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 資料に目を通していた英梨花の表情が一瞬曇って、彼女は顔を近づけて視線を走らせた。その様子に宇和島は興味深そうに声を掛ける。

「なんかあった?」

「いや、別に……。ところでこの八日の事件の被害者の胃の中から検出された……」

「ああ、本の一ページ?」

「京介に見せてもらったけど、ちょっと調べたら、ネットでも買えるみたいだった。そんなに多く出回っているようなものじゃないから、通販の購入記録を辿ったらどうだろう」

「そこは一課が調べたらしいよ。ネットの方はあらかた購入者の情報が揃って確認進めてるみたいだけど、古本屋とかの実店舗とかになってくると難しいみたいだね」

「まあ、そりゃ、そうか……。本をコピーしたものではない?」

「本に使われてる紙だから、本から破り取った一ページなのは確かみたい。実際にこの本も取り寄せて分析して確かめたんだってさ」

 英梨花は椅子の背もたれに身を預けて考えを巡らせた。

「犯人はこういう西洋の文化に傾倒しているのかもしれないわね。日本にも黒闇天とか運命を司ると考えられている存在はいるのに」

「そういう文化の勉強をしてるとか?」

「それもあるかもしれないわね。でも、日本人の気質として、根底に白人コンプレックスがあって、無意識的に西洋の文化に目を向ける傾向はあるから、何とも言えないけどね。西洋文化への劣等感は、言葉を変えれば、優越感への渇望みたいなものだから、それを被害者の口の中に入れるというのは、優位に立っているという無意識の表れと言えなくもないと思う」

「ああ、なんか鶴巻さんもそんなような難しいこと言ってた。シュージさんとコンビになって仙堂さんとバチバチやり合ってた」

 英梨花は仕方がない、というように笑った。その目がパソコンの画面に向けられて、ある一点で止まった。画像を拡大する。

「これ……なんだろう?」

 英梨花が指さすのは、ページの下辺、本でいう底面の小口に当たる部分だ。小さくて黒いインクの染みのようなものがポツポツとついている。五、六センチにわたって点々とついているインクに英梨花はじっと見入った。

「汚れじゃないの?」

「インクだと思う」

 宇和島が自分のそばにノートパソコンを引き寄せて画面に顔を近づける。

「ホントだ。全然気づかなかった。でも、こんなのが──」

「待って。小口印かも」

「なにそれ?」

 英梨花は自分のバッグから文庫本を取り出す。本の側面に人差し指を這わせる。

「本はページの裁断面があるでしょ。この裁断面に押すスタンプが小口印」

「そんなの見たことない」

「これが自分の蔵書だっていう印みたいなものよ。図書館の中には、小口印を押しているところもある」

 宇和島が目を真ん丸に見開いた。

「図書館からパクってきた本?」

「調べてみる価値はあるかもね」

 宇和島は満面の笑みで英梨花を見つめる。

「さすが英梨花おねえちゃん! ちょっと調べてみるわ」


***


 その夜、さくらが寝入ったのを見計らって、英梨花は仙堂に神妙な面持ちを向けた。テレビは消えていて、リビングは静まり返っている。

「ラ・ポーズと群馬の事件の資料を皐月ちゃんに見せてもらったの」

 仙堂は息を吐きながら天を仰いだ。

「あいつ……、勝手なことを」

 英梨花は思い詰めたような表情をしている。仙堂は不審に思って、居住まいを正す。

「どうかしたのか?」

「ねえ、被害者の島原さんと倉敷さんって……」

 仙堂はその名を聞くなり、視線を逸らして諦めたような表情を浮かべる。英梨花は身を寄せる。

「二人とも〝金蘭倶楽部きんらんくらぶ〟の──」

「隠してたわけじゃない」

 仙堂のその声には、それでもどこか言い訳めいた響きがあった。英梨花には特にそう聞こえたかもしれない。

「やっぱり、気づいてたんだ」

「八日の事件だけでは分からなかった。だが、群馬の事件で疑惑に変わったんだ。倶楽部の面々が犠牲になっていることを。おまけに犯人は警察に挑戦的だ。何かある」

「倶楽部の皆さんにはこのことは……?」

「何人かには連絡してある。だが、混乱させたくはない」

 群馬の事件が発覚した後、OCASのメンバーから離れて電話をかけたあの時のことだ。

「OCASのみんなには?」

「まだ話してない。確証が得られないからな」

「犯人の狙いについて、現時点でどう考えてるの?」

 英梨花の問いに、仙堂は躊躇いがちに答えた。

「俺の周囲の人間がターゲットになっている可能性がある」

 彼女自身も予想していた言葉だったのだろう、英梨花は覚悟を決めたようだった。

「戸締り、ちゃんとしておかないとね」

「とりあえず、三が日までは一緒にいるから、安全なはずだ」

 仙堂はそう言って、英梨花を抱き寄せた。

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