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 仙堂は神経をすり減らしたようにこめかみを揉み解した。そんな仙堂に攻勢を仕掛けるように吉野が前のめりになる。

「どうやって僕が犯人だと分かったんですか?」

「島原さんの胃の中にお前が残した本の一ページだよ。そこに残されていた小口印のインクから蔵書元の図書館を割り出した」

 吉野は嬉しそうに歯を見せた。

「僕の想定通りにやって来たんですね」

「わざと手掛かりを残したのか」

「そうじゃなければ、こうしてお話しできませんからね」

 仙堂の眉がピクリと反応する。

「それがお前の目的か」

 吉野ははぐらかすように椅子に深く腰掛ける。

「でも、僕の想定より早かった。あれに気づくのも、図書館に辿り着くのも、もう少し後になると思っていたんですよね」

 仙堂の脳裏に英梨花の顔が浮かんだが、そんなことを目の前の殺人鬼に伝えることなどできるはずもなかった。

「お喋りをしている暇はないんだ。次の犠牲者は誰なのか教えろ」

「インクの染みから小口印を再現するのに時間がかかるはずなんですけどね。どうやったんですか?」

 仙堂は諦めたように息をついた。吉野はギブアンドテイクを望んでいる……そう思い至ったからだ。

「インクの染みのパターンと全国の図書館名の文字列の形を横にスライスした断片パターンを比較したとか言っていた」

「誰が言ったんです?」

 好奇心に駆られるような眼差しだった。仙堂は隙を見せた自分を恥じながら答えるしかなかった。

「宇和島というエキスパートがいるんだ」

 笑みを浮かべながら、宇和島の名前を反芻する吉野に仙堂は語気を強めた。

「お前の目的は何なんだ?」

「さっき、仙堂さんと話すことか僕の目的なのかって聞きましたよね。あれは半分正解ですよ。僕が望むのは──」


***


 乙部が珍しく感情的になっているのを、共同捜査本部が置かれた会議室に居合わせた刑事たちは黙って見つめた。取調室から半ば強制的に排除されたのは、彼にとって屈辱的なことだった。

「奴は次の犠牲者がいると言っていました」

 そう切り出すのは、OCASの部屋にそのことを伝えに来た刑事だ。

「そんなことはどうでもいいんだよ、瀬古。俺たちはプライドを踏み躙られた。出来損ないどものせいでな」

 そう言って乙部は本部に置かれたホワイトボードを殴りつけた。ペンが数本床に散らばる。それを拾う者は誰もいない。

「でも、乙部さん、俺たちは自分のやるべきことをやらなければ……。奴は言っていました。次の犠牲者を助けたかったら、仙堂を呼べと」

「どういうことだ? 次の犠牲者はまだ生きている?」

「奴の言葉を信じるなら、そういうことになります」

 乙部は感情を振り払って、刑事たちに向き合った。

「奴の周辺を徹底的に洗え。家族、勤務先、交友関係、過去、金の流れ……被害者との接点が必ずあるはずだ」

 刑事たちが一斉に返事をする。


***


「僕が望むのは、僕の母を返すということ以外にありませんよ」

 全く想像していなかった切り口からの言葉に、仙堂は息を詰まらせた。

「……母?」

「吉野椿。七年前に、ある駅のホームで電車に轢かれて死んだ」

「申し訳ないが、死んだ人間を生き返らせることなどできない」

「あんたが殺したんですよ、僕の母を」


 二人を見守る三田村が不可解なものを吐き出すように声を上げる。

「仙堂さんが殺した? そんなことあるわけ……」

 寺田が三田村の口を閉じるように腕を伸ばす。寺田と仙堂の声が重なった。

「七年前……」

 向こうで仙堂が心外そうに眉をひそめた。


「勘違いをしているんじゃないのか? 俺は人を殺したことはない」

「母は溢れ返ったホームから弾き出されて、通過電車に撥ねられたんです。なぜ母は死ななければならなかったのか」


「妄想で仙堂さんを恨んでるんじゃないの?」

 宇和島が小さく言う。三田村は、

「あいつのことを調べる必要があるな」

 と言って、部屋を出て行った。

「私も行く」

 宇和島もその後を追って行った。マジックミラーの向こうで、吉野が口を開く。


「ホームが人で溢れていたのは、付近で車の事故があったせいで交通規制が敷かれ、その煽りを受けて電車を使う人が膨れ上がったから。あの辺りは車の利用者が多かったから、一時的に駅は麻痺状態に陥った。その原因を作ったのはあんたなんですよ」

「……あの事故か」

 仙堂の瞼の裏に炎上する白いSUVが浮かぶ。

「あんたが母を殺した」

「そんなことを言うために、こんな馬鹿げたことをしているのか?」

「お前が母を殺したんですよ」

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