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「いや、ちょっと待て」寺田が合点がいかない様子だ。「事件の性質からも吉野の人間性からも、とても共犯者がいるとは思えない」

「でも、事件は進行中なんですよね」

 三田村は希望を見出したいようだった。仙堂が冷静に言う。

「あるいは、助けられる、という嘘をついているのか」

「何のためにそんな嘘を?」

 三田村がそう尋ねると、鶴巻が考えを口にする。

「吉野は私たちに心理的なプレッシャーを与えています。それに、警察が無能だから犠牲者が出るという主張を一貫させています。だから、次の犠牲者も本当は助けられるはずだったのに、警察が無能なせいで助けられなかったんだ、というように私たちを攻撃したいのかもしれません。そのために嘘をついていると考えることもできます」

「じゃあ、すでに手遅れってことなのか……」

 三田村の眼から希望が炭酸の泡のように浮かび上がっては弾けていく。仙堂の中で、再び吉野と対峙する覚悟が出来上がっていった。

「吉野は弁護士をつけることに興味がないらしい。妹が弁護士を呼んだが、吉野に追い返された」

「つまり、自分の処遇に関心がないということですか」

 寺田の言葉に仙堂がうなずく。鶴巻は心配げだ。

「私は反対です。吉野は仙堂さんや私たちを翻弄しようとしています。きっと、私たちが苦しむのを見たいだけなんです」

「じゃあ、このまま黙って見ていろと?」

 現実を突きつけられると、鶴巻は返す言葉がなくなる。仙堂はデスクからタブレットをすくい上げて歩き出した。


***


 再び取調室に現れた吉野は、相も変らぬ薄ら笑いを浮かべてマジックミラーの向こうに目を向けた。

『やっとお話してくれる気になったんですね。独りで寂しかったですよ』

 吉野は緩やかに固い椅子に腰を下ろした。仙堂が部屋に入って行くと、吉野はニコリと微笑んだ。

「何か進展はありましたか?」

 仙堂は吉野の向かい側の椅子に腰を下ろした。

「いいか。俺たちはお前と談笑するために時間を設けているわけじゃないんだ」

「金蘭倶楽部の人たちの無事を確認した頃合ですか?」


 吉野の黒い瞳が仙堂を真っ直ぐに捉えた。吉野を見つめる宇和島が苦い顔をする。

「バレてんじゃん」

 仙堂は吉野の言葉に応えなかった。


「弁護士を追い払ったそうじゃないか」

「僕には必要ありませんからね」

 仙堂はタブレットの捜査資料を眺める。最新の情報に更新されている。

「ライフル銃に残された指紋とお前の指紋が一致した。手袋をしなかったのか?」

 吉野は仙堂に無表情の視線を送る。

「次の犠牲者のことは諦めたんですか?」

「ラ・ポーズの樹のオブジェを制作した会社でもわざと防犯カメラに自分の痕跡を残したんだろう。最初から捕まるつもりだった」


 寺田は仙堂の狙いを察知して小さく笑った。

「北風と太陽か」


 仙堂は続ける。

「母親が死んで独りぼっちになって寂しかったのか? 留置場でも寂しかったんだろう?」

 仙堂が畳みかけるが、次第に吉野の口角が上がっていく。ついに歯を見せて、吉野は愉快そうに肩を揺らした。咳のような笑い声が取調室をたゆませる。

「仙堂さん、焦ってますね。そういう人間臭いところを見たかったんですよ。可愛いところあるじゃないですか」

 仙堂は笑い返したが、その目は怒りを燻らせている。

「お前、遊んでるだろ」

 吉野は込み上げる笑いを喉の奥に押し込めようとしている。

「是非、もがいて苦しんで下さい」

「頭を下げればヒントを出してくれるのか?」

「そういう情に訴えかけるようなやり口は嫌いなんです。だって、馬鹿がやることですからね。……そうだ、ひとつ僕のお願いを聞いてほしいんですけど」

「内容による。ピザは取ってやれないぞ」

「食べ物はどうでもいいんです。小口印から図書館を割り出した人と話をしてみたい」

 仙堂はじっと考え込んだ。マジックミラーの向こうでは、宇和島が顔を引きつらせている。今にも逃げだしそうな面持ちだ。


「マジかよ……。あんなのと話したくないよ……」

『もしその人と話させてくれれば、ヒントを差し上げてもいいですよ』

 吉野が言う。寺田が宇和島の肩を叩いた。

「そういうことだ。頑張れ」

「マジですか……」

『ちょっと待ってろ』

 向こうで仙堂が立ち上がって、こちら側にやって来る。

「宇和島、聞いてただろ。どうだ?」

 仙堂に迫られて、宇和島はたっぷり考え込んだ。

「誰かと一緒なら──」

『できれば二人きりで話したいです』

 まるでこちらを見ているかのようなタイミングで吉野が言った。

「ということらしい。すまんが、頼む。取り調べ監督もいる。安心しろ」

「……そういう問題じゃないんすよねぇ」

 そう言いながらも、宇和島は渋々立ち上がった。

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