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 大晦日、夕闇が近づいていた。昨日までの雨は止んで、凍結した地面から冷気が染み出している。埼玉県内の山間の街にパトカーのサイレンが棚引く。

『発見された車は九条実篤さんのものと確認。周辺の車両は急行して下さい』

 砂利と草の入り混じった空き地の向こうで小高い山の稜線がオレンジと深い紫のグラデーションを切り取っている。少し風が吹くと、色を失った草がざわざわと囁き合う。

 空地の隅にワンボックスカーが停まっている。空き地とひび割れたアスファルトの舗装道路の境には、私有地だということを示す色褪せた看板が立っていた。そばに停まったパトカーのそばで、無線機を手にした警官が喋っている。

「私有地なんで、所有者を探したいんですが、住所は……──」

 しばらくして、応援のパトカーも姿を現す。土地の所有者情報を得た警官二人が、少し離れた場所にある森に囲まれた日本家屋に向かっていった。表札には「大倉」とある。大晦日で親戚一同が集まっていたらしい。警官たちが戸を叩くと、家の奥から賑やかな声が聞こえてくる。支度中の夕食のにおいが戸口まで広がる。

「車ですか?」

 現れた女性は口元に手を当てて、家の中を振り返った。大声で誰かを呼ぶと、この家の主らしい白髪の男がやって来た。

「ああ、九条先生のじゃないかな」

 警官たちは配布されていた九条の顔写真を見せた。

「そうそう、この人。……何かあったの?」

 聞けば、二週間ほど前に九条がやって来て、私有地内での調査をしたいと申し出てきたらしい。

「ウチの、あの……山間のところに井戸があるんですわ。それを調べたいんだと言ってましたよ。別にいいですよと言ったら、調査に時間がかかるんで、長いこと出入りするかもしれないと言うんで、勝手に出入りしていいと言っておいたんです」

 警官たちが事情を説明すると、主は血相を変えて靴を履いた。警官二人を伴って、暗い山の方へ向かっていく、少し行くと、廃屋が現れる。

「昔の母屋なんですけど、竹にやられましてね……」

 警官たちが懐中電灯を向けると、朽ちた家屋が竹藪に飲み込まれているのが見えた。

「井戸っていうのが、ここの裏にあるんですわ」

 主が指さす方に石造りの井戸の口が座り込んでいる。井戸には鉄パイプで釣瓶が組まれている。警官たちは顔を見合わせる。事前に警視庁から情報共有されていた状況に酷似しているのだ。しかも、その釣瓶から真っ直ぐにロープが垂れ下がっている。ロープは風が吹いてもびくともしない。

 二人の警官は主を少し離れた場所に立たせたままにして、井戸に近づいていった。蠅の羽音がする。緊張の面持ちで井戸の中に懐中電灯を突っ込むと、暗い穴の底の方に人がぶら下がっているのが見えた。どこからかやって来た大量の蠅が我が物顔でヴェールを着せていた。

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