1.5 雲合霧集

   5 《雲合霧集》


       *


 星々の輝きも弱まり、東の空から紺色がなじむ。

 北側に佇むグゥルゥ大 狼山脈の頂はいまだ白く、まだ薄暗いというのにもかかわらずその色を際立たせている。その存在感はずっしりと重く、まるで眠りについているかの様に、大気のような静けさを保っていた。

 さんさんとした太陽の眩い光が照らさない所為か、山や森はその活き活きとした躍動さに欠け色せている。

 広い都にはいまだ、まばらだが明りが灯されていた。

 人々の騒めきは無いが、十文道にはちらほらと人の気配がする。

 酔いつぶれて道端に座り込む者や千鳥足の者、見廻り役が巡回する単調な足音、《意気汲いきくみ屋》の人足が大きな桶を駕篭かごのように二人で担ぎ、先導の者が明りを突き出してゆっくりと進んでゆく。

 活気に満ち溢れていた要所はどこも静けさを取り戻していた。

 多くの者が寝静まり、まだ女たちでさえ朝餉あさげの支度すら始めてないそんな頃合い、一人、かまどへ薪をくべる者がいた。

 

 土間に置いた炉鉢の中で寝かせた残り火を、鉄の火鉢で手際よく掘り返すと、男は竈にいくつか放り込む。

 鋭い息を吹き込むと、ぽおっと炭が赤く色立つ。

 火付けの枯れ紐に炭火が渡ると、細く煙をあげたとおもえば、男の息吹に宿されて炎が小さく立ち昇った。

 たちまち炎は小枝に広がり強さを増して太い薪を包んでゆく。日がな乾燥させた薪はすぐさま、樹皮から燃えて熱を保った。

 石を組んだ竈は年季を感じさせ、いたるところ煤けて黒ずんでいる。

 その上に置かれた鉄釜の側面もまた焦げて焼き染めあげられ、よく使いこまれているようだった。

 釜は大きく縁幅ふちはばも厚い。底も深く人が半分はいれるのではないか、というくらいの大釜だ。

 それを支える竈も大きく幅があり横に長い。他にいくつかの鍋釜も置けるように薪をくべる口は三つほど用意されていた。

 

 男の衣服は甚平じんべい姿で、脇の下から白いたすきを結んで衣服のたるみを絞り、額から白布を当てて頭を覆っている姿は、職人さながらといえた。

 左手で右の袖を肩まで捲るとそのまま抑え、空いた右手で火にかけた大釜の中に腕を突っ込んだ。

 大釜には水がはってあり、その中に大量の赤茶色い粒がに浸っていた。

 まだ熱が浸透していないのを知って、男はその釜の中を腕で、という具合に大きく二度かき混ぜる。

 ざらざらと鉄釜に粒がこすれる軽快な音が小さく響く。男はすくうように釜の中から掌をあげると指の間から水が滴っていった。

 手の中には赤い小さな粒がいくつかある。それを軽く握って感触を確かめているようだ。納得したかのように何度か頷くと男は小さな粒を釜に戻す。

 それからすぐに、壁に立てかけてあった大きな分厚い木蓋を両手で持ち上げ、釜口に重ねるとようやく、といった具合に息をついた。

 

 この男――、カンシロの朝は早い。

 まだ多くの人々が寝静まる最中に仕込みが始まる。

 寝る前に小豆を水に浸け込んで、朝一番に火入れを始める。

 他の職人や手伝いの女たちが顔を出すまえから一人、商いの準備に精を出しているのだ。

 それもこれも、受け継がれてきた所作であり、何より生活のためともいえるが、一番の理由は稼ぎ時を見誤らないためだ、と自分に言い聞かせている部分もある。

 二代目の父親は隠居し、譲り受けた看板を守ろうとする意志も強かった。

 祖父はもともと雇われ職人であったが、跡目が居ないことで、師から看板を譲り受けたそうだ。それから父親へ自分へと世代が変わってきた。

 祖父から譲り受けたその年から、苦労は絶えなかったという父親の口癖は、何度も思い返す。幼い頃から作法を仕込まれ、今では父親を超える腕前と、世間からの人気を得たという自負もあってか、常に気持ちが高まってると言えた。

 渋い表情を浮かべている父親の印象が、どこか薄れてゆくような、心のつかえがようやく取れたような、最近では実感してそんな気もしていた。

 あと一つ、足りないと言えば自分に跡目がまだいない、という事だけだろうか。

 どうにもその事が日増しに強く、思い抱くようになっていた。

 だがそれも、もうすぐ解決するだろうと危惧するようなはやる気持ちを、何とか今日まで布団で隠すように抑えていた。

 腕を磨き続けたのはいいものの、嫁も迎えられず悩んでいた時期があった。

 しかし二年前、ようやく祝言をあげられた。

 亡くなった母親は最後まで反対していたが、父親はしぶしぶという具合に了承してくれた。

 次第に日がかさむと父親もようやく嫁に心を開いたのか、自分の娘のように可愛がるようになった。それがどうしようもなく嬉しくて、それから毎日楽しい日々が続いている。

 母親が唐突に亡くなり、気を落とした父親が隠居すると告げた時は正直、驚きと不安が襲い途方に暮れそうになったが、それを支えてくれたのも妻であった。

 愛おしくてたまらない。気持ちが張り裂けそうで、何とか向き合う仕事で紛らわさているようなものだった。

 出会った頃のあの想いは、心に灯ったあの熱い炎は、ぐらぐらと煮え立つ大釜のように、いまだ消えてはいない。

 自慢の妻だ。容姿も性格もそして発する声音さえも。

 だからこそ生まれてくる子も自慢したくなるような玉の子だろう、と勝手な想いが頭を駆け巡ってしまう。思いに耽るだけで、どうしても表情が緩む。

 最愛の妻は手際も良く、仕事もすぐに覚えた。店先に立たせればすぐに客を呼び込む人柄の良さ、丁寧な所作に賢さと物腰の良さで、一緒に働く職人や仲居たちともすぐ打ち解け今では信頼される女将となっていた。

 

 そんな非の打ち所のないような妻が、いつもならそろそろと言う具合に、おまえさん、何から手伝う? と訊ねてくるはずだが、今日はまだ起きてこないようだ。

 いつもなら炉鉢に鉄瓶を置いて茶を沸かす支度をする頃合いなのだが。

 

 顔を出してくる気配を感じない。珍しく寝坊でもしているのだろうか、カンシロは仕方ねぇ、と言わんばかりに短く鼻をすすった。

 いつも精一杯尽くしてくれてるんだ、今日くらいはゆっくり寝かしてやるか、どうせ慌てて起きてくるに違いない、と想像しながらいつも妻がやっている茶沸かしを自分でやりはじめた。

 水瓶から杓子でなんどか水を掬い、鉄瓶の中へと入れ茶葉を振って火にかけた。

 五徳ごとくの上に置かれた鉄瓶はしだいに小さく弾く音を奏でさせた。

 一方では、煮え立つ大釜の蓋の隙間から蒸気が噴出し、ごとごとと木蓋が小さく跳ねる。

 腰に手を当ててじっと熱い眼差しで見下ろしていたカンシロは、そろそろかと頭に過らせると重い木蓋を外して、壁に掛けた大きなヘラを手に取った。

 舟をかいのようなヘラを両手で握りしめると、ゆっくりと釜の中をかき回す。途端にぶわっと蒸気が舞うように広がる。

 ゆっくりと丹精込めて、左へ右へと回してゆく。先ほどまで硬かった小豆は釜の底に当たっても音はしなくなった。

 櫂ヘラの擦るごろごろという音だけが、心地よく響いている。釜の中は十分柔らかくしなやかな出来になっただろう、とカンシロはそこで確信を得た。

 あとは釜揚げして布ですようにして水気をきってから、叩き入れをしてすり鉢でつぶしの段取りに入る。

 その間に砂糖を混ぜる工程があるのだが、いつもは妻がその支度をしていた。

 分量も妻に任せていたので砂糖壺から使う分だけ取り分けていた。

 仕方がない、としぶしぶという面持ちでカンシロは材料置き場の戸棚を開けた。

 戸棚をあけて一番下に大きな壺が二つ。しっかりと密閉されて置かれているが、封を切られている方の口を掴んで手前に引こうとしたが、意外とどっしりとしている重量に少し面食らってか手を滑らせた。

 ごとんと床に鈍い音を立てて壺は倒れ転がる。

 「あちゃあ‥‥‥」

 右手で額を抑えると苦い表情を浮かべた。

 こらあ、どやされると思いつつこぼれ流れ出た砂糖を手で集めようとしたとき、何かに気づいた。

 倒れた砂糖壺の中に、何かが見える。

 凝視するような目でそれを観ると自然と手が伸びた。

 ゆっくりと砂糖の中に埋まっているそれを指先で摘まんで引き抜く。それを自分の顔の前に掲げて見せると、それはとても小さな錦の巾着だった。

 いったい何故、と疑問の言葉が浮かぶ。

 紐を緩めて中身を確認すると小さな玉がいくつも入っていた。

 これまた指先で摘まんで見上げてみると、どうやら飴玉のようなものだった。

 しかしいったい何故、砂糖入れの壺なんかに、と疑念だけが強くなった。

 そもそも、この錦の袋はいったい、と次に思い浮かべた。

 誰の物で何故ここに、しかしすぐに思い当たる人物が脳裏に過る。

 この砂糖入れの壺は自分と妻しか触れることはない。他の雇われ職人でさえ妻が用意してあらかじめ盛られた砂糖しか使わないのだ。

 となるとやはり妻の物か――、でも何故。

 鼓動が大きく一つ高鳴ると、次第に緊張のようなものが身体を駆け巡る。

 不安が心を締め付け胸が苦しくなるのを感じた。

 錦の巾着を握る手が強くなってゆくにつれて、何故、どうして、という言葉で頭がいっぱいになる。

 確かめなければ、と思い立ったときカンシロの視線は床の間の方へと向いていた。

 

 足早に床の間へ向かうとばっと襖を開ける。

 自分が寝ていた布団の脇には妻が寝ている布団がある。

 いつも見慣れた光景が違って見えて仕方が無かった。ゆっくり忍び足のように妻の布団に近づいて恐るおそる布団をめくる。

 ――そこには妻の姿は無かった。

 一枚の赤い袢纏はんてんが丸めて置いてあるだけであった。

 これは妻の物に間違いない、が妻の姿がどこにも見当たらない。

 もしや、驚かせるためにいたずらでもしたのだろうかと勘繰った。

 しばし呆然としたあとカンシロはかわやへ赴き妻の姿を探し、二階へあがっては妻の姿を探した、がどこにも見当たらない。

 庭の物置にでも隠れて居るのかなどにわかに突拍子もない考えさえ浮かんでいた。

 落ち着きのない素振りで調理場へ戻ると、櫂ヘラを握りしめ釜の中をかき回す。

 あとで理由を聴けばいいことだ、そう自分に強く言い聞かせ、そのうちひょっこり姿を見せるだろう、と平静を装って見せた。

 しかり一度浮かんだ疑念は消えるどころか、深みにはまったかのように、頭の中で増殖してゆく。

 錦の巾着など贈ったことはないし、妻がそれを持っていたことも知らなかった。そのことが気がかりで、自分に言い聞かせる言葉全て、強く跳ねのけられる心の高鳴りがうっとうしく、苛立ちのようなものが込み上げてくる。

 カンシロの心中は大釜の中のようにかき乱されていた。

 色鮮やかな錦なんてものは、着飾っても砂糖入れの壺に隠すなんて物じゃない。隠す必要があるからこそ、意表を突くような場所に隠しているに違いないのだ。

 焦燥感のようなものが芽生え、カンシロの表情は険しくなってゆく。

 何故、何故、何故、という言葉が自身を占める。

 櫂ヘラを握る力も強くなり、釜底が擦れる音も平常心を保ててないのを表すかのように、荒く削るような重い音が鳴り響いていた。

 咄嗟に懐へしまい込んだ錦の巾着が気になって、どうにも集中が保てない。

 

 櫂ヘラを雑に手放すと、カンシロは一段高い上がりがまちへと座り込んだ。

 ふさぎ込むような姿勢で、祈るように合掌した指は力が込められている。

 妻だけを一筋に、妻を愛し続け、妻だけを見てきた。

 にも拘らず、ここへきてどこの馬の骨かも知らぬ男の影が脳裏を駆け巡る。

 錦の巾着のせいで疑念が確信に変わろうとしていることに、認めたくない気持ちで心が苛まれていた。

 

 お前の為に、お前だけの為に、どうしても手に入れたいと願い続け、やっとの思いで一緒になれた。

 店が傾く覚悟で見受けの代金を用意した。あちこち駆けずり回って頭を下げてようやく金子きんすを集めた。父親を説得し、母親の反対を押し切ってまで。

 俺は、すべてをお前に捧げる覚悟だというのに、それを裏切ったというのか?

 間違いであってくれ、そうでなきゃ俺が浮かばれない。

 死んだ母も浮かばれない。

 お前の為に、お前と一緒になりたいが為だけに――、のだから。

 


 自問自答するようなカンシロの手は小さく、小刻みに震えていた。

 ようやくが昇ろうというのに、三代目笑福屋の心中は重く沈んでいる。

 火にかけた大釜はぐらぐらと煮え立ち、鉄瓶はとうに沸騰してはやるようにかちかちと音を鳴らす。

 カンシロの耳の中で、その二つの音だけが木霊するように、ざわめいていた。




       *



 七番町の道は紙屑一つ落ちてはいない。

 町民たちの心意気と商人としての矜持が他よりも高い表れでもあった。

 ここは豪商から小さな商いまで商人という商人が集い暮らす場所だ。

 ただ他と違うのはその風格のある町並みと格式の高さ、だろうか。

 端的にいってしまえば敷居も高ければ、売っている物すべてが高い、さらに言えば木造の建物はどれも防壁のように高く、ずらりと看板を連ねている。そしてどの店も折り紙付きの品々を取り揃えているのが特徴的だった。

 裕福な者にはとても重宝され、都の流行りの中心とされている。

 染物や履物、かんざしからくしのひとつ、果ては髪染めや化粧までもがこの七番町から人々に広まってゆく。

 隣の六番町市通りは庶民が通い、七番町の七福通りは金持ち御用達ごようたしだ。

 市通りと違って路地裏や脇道にはいっても、立ち売りや露店などはひとつも無い。商人組合の厳しい取り決めがそうさせている。

 売り物の値段もあいまってか、七番町はどこも閑静な町並みで行き交う人も品のある者達ばかりだった。

 

 いつもなら穏やかな空気が流れている七福通りであったが、今日はどこか違う。

 何やら賑わっている様子で、人だかりが出来ていた。

 では数人の男達、それを見守る少数の野次馬や物珍しそうに窺う通行人の姿が見受けられる。

 

 ヒュウジとタツタは七福通りに差し掛かり、道の行く先でそれに気づいた。

 六番町から真っ直ぐ、大通りである東門道を進み、七福通りへ入り最初の角ですぐさま目に入った。

 ヒュウジは立ち止まり凝視するような視線を向けて様子を窺う。

 店の前には膝をつく男とその肩に手を添える女の姿、二人の前にはの一字を背負った見廻り役たちの姿があった。

 赤い羽織に紅白捻じりの飾り紐を腰から下げている。斜めくだりの陣笠はこれまた朱色に染められた赤備あかぞなえといったところだろう。

 

 それを視認してからヒュウジはぼやくように言う。

 「‥‥‥厄介事になりそうだな」

 タツタも同じ方向に視線を向けつつ小さく頷き同意する。

 「まいりましたね。まさか目前にしてに出くわすなんて‥‥‥」

 すでに目的とされる笑福屋の看板は目と鼻の先にあった。

 寸での所で、という具合に八合わせた見廻り役に、二人は少し躊躇したような面持ちでいた。

 

 見廻り役――、通称マルバンはその名の通り武官方の四帥しすいの一つ、番刑ばんけいの見廻り役人である。

 主に都の治安を守っている存在だ。さらに牢屋の監視から門番までこなし、刑罰執行も担う。そして有事の際は守備兵として《総令》預かりの衛兵の枠に組み込まれる。

 マルハと呼ばれるヒュウジ達、妖魔取締破魔役が妖魔に対して取り締まるのなら、彼らマルバンは人の犯罪行為に対して取り締まる役所やくどころであった。

 しかしながら、《事》が起これば互いに関わり合いが深いこともあってか、度々衝突があった。

 他の役所からは犬猿の仲とも囁かれるほどだ。

 いや実際に犬猿どころか水と油と言って良いほどいがみ合っている。

 その原因ともなるのがなんとも愚かしいことか、人にもともと備わっている矜持からなる縄張り争いだ。

 番刑筆頭、見廻り役など他の下部組織は、都での歴史も長くその誇りも組織内部でひときは強く胸に抱いている。

 それが新進気鋭ともいえる、文官方の、それも寺社預かりである破魔士風情に幅を利かされることが、どうしても許せないらしい。

 高名な妖術師ならともかく、破魔士なら、寺社預かりならば尚のこと、神悩仏心しんのうぶっしんの心得でも唱えていれば良いのだ、と揶揄するほどだ。

 そして何より見廻り役が誇示しているのは、組織の大きさをも比較しているからだろう。

 破魔役は寺社の下部組織ではあるが局侍きょくじであるためその規模も小さく人数も少ない。見廻り役と比べて十分の一にも満たないのが現状だ。

 だが、破魔役には優秀な人材がそろっているのも確かだ。人の手で容易に解決できない事案を彼らは熟している。武芸だけではなく知性も秀でてる者が多い。

 ただし、組織に席を置く者達の出自はさまざまで、身分が低い者も多い。そこがまた見廻り役たちが嘲笑し指をさすところの原因ともいえた。

 しかし隊士たちの大半はそのようなことは気にも留めていない。その素振りがまた鼻につくのだろうか。

 番刑の多くは、特に経歴が長い者は口をそろえる。

 破魔役などいなくとも、いままで通り、我々がなんとかしてきた、と。

 その強い想いが葛藤して、いつまでも馬を揃えることが出来ないでいる。

 

 遠目から見廻り役たちに視線を送る二人は、そのような背景を脳裏に浮かべつつも、やはり、この賑わい様は《女将の死》に関係していることは間違いないようだと頭に過らせていた。

 そうなると《あらため》は彼らの領分だ。割って入ることは不可能であろう。


 立ち去るのを待つか否か、考えあぐねいているヒュウジの袖をタツタは指先でまむ。

 「見てくださいヒュウジ」

 言われてタツタが小さく指さす方へと目をやる。

 何かに気づき、目を細めたと思いきや見開いた。向かいの角の陰に隠れるように男が二人、視線の先に捉えた。

 顔の向きからすると、なにやら同じように様子を窺っているようだ。

 服装は見覚えのある白い羽織。背には丸に破の一文字、その一人の特徴的な赤毛の髪に見覚えがあった。

 《結繩》と同じ赤白黒の飾り紐に、派手な金糸の下がりふさを付けている。これは間違いない、という確信を得てヒュウジはタツタを伴ってその二人の男へと近づいて行った。

 「お久しぶりです。ヒザネさん、ギュウゴさん」

 歩み寄ってくる二人に気づき、赤毛の男は腕を組んだまま上体を少し捻り振り返る。

 男はしばし、同じ出で立ちの二人を見たあと襟袖の刺繍に気づく。

 「‥‥‥おお、アシヤんとこの――、」

 言葉を詰まらせるがヒュウジは察してすぐさま言葉を添えるように告げた。

 「ヒュウジです。こちらはタツタといいます」

 名乗ると二人は丁寧に会釈する。

 赤毛の男はにこりと笑う。艶のある綺麗な髪を、飾り気のない銀のかんざしを二本で髪を束ねている。色男と言って良いほどの骨格と鼻筋の高さだ。

 それに似つかわしくない筋張った太い腕がなんとも印象的である。

 笑顔が良く似合い、どこか親近感を得られるような、柔らかさを持ち合わせている物腰ともいえた。

 「おお、そうだった。確かおやっさんギノキの愛弟子か」

 気恥ずかしさを隠すように、ヒュウジは謙遜する。

 「愛弟子とはいささか、ただ教えを乞う身です」

 ヒザネ、と呼ばれた赤毛の男は軽やかに短く笑う。

 「変わらないさ。それで、なぜこんなところ七番町に?」

 どこか艶めかしさがある目つきで二人を見やる。

 何か面白いことを期待している、そんな目の輝きだった。

 ヒュウジは簡単にという具合にいきさつを話すと、さすが同じ破魔役でもあってか理解が早かった。


 「なるほどねえ、それで笑福屋ってワケか」

 「はい、しかしマルバンがいるとなると‥‥‥」

 顔を横へ向けて、ヒュウジは遠目でマルバンを再度確認する。

 その姿を見て、ねー、とどこか気の抜けたような同意をするヒザネ。

 「奴らいつからあそこに?」

 「さあ、それはぼくも知らないんだよねえ、さっきギュウゴと一緒に蒸かし芋を買いに出てきただけで、たまたま通りかかったらあんな感じ」

 左手の親指を立てて見廻り役の方へ指し示すと、ヒザネはギュウゴの方へと同意を求めるように顔を向けた。

 品がある風格と容姿だが、ヒザネはどこか口調が砕けている人物だった。

 一方、ギュウゴと呼ばれた者は寡黙だ。

 さきほどから一言もしゃべらず、大柄のジンザよりさらに大きいのではないかというくらい衣服の上からでもわかるほど筋骨隆々の大男だ。

 仏頂面で表情も硬く、骨格がしっかりとしている。まるで神話に出てくる武人の像を掘ったのではないかというくらいの存在感がある。

 ――が、その両腕には蒸かし芋の紙包みを小さく抱えている。その姿がどこか不釣り合いともいえた。

 「蒸かし‥‥‥芋ですか」

 ギュウゴの抱える包み紙にタツタの目がゆく。

 察してヒュウジは透かさず目線を手で遮る。気を取り直すという具合にヒュウジは眼鏡の中心を指であげた。

 「食べる?」

 ヒザネは面白がってタツタに問いかけるが、ヒュウジは結構です、ときっぱりと応えた。

 うーん、とヒザネは考えるように短く唸ったあとこう答えた。

 「せっかくだし手伝ってあげるよ」

 以前から互いに顔を知ってはいるが、まともに話したことは一度もなかった所為か、ヒザネの方が年上だというのに、わらべのような物言いと笑顔に、どうにも調子がつかめないとヒュウジは心の中で感じていた。

 「しかし、煩わせるわけには」

 「いいの、いいの、どうせ暇だったんだし」

 またも同意を求めるようにギュウゴを見上げ顔を向けると、ギュウゴは黙ってそれもゆっくりと頷いて見せた。

 戸惑ってるいのではないのか? と正直、ヒュウジには見て取れた。

 「でもどうするんです? さすがに正面切っては――、」

 不安げにタツタは言うが飄々ひょうひょうとした面持ちでヒザネは歩き始めた。

 「大丈夫、大丈夫。もしものことがあればギュウゴもいるし、まーかせといて」

 告げると、背中を見せながら軽く手を挙げて見せた。

 ヒュウジとタツタはギュウゴを見上げると、彼は押し黙って太い眉一つ動かすことはなかった。


 ヒザネは鼻歌を刻み、腰の飾り紐の金糸の房を、くるくる小さく振り回しながら、軽い足取りで笑福屋へと近づいて行った。

 「いやあ、ご苦労様です。マルバンの旦那がたぁ」

 開口一番ヒザネが手を挙げて、見廻り役へ声をかけた。

 斜めくだりの陣笠を被った見廻り役の一人は、声のする方へと顔をむけるや眉間にしわを寄せる。

 事情を聴くために筆書きしていた帳面を閉じてヒザネに向き直った。

 身なりを見てか、威勢を放つ。

 「何用だ。貴様らが出向くことではないぞッ」

 ヒザネは笑みを保ったままの表情で淡々と言葉を返した。

 「いえ、実は笑福屋さんに用事がありまして。少しお話を訊きたいなあ、と」

 「話しだぁ? 下がれ、いま我々の事こそが重要だ」

 「そう邪険にしないでくださいよ旦那」

 あからさまに人相からしても目上であろう見廻り役の者に対し、退くどころかさらに歩み寄る。

 「貴様らの相手は妖魔であろう。ならあやかしどうし戯れてればよい。こちらはに関わる問題だ。わかったらさっさと向こうへ行け」

 言葉を聴いてはじめて、ヒザネの表情が、片方の眉が微動したように見えた。

 「ですから、その妖魔に関わることで、笑福屋さんにお話を伺いたいのですよ」

 食い下がるようなヒザネに対して、その場の仕切りを任された見廻り役の男は苛立ちを覚え、ぎろりと睨みつけた。

 「貴様、いい加減にせんと罪に問うぞ!」

 見廻り役の男はそう警告を放つと刀の柄に手を添えた。

 「‥‥‥旦那ぁ、罪に問うって、いったいなんの罪になるんですか」

 少し肩をすくめさせ掌を見せる。

 ぎゅっと眉間にしわを寄せたまま対峙する男は、ヒザネの飾り紐に目がいった。

 金糸の房を見るや固い表情がどこか緩んだ。

 「隊士長自ら申し訳ないが、七番町預かりというのは理解しよう。だが我々も同様。この件も然り!」

 「ですからあ、少しだけでいいんです。このとおり!」

 掌を合わせて見せると見廻り役の男はにやりと口端に笑みを浮かばせた。

 「ふん、噂だとは思っていたがやはりな。りというのは誠らしい。どうやら甘やかしすぎて親が躾を怠ったと見える」

 あからさまな嘲笑だった。

 ――途端に、空気が張り詰めた。

 先ほどから一触即発かという緊張したものが流れていたが、それとはまったく別物だった。

 ヒザネはすっと背筋を伸ばすように身を起こす。そして改めてというような面持ちで、目の前の者とした。

 その顔に笑みは一つも無い。表情が無いといっていい。視線をまっすぐ相手に向けたまま動きを止めた。それは息をしているのかさえ判断できぬほど静かで、気配すら押し殺している雰囲気でもあった。

 この張り詰めた状況は、剣を扱う武人なれば誰でも察しが付く気配だった。

 殺気というあからさまな気迫。

 だが、金具締めされた赤い鞘の口に、ヒザネはまだ手を触れてはいない。

 脱力するように、両腕をだらんと下ろしている。その姿勢がまたただならぬ雰囲気を感じさせた。

 見廻り役の男はその異様な気配を察して否か、言葉をつづける。

 「お主、確かどこかの商会のせがれであったな。ならば破魔役などやめて商いに殉じたらどうなのだ? そのほうが父親も喜ぶだろう」

 挑発するように言うと、男は同じ取り巻きの見廻り役達の顔を窺う。

 周りの連中も同様にあざけるよう鼻で笑い、軽薄を口端に浮かべている。

 「破魔役のその席でさ、父親の高名さのおかげであろう――、」

 そこでようやくヒザネの右手がすっと動きをみせた。

 嫌味を述べる男だったが、途端に大きく目を見開き、どもるように言葉がたどたどしくなった。

 その視線はヒザネより高い位置に向いていた。

 正確にはヒザネの斜めすぐ後ろに立つ、ギュウゴに向いている。

 ギュウゴは眉間にぎゅっと皴を寄せ、まるで岩を思わせるかのような強張った表情を浮かべ睨め付けていた。

 見廻り役の男には、ギュウゴの姿がそれは大きく見えた。

 大きな岩山が目の前に立ちふさがる、そういった圧迫感を感じてやまない。

 本能がそうさせたのか、たじろいで一歩後ずさって見せた。

 あんぐりと口をあけ放っている様を見てか、ヒザネは口元に笑みを浮かべた。

 腰の高さまで上げた右手を更に肩まであげて、緊迫する空気を破った。

 「はいはいはい、ギュウゴだめだめ。皆怖がってるよ。ここはちゃんと話し合いで解決しないと、あとで局長に怒られる」

 先ほどとは打って変わって明るさを取り戻したヒザネはどこか陽気に振る舞う。

 牡牛のように相手と対峙するギュウゴはすっと背筋を伸ばした。

 「申し訳ない、私の部下が。忠義に厚い者でして」

 見廻り役の男は言葉が耳に入っていないのか、口を開けたまま視線をヒザネとギュウゴを見比べるように右往左往していた。

 「ここは一つ、協力しましょう」

 ヒザネはそう言いながら近づくと、おもむろに袖の中に手を入れて何やら探る。

 ちゃりっと金属が触れる音が微かに聴こえたのをヒュウジは聞き逃さなかった。

 ヒザネは強引に見廻り役の手を取り、両手で挟むように自身の掌を重ねる。

 手を握られた男はにこりと微笑むヒザネの表情をみたあと、自身の掌の中の感触に気づき息を呑む。先ほどまでの威勢はさっと消え去っている。

 うしろめたさを隠すように視線が泳ぎヒザネから目がそれた。

 どうしたものか、と男の頭に初めて選択肢が浮かび、葛藤する心の隙が生まれた所でタツタが一押しする。

 「憲令で定めた約定には《くだんに関して双方とも相反せず、柔軟に即応しこれにあたること》と明記されているはずです」

 ぐっと息を呑んだ見廻り役の男は握られた手を振り解く。

 「女、言われんでも解っている!」

 同輩の者達に気づかれぬように、男はさっと袖の下に右手をしまい込んだ。


 「‥‥‥《憲令》の定めならば従わぬわけにもいくまい」

 釈然としない面持ちで言うと、地面に膝をついて傍らで座り込む者を見下ろす。

 「後日また伺う。何か判れば報せよ」

 行くぞ、と他の者を伴って見廻り役の男たちは足早にその場を後にした。

 


 ふう、とヒザネは息をついたあと振り返り、やれやれという具合に肩をすくめて見せた。

 「いやあ、参ったね彼らには」

 「やはり手を煩わせてしまいましたね」

 ヒザネは自分の顔の前で手を扇ぐ。

 「いやいや、犬猿なのは今に始まったことじゃないさ」

 笑みを向けたあと、横に立つギュウゴの肩を掌で二度、軽く叩いた。

 まるで、助かったよ、という具合に。

 ヒュウジは見廻り役達とのやり取りで彼らの信頼関係を垣間見ていた。

 ヒザネ自身が事を解決したが、それを導いたのはギュウゴだということを。

 ギュウゴは見廻り役に睨みをきかせていた半面、彼らを救ったともいえた。

 あのまま罵ったような言葉が続けば、ヒザネは手を出していたかもしれない。

 ヒザネから放たれる異様な気配を、ヒュウジも察してひやりとはしていた。

 

 「それにしても、タツタだったか、助かったよ。あのひと押しがなければあいつらも簡単には引き下がらなかっただろうね」

 にこにこと笑みを浮かべるヒザネに、タツタは照れを隠すように俯いて見せる。

 「いえ、その、私も咄嗟の事だったので。それにあの言い方はあまりにも‥‥‥」

 少しだけ苦笑するような笑みをヒザネは浮かべる。

 いつものことさ、と微かな声でぼやいてみせた。

 タツタが顔をあげると同時にヒザネは表情を変えて明るく振る舞い告げる。

 「さあ、本題に入ろう。笑福屋、いったい何があった」

 蚊帳の外といった具合に取り残されていた男女二人にヒザネは向き直る。

 

 座り込む男は肩を抑え右の頬は赤く腫れあがっていた。女が心配するように寄り添う姿がまた痛々しい印象を受ける。

 身なりからして笑福屋の者に間違いない。一人は職人の様でもう一人は仲居の女だろうか。

 痛みで顔を顰めるのをみて、ヒザネは男と同じ視線まで屈んで片膝を付く。

 ようやく男は視線を落としながらも訳を話し始めた。


 雇われ職人の男の話では、どうやら笑福屋の若旦那が店で暴れてそのまま奔走していったのだと言う。

 いつも通り、店の勝手口から入ろうとした際、えらく焦げ臭いにおいに気づき、ただならぬことが起きたのだと慌てて駆け込むと、若旦那のカンシロが土間で佇みぶつぶつと何かを唱えてたそうだ。

 「――おれあ、怖かったが若旦那に声をかけたんだ。そしたら急に暴れ出して、もう何がなんだか、わけわからねえこと言って、それで櫂ベラでぶん殴られた。必死で落ち着かせようと止めたんだけどよお、台所むちゃくちゃにしてそれっきりよ」

 その場にいる一同は神妙な面持ちで話しに聴き入っていた。

 ヒザネが落ち着いた口調で問う。

 「なんと言っていたんだ? 若旦那が去り際に」

 男は考えるように眉根を寄せ口端に皴をつくる。

 「確か、何故だどうして、どこへ行った、とかそんな事を叫んでた」

 ふむ、とヒザネはうなずく。そこへヒュウジが口を開いた。

 「では、その若旦那が自分の女房を手に掛けたってことか?」

 寄りそうように佇む男と女は不思議そうな表情を浮かべたあと見つめ合う。

 どこか的外れな、困惑したものが目元に浮かぶ。

 女は咄嗟にという具合に短く応えた。

 「まさか! そんな、ありえません。若旦那様がそんなこと!」

 その場にいた一同が訝しく顔を見合わせた。

 ヒザネは優しい口調で訊ねた。

 「笑福屋の女将が亡くなったという噂を耳にしたんだが」

 訪ねらた二人はまたも互いの顔を見合う。

 「‥‥‥そんなはずはありません!」

 「――噂は嘘偽りということか、では女将は中に?」

 戸惑ったような表情を浮かべ女は答える。

 「いえ‥‥‥女将さんはずっと姿が見当たらないんです」

 問うように顔を向けると男も口を開いた。

 「おれも、店に来たときには若旦那しかいなかった」

 「‥‥‥私が来たときにはこの人は倒れていて、女将さんの姿も探したのですが母屋おもやにも姿がなくって」

 痛みを抑えながら男はたどたどしく言う。

 「それに夫婦喧嘩にしちゃあ、ありゃあ異常だよ。あんな若旦那初めて見た。ただならねえ、何かに憑りつかれちまったんじゃねえかって疑ったくらいだよ」

 


 ――後に騒ぎを聞きつけた番刑の見廻り役人が駆け付け、今に至ったというのが顛末だ。

 空振りに終わってしまったが、どうにもきな臭さを感じてやまなかった。

 破魔屋を疑うわけではないが、という情報にも差異があった。

 情報網を自負する破魔屋がこうも簡単な間違いをおかすだろうか?

 特に町民の生き死になど、素人でない限り見紛うことは無いはずだ。

 ではどこで得た情報なのか、それを訊くべきだったと後悔の念が少し心に灯る。

 どれもこれも腺が繋がらず心に灯る火が神経を撫でるかのようだ。

 僅かに苛立ちを感じる。

 

 早朝の妖魔に――、正確には半魔に関しての《厄事》が明るみになってから、どうにも何かがうごめいているような、都が騒めきだしているようなそんな気がしてならない。

 ヒュウジの直感に何かが囁いている。だが頭の中は雲がかっていてひらめくにはまだほど遠い感覚がある。

 女と半魔の亡骸。

 笑福屋の角まんじゅう。

 使われた得物。

 草場流派の使い手。

 偽りの訃報。

 

 腺を繋ぎたくとも一向に結びつけができないでいる。



 結局、あるじたちの代わりにその場の二人にあらかた話を訊いてはみたが、確信を得られたものは何一つなかった。

 店に立ち寄る客層もさまざまで、旅人や各地を回る商人、常連と言えば年老いた者や官吏などさまざまで、特に多いのはやはり《色町》に出入りする者達だった。

 最近出入りした客で怪しい者は一人もおらず、多くは顔見知りだという。

 もちろん顧客を管理する帳簿などもなく、仕入れ先の帳面はあるものの店の中がめちゃくちゃで探そうにも探せないと職人の男も仲居の女も口を揃えた。

 当然、まんじゅうの中の飴玉の存在さえ知らないと首を横へ振った。

 消えた女将と若旦那の行方も気になるところではあるが手がかりが無い。

 やはり、《色町》に赴き調べる必要があるか、とヒュウジがぼやいたとき、ヒザネが思い出したかのように声を出した。

 それは、笑福屋を離れてしばらくしてからのことだ。

 

 肩を並べて歩いていたヒザネが思い出したかのように掌を叩く。

 「色町のことならアシヤに聞いた方が早いかもしれない」

 少し驚き、ヒュウジは訊ねる。

 「隊士長にですか‥‥‥?」

 顔を正面に向けたままヒザネは人差し指を立てて見せた。

 「そう、何せあいつとはだからね」

 驚き、突拍子もない声を短くあげたのはタツタだった。

 「アシヤ隊士長がですか? うそ‥‥‥下品です‥‥‥」

 口元に手を当てて少し頬を赤らめた。

 それを見てヒザネは僅かに苦笑する。

 「いやいや‥‥‥下品て、そこまで言わなくても。あそこはお酒を飲んで遊女と戯れて遊ぶだけの場所だよ」

 「戯れてるじゃないですか!」

 「まあ、そうだけども。何せぼくは人の目があるからねえ、最近はぱったりなんだ。でも、アシヤはたまぁに通ってるんじゃないかな」

 なるほど、とヒュウジは心の中でひとり納得する。


 《色町》に赴くにはどのみち許可が必要となる。破魔役は《都での厄事》が主な務めである。都の区切りから外れたの場所にある色町や貧民街などはその務めの範疇ではなくなるため、私用でなければ必ず許可を得て二人一組で行動しなくてはならない隊の決まりがあった。

 それは隊士長か隊士長助勤(補佐)の許可がどのみち必要となってくる。ついでにどういう所なのか、角まんじゅうの話を合わせて訊くのが手っ取り早いと直感した。

 「あーそれと、アシヤにはぼくから聞いたって事は内緒ね」

 口元に指を立てるとヒザネは不敵な笑みを口端に浮かべる。

 「こんな面白そうな話し、黙ってろってのが無理があります!」

 タツタが目を輝かせながら言うと、寡黙なギュウゴが唐突に、タツタの大きく開いた口の中へずぼっと蒸かし芋を押し付けた。

 むぐっ! と喉を占めたかのような籠った声を短くあげ、タツタは自らの手で蒸かし芋を口から離した。

 「こんなもので私は買収されませんからね!」

 と言いつつ蒸かし芋を皮ごとかじりつくように頬張る。

 ハハハ、とさっぱりした笑いを飛ばすとヒザネは言う。

 「よろしく頼むよ。ヒュウジ、君もだ」

 にこやかに笑うヒザネの表情をみたあとヒュウジはうなずく。

 「安心してください。話したりはしませんから」

 どこか含んだような笑みを返した。

 

 

 

 ヒザネとギュウゴと別れてから、二人は急ぎ十番隊破魔役の屯所へと向かった。

 去り際にヒザネは、こちらでも調べを進めておく、と約束をしてくれた。

 どうにも表情を窺うに、ヒザネ自身も何かひっかかるものがあるのだろう。

 間接的にも《厄事》に関りが生じているのではないか、と睨んでいるようで、笑福屋の角まんじゅうを機に身辺調査も進めるとのことだった。

 まずは一つ一つひも解いてゆくしかないだろう。持ち合わせている唯一の手掛かりは、角まんじゅうの中に入っていた飴玉と思しきもの、これだけだった。

 これが一体何なのかわかれば、また話は進展するだろうと確信に近いものをヒュウジは抱いていた。だがもしそれが空振りであったなら、また一から振り出しに戻る、という先の考えが浮かび始まると、どうにも仮眠程度にしか寝てない所為もあるのか、焦燥感が強い。

 いつもなら冷静で物事を頭の中で組み立てられるはずではあるが、いまだ鈍い。

 うっとおしい霧が頭全体を包む感覚が続く。


 破魔役十番隊の屯所は十番町のちょうど中心にある。招来道の路沿いにそれは目立つように堂々とした構えの建物だった。

 十番町は広いため、西十番と東十番のそれぞれに詰め所が存在し交代で隊士が常勤している。他の隊とは違いその詰め所を挟んで中心に屯所が設けられていた。

 屯所には隊士長が常駐し、会議や事務処理で使われるのが主であるが、広々としていて部屋数も多いため宿直の隊舎としても利用されていた。

 その中でも合議の間は特に広く、座敷にかしの経机が均等に並べられ皆そこで勤労に励んでいる。

 

 長く隔たる高い漆喰の壁に沿って歩き、正面の大きな門へとやってくる。

 門には大きく黒墨で丸に十の一字がこれまた大きく記されていた。

 屋根には黒い瓦がびっしりと張られ、重厚感のある木製の大門の表面は補強された鉄の板、蝶番となる部分の金具も黒く、さらに堅固さを感じさせた造りだった。

 

 ヒュウジとタツタは正面の分厚い門ではなく、すぐ横に備えてある戸口を押して中へと足を踏み入れてゆく。

 戸口といっても門の扉と同じ厚さがあるため、両腕に力が入る。

 少し開くまでは両腕で、腰を入れて押さないといけないため、毎度難儀する思いが二人にはあった。

 ぎいっと鈍い音を立ててゆっくりと分厚い木戸はゆっくりと開く。

 

 敷地内は石畳が敷かれていて小奇麗なものだった。

 門を潜ればすぐに屯所となる木造の屋敷が目の前に飛び込んでくる。そのほかは観賞用の庭や植木も無く、ただ隅の方に太い木が一本だけ立っている殺風景な印象を与えるそんな飾り気のない場所だった。

 二人は屋敷の正面玄関となる土間へと向かわず、縁側の方へと向かっていった。

 屋敷側面にあたるその細い道は、飛び石が続き二人は慣れた足取りで進んでゆく。

 渡り廊下を横目に、さらに合議の間を通り過ぎ、屋敷の奥の突き当たった場所までくると、木板の雨戸を開き切ったひとつの部屋へたどり着く。

 外からでも部屋の様子が窺え、そこに見覚えのある二人が居ることに気づいてさらに歩み寄る。

 「ただいま戻りました」

 畏まるようにヒュウジが言うと、二人は軒先で頭を下げた。

 「戻ったか」

 二人に気づき部屋の中から声をかけたのはギノキだった。

 そのあとすぐに別の声が言う。

 「めずらしいな。縁側からツラを見せるなんて」

 ヒュウジとタツタの視線の先には、ひじ掛けにもたれて煙をふかす男がいた。

 黒い艶のある長い髪の毛を、束ねることもせず、乱れた様に肩に垂らしたままの男はゆったりとはしているが、妙に貫禄があった。

 ギノキよりも随分と若いが、鋭い眼光を持ち合わせている男前の顔立ちであり、どこか不敵な雰囲気を持ち合わせていた。

 「聴いたぞ。朝早くからご苦労だったな。また厄事やっかいごとだそうじゃないか」

 男はそう言ってから、ふう、と煙を吐き出し宙へと舞わせる。

 「それでぇ、首尾はどうだった?」

 こんこん、と軽く煙管キセルを炉鉢に叩くとヒュウジは返事をする。

 「はい、アシヤ隊士長」

 それから事のいきさつをすべて話した。

 

 

 「なるほどねえ」

 アシヤ、と呼ばれた男は少し身を起こすと、右肩から着崩れするようにさがる白い羽織を引き寄せた。それから少し考えるように目を細める。

 ギノキは二人の報告を聴き、袖の中で腕を組みつつ落ち着いた口調で訊いた。

 「して、その饅頭の中にはいっていたという飴は?」

 問われてタツタは袖の中から角まんじゅうが入った桐箱を差し出す。

 ギノキがゆっくりとたちあがる。歩み寄ると縁側の高い位置から、タツタの前で片膝を付いてみせた。

 手渡された箱を受け取り中身を確認するとそれをアシヤの前に持ってゆく。

 自分の目の前の経机に置かれた箱をアシヤは視線だけで見下ろした。

 ふーん、と口の中で奏でるように唸ると、饅頭の中の飴玉を左手で摘まむ。

 目の高さまで上げると目を細めた。

 「確かに、こんな物は初めて見るな。ましてや饅頭の中に入っているとは」

 「それで、隊士長なら何かご存じかと」

 「‥‥‥しらねぇなあ。というか何故、俺なら知っていると思った」

 押し黙るように言葉を詰まらせるとすかさず、目を細めたタツタが言う。

 「隊士長なら座敷遊びしてるから知っているかとおもいまして」

 言葉をきいてアシヤは途端に眉をひそめる。

 やはや‥‥‥とギノキは呟いて俯き加減で額に手をあてた。

 訝しい表情をアシヤは見せた。

 「‥‥‥誰から聞いた」

 タツタはすぐさま、はっきりとした口調で答えた。

 「七番隊のヒザネ隊士長からですッ」

 表情を崩し、アシヤは口をへのじにまげて、あいつめ、と恨めしそうにぼやく。

 深く息をついてからアシヤは話を続ける。

 「ともかくだ。これはあ知らん。俺も初めて見る」

 それからギノキへと顔を向けた。

 ギノキが静かに首を振って応えるのを見てから、指で摘まみ上げた飴玉のようなものにまた視線を戻した。

 「でぇ、まさかこの情報をもとに色町に繰り出したいってことか?」

 ヒュウジはただ眼差しを向ける。

 「――駄目だ。許可はできん」

 だろうな、とヒュウジは言葉にせず小さく息を洩らす。

 「まずはこれをの連中に調べさせてからだ。それにお前、寝てないだろう。そんなんで見分は務まらんと思うが?」

 もっともな指摘を添えながら、慣れた手つきで煙管キセルの火皿に刻み葉を指で詰めはじめた。くるりと手首を返し炉鉢にかざす。

 吸い口を咥え、ぱっぱと小さく口元で音を奏でさせると煙を撒いた。それから大きく吸い込み煙を吐く。

 ヒュウジはすべてを察してか潔くという具合に返事をした。

 「わかりました。では後日、改めて任に当たります」

 頭を下げるのをみてアシヤはどこか意外そうに、片方の眉を挙げてみせた。

 ギノキは縁側に立つ二人に向けて言う。

 「報告書を記せ。後ほどあらためる。二人とも早朝よりご苦労だった。ヒュウジはどこか部屋を借りて休むがいい」

 告げるとアシヤに顔を向けた。

 何もない、というように開いた手を小さく振るさまをみてギノキは二人に行ってよいぞ、と簡潔に告げた。

 

 

 二人が深くお辞儀をしてからその場を後にする背中を視線だけで見送ったあと、ようやくというよにアシヤは口を開いた。

 「もう少しせがまれると思ってはいたがな」

 人の気配がなくなった縁側のどこを観るのでもなく小さく言う。

 ギノキは袖の中で腕を組んでから察して応えた。

 「ヒュウジの中にがみえましたかな?」

 ゆっくりとアシヤはうなずく。

 「うむ、少し前なら、強く言い聞かせなければ何としてでも自分が、という気負いがありすぎるぐらいだったが――、」

 ギノキもつられてという具合に縁側に顔を向けた。

 先ほどまで居た二人の姿を思い浮かべるような眼差しだ。

 「‥‥‥父親に似たのでしょう」

 特にヒュウジを思い浮かべ、遠い日の残影と重ねるそんな口ぶりだ。

 古くから親交があり、懐かしむ、そんなものを漂わせる。

 「奴も誠実で実直で、事に関しては真摯な男。ですがあそこまで固いような人物ではなかった。気持ちに余裕がりときたま見せる屈託のない表情がまた憎むという言葉とは縁遠いような男でした。その気性も受け継いでいればもう少し気持ちも楽なのでしょうが」

 アシヤは言葉を聞くと確かに、と同意するかの如く鼻で短く笑う。

 「やはり父親を意識してのことだろうな」

 「‥‥‥そうでしょうな。あの子の父親もやはり優秀なでありましたから尚の事、本人もどこか気負ってはいるのでしょう」

 ふうっと煙を吐き出しアシヤは言葉を添える。

 「その父親のせがれであったとなれば尚更」

 「ですな‥‥‥まっこと数奇な運命さだめを背負う」

 「ふむ、それで、父と子、二人の師としてはどう見る?」

 息をついてからギノキはゆっくりと口をひらいた。

 「ヒュウジですか、成長しましたな。見習いを経て見分役になってはや六年。ようやくといったところでしょうか」

 アシヤは感傷に浸るようなギノキを見て、ほくそ笑むような小さな笑みを口端に浮かべる。

 「鍛えた甲斐があったってことか?」

 ギノキはゆっくりと、その細い目で瞬きをする。

 「ええ、自制できてやっとですからな。この生業は判断一つで命を落とし、己を御せぬ者は早死にする――、それに気づけぬ者も多い。若い連中は特に」

 「確かに――、おやっさんからみて二人にこなせると思うか?」

 顔を向き直してから、ふむ、とうなずく。

 「任せても良いかと思います。判断力も十分備わっているので無茶はしないと思いますな。ただ事と次第によってはをつける、が条件でしょう」

 言葉を聴いて深く理解したアシヤは小さく何度かうなずいてみせた。

 「それまでは二人で調べにあたらせても気がかりはないのか?」

 ギノキはさらりと答えた。

 「その為のがおるのです。問題はないでしょう」

 ふむと感慨深くアシヤはうなずく。

 「解った。おやっさんに任せる。俺はこいつを――、」

 と言うと経机に置かれた桐箱を指先で小さく叩く。

 「少し探ってみるとしよう」

 神妙な面持ちのアシヤの雰囲気は先ほどとはどこか違う空気を纏っていた。

 それほど、何か気がかりで重要なものだとどこかで察しているようだ。

 「では現物はすぐにでもに調べさせましょう」

 ギノキはすっと立ち上がる。

 経机に置かれた角まんじゅうの桐箱を手近な布で覆い包むと抱えるように小脇に携えると部屋の戸口へと向かった。

 引き戸を静かに開け放つと首だけ振り向かせてから釘を刺した。

 「色町へ行くのは良いですが、あまり目立たぬようにしてくだされ」

 ギノキはアシヤの行動をすべて察しているようだった。

 言葉を詰まらせるアシヤにギノキはさらに追い込みをかける。

 「務めだからといって公費を使うなど言語道断ですぞ?」

 何も言い返せないアシヤはたどたどしく言う。

 「まさか……そんなこたあ――、」

 「しめしがつきませんからな。では、失礼」

 去り際、口端に笑みを浮かべるギノキの表情を見送って、アシヤは掌で自身の額を覆った。

 「そりゃあないぜ、おやっさん‥‥‥」

 

 自身の行動に疑いをかけられたアシヤは、一室で煙管を蒸かす。

 漂う煙を眺めながら、いままでの行いを煙にまくことはできなかったなと感慨深くひとり、佇むのであった。

 


 

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