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「とにかく」記憶の中の関永を振り払うように仙堂は口を開いた。「犯行現場に関わるデータは収集する。それが今の俺たちにできる最大のことだ。それは、犯罪捜査でも同じだ」

 鶴巻は心苦しそうにうなずいた。それが最も大変で、最も結果に現れづらいものだと分かっているのだろう。ようやく現実を見始めた寺田も仙堂に同意したが、すぐに難しい表情を浮かべた。

「でも、防犯カメラの映像もろくに残っておらず、目撃者もほとんどいないというのがネックですね。設置業者らしき人間が樹のオブジェのそばに大きな箱を置いて作業しているという数少ない証言はあります」

 鶴巻がタブレットに目を通して首肯する。

「当時、ここのオブジェの設置工事で中庭への通行が一時的に制限されていた上に、オブジェの設置業者はちょうど休憩に出ていましたからね」

 仙堂は中庭を見渡す。中庭へは北と東と南の三方向から入ることができる。北からの入口は建物自体が途切れて大きな通路になっているが、あとの二つは建物の一階部分が通り抜けられる通路になっている。鶴巻は南の方を指さす。さきほど、仙堂たちが入ってきた方向だ。

「通りの向こう側の防犯カメラの映像では、路肩に停めたワゴン車から中庭に向かう人物が台車で大きな箱を運んでいる姿が映っていて、おそらくはそれが犯人だと思われます。さきほどの、樹のオブジェのそばに大きな箱を置いて作業していたというのが、同じ人物でしょう」

 つまり、今の仙堂たちと同じ動線で、その人物は中庭に入ったことになる。寺田は残念そうに付け加える。

「科捜研の話では、その防犯カメラの映像は距離と解像度の問題で、画像の鮮明化を行ってもワゴンのナンバーやその人物の顔などの特徴は分からないままだそうです」

「そして、これか……」仙堂がタブレットの情報を読み上げる。「『中庭に設置された防犯カメラは、犯行当時、入れ替え作業中で、これも機能していなかった』……」

「犯人は偶然を味方につけたようですね」

 寺田が皮肉めいた笑みを浮かべた。仙堂はおどけたように彼に眉を持ち上げてみせた。そして、タブレットケースを閉じる。

「一課の方では、被害者の交友関係と例のワゴン車、胃の内容物の出所から犯人特定に動いている」

「僕たちはどういう線で?」

 寺田が尋ねると、仙堂の目は鶴巻に向けられた。

「この犯行をどう見る?」

「まず、犯人はなぜ十二月八日という日を選んだのかということに焦点を当てると、初めから樹のオブジェと殺害方法を考慮に入れていた可能性を考えずにはいられません」

「つまり、樹のオブジェが設置されることを前提として犯行に及んだ、と?」

「その可能性を考慮してもいいかと思います。となると、このオブジェ設置について詳しいか、よく調べていたことになります。犯人が十二月八日というタイミングと、この場所を選んだ理由はそこにあります。同時に、必ずしも犯人がこの周辺に土地勘を持っているとは限らないことも示唆するでしょう」

「計画が先にあり、それを実行するに相応しいタイミングと場所を選んだというわけか」

「それは、逆の見方をすれば、今回のタイミングと場所でなくてもいいということか」

 寺田がそう指摘すると、鶴巻は苦笑した。

「私もそう考えていて、計画に見合った場所と日時を選ぶとしても、犯人は無意識的に自分が行動しやすいエリアを重点的に検索するはずなので、逆説的に犯人の生活圏が東京周辺にあるということを物語っていると考えます」

「被害者は拷問されていると言ったな。つまり、犯人は被害者から情報を聞き出そうとしたのか」

 仙堂の推測に鶴巻は首を振った。

「拷問は必ずしも情報を聞き出すために行うわけではありません。犯人が自らの望むことをさせようとしていたとも取れますし、単に被害者に心身のダメージを与える目的で行ったとも考えられます」

 仙堂は考えを巡らせた。人差し指を立てて、鶴巻の方を見る。

「被害者にダメージを与えたかったから、火をつけて殺した?」

「犯人が火をつけた時、被害者の意識レベルがどのようなものだったかが判らないので、断言はできませんが、そう考えることもできますね」

「意識が明瞭だったなら、被害者は運ばれている間に助けを呼ぼうとしたはずだ」

 そう仮説を立てる寺田だったが、仙堂は慎重に考えを進めていく。

「いや、被害者は猿轡のようなものを噛まされていたかもしれない」

「仮に声が出せる状況だったとしても、中庭には誰もいなかったので、誰にも聞こえなかったでしょうね」

 仙堂と寺田の間の議論の火花は鶴巻によって、火の手が上がる前に取り除かれた。彼女はそのまま言葉を続ける。

「やはり、特異的なのは、胃の内容物ですね。あれが何に向けられたメッセージなのかによりますが、そこに犯人の意図があることは確かです」

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