8
取調室に近づくなり、向こうから鶴巻の声がする。寺田が叫んでいるのが外まで聞こえてくる。
「来て下さい!」
仙堂が駆け出して取調室に入ると、寺田がものすごい形相で吉野を押さえつけていた。吉野のスウェットの首元はビリビリに引き裂かれている。仙堂と三田村が寺田を引き剥がすと、吉野は大声を上げて笑い出した。
「何があった?」
息の上がった寺田が後ずさりして、部屋の壁に背中をぶつけると、そのままゆっくりと腰を落として尻を床につけた。寺田は泣いていた。握った拳を顔に押しつけて、声もなく涙を流していた。鶴巻が彼のそばに膝を突くが、何もできずに固まってしまう。
「何を言った!」
仙堂が吉野の首元に余ったスウェットの生地を掴んで自分の顔に引き寄せた。
「自分への怒りでおかしくなっちゃったんじゃないですか?」
吉野はにやけ面でそう答えた。仙堂は投げるように吉野を押し戻して、イライラしたようにその場を歩き回った。
「ああ……、九条が死んじゃって残念でしたねぇ」
吉野が笑うと、仙堂は歯を食いしばって拳を彼の左頬にぶち込んだ。「グギッ」という吉野の声が漏れたが、彼は愉快そうに歯を見せるだけだ。堪えきれない笑いを押し殺すように、上体を捩っている。宇和島は廊下からその様子を見ていたが、顔をグシャグシャにして取調室の隣の部屋にずんずんと突き進んで、その奥、マジックミラーの向こうが見えない場所に椅子を引いて座ると突っ伏した。
「俺一人でやる。みんなは隣にいろ」
仙堂が言うと、三人は黙って部屋を出て行こうとする。寺田が去り際に吉野を睨みつけると、吉野は笑った。
「あんた、刑事に幻想を抱き過ぎなんじゃないの? あんなゴミ捨て場に戻りたいと思うのは、あんたが紛れもないゴミだからだよ」
「やめろ」
仙堂が静かに遮ると、寺田は無言のまま部屋を出て行った。
「みんな、相当堪えてるみたいですね。些細なことで感情を動かし過ぎだ」
「黙ってろ。今、着替えを持ってこさせる」
吉野は自分の胸元を見下ろした。
「また記者に嗅ぎつけられるんじゃないですか? 大丈夫ですか、OCASは?」
微かに驚きの表情を見せた仙堂を、吉野は見逃さなかった。
「病院に記者がいたでしょ。きっともう今頃は僕が怪我したことを記事にしてるでしょうね。あいつらは警察を叩くためには殺人犯も利用する。死体に群がる蛆虫と同じなんですよ。可愛らしい連中じゃないですか」
「次に余計なことを言ったら殺す」
低い声を飛ばした仙堂に、吉野は嬉しそうな笑みを返す。
「どうやって殺します?」
仙堂は吉野を無視して部屋の外に出ると、開いたドアの脇に寄り掛かって、着替えが到着するのを待った。寺田をOCASの部屋に連れて行った鶴巻が戻ってきた。その表情は仙堂を心配するかのようだ。
「吉野は誰かをコントロールするために自分自身を演じているように感じます」
「解ってる」
「吉野は、自分の想定よりも先に警察に連行されたことで、九条さんが発見されるのを先延ばしにする必要があったんだと思います。だから、自分の身体を傷つけた。そういうことを厭わない。だから、どの被害者を選んだかというのも理由が──」
「すまんが、今は犠牲になった人のことを考えさせないでくれ」
懇願するように言う仙堂に、鶴巻はハッと息を飲んだ。
「すみません。つい……」
仙堂が、自分の肌が白くなるほど拳を握り締めているのを見て、鶴巻は去り行く人を引き留めるような口調で言った。
「吉野に支配されないで下さい」
仙堂は、今度は振り返った。
「判ってる」
鶴巻はうなずいて、マジックミラーの部屋に入って行った。
「具合悪いなら医務室行くか?」
三田村が宇和島の背中をさすっていた。宇和島は奥の机に突っ伏したままくぐもった声を返した。
「そういうんじゃないからいいよ……」
鶴巻が小声で三田村に言う。
「毒気に当たって参ってるんだと思うんです。落ち着くまで待っていましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます