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九条くじょう先生は?」

 寺田はその名を口に出すのも憚られるように仙堂に視線を送った。

「誰です、それ?」

 三田村が二人の顔を窺うようにした。仙堂が複雑な表情を浮かべている。

「俺と寺田は同じ大学の出身だ。その大学で歴史学の教授をしているのが九条先生」

「共通の知り合いなんですか?」

 鶴巻が意外そうに目を丸くする。寺田がうなずく。

「俺にとっても仙堂さんにとっても恩師なんだ」

 三田村が声を漏らす。

「へえ、初めて知りました。でも、歴史学?」

「九条先生は、あの大学出身の警察官なら知らない人はいない。分析力と推理力を備えた人で、その思考プロセスを学ぼうとして師事する学生が多いんだ。俺と寺田は年代は違うが、二人とも九条先生のもとで学んだ」

「何年か前の九条先生の誕生日会で偶然仙堂さんと会って、それで分かったんだ」

 三田村は感嘆の声を上げた。しかし、仙堂の難しそうな表情は変わらない。

「だが、九条先生となると、吉野はかなり俺の人間関係を調べ上げていることになる。こんなことは考えたくないが」

「あくまで可能性のひとつです。僕だって考えたくありませんよ」

 鶴巻がパソコンを操作する。

「じゃあ、九条さんも一応リストに入れておきますね」


***


 十二月二十九日午後二時過ぎ、警視庁内の共同捜査本部──。

捜査一課は、九条実篤くじょうさねあつの家族が彼と連絡が取れなくなっていることを確認した。家族の話によれば、研究の一環でフィールドワークに出ているのだという。

「年末にか?」

 乙部が怪訝な瞳を瀬古に向ける。

「研究熱心な方だそうで、時節関係なく飛び回ってるんだとか……」

「フィールドワークということは、大学側は九条さんの動向は掴んでいるのか?」

「それが、大学側では一切関知していないとのことです。それから、九条さんの自宅から彼の車が消えているので、現在はその行方を追っています」

 別の刑事が立ち上がる。

「その車の行方ですが、防犯カメラ等の映像から、埼玉方面に向かったことが確認できています」

「埼玉県警と連携を取り、全力で九条さんの行方を追え。忘れてはならないのは、九条さんはあくまで可能性のひとつということだ。他の線を追う人間も手を抜くことのないように。吉野の言葉が本当なら、今も苦しんでいる被害者がいることになる。考え、行動し、最善の結果を尽くせ」

 捜査会議が終わると、関永は乙部を手招いた。

「OCASには引き続き吉野に尋問をやらせろ。質問項目を作っておけ。口を割らせろ」

「かしこまりました」

 部屋を出て行く関永を見送ると、乙部は瀬古を呼んだ。

「OCASにやらせるんですか?」

 乙部の言葉に瀬古は戸惑いを隠せない。

「関永さんのことだから、OCASの連中を遊ばせておくわけにはいかないんだ。とにかく、あいつらには好き放題させないようにしっかりとコントロールしておけ」

 瀬古は従順に頭を下げた。


***


 夜になって、両手に包帯を巻いた吉野が取調室に連れられてきた。マジックミラーの彼を横目に、瀬古が話をする。

「奴の体調を考慮して、一時間だけ尋問が許されました」

 彼は手元の二つ折りの紙ファイルを仙堂に手渡した。他のメンバーは、非番かOCASの部屋にいることを余儀なくされている。

「それが尋問内容です。我々もここで内容をチェックさせてもらいます」

 向こうで栗原がうなずいた。

「ここに書いてあること以外は話せないのか? 奴が脇道に逸れたらどうする?」

「尋問内容に引き戻して下さい。ただし、穏便に」

 瀬古が釘を刺すと、仙堂はゆっくりとうなずいた。彼はファイルを手に吉野の待つ部屋に向かった。


***


「ああ、仙堂さんじゃないですか。無事だったんですね」

 吉野は前と変わらない笑顔で仙堂を出迎えた。

「怪我人に心配されてたとはな」

「これくらい、大したことじゃないですよ」

 吉野はそう言って、痛々しい両手をブルブルと振ってみせた。仙堂はゆっくりと吉野の向かい側の椅子に腰を下ろして、吉野に見えないようにファイルを開いた。

「捜査は進展してますか?」

 していないことを知っていると言いたげな、暗い笑みを吉野は浮かべる。

「そのことでお前に聞きたいんだが」仙堂が吉野に目をやる。「次の犠牲者は誰だ?」

 心を覗き見るような眼差しを向けていた吉野はじっとりと微笑んだ。

「頭の中で誰かを描いた時、仙堂さんはその誰かを殺しているんですよ」

「どういう意味だ?」

「そういう意味で、僕と仙堂さんは共犯者ともいえる」

 仙堂は不快感を包み隠さず吐き出した。

「勝手なことを抜かすな。次の犠牲者について喋れば、ある程度の心証は保たれることになるぞ」

「そんなものに興味がないことは仙堂さんも解っているはずですよね」

 仙堂は溜息をついて紙のファイルに目を落とした。

「次の犠牲者はどこにいる?」

「鶴巻さんはいないんですか? 彼女と話をしてみたいな」

「質問に答えろ」

「インクの染みに気づいたのは彼女ですか?」

 仙堂は目を逸らして小さく鼻で笑った。

「そんなことはどうでもいいことだ」

「宇和島さんに気づけたとは思えないんですよね。どう思います?」

 笑みを浮かべて尋ねる吉野を仙堂は無視した。

「島原さんと倉敷さんをどうやって知った?」

「急に趣向を変えてきましたね。面白いですよ。だけど、その答えを仙堂さんはもう知っていますよね」

「金蘭倶楽部か」

 吉野は不敵な笑みをこぼした。

「金を断ち切り、蘭のように芳しい……面白いことを言う」

 仙堂は再びファイルに目をやる。

「彼らをどうやって誘導した?」

 一瞬だけ、吉野の目が大きく見開かれた。それを隠すかのようにすぐに悪戯っぽい笑いを漏らした。

「そろそろ絵本を読むのをやめたらどうです?」

「なんだと?」

 吉野の目線が仙堂の持つ紙のファイルに向けられている。

「おおかた、一課の人間にそれを訊くように言われたんでしょう。あなたがそんなことを訊くはずがない」

 仙堂はファイルを閉じてしまった。マジックミラーの向こうでは瀬古たちが身構えていた。余計なことを始めようものなら、即座に取り調べは中止になる。

「どのみち、俺たちはお前のやったことを全て明らかにする」

「あなたがそんなにつまらない人間だとは思いませんでしたよ。無能どもの飼い犬にはならないと信じてました」

 吉野は急に興味が失せたように机の上の一点を見つめて動かなくなってしまった。仙堂は黙って立ち上がると、部屋を出て行った。瀬古は栗原と視線を交わして、何とも言えない表情のまま、吉野が留置場に戻されるのを見送るしかなかった。

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