きみはかわいいおれの星

やなぎ怜

きみはかわいいおれの星

「話をしようぜ? 星来せいら

「…………」


 簡素なイスに縛りつけられた星来に対し酷薄な笑みを見せる成海なるみは、しかしその横顔とは裏腹に冷静とはほど遠かった。


 未だになぜ星来がここにいるのかもわからない。わからないが、わからないなりに彼女が自分を裏切ろうとしたことだけは理解できた。


 星来は、金庫番を務める成海の、直属の部下のひとりだ。そして、唯一の幼馴染でもある。物心ついたころから今まで、ずっと一緒にいた。星来の秘密を知っているのはひとつふたつに留まらないし、彼女が表に出したがらないような恥ずかしい思い出だって共有している。


 そんな星来が、組織の金を盗って高飛びしようとしていた男と一緒にいた。理由はわからないが、状況は雄弁に彼女も裏切り者だろうことを語っている。だから、成海は星来をイスに座らせた上で縛りつけている。両腕は後ろでまとめて結束バンドで拘束している。万が一にも逃げることは叶わない状況だ。


 成海は、星来を見ていると冷静さを失って行くのを感じた。血が沸騰しているような気もするし、恐ろしいほどに引いて行くような感覚もある。とにかく、冷静ではないことはたしかだ。


 今まで、星来のことを大切にしてきた。つもりだった。


 星来はなにをさせても平均未満の落ちこぼれで、それはこの裏社会に流れ着いても変わりはない。その取り柄と言えばコロシだろう。情緒が希薄な星来は、どんな哀れな相手を始末しようと罪悪感にさいなまれることがなく、揺らぎもしない。これは一応、長所であった。


 もうひとつの取り柄はその容姿だろう。ハッと息を呑むほどの繊細な美貌。年を経ても衰えるどころか、凄みを増して行くのだから、星来は多くの男を惹きつける。とはいえ、男たちが星来を得ることはできない。


 なぜならば成海が一緒に暮らし、寝食を共にし、星来のその美貌をせっせと保つためのケアを怠らずにいるのだから、そもそもつけ入る隙というものがないのだ。


 そんな成海の姿を見て「人形遊び」と揶揄する輩もいたが、成海にはどうでもよかった。そうやって成海は星来を大切に大切にしてきた。


 なのになぜ、星来は組織の裏切り者と一緒にいたのか。


 情緒が希薄な星来は、滅多に感情をあらわにしない。それでも成海にはその感情の起伏はそれなりにわかるつもりだった。


 けれども今は冷静さを欠いているからだろう、星来がなにを考えているのかさっぱりわからなかった。


「星来、俺は怒ってないよ? ただ、理由が知りたいだけ」


 成海は猫撫で声を出して星来と視線を合わせる。セリフに嘘はほとんどなかった。理由が知りたいのは本心だった。しかし、怒っていないというのは少々嘘だ。


 しかし肝心の星来は、成海と視線が合うや、ふいとそらしてしまう。どこか気まずげな、苦々しくかすかに歪めた、秀麗な横顔を見せる。色白で、毛穴の見えない美しい横顔だ。長いまつげはかすかに伏せられている。


 しかし、そんな星来の横顔を、あの裏切り者の男も見ていたのかと思うと、成海の中にふつふつと理不尽な怒りが湧いてくる。その横顔は、成海のものだったはずではないか。なのに星来は成海とは違う男と一緒にいた。


「どっか行きたかったの?」

「……そういうわけじゃない」


 ようやく星来が口を開いた。視線をさまよわせ、苦しげにひとことだけ。やはりどこか気まずげな、後ろめたい顔をしている。それは成海を裏切ったことからくる感情の発露なのだろうか。成海にはわからない。いや、もし仮にそれが事実だとすれば、わかりたくなかった。


「お金欲しかった?」

「……そういうわけじゃない」


 星来が今身にまとっているオーダーメイドのスーツは、よれてしまっている。このスーツは成海が贈ったものだ。星来が身につけるもの、その身を取り囲むもののほとんどは、成海が贈ったり、用意したものだった。


「……俺と一緒にいるの、イヤになった?」

「そうじゃない」


 成海が本当に聞きたかったことを口にすれば、今度は間を置かなかったどころか、食い気味に「そうじゃない」という言葉が返ってきた。


 星来は滅多に嘘をつかないし、そもそも嘘をつくのがヘタだ。今の言葉が星来の本心だということも、成海にはすぐにわかった。


 けれどもそれだとわからなくなる。なぜ、裏切り者の男を捕まえたとき、星来は彼と一緒にいたのか。


 しかし星来は弁解したくないのか、それとも弁解の言葉を探している途中なのか、これまでに一切の釈明をしていない。


「じゃあ、どうして」


 であれば、成海がそう問うのはごく自然な流れだった。


 だが星来は薄茶色の目を泳がせて、また黙り込んでしまう。


 やがてようやく口を開いたかと思えば、


「言いたくない」


 と、成海にとっては頭が痛くなるようなことを言う。


「なあ星来。俺怒ってないよ?」

「……わかってる」

「ボスにだってまだこのことは伝わってないし」

「……わかってる」

「じゃあ、どうしてあいつといたわけ?」


 沈黙。


 また星来が黙り込んだので、成海は思わず浅くため息をついてしまった。途端に、星来の大きな瞳が揺れたように見えた。成海はそれを認めて、再度星来と視線を合わせる。


 星来はまた顔ごと目をそむけようとしたが、今度は成海の手がそれを阻んだ。成海は星来の顎をつかんで、自分のほうへと彼女の顔を向けさせる。


「もうやめる?」

「……は?」

「仕事。やめちゃう?」

「……どういう」

「――こういうことがあるならさ、俺、星来を閉じ込めておきたくなっちゃうよ」


 成海が今までそうしなかったのは、星来が成海のために働きたいと懇願したからだ。だから、成海は星来の意思を尊重してきた。


 しかし本音では、自分以外のだれの目にも星来を触れさせたくない。成海はずっと、そう思っていた。


 成海の本心を聞かされたからだろう、星来の瞳がまた揺れる。ぐっと歯を食いしばったのが、成海にもなんとなくわかった。


 成海は、星来の前では格好をつけていた。優しく、紳士的で、物わかりのいい男を演じてきた。実際の成海にはそれとは正反対の感情が潜んでいたが、それを星来にはあえて見せてこなかった。


 けれども、星来が自分から離れて行くのなら別。成海はまた酷薄そうな笑みを浮かべて星来を見る。


「星来」


 優しい声音で、冷たい視線で、名前を呼べば、指先越しにまた星来が歯を食いしばるように頬に力を入れたのがわかった。


 このまま星来に口づけて、そのあとは――。そんなことを成海が考え始めたとき、星来は観念したように渋々唇を開いた。


「……釣り合いがとれないから」


 さすがの成海も、星来が言わんとしていることをすぐに察することはできなかった。


 しかし、ぽかんと呆気に取られた目をする成海を見て、星来は失望されたと誤解をしたらしい。瞳をあちらこちらへ向けながら、たどたどしく言葉をつなげていく。


「わたしと成海じゃ、釣り合いが取れてないから。わたし、できることがすくないし。成海と違う。だから、なんていうか、生きてるステージが違うっていうか。釣り合いが取れてなくて、似合いじゃないから」


 もともと、星来は順序だてて話すのがヘタだったが、今はそれに輪をかけて話の筋が見えてこない。星来の中でもしっかりと言語化できていない感情について話しているのかもしれないと成海は思った。


「釣り合いが取れてないって、それだれに言われたの?」

「……そういうのじゃない」

「ふーん……まあ今はそういうことにしておくけど」


 星来は物事を深くは考えないところがある。だから、そんな彼女から急に「釣り合いが取れていない」という言葉が出てきたことで、成海はすぐにだれかが吹き込んだセリフなのだろうと察することができた。なんとも、余計なことをする輩がいたものである。成海は心の中で粛清リストに今は不明の輩を加えておいた。


「それで、どうしてそれがあの裏切り者と一緒にいたことに繋がるわけ?」


 星来の目がまた泳いだが、今度はちゃんと話をしてくれるらしい。荒れひとつない美しい唇が、上下に開いた。


「釣り合いが取れない、なら、取れるようにすればいいと、思った」

「つまり……星来はあいつを捕まえようとしていたってこと?」


 色白な肌の星来の耳が、赤くなったのがわかった。


 どうやら、先ほどまでずいぶんと頑なだったのは、自分の失態を口にするのが恥ずかしかったかららしい。別に、星来は成海を裏切ろうとしていたわけではなかったのだ。成海は体からちょっと力が抜けて行くのを感じた。


「っハァ――……」


 成海が盛大に安堵の息を吐けば、星来はそれを勘違いして肩を震わせた。


「ごめん」

「……いや、別にこの息はそういうのじゃないから」

「……そうなのか?」

「うん。でも、星来はそんなリスキーな真似をしてでも俺と一緒にいたかったんだ?」


 ヤキモキさせた仕返しとばかりに成海がつつけば、星来は耳を赤くしてうつむいてしまった。


「……わたしは、かしこくもないし、教養もないし、人がいいわけでもない。だから、成海とは生きているステージが違うと思った。成海にはもっと、わたしと違うタイプの女がいいんじゃないかって思った。でも」


 星来は小さく息を吐くように、言う。


「でも、成海のそばにいたい」


 成海は、心臓を撃ち抜かれたような気持ちになった。


「……いたいならいればいいじゃん。今までずっとそうだったんだからさ」

「ん……」


 星来がもぞもぞと居心地悪そうに体を揺らした。それを見て成海は星来を縛っていたロープをほどいてやる。残念ながら結束バンドを切断できるような道具はこの部屋にはなかったので、手首は後ろでまとめられたままだ。それをいいことに、成海は星来を抱き寄せて耳元でささやく。


「釣り合いが取れないとか、そんなのは言わせとけ。俺らには関係ないんだからさ」

「ん……」

「――でも今回の件はだいぶヒヤッとしたから、あとでお仕置きな」

「……え?」


 ……その夜のことはしばらくは思い出したくない、とは星来の言であった。一方、成海の機嫌のよさがしばらく持続したことは、言うまでもないことだろう。

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