学にもそういう教授いましたよ」

「え、斎くんって大学行ってたの?」

 宇和島が疑いの目で三田村を見つめる。

「いや、どういう意味だよ」

 仙堂は微笑んだ。

「九条先生はゼミの学生を自宅に呼んでカレーを作ってくれるんだ。馬鹿みたいにこだわりまくったのをごちそうしてくれた。うまいんだ、これが」

 懐かしむ顔を初めて見たのか、三田村は虚を突かれたように口を噤んだ。その隣で、寺田が無言のまま立ち上がって、座敷を出て行った。鶴巻が残念そうな瞳をその背中に投げかけている。ここ数日で彼の心がすっかりガサガサに乾いてしまったのを感じていただけに、束の間の気休めも与えられなかった自分の無力感を悔いているのかもしれない。

 少しして、仙堂も無言で立ち上がった。その目が、あとの三人に「ちょっと待っていてくれ」と告げる。


***


 斎場のホールを抜けて、奥まったところにある自販機の影に寺田の丸まった背中を認めた仙堂はゆっくりと近づいていった。

「大丈夫か?」

 寺田の背中がびくりと反応した。振り返ったその顔は蒼白で、思い詰めたような壮絶さがあった。

「九条先生が死んじゃいました」

 それを今になって初めて知ったかのように寺田は言った。

「……そうだな」

「なんでもっと早く被害者の共通点を教えてくれなかったんですか」

 確信が持てなかった、という言葉は仙堂の喉に引っかかった。

「もっと早く俺たちに言ってくれれば、救えたかもしれないじゃないですか」

 寺田の頬を一筋の涙がすっと伝っていく。

「すまない」

「俺たちのことがそんなに信用できないですか」

「そういうわけじゃない」

 咎めるような寺田の目が、次の瞬間には伏せられる。

「俺たちが殺したも同然ですよ、九条先生を」

 仙堂は彼の言葉を受け止めて、静かにうなずいた。

「奴の一番の共犯者は俺たちなのかもしれない」

「あいつが殺したんですよ、先生を」

 今しがたの言葉と矛盾しているようで、仙堂には寺田の声が自然と心に馴染んだ。

「奴を許すことは到底できない」

「まだ犠牲者がいるというのは本当でしょうか」

「九条先生は奴の言う通りに見つかった。おそらくは本当だ」

「もう救えないかも」

「奴の口を何としても割らせないと」

 寺田は仙堂の目の中を覗き込んだ。

「次の犠牲者に心当たりは?」

「見当もつかん」

 寺田は猜疑心を宿した声を漏らす。

「俺たちに何か隠してないですか?」

「隠していることなどない」

「九条先生は死んだんですよ」

 訴えかけるような声だった。寺田の中で様々な感情が渦巻いて好き勝手に飛び出そうとするのを、彼がなんとか押し留めているように仙堂には見えた。

「九条先生はよく言ってただろ。じっと現実を見据えれば自ずと答えは見えてくる。お前が俺を信用できないのは解ってる。だが、お前の中には九条先生の思いが残ってる。もちろん、俺の中にも。自分の胸の中からの声に耳を傾けろ。そして、その気持ちを大切にするんだ」

 ゆっくりと囁くように口にした言葉を、寺田はひとつずつ飲み込んで行った。次第に呼吸が深くなっていく。仙堂は彼の背中を叩いた。

「戻ろう」

 寺田はうなずいた。

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