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 しばらくして着替えがやって来て、吉野がスウェットを替えると、仙堂は強張った表情で取調室に足を踏み入れた。吉野の向かい側に座った仙堂は、じっと相手を窺った。

「楽しいか?」

 吉野はにんまりと笑った。それが答えだった。

「なぜ九条先生を狙った」

 仙堂の声が微かに震える、それを察知してか、吉野は目を細めた。

「面白そうだからですよ」

「面白さのために人を殺すというのか」

「僕の目的はすでに話したはずですよ」

「人を殺すことがお前の母親を生き返らせることには繋がらない」

 吉野は笑みを消した。

「人が生き返るはずないというのは知ってますよ。いちいち教えてくれなくて結構」

「で、お前は俺たちと知恵比べをしたいんだろ? 何か言うことはないのか? 次の犠牲者について」

「九条が死んで悔しいでしょう? 馬鹿どもに任せていたせいで、助けられたはずの命が救えなかった」

「できることなら、お前にも同じ気持ちを味わわせてやりたいくらいだ」

 吉野は表情をパッと明るくした。

「やっと七年前の僕に近づいてくれたじゃないですか。僕たちはお互いに与え合ってる」


 マジックミラーを隔てて、三田村が首を捻った。

「どういうことだ?」

「つまり、吉野は、仙堂さんに自分が受けた苦しみを味わわせようとしているということです」


「たったそれだけのために」仙堂が言う。「こんなことを?」

「仙堂さんは何のために刑事を? この世界で悪人を取り締まる意義があると考えてるんですか?」

「お前のような人間が溢れる世の中に安寧はない」

「第一線で汗みどろになっていたあなたは、自分をつまらない場所に飛ばした警察組織が憎いはず」

「何が言いたい」

「組織は父親みたいなものです。そこに取り込まれた人間は子どもに過ぎない。子どもは父になりたがりますが、やがて父を排除しようとする。でも、父の力の前に無力であることを悟るんです」


 鶴巻が呟く。

「エディプス・コンプレックス……」

「なんだ、それ?」

「子どもが父親に対して強い対抗心を抱くという考えで、フロイトが提唱したものです」

「なんでそんなことを話してるんだ、あいつは?」

「そもそも、この考えでは、子どもは母親を手に入れようとして父親に対抗心を抱くと説明しています」

 三田村は吉野を見つめた。

「奴には、もう母親はいない……」


 仙堂は溜息をついた。

「お前の戯言には付き合いきれん」

「鶴巻さんと話がしたいです」

 吉野が短く言った。鶴巻が顔面を硬直させた。仙堂は自分の背後の鏡を振り返ると、仕方ないと言うように立ち上がって隣室にやって来た。

「奴がお前との対話を求めてる」

「分かりました」

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