1.1 妖魔取締役十番隊
1 《妖魔取締役十番隊》
拍子木の甲高い音が鳴り響く。
一定の音ではなく警鐘のようにけたたましい。
都の南に広がる
広く幅を設けられた綺麗な
一見して平穏を装っていた
疾走する騒音の元は、人混みが目に入ると袖口から小さな竹笛を取り出し素早く咥える。
細く高い、それも鋭い音が鳴り響く。
「どけどけ! すぐに道をあけろ!」
威圧するような声音で男達が群衆の中をかき分けてゆく。
「
やっとの思いで人混みの中を縫うように進んでゆく大柄の男。
「よ、妖魔――、と、取締役――、である! 道をあけぬか!」
太い腕で押し退けられ、怪訝そうな表情を向ける町人たちに大柄の男は
やっとの思いで大勢の中を抜け出すと息をついて額を拭う。
血相をかいたような表情を浮かべたあとすぐさま、前を遮る捻じり縄を掴んだ。
ぴんと張られた赤白黒の三色の捻じり縄には均等に紙の札が吊り下げられ、ヤハト文字で《禁》と墨で記されていた。
男は太い腕をぐっと掲げるように
そのあとすぐさま同じ動作で後ろの者達が続く。
「――まったく、見世物ではないというのにどっから集まってきた」
大柄の男は民衆を後目に小さくぼやく。
「ご苦労だな。ジンザ」
ジンザ、と呼ばれた大柄の男はぱっと表情を替え初老の男へと言葉を返した。
「ギノキのダンナ、一番乗りですかい?」
ギノキと呼ばれた初老の男は腕組をしながらゆったりとした姿勢を保っていた。
大柄のジンザとは違い細身で年相応の顔に灰色の髪の毛を短く刈り揃えている。
目は細く、感情をのせるような表情を浮かべそうにない人相でもあった。
深く耳によく通る枯れた声音がより年季を感じさせ、どこか凄味がある。
「ちょうど詰め所に向かう所でな。近くの連中を引っ張って現場に一足だ」
なるほど、と呟きながらジンザは太い首で周りを見渡し同じ風貌の隊士たちに目をやった。
周辺には
様相は皆一緒で黒の衣服を身に纏い、白い羽織の背中にはヤハト文字で丸に破の文字が黒く刺繍されていた。
そして一同、腰には得物を一振り差していた。それはどれも、脇差よりは少し長く太さがある。
ジンザは辺りを見渡しながらギノキに近づくと目の前に広がる光景にため息のような声を洩らした。
「こいつぁいったい‥‥‥」
腕を組んだあと太い指で自身の顎先を摘まむようになぞる。
ギノキはジンザと同じ視線に目をやった。
「まあ、痴話喧嘩や物取りの犯行ってわけでもないな。かと言って
鼻で息をつくとギノキは細い目を瞑る。
二人の目の前には凄惨な状況が広がっていた。
朽ちた小さな神社に広がる石畳に動かぬ人影が横たわっている。
人間だったそれらは三つ。
石畳の継ぎ目に血が沿って流れたのだろう、黒ずんだ血痕が網目の様に広がり、遺体の周りにも血しぶきが飛び散ったような点がいくつも目立つ。
横たわる一人は中年層の女で、衣服に乱れはない。鮮やかな色合いの衣服の胸部は血で赤黒く染めあげられていた。眼は大きく見開き驚いた表情のまま固まっている。
そこから少し離れた位置に大きく血溜まりの痕が二つ。一見すると男であることが判るが――、二つとも様相は異形そのものであった。
上半身の衣服は破れ、常人の肌の色とは違い青黒い。異様に張り出た肩と異常に長い腕に
眼は大きく見開いていて黒く、瞳の中心は菜の花のような色がある。
もう一体も同じ異形であるが、違う点といえば左腕が肩から無くなっている。
女の遺体と違い、その二つの身体からは無数の傷跡が読み取れた。
ギノキは
だがギノキは現場に駆け付けた際、状況を見てすぐさま理解し察していた。
これは人間の仕業である、ということを。
ジンザは傍らのギノキに顔を向けた。
「――ダンナが見分するんで?」
ギノキは落ち着いた様子で答えた。
「いや、弟子らにやらせようとおもう」
ジンザは遺体の方へとまた顔を向ける。
「‥‥‥ほう、あいつらにコレをねえ」
「あいつらももうかれこれだろう。このくらいやってもらわにゃ、俺はぁいつまでも引退できやしねえよ」
笑みを浮かべることもなく、淡々とした面持ちでギノキは返した。
二人の会話にすこし間があいたあと、野次馬の町民たちが少し騒めき始めた。
その中から若い男の声が耳に届く。
「申し訳ない! 通してくれ! 妖魔取締役だ! どいてくれ!」
貫禄ある二人は後ろを振り返り、ジンザが声を張り上げた。
「ヒュウジ! 遅いッ! たるんでおるぞ!」
規制腺でもある結繩を搔い潜りながら、青年は少し焦ったように答える。
「宿直明けだったんです。ジンザさん、勘弁してください」
血相をかいた様に、ヒュウジと呼ばれた青年は息を整えたあと、ずれた眼鏡を指先で戻した。
艶のある若々しい長い黒髪を結い上げ、利発そうなきりっとした顔立ちは優男前、といったところだろう。
ジンザとは違い細身ではあるが身長は大柄のジンザと並ぶほどだ。
そこへもう一人、すぐ後ろに小柄の者が後に続いてきた。
「――遅くなりました」
若い女の声だ。一礼すると顔をあげるが、まだ息が整ってない様子だ。
精悍な顔つきではあるが、髪が乱れて頬を伝っている。
反射的にという具合に、後れ毛を細い指でなぞるよう耳の裏へと流した。
二人が揃ったのをみてジンザは言う。
「タツタ、お前も宿直組か」
訊かれて女は息を整えながら答える。
「いえ――、私はその、騒ぎをききつけて、道中ヒュウジの姿が見えたので」
なるほど、と呟くとジンザはタツタを見下ろして指摘した。
「襟ッ」
慌てていたのだろう、胸元の衣服が乱れていることにジンザは気づいた。
はっとなってタツタはすぐさま指でぴっとたるみを伸ばす。
「二人ともご苦労。さっそくだがやってみろ」
顔を現場の方に向けるとギノキは告げるように言う。
察して二人ははっきりとした声で迷いなく返事をした。
「道具はあるのか?」
ジンザが二人を窺うとタツタが応えた。
「ばっちりです!」
胸元に巻物の様に包んだ物を握りしめ頷いて見せる。
それは皮を
他にも、タツタとヒュウジはヘソの辺りまである革の胴当て
二人は深く呼吸をすると顔を見合わせて一歩、前へと踏み込んでゆく。
遺体の転がる現場は異様な光景で凄まじさを物語っているが――、二人の眼には違った景色が観えていた。
ヒュウジは女の遺体を指さすとタツタは小さくうなずく。
息の合った様子で各々が見分を始めた。
まずタツタは女の亡骸に近づくと地面に両膝をついて掌を合わせた。
祈るように目を瞑ったあとで手にしていた道具を素早く地面に広げた。
三度、革の巻物を転がすといくつかの金属音が短く鳴る。
長さや細さが違ういくつかの
次いで腰の後ろに手を回すと革袋を取り出す。
水入れような小さな革袋の栓を抜くとその中身をまんべんなく手にかけ、指の間まで揉むように液体をなじませた。
鼻の奥をつくような刺激臭がふわっと香るのを感じたあと手早く腰の後ろへと同じ動作で戻す。
視界の隅におさまるヒュウジも同じような動作をしている。
タツタはまず先細る形状の
真っ赤に染まった胸部の傷口の周辺をまずゆっくりと摘まんでは衣服の断面を
次いでもう一つ同じような鑷子を手に取り、両手で傷口のあたりを開く。
血で固まった衣服は戻る様子もなく、タツタの指先に応じるままの形状を保ってゆく。
ようやく赤く染まる肌の表面がみえたところで、素早く袖口から小瓶を取り出す。
液体が入っている小瓶の栓をゆっくり親指で抜くと指先で平行に保った。
右手の鑷子が摘まんだほんの僅かな肉片と血の塊。
それを慎重に小瓶へと入れ、紐で繋がれた木蓋で栓をする。
人差し指と親指で上下に小瓶を挟む。軽く振っては陽の光にあてる仕草をみせた。
そのあとでタツタは遺体の首筋、顔の表面などを触診するようになぞった。
目を見開き、驚くような表情を浮かべたままの女の遺体に動じもせず、真摯な表情を浮かべタツタはきびきびと動作する。
最後に遺体の両方の眉毛に左手の指を添え、ゆっくりと肌をなぞるよう瞼を閉じらせ、掌を合わせた。
少し力が入ったのか、化粧が指先に白く残った。
布で指先を拭いながら息をついてヒュウジを見やると、彼はまだ見分の真っ最中であった。
ヒュウジはどこか腑に落ちない様子で顎先に指をあてては血の固まった地面を指でなぞりまた低くかがんでは地面と平行になるような覗き込む姿勢を繰り返していた。
指で尺を計ったり、立ち位置をかえてみたりなど、タツタの動作と比べて動きも大きければどこか大胆でもある。
道具を片付け終わるとタツタは立ち上がりギノキへと少し歩み寄った。
ギノキは訊ねた。
「どう読む。まずはタツタ、お前からだ」
タツタはギノキの眼をみて返事をする。
「まず、触診からすると時刻は昨晩の日を跨ぐ前後。そしてあの遺体ですが端的に言えば刺殺です。それもかなりの使い手によるものと思われます」
ギノキはうなずく。まずそこまでの察しはすでについていたが、理由を問う。
「ほう、それで」
「はい、刺し傷の部分は抵抗した痕もみられず
なるほど、とギノキは呟くように応える。
「並の剣術ではあれほど綺麗にはいきません。名人芸、といっても良いかと」
静かに二人のやりとりを聴いていたジンザは再度、女の遺体に目を向け訝しむ。
「驚愕した表情は刺されて驚いたものではなく、その前だと思われます。不意に誰かの姿に気づいてか、迫られたその瞬間なのか、傷口の肉も乱れてはいませんし、それと使い手は得物を水平に差し込んで骨を掻い潜っていました」
ジンザは言葉を聞き少し納得したようだった。
「なれば、タツタの言う通り、剣に精通している者の犯行ということか」
「はい、私はそう断定しました。妖魔の残滓も感じられませんでしたし傷口から採取した肉片にも特に反応はありませんでした。でも――、」
と言葉を詰まらせる。
タツタは考えるように首を少し傾げた。
ジンザはじれったさを感じて言う。
「なんだ。はっきり申せ」
「いえ、その、どこか腑に落ちなくて」
ギノキは眉間にしわを寄せる。
「どう、腑に落ちない」
うーん、と唸るように声をもらしたあとタツタは答える。
「はっきりとは言いにくいのですが、本当にあそこで倒れたのか、という点です」
続けろ、とギノキに言われてタツタは話をする。
「ぱっと見て衣服は乱れてないものの、裾の辺りと腰回りに擦れたあとがありました。初めは倒れ込んだ時に、とでも思ったのですが砂粒が付着しているのをみて引きずったような痕だなって感じました」
「衣服の繊維は?」
「当然、遺体の足元付近に埃のような小さな糸くずは在りましたでも――、即死するほどの刺し傷で人が、引きずられるように地面へと倒れ込むのでしょうか?」
タツタの疑問に年輩の二人はうなずき目を閉じた。
ジンザは頭にのぼった安易な言葉を述べた。
「後に誰かが動かした、というのは」
「ありえません」
タツタはきっぱりと言い放った。
「血だまりからすると倒れ込んだのはあの場所、そして移動したとなると血痕が地面に付着して引きずった跡が残されるはずです。私も考えました。刺した後に突き飛ばしたのではないか、と。でもそれだと一の手で刺して、二手目で脚や腕で引き離した、となれば衣服に跡が残るはずですが、
うむ、とうなずきギノキは言う。
「つまり、かなりの使い手だというのに、刃物から滴る血痕さえ見当たらぬということか」
タツタはうなずき返した。
確かに、タツタのいう事も理解できるし長年、剣術を扱ってきた二人にも察しがついた。
血が付着すれば必ず拭わなくてはならないその動作を。
何かで拭き取ることもすれば、振り下ろして血払いをする行動もとるはず、ここまで大立ち回りのような行動をとっておいて血を拭い去った物を拾って持ち帰るなんてことも無いだろう。何かしら痕跡は残すはず。
一見してただの殺しの現場には変わりないが、調べれば調べるほど不自然が地面から滲み出る。
妖魔の仕業ではなく人間の犯行――、妖魔特有の残滓も感じられなければ人間の、それも常人の思考から外れているような行動。
どう考えても合点がいかぬ、という表情を浮かべる三人を他所に、ヒュウジが見分を終えて近づいてきた。
「多分、タツタの読みは概ね合ってますよ。ただこれは人であって人ならざるものの仕業です」
ギノキは問いかける。
「お前はどう読む。何が見えた」
ヒュウジは息をついてから眼鏡を指で支えるように押し上げた。
「合わせてもいいですか?」
「‥‥‥やってみろ」
僅かに、自信に満ち溢れるヒュウジの表情をみて、ギノキは珍しく口端に笑みを浮かばせてみせた。
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