第16話 第一の試練『宝探し』――⑬


 極東の島国『日本』の魔法界において、『神』と同列視される伝説の魔法使い――安倍晴明あべのせいめい


 その由緒正しき血脈を受け継ぐ嫡流であり、眩く光り輝く才能から『始祖の生まれ変わり』とすら称される――天才。


 次代土御門家当主――土御門陽菜つちみかどひな

 セル・アルヴ・ライトヘイムが世界で最も貴き魔法一族ならば、土御門陽菜は日本で最も神聖な魔法一族の、歴代きっての天才児なのだ。


 そんな彼女は、若干十二才にして、土御門家当主たる証を、日本魔法界の長たる象徴を――伝説の陰陽師の遺産を、既に正式に受け継いでいる。


 十二神将じゅうにしんしょう

 かつて、神域に辿り着いたとされる天才陰陽師・安倍晴明が、その生涯で生み出した十二体の最高傑作たる式神たち。


 それぞれが、既に作製されて千年以上の月日が経過しているにも関わらず、独立した意思と魂と心を持って、一つの生命体――それも神話ファンタジー級の魔力を持つ幻想の存在として生き続けている、紛うことなき伝説の怪物たち。


 陽菜は既に、その

 本来であれば、その内の一体にでも認められれば、受け継ぐことが出来れば、土御門家宗家の跡取りとして認められ、日本魔法界を背負う代表としての証を得ることになる偉業であるにも関わらず――十二才で十二体となると、偉業を通り越してもはや完全に異常である。


 だからこそ、土御門陽菜は。

 未だ魔法学校を卒業すらしていない、しかも女児にも関わらず、男尊女卑の思想が根強く残る日本魔法界の重鎮たちにすら既に正式に次代後継として認めれられていて――まぁ、『現代陰陽術』誕生の立役者にして、安倍晴明に次ぐ二人目の『卒業生』たる現当主、信葉のぶはの婆様すら成し遂げられなかった『十二体全ての継承』を成し遂げた陽菜を、安倍晴明狂信者たる自称日本魔法界の重鎮たる爺様共が、こぞって陽菜を『始祖』の生まれ変わりだと狂喜し吹聴し回っている面倒くさいムーブメントも発生しているわけだが……それは今はどうでもいい。


 つまりは、このペガサスは――土御門陽菜の紛う事なき『式神』であり。


黒竜・幼体ブラック・ドラゴン・ジュニア撃破確認。【黄金鳥ゴールドバード】寮・土御門陽菜一年生。100ポイント獲得』


 全ては――この少女の。


 土御門陽菜という主人公の、一人舞台だったというわけだ。

 

「――お疲れ。『天空』」


 陽菜の転送水晶から機械的な音声が流れるのとほぼ同時に――機械竜を焼き尽くした白炎が消失した。これは学校側の設定ではなく、陽菜の魔法技量による消火である。


「やったやった! やったわね、陽菜さん!」


 太陽がいきなり落下して機械の竜を焼き尽くしたが如きトンデモ展開に誰もが呆然としていたが、一早く喜びを露わにして陽菜に抱き着いたのは、フィア・ライトヘイムだった。


 何が何だかよく分からないが、水晶の機械音声から陽菜が機械竜を倒したということは分かったらしい。なんかすごい現象も、陽菜ならばやりかねないと無理矢理に理解したようだ。やはり彼女は素質がある。陽菜のやることに一々驚いていたらキリがないからな。


「なんかごめんね。みんなで力を合わせて倒したのに……。私だけがポイントを手に入れることになっちゃって」

「いいんだよ。パス回しも勿論大事だが、こういうのはゴールを決めた奴が称賛されるべきなんだ」


 フィアに抱き着かれながらも申し訳なさそうにしている陽菜に、着地した俺は歩み寄りながらそう言う。


 無論、最後の一押しを蹴るストライカーに陽菜を選んだのは俺の私情もたっぷり含まれているが――そして、陽菜はそれを理解しているからこその申し訳なさだろうが――それでも、俺たちの中であの機械竜を一番手っ取り早く倒せたのが陽菜であろうことは確かだ。


 レオンもエヴァも、俺に全ての手札を見せているわけじゃないだろうし、その上で俺に采配を任せたんだろうしな。陽菜が後ろめたくなる理由はない。


 そんな意味も込めて、俺は陽菜に笑みを浮かべながら近付くと――俺の方を見ていた陽菜が目を見開き、そしてフィアが身を固めて叫んだ。


「——危ない! やめて、


 俺は足を止める。


 そして、そんな俺の背中に――雷の刃の切っ先が向けられた。


「――よう、お兄様。ポンポンはもう痛くないのか? 随分といいのを貰ってたみたいだけど」

「——下らない挑発に構う気はない。死にたくなければ、偽りなく答えろ」


 振り向かずとも分かる。

 響き渡る雷音が――セル・アルヴ・ライトヘイムの心中をこの上なく表している。


 世界で最も魔法の才に溢れた少年は、未だ鬼が如き形相で――今度は俺を、殺意を持って睨み付けているのだろう。


「——何故、貴様が『ライトヘイムの雷』を使える?」

「……雷の魔法を使える奴なんて珍しくもないだろう? 何だ、まさか雷はライトヘイム様の特許商品だとでも? 許可なく使用したら金を払えとでも言うつもりか?」

「下らない挑発に構う気はないといった筈だ」


 俺の顔の横を雷の槍が擦過する。


 フィアが再び肩を揺らし、陽菜が前に出ようとするが――俺は目線でそれを制した。


 ゆっくりと、俺は振り返る。


 そして、全身を翡翠の雷で包み込み、真っ直ぐに雷の刃の切っ先を俺に向け続ける――セル・アルヴ・ライトヘイムは、その翡翠の瞳で俺を射抜くように見据えて言う。


「この私の目を誤魔化せると思っているわけではあるまい。貴様のアレは、間違いなくライトヘイムの――紛れもない、だった」


 魔法とは料理に近い。

 同じカレーを作るにしても、作る人によって拘りや工夫によって、調理時間や仕上がりが異なるように――魔法もまた、同じ術式でも術者によってどうしたってクオリティに違いは生じる。


 そして、何より――材料となる、魔力。

 例え家族でも、同じ一族でも、全く同じ魔力を持って生まれるということはない。


 その分かりやすいあかしが――色だ。

 魔力色。その魔法使いの本質が現れるとされる魔力色は、似たような色を持つことはあっても、全く同じ色を持つことは有り得ない。


 赤でも、青でも――十人いれば十通りの赤が、百人いれば百通りの青がある。


 だが――先程の俺が使った雷化の術は、紛れもなく『セル・アルヴ・ライトヘイムオレ』の『翡翠色魔力』だったと、天才児は言う。


「貴様は、一体何をした? 貴様は、一体何者だ? 何故、貴様のような奴が存在している?」


 お前は――、と。


 燃えるような怒りを抑え、いっそ冷たくすらある眼光を向けるお兄様に――俺は、笑う。


 小さく口元に、隠し切れない、笑みを漏らす。


 お前は――何だ、だと。


 そんなもん――俺が知りたいわ。


「う、うわぁっ!!」


 俺たちがそんな不毛な睨み合いを続けていると、白炎が消え、機械竜が倒れ――がら空きになった『竜の巣』へと、黒銅竜の眼鏡少年が飛び込んだ。


 そして這うようにして宝箱に手を伸ばし、その中から黒い宝玉を掴み取って、ジークへと見せる。


「こ、これで僕も合格ですよね! いいんですよね!」

「クク。いちいち俺の許可なんて求めてんじゃねぇよ」


 そう言いながらも嬉しそうに、ジークは言った。


「——それは、テメェが勝ち取ったもんだ。よくやったな。いい魔法だったぜ。お陰で頭かち割らなくて済んだ」


 実際の所、ジークは自力で着地手段を用意出来ていただろう。

 だが、それでも――あの状況で、ジークを助けるべく魔法を行使するという一歩を踏み出せたのは、間違いなく、ジークが求める王国の民としての行動力だった。


 眼鏡少年は、そんなジークの言葉に目を輝かせ、くいっと顎で示されたように、すぐさま己の転送水晶に向かって叫ぶ。


「よ、よかった……ッ。て、転送! 転送します!」


 またひとり、試練を終えて帰還を果たす。

 眼鏡少年の転送が始まると、ジークは「さて、何はともあれ、楽しい祭りも終わりの時間だ」と、大仰な身振りで語り始めた。


「結局、美味しいとこはもってかれちまったが――天才様のいい顔も見れたし。お膳立てされた上とはいえ、一発、やり返してやることも出来たしな。俺様はけっこう満足だ。俺らも帰るとしようぜ、ヴェルグ」


 ジークはそう言って、「いや、俺はめっちゃ消化不良だぜ」と唇を尖らせて拗ねる野獣少年の元へと向かっていく。「貴様……」とジークを睨み付けるセルに、黒い龍の王の座を手に入れた少年は、顔だけ振り返って煽るように笑う。


白銀狼おたくらも手早く締めたらどうだ? いつまでも他寮の生徒に絡んでねぇで、早いとこ同寮の部下に構ってやらねぇと――もう、いつ強制終了タイムリミットになってもおかしくねぇぜ」


 そう言ってジークは、未だ宝玉を持っておらず不安そうにソワソワしている白銀狼の少年と少女を――そして、俺がぶち開け、天馬が飛来してきた、この竜の巣の天井の穴から覗く、もうほとんど黒く染まりかけている空を指差した。


「ほら。行くぞ、ヴェルグ」

「チッ―—テメェだけスッキリしやがって。だぁっ、クソ、分かったよ」


 ジークに肩を叩かれたヴェルグは、獣毛のような髪を掻きむしって「レオン! そして―—氷女!」と、ずっと執着していたレオンと、それをずっと妨害していたエヴァに向けて指差して叫ぶ。


「忘れるな、テメェは俺の獲物だ。女の氷も、次こそは砕ききってやるぜ!!」


 獰猛な獣は、その飢えを、渇きを、隠そうともせずに。


 涎塗れの牙を剥き出しにして――真っ黒に吠える。

 

「テメェらを喰らうのは、この俺だ!!」


 そして――黒き竜の王は。


 俺と、そしてペガサスを――それを従える陽菜を見据えて。


「————ハッ!」


 楽しそうに、獰猛に笑って。


「——また遊ぼうぜ。今度は――俺が勝つ」


 そう台詞を捨てながら、ヴェルグと共に転送していった。


 これでこの場にいた黒銅竜ブロンズドラゴンの新入生は、全員が試練を終えたことになる。


 そして「チッ―—」と舌打ちをしながらも、雷の刃を引っ込めて、セルは俺を押し退けるようにして『竜の巣』へと向かい。


 宝箱の中から銀色の宝玉を取り出して――二人の白銀狼の生徒を見渡した後。


 少女の方へと、無造作に投げ渡す。


「——これはお前のものだ。マルシア・ウィルソン」


 宝玉を受け取り呆然とする少女と、宝玉を渡されず唖然とする少年。

 既に両者を見向きもせずに、セル・アルヴ・ライトヘイムは淡々と言う。


「見事な風魔法だった。これからその身を尽くして、私の為に貢献しろ。——これにて、我ら白銀狼シルバーウルフの試練は終了する」


 速やかに転送するぞと転送水晶を手にするセルに、「ま、待ってください!!」と、宝玉を手に入れられなかった少年が叫ぶ。


「な、何故ですか! 何故、僕ではなく彼女が――」

「何度も同じことを言わせるな、今言った通りだ。コイツは力を示した。コイツは行動を起こした」


 対して。


 お前は――、と。


 セルは冷たく、何の感情も、何の興味も、何の関心も込めずに言う。


「故に、コイツの方が、オマエよりも使だと判断した。それが全てだ」

「な……で……でも――」

「納得できないか? ならば、今度こそ――行動で示せ」


 そう言って、再びセルは――雷を纏い。

 バチバチと大気を鳴らし、翡翠の魔力を迸らせながら、淡々と告げる。


「来るがいい。この私の手から宝玉を奪って見せろ。そうすれば、お前は生き残り――新たな白銀狼の長となることが出来る」


 少年は、顔を青ざめさせて、一歩、後ろに後退する。


 そしてガチガチと歯根を鳴らして――それでも。


 ここで引いたら、全てが終わる。

 魔法学校を退学になるということは――魔法使い生命を断たれるということ。


 それはつまり、魔法使いにとっての死を意味する。

 

 だからこそ――ここで動かなくてはならない。

 例え、相手が当代きっての天才児でも――あの、セル・アルヴ・ライトヘイムでも。


 戦わなくてはならない。戦わなくては、生き残れない。


 だが――少年は。


「————っ!」


 顔を上げて――でも。


 その恐ろしい翡翠の光に――戦わずして、全てを折られて。


 隣に立つ、己と違って選ばれた少女に目を向けて。


「————ひっ!」


 強者から逃げて、己と同じ弱者だと思っていた少女に手を向けた少年は――けれど、触れることすら出来ずに、少女の風に手を切られた。


「…………ぅ」


 たらりと、掌から流れる血に――少年は。


 魔道具デバイスを握ることすら出来ずに――ゆっくりと、膝を着いた。


「…………ごめんね」


 マルシアと呼ばれた少女は、そう言って一度だけ、少年に言うと――そのままセルの元へと駆け寄る。


 セルは既に少年に対する関心を完全に無くしたのか、存在を忘却したかのように見向きもせずに――俺ら黄金鳥ゴールドバードへと目を向けて。


土御門陽菜つちみかどひな――そして、土御門愛樹つちみかどあきといったか」


 陰陽師――その名、その顔、しかと覚えたぞ、と。


 翡翠の雷を迸らせながら、最も貴き血脈の少年は言う。


「そして、覚えておけ。この世界を変えるのは――この俺だ」


 くるりと、俺たちに背を向けたセルは「——転送だ」と、端的に水晶にそう言うと。


「————兄さん!」

「……………………」


 フィアの言葉に振り向くことなく、マルシアと共に転送されていった。


 これで、白銀狼の新入生たちの試練も終了した――ただひとりの少年を残して。


「…………ッッ」


 項垂れ、震えながら地面に大粒の涙を垂らす白銀狼の少年を、陽菜が痛ましげに見遣る。


「——陽菜」

「……うん、分かってる。世界の全てなんて――救えない」


 私は、ヒーローじゃないから、と、陽菜は呟く。


 そうだ。全てなんて救えない。

 白銀狼はひとり切り捨てることを選んだ。黒銅竜に至っては何人が未だ森の中で俯いているかも分からない。それらにまで手を伸ばして救おうとするなんてのは――もはやヒーローですらない。ただの傲慢な神だ。

 

 俺はお前を神なんかにしたくない。


 それでもお前が、ハッピーエンドなんて歪な理想論を、この世界に求めるというのなら。


「――私は、この手に抱えられる全てを救うしかない。そうだよね、愛樹」


 ああ――そうだ。

 それを理解して尚、お前がせめてと、自分の世界だけでも幸せに塗り潰したいという傲慢な偽善を為そうとするのなら――俺は喜んでその片棒を担ごう。


 俺はそう伝える為に、笑顔でそれを一つ宝箱から手に取って、陽菜へと投げ渡す。


 陽菜はそれを受け取ると――笑顔でそれを、隣に寄り添うフィアへと手渡した。


 その――金色の宝玉を。


「——はい、フィアちゃん。もう無くしちゃダメだよ」

「…………あ」


 そう、そもそも俺たちがこの『竜の巣』へとやってきたのはそれが理由だった。

 

 謎のカラスに奪われたフィアの金色の宝玉を取り返す為に、俺たちはここまでやってきたのだ。


 今、その目的を果たすことが出来たというわけだ。


「……で、でも――」


 フィアはそれをおずおずと受け取りつつも、ちらりと、ただひとり取り残されて項垂れる白銀狼の少年を見遣る。


 それは、何かが少しでも違えれば、自分がそうなっていたかもしれない未来。


 受け取らなければならないのは分かっていても、どうしても心苦しいのだろう。


「……結局、ドラゴンを倒したのは陽菜だった。……その作戦を立てたのも……お膳立てをしたのも――」


 そう言って、フィアは俺を見る。

 後ろめたさと、そして、隠し切れない複雑な感情が、そこには籠っている――『ライトヘイムの雷』に関しては、セルに勝る劣らずのクソデカ感情を、フィアもしっかりと抱えているだろうから。


 だが、俺は、そんなフィアに首を振った。

 俺のあんな『模倣』なんかに、フィアがそんな思いを抱える必要はない。


「陽菜の言う通り、ドラゴンはみんなの力を合わせることで倒すことが出来た。フィアの力も必要不可欠だった。お前にはそれを受け取る資格は十分ある」

「…………」

「それに――分かってんだろ。俺のアレは、ただの『贋作にせもの』なんだってことは」

「————ッ!」


 フィアが顔を上げる。

 そう――フィアだけは気付いた筈だ。俺の雷がただのコピペだと。


 誰よりも、セル・アルヴ・ライトヘイムの魔法を見てきたであろうフィアには。

 誰よりも、あの翡翠の雷に憧れ続けてきたであろう――フィア・ライトヘイムには。


 皮肉だな。

 張本人たるセル自身は本物のライトヘイムの雷だと断じた俺の魔法の本質に、ライトヘイムの雷を使えないフィアだけは気付くことが出来たとは。


 だが、それこそが――お前の輝ける才能だと、俺は笑って告げる。


「俺の冷たい『贋作コピペの雷』と違って、お前の『贋作オリジナルの雷』は暖かった。間近で浴びた俺が保証する」


 あんな至近距離で発動していたのに、フィアの黄緑色の雷は、俺を一切焼かなかった。


 魔法には、魔力には――その人間の本質が現れる。


 だからこそ、俺は言う。


「お前の雷の方が、俺はずっと――綺麗だと思うぜ」


 俺の『贋作コピペ』の雷なんかよりも。


 そして――世界なんてものを背負おうとしている、あの独りよがりの天才の雷よりも、と。俺が込めたそんな意味も、きっとフィアは気付いていないだろう。


「うん――ありがとう! 陽菜! 愛樹!」


 けれど今は、あんなにつまらない顔をしていたひとりの女の子が、こんなにも眩しい笑顔を浮かべられるようになった、それだけでいいだろう。


 この成果を得ただけで、この章は――『宝探し』編は終わったっていいくらいだ。


 だが、終われない。

 黒銅竜や白銀狼あいつらのように、さっさと転送してはいおしまいとするわけにはいかない。


 残念ながら黄金鳥おれたちの問題はこれからだった。

 あそこで項垂れている白銀狼の少年の受けた『選別』——その残酷な審判の時が、今度はこちらにも降りかかる。


「…………」


 ヴァーグナーたちは言っていた。、と。

 つまり、残る二人は宝玉を持っていない可能性が高い。だが、ここには宝玉があとひとつしか残っていない。


 最後の宝玉。

 つまりは九九個目の宝玉。


 百人目までは、届かない――理論上の、限界値。


「そう。つまり――ゲームオーバーです」


 ここまでの物語で、一度たりとも聞いたこともない――無機質な声がいきなり聞こえたと思ったら。


 俺たちの戸惑いを無視するかのように、そいつは走り込んだ。


「な――おい!」


 俺たちを、そしてヴァーグナーを押し退けて。


 あの横穴でヴァーグナーに泣き言を叫んでいた、未だ名前すら知らない少年Aは――宝箱に残る、最後の宝玉に飛びついた。


 九十九番目の席に、飛び込んだ。


「————ごめん、ヴァーグナーくん」


 転がるようにして掴み取り、手にした金色の宝玉に向かって叫ぶ。正確には、その願いを聞き届けるのは腰にぶら下がった水晶であろうに。


「転送! 転送します!」


 突然の展開に対し、「——おい!」と少年Aに向かって手を伸ばして叫ぶヴァーグナーは、そのまま転送されていく仲間の姿を呆然と見送ると。


「な、なぁ。何がどうなって――」


 戸惑いを隠さないままに、もう一人の仲間の方へと振り返って――絶句する。


 百人目である筈の――その少年Bの手には。


 椅子に座れなかった筈の。このまま取り残される身の上だった筈の。


 ここで、終わる筈だった少年の、手の上には――金色の宝玉があった。


「え―――—」


 まるでウエイターが盆を持つように、上に向けた掌の上に――有り得ない筈の輝きがあった。


 凍り付いたように固まっていたヴァーグナーは、遅まきながら、己の衣服の全てのポケットをまさぐり――そして、再び、凍り付いたように顔を青くして言う。


「どうして――」


 その声を――その言葉を、聞くだけで。

 その顔を―—その表情を、見るだけで、明らかだった。


 少年Bの手にある宝玉が、一度はヴァーグナーの手に渡った――宝玉たからだということを。


「言葉通りです。ゲームオーバー。


 スッ―—と。

 手を伸ばして飛びついてくるヴァーグナーを躱すように、手を引っ込めた少年Bは無機質に言う。まるで、水晶から届く機械音声のように。


「ど、ドラゴンは倒した! 標的ターゲットの撃破には成功したじゃないかっ!」

「倒したのはアナタではないでしょう。あなたは何もしていない。かの御方からの指令は、自らの力で竜の巣から宝玉を獲得せよというものであった筈。あなたはそれに同意し、自らの力を示すと息巻いた。その結果がコレです」


 その結果が、この様です――と、少年Bはそのままヴァーグナーに背を向ける。


「言い訳の余地はないでしょう。あなたの座る椅子は何処にもない」

「だから騙し討ちで強奪するってか。そんなお前に、その椅子に座る資格はあるのかな?」


 俺と陽菜は、ヴァーグナーを庇うように前に立ち、少年Bに向き直る。


 少年Bは「……ええ。少なくとも、その男よりは」と、立ち止まって言う。


「そもそも、アナタたちに私の行動を責める権利があると? 私よりもフィア少女を選んだ、アナタたちにその資格がおありなので?」


 彼の言葉にフィアは肩を揺らし、陽菜は何も言えない。


 そうだ。

 二つあった宝玉の内の一つを、それが元々フィアのものだったとはいえ、彼らに何の相談もせずにフィアに渡したのは俺たちだ。


 だからこそ、奪ったと。

 元々の試練のルールに基づいて。


 早いもの勝ちだと、奪ったもの勝ちだと、少年Bはそう供述している。


 ……そう言われたら、確かにぐうの音も出ない。


 手段はどうかと思うが、少年Bの行動自体はこの試練において何も責められるようなものではない。

 先程、セルがあそこで蹲っている少年に向かって言ったのと一緒だ。


 生き残りたくば、奪って見せろ。行動して見せろ。


 己の未来を――勝ち取って見せろ。


 そうして、少年Bは、奪い取り――勝利し。


 ヴァーグナーは奪われ――敗退する。


 ただ、それだけの結果に過ぎない。


 ここで少年Bから更に力づくで奪い返しても――陽菜の求めるハッピーエンドにはならないのだ。


 そんなものは、ただの選別で――ただのつまらない戦争だから。


「——待ってくれ! !!」


 俺たちが動かないと察したのか、それとも俺たちのことなど目に入っていないのか、再び立ち上がりながら、縋るように少年Bに駆け寄るヴァーグナー。


 だが、少年Bは――見向きもしない。


 俺に――陽菜に。

 レオンに、エヴァに、そしてフィアに向けて。


「——それでは。才能溢れる魔法使いの卵の方々。また、同じ教室でお会いましょう」


 机を並べて、共に学べることを、楽しみにしています、と。


 真っ直ぐに、目を細めながら――俺たちに、あるいは何かに向けて、微笑んで。


「僕を――捨てないでくれぇぇえええええええええええええええええ!!!」


 飛びつくヴァーグナーを突き放すように。


 少年Bは、転送されていった。


「アアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 受け身も取らず、顔面から倒れ込んで。

 そのまま地面に向けて、世界に対して嘆くように叫ぶヴァーグナー。


 レオンも、エヴァも、それを痛ましげに見詰めている。

 フィアは後ろめたさからか涙を零して。白銀狼の少年は道連れが出来たとばかりに薄ら笑いを浮かべて。


「…………」


 これが――結果。


 俺たち黄金鳥ゴールドバードは、見事に最高の結果を手にした。

 用意された九十九個の宝玉の全てを集めた。既にこの森には宝玉など一つも残っていない。


 理論上の最高値を、最大多数の幸せを勝ち取った。


 これ以上ない最良の結果。これこそが、この試練における脚本上の――ハッピーエンド。


「ううん、認めない。こんなものは、私が求めるハッピーエンドじゃないから。」


 誰も動けないでいる中、陽菜は一歩を踏み出した。


 そのまましゃがみ込んで、泣き喚いているヴァーグナーの顔を起こして。


 震えるその手に――自分の黄金の宝玉を手渡した。


「な――——」

「……彼は何もしていないなんて言っていたけれど、そんなことない。あなたの魔法、とても素晴らしかった。あの黒煙があったから、愛樹の作戦は上手くいったし――私がドラゴンを倒すことが出来た」


 だから、泣かないで。

 これから楽しい魔法学校生活マジックスクールライフが待っているんだから。


 そう言って、陽菜は包み込むように、ヴァーグナーの手に金色の宝玉を握らせる。


「お、オマエ……何して……こんなことをしたら、お前が――」

「私のことは気にしないで。大丈夫。すぐに追いつくから。さぁ、行って。本当にもう、いつタイムリミットが来てもおかしくない」


 陽菜は彼の両手を握り、真っ直ぐに彼の瞳を見据える。

 ヴァーグナーは、そんな陽菜に怯えるように、目を揺らした。


 ……確かに。

 もう仕上げの段階フェイズだな。


「——レオン。エヴァ。フィアも。陽菜の言う通りだ。お前たちも直ぐに転送しろ」

「で、でも――」

「……いや、俺たちは宝玉を持っている。何をするつもりかしらんが、最後まで付き合うぞ」

「そっか。じゃあ――言い方を変える」


 確かに宝玉を持っていれば、最悪はタイムリミットを迎えても問題ない。


 だけど、それじゃあ、俺が嫌なんだ。


「――頼む。先に転送し帰ってくれ」


 まだ俺はそこまで――コイツ等を


「…………」


 口を噤みながらも、それでも動こうとしないフィアたちに。


「——だいじょうぶ」


 そう、ヴァーグナーの手を握りながら、陽菜はフィアたちに言った。


「私は――信じてるから」


 真っ直ぐに、言葉通りに全幅の信頼が篭った目を――俺に向ける、陽菜の言葉に。


「——分かった」

「……レオン?」

「軽々しく他人の魔法を探ろうとするのは褒められたことじゃない。それは――友達であっても同じだ」


 そうだろ、と、無表情のまま俺に顔を向けるレオンに、俺は口元で笑みだけを浮かべて返す。

 エヴァはそんなレオンの言葉に「……分かった」と、納得はしないまでも同意するようで。


「陽菜。それから愛樹。——待ってるから」


 そんな言葉を残して、レオンと共に転送されていく。


 フィアは、それでもまだ迷っているようだったが。


「——陽菜。愛樹。私、アナタたちのお陰で―—夢が叶う気がするの」


 涙が篭った瞳を向けて、俺たちに――再会の約束を取り付ける。


「助けてくれてありがとう。今度は絶対に、私がアナタたちを助けるから」


 だから絶対、助かってね――と、そう言って、フィアも転送していった。


 そうなると残るは、未だ呆然とへたりこんでいる――。


「……いつまで陽菜に手を握ってもらってるんだ、泣き虫ボーイ」


 俺は決して一パーセントの嫉妬も込めないで、極寒の眼差しをヴァーグナーに向ける。


「さっさと救済を受け取れ。そんで消えろ。一秒だって時間が惜しいんだ」

「……なんで、こんなことをするんだよ」

 

 ヴァーグナーは、本当に訳が分からないといった風に言う。

 それはこんな望外な幸運に恵まれているのに、何故かとても心細そうな顔で――ヒーローの自己犠牲で救われた者というのは、こんな表情になるのだと、何故だかとても面白かった。


 だから、言う。


「安心しろ。陽菜は

「……え?」

「ちゃんと陽菜も俺も合格する。だからお前は、必要以上に罪悪感や恩を感じる必要はない」


 そもそも、ここまで普通に脚本プラン通りだ。

 たまたまお前が百人目であっただけ。むしろ自惚れるなと言いたい。


 

 


「うん。だから、安心して転送していいよ」

「……本当に。お前ら……何なんだよ」


 ヴァーグナーはぐったりと項垂れて、そして天を見上げ「……転送する」と呟くと。


 俺と、そして、陽菜を見て。


「——この借りは、必ず返す。…………ありがとう」


 そう言って、最後は笑顔で消えて行った。


 これで、この『竜の巣』に残るのは――陽菜と俺。


 そして――宝玉を手に入れらず取り残された、魔法使いとしての死が確定している、白銀狼シルバーウルフの少年だけ。


 少年は、信じられないというように、ドン引き丸出しの顔で陽菜を見る。


「……馬鹿か、オマエ。信じらねぇ、何考えてんだ自殺志願者か? 終わるんだぞ。もう終わりなんだぞ! 俺たちは魔法学校を退学になる! 魔法を簒奪されて、魔力を剝奪されて――魔法使いとしてどうしようもなく死ぬんだぞ!!」

「——ううん。終わらないよ、私は」


 陽菜はゆっくりと立ち上がりながら、言葉とは裏腹に悲しそうな瞳で、終わりゆく少年を見詰めながら言う。


「……ごめんなさい。私は、アナタを救ってあげることは出来ない。それでも――私は、自分の手の届く範囲は救いたいから」


 それは、世界を己の思うように整えたいという傲慢極まりない台詞。


 気に入らないものを排除して、ほしいままに歪めるのだという、主人公のみが吐くことを許される言葉。


「私は、不幸になるつもりはない。私が幸せにならないと、俺も幸せになれないんだっていって――本気で怒ってくれた人がいるから」


 だから、私は自分を犠牲にするつもりはない――っていうか、出来ないの。


 だって――絶対に、私を救ってくれる人がいるから。


「——そうだよね、愛樹」


 そう言って陽菜は、いつものように、楽しげに。


 全幅の信頼が篭った瞳で、無理難題を俺に振る。


「いつもみたいに、私をたすけて」


 だから俺も、いつものように。


 やれやれと首に手をやりながら、同じ言葉を返す。様式美ってヤツだ。


「仰せのままに。——俺の主人公マイヒーロー


 そして、俺は。

 懐から金色の宝玉を取り出し――それを陽菜に渡す、わけではなく。


 俺の『黒い術符』を押し当て――たったひとつ残された宝玉に、黒い魔力を流し込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る