1.4 破魔

     4 《破魔》


 十文道の路は都の中心に進むにつれて人通りも多くなってゆく。

 広く設けられた路の両端には数々の商店が軒を連ね構えていた。

《都に行けば何でもそろう》という謳い文句のような庶民の吹聴は正しいと窺える。

 色鮮やかなのぼりや客寄せの張り紙、よく通る呼び声、どこからともなく漂う食の香りが鼻をさする。

 人々が地面を踏みしめざわめき、荷車の大きな車輪がのんびりと音を奏でる。

 先へ進むごとに、活気と賑わいを彩った景色が目の前に広がってゆく。

 行き交う人々の身なりも良く、花のように色とりどりの衣服を身に纏っていた。

 すれ違う影はさまざまで、荷車を馬でかせて穀物を運ぶ者や、高貴な者が牛車ぎっしゃで移動する姿、人力車に駕篭かご運びの人夫。

 子供は親に手を引かれ、何かをねだるように指をさす。

 その場にいる誰もが笑顔で満ちているようだった。


 南大前門から続く招来道は、土の上に砂を撒いて整えただけの路となるが、内堀とよばれる幅の広い水路を跨いで、往来門が高い石垣と共に目の前に現れたところで整地された石畳が続いていた。

 分厚い大きな往来門がぽっかりと口を開け人々を飲み込み、また吐き出しているような姿で佇んでいる。

 ここからが六番町となり、この先は天前道と呼ばれる路が奥まで導いている。

 

 《ハマヤ》と呼ばれる場所は六番町に存在していた。

 六番町は中丹田という区切りで、都の中心に位置する。四方は一番町と十番町以外は隣接していてる為、人々が行き来する要所路となっていた。

 七番町に続き商業が盛んで、宿屋が数多く存在している。

 招来道と同じように、路の両脇には商店が並ぶが先ほどとは違い、どれも上品な佇まいであるのが一瞥しても感じられるほどだった。

 しかし一歩路地に入れば露店も多く屋台や出店、なんでもござれという具合に立ち売りの者まで存在する。

 宿も多いせいか六番町は賑わう人であふれていた。

 

 ヒュウジとタツタはその人混みの中を慣れた足取りで進んでゆくと、大きく構えた建物の前に立った。

 入口の両脇に、敷地いっいぱいと言っていいほど何本も立ち並ぶのぼりには、仰々しく達筆なヤハト文字でこう書かれていた。

 《破魔卸問屋》と。

 横に長い格子窓には呪符のような札がいくつも貼られ、年季の入った軒看板には破魔の文字。入口には小奇麗な暖簾、その中心には丸におろしの一字。

 ここでまず間違いないだろうと確認するように二人は顔を見合わせたが、異様な雰囲気に気圧されたという表情が僅かに浮かぶ。

 

 息を呑んだあと、ヒュウジは垂れ下がる暖簾のれんを割ってくぐる。

 二人は初めて《ハマヤ》という場所に足を踏み入れた。

 同じ破魔士として馴染みがあるだろうと思うがその実、妖魔取締役はよっぽどな用向きでない限りはほとんど近づくことはない。

 過去に交流はあったのかもしれないが、ヒュウジもタツタも隊に属してからは初めてのことになる。

 

 一歩、土間へと踏み入れると異様な雰囲気が漂う。

 小奇麗にされているが内部の作りは《飯処》の類のそれであった。

 年季の入った机と椅子があり、衝立ついたてで仕切られ座敷まで用意されている。

 壁には品書きが連なり、奥からは配膳の忙しい物音と、茶汲みの若い女が小走りで駆け回る姿はどこか騒々しいさを感じさせる。

 かといって混み合っているわけでもない。席は十分な余裕があるものの、そこにいる誰も彼もどこか険のある表情を持ち合わせていた。

 顔に傷がある者やまるで賊のような装いの者、体格も様々で何一つ統一感のない連中が昼間から酒を飲んで入り浸っているという印象を受けた。


 近くに座る者がタツタと目が合う。眉間にしわを寄せるや、吸っていた煙管キセルを小さな金台の炉鉢に二度、叩きつけた。

 軽快に甲高い音を立てると、入口の目の前にある三畳ほどの一段高い場所にいた男が慌てて声をかけた。

 男は低い格子に囲まれた帳場から身を乗り出すように顔を向ける。

 「やや、これはこれは」

 すぐさま立ち上がり軽い足取りで帳場を小回りすると、ヒュウジ達の前で両膝を付いた。

 頭を深く下げたあと、男は二人の身なりを再度確認する。

 商人特有の吟味するような足元を見てからそのなりを物色するような視線でゆっくりと、上目遣いでヒュウジを見た。

 見下ろす形で男に問いかける。

 「突然の来訪すまない。ハマヤ、ときに聞きたいことがあり参った次第」

 落ち着いた面持ちで告げるヒュウジに、男は首を傾げ、はあ、と息を洩らしたような声を返した。すると男は少々お待ちを、と残し立ち上がり踵を返したと思いきや声を張り上げた。

 「旦那様! 旦那様ぁ!」

 しばらくして帳場の奥から、はいはいはい、と小さく呟きながら、すり足で男が出てきた。

 暖簾を両手でさっと捲り去り、にかっと笑みを浮かべる。

 男は小太りで身なりは良い。派手さは無いものの衣服は上等なものだ。

 頭は禿げあがっているが、獅子のたてがみのような後ろ毛が印象的である。

 年相応とは思えない張りのある肌と艶、白く生えそろう歯を見れば、裕福な者だとすぐに理解できる代表的ともいえた。

 旦那様、と呼ばれた男は番台の男と同じような反応をした。

 「これはこれは、おやおや、どうなされました」

 襟袖に小さく刺繍された丸に十の文字を見てすぐに気づいたのだろう、男は続けざまに言う。

 「十番町のの方が、珍しい」

 傍らで正座する番台の男が添えるように要件を伝えた。

 「なるほど、お聞きしたことですか、あー、これは申し遅れました」

 すぐさま番台の少し前で正座をすると深く頭を下げた。そして同じような物色する目で二人を見定めるとまたも、にかっと笑みを向ける。

 ぎょろっとした眼に大きな口、体格もあいまってまるで蛙のような男だった。

 「わたくし、破魔卸問屋の大仕切りをさせていただいております、マンダと申します。以後よろしゅうお願い致します」

 丁寧に深々と頭を下げるのを見てヒュウジは淡々と答える。

 「寺社預かり、妖魔取締破魔役、ヒュウジ」

 横を向くとタツタが続いて名乗った。どこか緊張している面持ちだ。

 「――同じく、タツタです」

 一礼するのを見てマンダ、と名乗ったハマヤの主人はまたにかっと笑んだ。

 「ほーほー、お若いのにそれはそれは、遠いところご足労頂きました。して、お話というのは――、なんでっしゃろか?」

 ヒュウジは目配せで周りを見た。

 この場に《マルハ》と呼ばれている役人が居ることに興味があるのか珍しのいのか、動向を窺うような鋭い視線が周りから向けられている。

 察してマンダは掌を叩いた。

 「あー、でしたら奥へどうぞ。ここではなんですからねぇ」

 そう促すと、番台に茶の用意を申し付ける。

 「ささ、こちらからどうぞ、小汚い所でもうしわけありません」

 へりくだって言うと帳場後ろにある暖簾へと手で促し先導した。

 

 破魔卸問屋は一風変わった作りとなっていた。

 二階建ての建物は上階が宿屋になっていて下が飯処となっている。

 奥行きも広く、細長い廊下を進んでゆくとふすまで閉ざされたいくつもの部屋があり、吹き抜けの縁側の通路には小洒落た庭があった。

 植木はよく手入れされ、飛び石の先にある低木のツツジは綺麗なつぼみを成していた。

 マンダは言うが、小汚いというよりよく行き届いているという印象を受けた。

 さながらどこか身分の高い屋敷といってもいい。

 どこか想像とかけ離れているのを感じ取ってか二人はしばし目を泳がせていた。

 前を歩くハマヤの主人もそれを察してか語るように言う。

 「いえねぇ、各地からも破魔士が出入りするもので、ほら、の生業は荒事でしょう? 普通の宿じゃあ断られることも多いようで。こうして、宿舎としても営んでるって形です。稼げば飯も食えるし、宿賃だってウチは格安ですからねぇ。だもんで、昨今では居座る輩も多くて、まぁ困りますわぁ」

 マンダはにこにこしながらどこか嬉しそうな声音で話をつづけた。

 「でもね、連中やお二方のように、マルハ組の方々がぁ日々奉公してくれる甲斐あってか都は平穏そのものという具合ですかなぁ」

 短く軽快に笑うと、マンダはぴたりと立ち止まる。廊下が突き当たり、すぐわきの襖を開けた。静かにゆっくりと横にひいてから両手で小さくすっと促す。

 「ささ、中へどうぞ。狭苦しいですが話をするならここが一番です」

 にかっと笑うのを見てから二人は部屋へと入った。

 五畳分の広さほどだろうか、室内は狭く畳が敷かれていた。丸い格子窓と珍しい低い障子戸があるだけで他に飾り気も無いが、優しく差し込む陽の光で室内が照らされている。簡素ではあるがどこか趣を感じる作りだった。

 踏み込むと、真新しい爽やかな草花の香りが鼻の奥に流れ込む。

 ちょうど良い感覚でお互いが座り、入口の下座にマンダが座る。それからすっと体を横へ向けて開いた襖の入り口を横目した。

 計ったかのように茶持ちの若い女が静かにやってくる。入口手前で膝をつくとそっと敷居を越して盆を手先で押した。

 「あとは私がやっておくから、下がっていいよ」

 ゆったりとした優しい声音で伝えると若い女は、はい、と静かに答えて去ってゆく。

 茶器が乗った盆を手前にしてから、ゆっくりと襖をしめると室内が静まり返る。

 マンダは皆の中央に盆を持ってゆくと手早く丁寧に、各々の前に湯飲みと茶菓子の乗った木皿を配す。

 盆を小脇に置いてから改まったようにお辞儀してから口を開いた。

 「こんなもんで申し訳ありませんが、お口に合えばよろしいんですが」

 ヒュウジは手前に並べられた物をみる。

 陶器の湯飲みには薄緑色の茶と、木の小皿には折り和紙の上に菓子が乗っていた。

 分厚く切られた四角い菓子だ。切った断面は黄色く、焼き目である表面は茶色くそこに透明な硝子がらすのような粒がたくさんまぶしてある様だった。

 「これは――、」とつい言葉を洩らした。

 「わかりますか?!」

 と大きな瞳を輝かせながらマンダは問いかけるが、ヒュウジは見当がつかなかったのか、いや、と否定する間もなくそのまま話を続ける。

 「最近流行りの、卵菓子ってやつですよ!」


 卵はそれまで都文化の中では、総菜そうざいの材料として扱われることが多く、玉子焼き、ゆで卵、あえ物、調味料などでしか使われず生で食べるという習慣もなかった。ましてや菓子に織り込むという発想が近年までなかったが多文化を取り入れることによってこういった発想も都では数多く、産れるようになっていた。

 マンダの話では、小麦の中に卵を投じ牛の乳を混ぜて混ぜてそれはもう混ぜ込み緩い生地を型に流し込んで炭火の中に投じて出来上がる、という雑な説明を饒舌な口調で二人に語って見せた。

 その間、ヒュウジは一口茶をすすっている。

 「それでー、ですね、そこに北方で食されてる木砂糖をこう、ぱらぱらぁっとまぶしてまた火にかけるんです。そして最後にまた熱くなったその表面に粒を撒いて仕上げてるらしいんですよぉ」

 よくしゃべる男だな、と呆気にとられるのも忘れてヒュウジはじっと言葉が終わるのを待った。

 その表情をみてかマンダは額に手を当てる。

 「あー、これは失礼、ついつい。わたくし甘い物には目がありませんでして、実をいいますと、ちょうど七番町で手に入れたばかりでして」

 菓子を見下ろし、ヒュウジは興味がないといったような面持ちで言う。

 「そんな貴重な物、よろしいので?」

 手を前に出してマンダは応える。

 「いえいえ、ご遠慮なさらず、まだまだたくさんありますしこうして甘味を誰かとともに味わいたいと思うておりました。ほら、表の連中にゃあわかりませんでしょう? マルハの御仁であればお出し甲斐があるってものです」

 にかっと笑む満足げなマンダの表情を目の当たりにしてから、ヒュウジは思い出したかのように、袖の中を探って見せた。

 「主人、甘味に聡いということもあって一つ見てもらいたい」

 はて、という具合に破魔卸問屋のマンダは首を傾げる。

 ヒュウジはすっと袖口から細長い桐箱を差し出して見せた。

 「‥‥‥これはッ」

 察したのか言葉を詰まらせる。

 「七番町、笑福屋というところの菓子だそうだ」

 確認するように顔を横へ向けるとタツタは俯いていた。

 「角まんじゅうというのだろう?」

 返事が無く、心ここにあらずという具合だ。

 「‥‥‥おい、タツタ」

 呼びかけても微動だにしない姿に、マンダもヒュウジも顔を見合わせ目を凝らした。

 「あの‥‥‥」

 やっと口を開いたかと思えばタツタはマンダの顔を見た。困惑したような懇願しているような何とも言えない表情だ。

 「これ、食べてもいいんですか‥‥‥?」

 卵菓子を指さし、うっすらと瞳は潤んでいるようだった。

 マンダは表情を強張らせ、ゆっくりとヒュウジをみた。

 呆れて、ヒュウジは恥ずかしさを抑えるように掌で顔を覆ったのだった。



 どうやら、の主人マンダはある程度事情を知る人間だった。

 人の口には戸は立てられぬというが、今朝がたの騒ぎがもう耳に入っているとは、やはや都の口の速さ耳の良さは侮れぬと改めてヒュウジはしみじみ思う。

 「そりゃあ、わたしら情報も商売のうちですからね」

 得意げに笑みを浮かべマンダは言う。

 しかし事の詳細というものは噂に尾ひれがついた程度で確たるものを知っているというわけでもなかった。

 妖魔の類が現れて、女が殺された。という認識くらいが関の山だった。

 話しの素振りからは、そこで起きていたことや、何がどうなって見分の結果というものすらまだ得ていないという状況だった。

 そして改めて、差し出された桐箱からようやく事情を知ったのだった。

 「確かに、これあ、笑福屋の角まんじゅうですね。わたくしも何度か食べたことはありますよ」

 でもねえ、とマンダの悪い癖が始まる。

 高いだけで味がいまひとつ、箱に品があっても菓子には無い、あんに砂糖をたくさん使っただけの代物で隠し味すらない、などと語り始めた。

 「やはりね、塩を練り込むっていう卓越した機転というか、職人の拘りってぇか、霹靂をおもわせる閃きってやつですかねぇ、あそこにはそれが無いんですわ」

 感慨深い表情を浮かべながら顎に手を添え何度もうなずいて見せた。

 「私からしたら、笑福屋より万亀まんがめ茶屋の――、」

 「亀まんじゅう!」

 タツタが瞳を輝かせて言葉をかぶせるように応えた。

 マンダはタツタの顔の目の前で人差し指をぴんと立てる。

 「そう! まさに! 亀甲紋の亀まんじゅう! あれが一番!」

 二人は意気投合したのか笑みを浮かべ、うなずき合う。

 「いえあ、大抵は皆さんあちらこちらと言うんですがね、まんじゅうだけはこの都随一といっても過言ではないですよ、はあい」

 味、見た目、値段、拘り、そして何と言っても客への気遣い。それが万亀茶屋を、なんとも推し好く理由だと、マンダは語る。

 「いや、マルハ組の若い、それもお嬢さんのような方に解っていただけるとは、この甘味一筋のマンダ、これほど嬉しいことはありません」

 わざとらしく鼻をすする素振りを見せてから、マンダは自分の菓子がのった木皿をすっとタツタの前に添えるように指先で進めた。

 「良ければ、わたくしの菓子も召し上がってください」

 にこりと笑むと、二人はどこか通じあったのか、タツタも真っ直ぐな瞳を向ける。

 気づけばタツタの前に置かれた木皿の上はきれいさっぱり無くなっていた。

 口端に小さな菓子の屑をつけたままタツタは感動した瞳の輝きを見せていた。

 そっと皿の縁を両手で掴むと、仰々しく頭を下げ木皿を掲げる。

 「‥‥‥ありたく、頂戴いたします」

 丹精込めるように告げると、がぶりと豪快に頬張った。じっくりと噛み締めながら嬉しさのあまり高く鼻を鳴らす。

 「やはや、見事な食べっぷりで」

 静かに感服したような面持ちでマンダは見守る。

 ヒュウジは呆れて長く静かに、息を吐いた。

 「‥‥‥して、これを見て何か判ることは?」

 我に返るようにはっとなるマンダは目の前に置いた桐箱を見る。

 「はい、笑福屋の角まんじゅうに間違いありません。しかし大変、高価なもので普通の下働きでおいそれとは買えるような物じゃございませんね」

 マンダは告げるようにいうと桐箱をそっと開ける。

 ふむ、と頷いてから吟味するように四角いまんじゅうを見詰めた。

 中身はなんら変わらない。箱に張り付かぬように和紙が敷かれ、その上に白い角まんじゅうが縦に納まっているだけだ。だが二つ欠けている。

 それから箱を手に取って顔に近づけると匂いを嗅いだ。次いで顔から離したあと指先で触れようとしたときヒュウジが告げるように言う。

 「毒の可能性もある。まだ調べていないので注意を」

 落ち着いた面持ちでマンダはうなずき返す。

 マンダは右手の人差し指でまんじゅうの表面を優しくなんどか触れる。

 「‥‥‥表面が堅いですね。特有のしっとりとしたふっくらとした感触がない」

 呟くように告げると角まんじゅうを一つ取り上げる。

 「やはり時間が経ってますねえ、下の面も固くなっています」

 親指に伝わるまんじゅうの感触をすぐさま察すると、マンダはヒュウジの顔の高さまで掲げて見せる。

 「よろしいですかな?」

 問いかけ、ヒュウジがうなずき返すのをみてから、マンダは大胆にもまんじゅうを二つに割る。じっと断面を見詰めたあと短く唸った。

 それから、タツタの前に置かれたもう一枚の木皿にそっと添えた。

 「拝見してくだされ」

 畏まったかのようなマンダの表情はどこか難しい。

 ヒュウジは腕を伸ばしタツタの木皿を手に取って目の高さまで持ち上げる。

 二つに割られたまんじゅうの断面を見るや何かに気づいた。

 黒い餡から顔を覗かせているのは小さな丸い硝子のようなもの。

 いくつもの気泡がくすんだ丸い物の中に浮かんでいるのが解る。その中心は僅かに見て取れるが赤い何かがあるようだ。

 見当もつかず、ヒュウジの横で覗き込むように見るタツタは訝しむ。

 マンダが静かに答える。

 「飴細工の類、でしょうな」

 「‥‥‥飴細工?」

 「はい、特有の色味と気泡がそれかと。ですが角まんじゅうに本来このようなものは入っておりません。誰かが細工したとしか」

 「一体、何のために」

 「皆目、見当もつきませんな」

 そっと動きを見せてマンダは残る二つの角まんじゅうも割ってみせた。

 「どうやら、すべてにそれが入っていたようです」

 告げると箱の中にそっと戻してゆく。

 「誰が、どのような理由で、これを行ったかは判りませんが、ただもしこれが出回っていれば何かと騒ぎになりましょう。しかしながらそのような話も噂の類も聞き及んでいません」

 先ほどと打って変わって、マンダの面持ちから真剣さが伝わってくる。

 「なんにより一度、持ち帰って調べるのがよろしいでしょう」

 目を瞑りマンダは畏まって会釈した。

 ふむ、とうなずきヒュウジはマンダから差し出される箱を受け取り、まんじゅうを納めるとそっと蓋を閉めた。

 すっとタツタへ差し出すように横へ流すと小さく頷いてタツタは桐箱を預かった。

 ひとつ、とマンダは言葉を放つ。

 「思い当たるものがあります」

 二人はマンダを見ると話しを続けた。

 「にある色町、そこで何か解るかもしれません」

 「色町?」

 「はい、角まんじゅうはたいへん高価な物で、甘味というのもあってその菓子は遊女たちにもとても人気でして、座敷遊びに向かう一部はそれを携えて行くとか」

 「なるほど、しかし手がかりが薄いな」

 茶を一口飲みほしてからタツタも言葉を添えた。

 「まずを調べないと、関係性があるかどうかさえ」

 「ならば、やはり笑福屋に赴くのがよいでしょう」

 と告げたあとマンダは少し身を乗りして口元に片手を添える。

 「他人事ではあるのであまりあれこれと言いたくないですが、笑福屋の女将は色町出身でして、当時の若旦那が入れ込んで見受けしたそうです」

 「‥‥‥元々は遊女だった、と」

 えぇ、とマンダはうなずき言葉を足す。

 「人気の遊女で確か――、タカマエって名前でしたね。いまはヨマって名で若旦那と一緒に切り盛りしています。遊女だけあって礼儀もさながら、物腰もよくてね。それなりのお客さんにも人気だそうですよ。年上女房だから若旦那とも馬が合うようでして」

 腕を組んだマンダは少し考えるように短く唸る。

 「そういえば、角まんじゅうの味が落ちたって感じたのもちょうどあの頃か」

 タツタはその様子を窺ってから告げる。

 「私たちも笑福屋へは赴くつもりでした。女将さんに訊ねれば何かきっかけを得られるかもしれませんね、ヒュウジ」

 「なら、差し出がましいことを言ってしまいましたな」

 いえ、とヒュウジは軽く掌をみせた。

 「貴重な話しではありました。ところでもうひとつ」

 「まだ何か‥‥‥?」

 「はい、こちらが本題と言ってもいい」

 言うと小脇に置いた得物の鞘を握り、目の前に差し出す。

 「これと同じ物を使っている破魔士を知りたい」

 「、ですか」


 そこから改めて、という具合に今日あった出来事をマンダに説明した。

 もちろんマンダの人柄を見て信用に足る人物だと吟味した結果だ。他の者ならばそう簡単には教えられない。事が未解決ならば特に。

 見分役二人が《読んだ》現場とその状況、何より使われた《得物》が焦点となっているという事実、不可解に残された笑福屋のまんじゅう、そして二体の半魔の亡骸。

 簡潔に、淡々とではあるがヒュウジの言葉一つ一つにマンダは固い表情の面持ちで黙って聴き入っていた。

 当然、マンダはすぐさま理解して察した。《殺生鉄》が使われた得物を携えるのは限定的であることと、その技術を扱える者達が誰であるかも。

 「他言無用でお願いします」

 マンダはしっかりとうなずく。

 「もちろんです。ですが驚きました。二人がで無くまさか見分役だったとは」

 「おかしいですか?」

 あーいえいえ、と慌てて言葉を返してマンダは顔の前で手を振る。

 「お若いのに大したものだと。普通、若い方ならば執刀役に、年相応の熟練者が見分役に、というのが世間の認識ではあったのですが、そうですか、十番隊といえばギノキ先生ですかな」

 「おやっさんを――、いえ師匠せんせいをご存じで?」

 「もちろんですとも。彼は破魔役としても見分役としても長いですからね。何度かお見掛けして話したこともあります。最近は疎遠ですがね。とても優秀だと他の方々からも聞き及んでいます」

 うっすらとどこか嬉しそうな笑みが、ヒュウジの表情に浮かぶ。

 「その先生が尋ねるように、と言うのですから、あなた方お二人の見分も的を射てるのかもしれませんねえ」

 顎先を掻くようになぞったあと、ひざを叩いてマンダは立ち上がる。

 「少々お待ちを。破魔卸問屋こ こ精細な物をお持ちしましょう」




 破魔士とは――、妖魔を討つ者を指す。もしくは妖魔を封じる者達を指し、それを生業としている者の総称である。

 とくに今ではそれを専門職としてる者達がそう呼ばれていた。

 妖魔がおこ厄事やくじは放っておけば手が付けられないほど被害は広がり、犠牲者の数も計り知れないものとなる。

 妖獣、妖魔は天災の次に人々を震撼させるのに足る事象ともいえた。

 人の世を、秩序を守るために破魔士達は存在している。

 必要なのは《殺生鉄》と《妖力》の二つ。長い歴史で培われた先人たちの知恵を受け継いで今も対処し続けている。

 破魔卸問屋はその破魔士達を取り纏めている組織といえた。

 寺社認めの朱印と八帥司はちすいしの押印がなされる認可されていた商売の一つでもあり、文官方の四司ししと武官方の四帥しすいから認められた屋号なんてのはそうありはしない。

 国から、いや帝から公認されたと言っても過言ではなかった。

 だからこそ、誰でも看板を掲げることは出来ない。それなりに実績と経験、そして高名な人物の推薦が合わさってのことだ。

 都では唯一ここにしかない。あとは大きな街や郡領地に一つずつ設けられているが規模はとても小さい。

 さしずめ、元締めということになる。


 しかし、働きたいのならば、誰でも成れるものでもあった。

 《妖力》が強い弱い関係なく、《殺生鉄》の得物を携えているか否かでもなく、申請すれば何かしらの依頼を受けて達成した暁には報酬が与えられる、という簡潔明瞭なものだった。ある者は好奇心で、ある者は目的と野心を抱き、さらには金に困った挙句に身売り同然で暖簾をくぐる者まで。

 それ故に破魔士と名乗る者は多く存在する。

 とくに近年は妖獣による厄事やくじが多発しており、都周辺の近隣へ狩りだされる事が多く、破魔士として従事する者の数も増えた。

 ただし、生業とするならばそれなりの覚悟が必要だといえた。

 《死ぬ覚悟》それを自身で容認していれば誰でも破魔士として名乗れている。

 だが、妖獣、妖魔と対峙して生き残る破魔士の生存率はとても低い。

 単に力の差というものが多きな要因となっている。

 当然だ。相手はなのだから。そう易々と人の手にかかるのならばヒュウジ達も破魔士なども必要はないだろう。

 なので多くは班や組を作って集団行動する場合が多かった。

 破魔卸問屋は破魔士に仕事を斡旋し管理するが、ヒュウジたち妖魔取締破魔役は、妖獣妖魔の対処、そして在野の破魔士の取締も担っていた。


 《妖力》に関しては不思議なことにもともと人に備わっているという伝承がある。

 それゆえ誰でも扱えるが、それには日々、精神鍛錬と術式読解を学ばなくてはならない。もちろん学んでコツさえつかめば技術は高まっていくるだろう。

 しかし剣術や職人業と同く、血と汗の努力がなければ、単に持ち合わせているだけで開放したとは言えない。

 高めたとして、極めたとしたならば、妖獣妖魔に対抗しうる強力なものとなるが、それを行える人間は限られている。

 そもそもが、多くの人々がその力の持ち腐れをしている点と、技術技能そのものを広く授けてはいないからだ。

 これら《妖力》は不可解なことも多く、独自で修練、研究し編み出したものもあるが個々に特性が出芽して今まで見たこともない能力に目覚める者さえいる。

 それらに関しては寺社役へ申告しなければ、取り締まりの対象となる。

 認可が下りなければ、容易に妖力開放などという行いはご法度はっととされているし良くて監視下に置かれるか悪くて拘留される。

 何より、妖獣妖魔以外に危害を加えることは容認されてはいない。

 とても厳しい罰と戒律がある。くだんはその禁を破って起きた問題だ。


 何としてでも事を究明して主犯を捕縛しなくてはならない。


 ヒュウジは真摯な顔つきで帳簿と向き合っていた。

 室内にはマンダが持ち合わせた幾つもの帳簿の束が重なっていた。

 「これは、去年とこれが今年の出納帳すいとうちょうでして、これが人足帳です。他には報酬高別と寺社報告、申請、とさまざまです」

 一冊ずつ、二人の前にマンダは積み重ねてゆく。

 文字を指でなぞってゆくヒュウジは帳面に顔を向けながら言う。

 「驚いたな。これほど詳細に記されているとは」

 マンダは腕を組み自信ありげに返す。

 「もちろんです。商売相手は単に破魔士だけじゃあありませんからね。お上に逆らうもんならこちとら喰いっぱぐれです。納めるものは納め、告げるものは告げる、これがハマヤの鉄則ですから」

 

 二人が真剣な面持ちで睨み合う帳簿には、破魔士達の詳細なものが記されていた。

 名前、年齢、推定身長、体格、外見的特徴、得物の種類、妖力の来歴等が事細かく記載され破魔士として歴が長い者に至っては、こなした依頼や癖、趣味や好きな食べ物まで書かれていた。

 マンダも手伝いの傍ら話を振る。

 「でもヒュウジさん。話を伺うに、の流派なんでしょう?」

 「今のところは。剣技に関しては何も判らず空論といってもいいですね」

 「・・・・・・であれば難しいですな。ハマヤで扱う破魔士はの流派が多い。それに持ち合わせる得物の種類だって個々それぞれ違いますからね」

 タツタは短く息を吐いて肩を落とす。

 「これじゃあ、花の都で一番のお菓子を探くらい難しいですよ……」

 ぼやく言葉をきいてマンダは短く笑う。

 「うまいですな。確かに難しい。人それぞれ好みも趣向も違いますからな」

 はあ、と深くため息をついてヒュウジは眼鏡を整えるように上げる。

 「真面目にやってくれ。それでなくとも――、」

 と二人をたしなめようとしたその時、襖の向こう側から若い女の籠った声が、旦那様と静かに呼びかけた。

 気づいてマンダは声の方へ身を寄せると、少しだけ襖を開ける。

 女は耳打ちするように口元に手を当てて何やらマンダに告げている。

 声音はとても小さいく、二人が何を話しているのかは聴こえない。

 「わかった。下がっていいよ」

 マンダが静かに告げると女は小さく会釈をしてその場をあとにする。

 態勢をこちらに向け直したマンダの表情は曇っていた。

 

 「どうやら笑福屋へは無駄足になりそうです」

 ヒュウジは訝しい目つきを浮かばせるとマンダは続ける。

 「笑福屋の女将が、亡くなられたそうです‥‥‥」

 重苦しい声音を聴いたヒュウジとタツタは、驚きを隠せず眉根をぎゅっと寄せて、表情を固めるのであった。



 笑福屋の女将が亡くなった突然の訃報を耳にしてから、ヒュウジとタツタ、そしてマンダでさえ戸惑いを隠せなかった。

 「小雀こじゃくの報せなので、まず間違いないかと‥‥‥」

 静まり返った室内の空気を保つように、マンダはそう告げた。

 マンダは、というよりハマヤでは人を雇い専門的な行いをさせているものがある。

 その一つが情報収集のための《小雀》という役割を担う者達だ。

 どの組織でも持ち合わせている隠語の一つでもあるが、破魔卸問屋では小雀と呼ばれている。

 組織別では《フクロウ》《カラス》《トンビ》など鳥類をよく用いられる傾向があるため、小雀と言葉を発せられたとき、ヒュウジはぴんと閃くように悟った。

 都だけでなく諜報に携わっている者は数多く存在し、人々の私生活に溶け込んでいるためどこの誰が、どのような目的で、というのは誰も知る由しもない。

 ただその務めを任された者は性質的に雇い主に忠実な者が多い。

 いつの世も通じて、信用がその者の運命を左右しているからだ。

 特にこのような荒事や国事に関わるような組織に属していれば尚のこと。

 だからこそ報せ自体の信憑性が際立って感じ取れた。


 「ふむ、参りましたな」

 マンダは深く息をついた。

 「‥‥‥とにかくいまは手がかりが欲しい。私達は笑福屋へ行こうと思う」

 「しかし、いまから向かうとしても、慌ただしいだけですぞ?」

 「それでも行くしかあるまい」

 ヒュウジは座を崩してすっと立ち上がる。手早く間取り刀を腰に携えるのを見て、慌ててタツタも後に続いた。

 「では帳簿のほうはいかがなさいますか?」

 問われてヒュウジは片方の眉を下げる。悩む表情をみてマンダがすぐさま応えた。

 「では、写しを後ほど届けましょう」

 「どのくらいかかる?」

 腕を組んでマンダは目を瞑る。

 「早くて、明日の夕刻までには――、ですがここ一年、出入りした者のみとなります。さすがにそれ以上となるとときを要します」

 「分かった。それで十分です。それとまた何か報せがあれば是非とも」

 姿勢を引き締めるようにぴたりと整えるとマンダは一礼する。顔を上に向けながら畏まって告げた。

 「もちろんですとも。こちらとしてもご協力さしあげます」

 うなずいき返しヒュウジは言葉を添えた。

 「では、馳走になった」

 続けてタツタも去り際に一礼する。

 「ごちそうさまでした。今度また是非、甘味の話をゆっくりと」

 にこりと笑いかけるとマンダも応じて満面の笑みを浮かべ、是非とも、と言葉を残した。

 

 二人が室内を出ると廊下の傍らで仲居の女が正座しているのが見えた。

 待っていたのだろうか、二人の姿をみるや立ち上がり手を前に差し出すとくるりと踵を返す。どうやら出口までの案内のようだった。

 女に従い二人はその背に続いていく。

 ヒュウジは改めてという具合に肌で感じ取る。隙のないようなハマヤの所作のひとつひとつに、と。

 マンダに仕える者達から漂うただならぬ気配を僅かに、察するのであった。


 静まり返る室内でマンダは一人息をついた。緊張を解くように肩が大きく落ちる。

 目を瞑って何やら考えを巡らせたあと、誰もいない室内で言葉を発した。

 「少々、調べてほしいことがあります。頼めるかい‥‥‥?」

 室内には誰もいない。にも拘らずどこからともなく透き通るがしっかりとした声音が響いた。その声は一言だけ応える。

 「はい」と。



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