第11話 第一の試練『宝探し』――⑧


――すごいな、お前。


 私は、その日――世界に選ばれた男の子と出逢った。




 とある一人の天才が、一つの世界を創造するまで――アーサー・グリフィス・クロウリーによって、この魔法世界マジックワールドが生み出されるまで。その場所こそが、その秘境こそが、いわゆる魔法の世界と呼ばれていた。


 魔法世界マジックワールドとは異なり、世界の何処にも存在しない異空間というわけではない――けれど、世界の何処にあるのかは誰も知らず、誰にも知られていない、異境の場所。


 そこは『里』と呼ばれる一つの国のような集落だった。

 四方を巨大な山に囲まれた――余人を近付けさせない、檻のような立地。


 そこは、妖精がいて、亜人がいて、様々な魔法生物がいる――正しく、御伽噺のような世界観。


 この世で最も魔法に溢れた場所。

 そこに生まれる全ての命が、魔法の力を持って生まれる――奇跡の世界。


 そんな場所で――私は生まれた。

 生まれた時から当たり前のように、魔法は私たちを包み込んでいて。


 魔法使いになるということは、その『里』で生まれた私たちにとって、至極当たり前の未来だった。


 けれど、そんな魔法が当たり前の世界でも、遵守せねばならない一つのルールがあった。

 子供は六才になるまで、魔法を行使してはならないというものだ。


 それは、魔法という、今や科学兵器を駆逐するまでに至った危険極まりないを、未熟極まる子供に好き勝手に行使されては敵わないという大人の事情もあるのだろう。


 それ故に、『里』には――魔法が当たり前のその世界では、当たり前のように、子供たちに魔法を教える教育機関があった。


 考えてみれば当たり前の話だ。

 今となっては、世界魔法学校ワールドマジックアカデミーこそが世界唯一の魔法学府機関と言われているが、魔法のような荒唐無稽ファンタスティック能力ちからの扱い方を教える機関を、それぞれの国がまったく用意しないわけがない。


 無論、安全性だけでなく、大人らしい打算も含まれているだろうが。

 世界魔法学校ワールドマジックアカデミーという、この世の真理に限りなく近い黄金のような極秘情報が詰め込まれた世界へ、ひとりでも多くの自国民を送り込む為に、いうならば『予備校』として、自国で『未来の魔法使い』を育てようとしない筈がないのだ。


 それは、魔法世界に最も近い場所とされる、私たちの故郷――『里』においても同様だった。

 少し意味合いは異なるが、いわゆる『予備校』に近い独自の魔法教育機関が存在していた。


 それは、『里』の中で『門』と呼ばれている場所だった。

 里に生まれた全ての子供は、六才になったらそこへ入学し、それから十才まで基礎的な魔法の訓練を受けることになる。


 つまりは、六才になるまで――学校で基本的な扱い方を学ぶまでは、子供たちだけで勝手に魔法を使ってはならないという、そんな掟が存在するのだ。


 だが、それはあくまで建前の話で。

 義務教育が始まるのが六才というだけの話で。

 二本足で立って走れるようになれば、自然と魔力を扱い始めてしまうのが『里』で生まれた子供たちだった。


 魔法という奇跡に愛された種族。

 それ故に、放置して甚大な被害が齎されるよりはと、『門』に入学するよりも前に、親たる大人たちが、己の子供たちに最低限の魔力の扱い方は教えてしまう――決して勝手に使ってはならないと、そんな掟を言い含めながら。


 だが、大人にするなといわれたら、したくなるのが子供という生物だ。

 それも、まるで空気のように魔法で満ち満ちた、『里』という閉鎖空間で暮らす子供たちが――魔法で遊ぶなと、そんなことを言われても、聞く耳を持つわけがない。


 したがって、こっそりと、大人の見ていない場所で。

 魔法で楽しく遊ぶのが、『門』に入学する前の子供たちの日常の過ごし方だった。


 無論、大人にバレてはいけないので、ド派手な魔法を使うわけにはいかない。

 火を出したり、水を生んだり、風を巻き起こしたり、土を盛り上げたりはダメだ――例え、としても。


 だから、その日のお遊びも、ただの追いかけっこだった。

 捕まりそうになったら、姿を消したり、空へ逃げるするのもアリな、『里』においてはベーシックな追いかけっこ。


 その時も、鬼役だった妹に捕まりそうになった私は――迷わず空に逃げることを決めた。


 その場にあった箒を手に取り、走りながらそれに跨って、地面を蹴り――空へ跳ぶ。


 近くにあった生垣を文字通り飛び越え、妹の伸ばした手を躱す――が、後ろで妹の焦った声が聞こえた。


――だ、ダメ、お姉ちゃん! そっちは――っ!?


 妹の声を聞いて、その時、私は初めて気付いた。

 愚かな私がその時に勢い余って飛び越えてしまったのは、生垣だけでなく――大きな壁であり。


 それもあろうことか、四方を山で囲まれた『里』の中でも、中心部を更に小さな四角で区分けるするように建てられた――塀の壁だった。


 そこは、魔法に選ばれた種族が集って暮らす、この『里』の中においても別格な――否。


 世界全てを見渡しても別格な、この世で最も貴き血を受け継ぐ血族が暮らす――この『里』における、『王邸』であった。


 当然ながら一般市民の子供が飛び込んでいい場所ではない。


 だが、空を飛ぶことが何よりも好きな私は、勢い余って全速力で射出していた為、その勢いを殺し切ることは出来ず――王邸の中に不法侵入してしまう。



 そこで、私は――世界に選ばれた男の子に出逢った。



 突然、頭上に現れた私を、恐らくは広大な庭を散策していたのであろう、同い年くらいの少年は、目を見開きながら目撃していた。


 生まれて初めて見る程に――美しい男の子だった。

 日の光を浴びて、キラキラと光る真っ白な肌、宝石のような金色の髪。

 特別な血統を受け継いでいることを表す尖った耳。


 そして、何より――魂そのものを吸い込まれるような、その翡翠の瞳に、目を奪われて。


 頬に熱が集まるのを自覚しながら、呆然とするしかない私に。


 男の子は、その翡翠の瞳を――真っ直ぐに、私に向けて。


――すごいな、お前。


 箒に乗って空を飛ぶ私を見上げながら――まるで、光り輝くように。



――すごく、綺麗だ。



 そう、美しく、笑ったのだ。 



 



 ◆ ◆ ◆






「――フィアちゃん!!」


 手を伸ばしながら危うく足場から飛び出しそうになる陽菜を抱き寄せつつ、俺は細めた目でその背中を見下ろす。


 高速接近してくるドラゴンに向かって、まるで身を投げるように足場から飛び降りた、フィアとかいう、これまで陽菜に助けられるだけだったモブ子。


 自分への無力感から、遂に文字通りの自殺行為に出たかとも思ったが――そこまでの度胸があるようにも思えなかった。


「愛樹! 離してっ!」

「いいから。黙って見てろ」


 もし――俺の考えが正しければ、と。

 俺の拘束を振り払おうとする陽菜を無理矢理に抑えながら、俺は落下していく少女の背中に目を向ける。


「全部の泣いてる女の子ヒロインが――お前が一から十まで救わなくちゃいけねぇほど、弱いとは限らねぇよ」


 俺のそんな言葉に、陽菜が動きを止めるのと――それは同時だった。


 フィアが己の左手首に巻いていたブレスレットに手を伸ばし――黄緑色の光に包まれると。


 その光の中から、一筋の閃光が飛び出した。


「――速い」


 レオンの呟く声が聞こえる。

 その言葉通り、それは正しく閃光が如き速度で、一直線に空を翔けていく。


 余りの速さに俺の目はその光の中身を捉えるのに苦戦したが、俺の腕の中の陽菜が、あっさりとその正体を口にした。


「…………箒」


 そう、箒。少女は箒に跨って空を飛んでいた。


 まるで、誰もが子供の頃に夢見る――魔法使いのように。






 ◆ ◆ ◆






 その後、顔を真っ赤にして、逃げるようにUターンをかましながら、男の子に何の言葉も返すこともなく『王邸』を後にした私だったけれど――結局、なんだかんだあって『王邸』に忍び込んだことと魔法を使って遊んでいたことが大人たちにバレて、結構な数とかなりの地位の大人たちにこっぴどく叱られることになった。


 そんなことがあったからか、妹を始めとする近所の子供たちは、私と魔法遊びに付き合ってくれなくなったけれど――私は、ひとりでもこっそり、夜になって真っ暗になった頃の空で、箒で飛ぶ訓練は続けていた。


 あんな目に遭っても懲りることなく、私は空を飛ぶことは好きなままだった。


 それに――あの日の邂逅は、私の中に、一つの大きな夢を与えていたから。

 誰が何と言おうと、私は魔法の自主練をやめるつもりはなかった。


 六才になる『里』の子供は、魔法の基礎を学ぶ為に『門』へと入学を果たすことになる。


 その『門』とはすなわち――選別の『門』だ。

 魔法の才に恵まれて生まれてくる『里』の子供たちの中でも、特に優秀な才能を持つ者たちを四年間かけて選別し――最も優秀な十人の子供たちのみが、『門』を通ることを許される。


 そして、選ばれた十人の子供たちは――世界で最も貴き魔法一族である『ライトヘイム』家に養子として迎え入れられ、その一員となることが出来るのだ。


 つまり、『門』で上位十名に入り込むことが出来れば――また、逢える。


 あの世界に選ばれた男の子と、家族になることが出来る。


 そんな夢みたいな未来予想図は、私に莫大なるモチベーションを与えた。


 絶対にライトヘイムの名を手に入れる。

 それだけを考えて、六才までこっそり魔法の訓練を積み――そして、『門』に入学を果たした後も、私は誰よりも必死に魔法の研鑽を重ねた。


 同級生には私なんかよりも遥かに有力な血統の子たちも大勢いたけれど、それでも、私は四年間、『門』での首席を誰にも譲ることはなかった。


 そんな日々の中で、勇気を出して、『門』に用意された学舎の中の図書室ではなく、大人たちが難しい研究に使うような『魔法図書館』に足を運んだ時――憧れの、あの男の子と遭遇したことがあった。


 いや、遭遇というか、私が遠目に彼を一方的に見掛けただけなのだけれど。

 本家本元の直系であり、本物の『ライトヘイム』の血を受け継ぐ彼は、当然ながら選別の『門』になど通うことはない。

 むしろ掟の例外として、六才より遥か以前から、『里』で最も優秀な同じライトヘイムの家族から魔法の師事を受けている筈だ。


 そんな彼の姿を目にすることが出来るのは、『王邸』にもないような資料が保管されている、この『魔法図書館』だけだった。

 故に、私はこっそりと、まるで幼少期に大人から隠れて魔法の訓練をしていた時のように、図書館へと通い詰めた。


 いつも彼を見掛けるわけではなかった。むしろ、一日の大半を『王邸』の中での魔法訓練に費やしているであろう彼を見掛けた機会は殆どなかったといっていい。


 数か月に一度、彼を見掛けた時は心臓が跳ねて。

 見つからないか、あるいは見つけて欲しいのか、ちらちらと彼のことを遠目から見詰めては、彼が読み終わって棚に戻した本を、こっそりと確認して自分も読んだ。


 その殆どが理解出来なかったけれど、世界に選ばれたかのような輝きを放つ男の子が感じる世界を、自分も垣間見たくて、少しでも理解したくて。

 必死に勉強をして、その全ての本を最後まで読破し――こんな難解かつ高度な『知識』を、あっさりと己の物とし続ける彼に対する憧れをますます強くした。


 もっと――彼を知りたかった。

 彼に追い付きたかった。彼の世界を、少しでも共有したかった。


 少しでも、彼に近づきたくて――私は、同級生の誰よりも、魔法の研鑽に努め続けて。


 そして――十才になり、『門』の選別を終えて。


 私は――首席の成績を残して卒業した。



 これで、胸を張って、フィア・ライトヘイムとなれるのだと――そう、思っていた。



 ライトヘイムの家たる証――『雷』の魔法を。


 十名の義きょうだいの中で、ただひとり――私だけが、発動出来なかった、その瞬間までは。






 ◆ ◆ ◆






 ほうき

 それが、あの女子――フィア・ライトヘイムの魔道具デバイスであるようだった。


 確かに、箒を魔道具とする魔法使いは多い。杖の次くらいにはポピュラーな魔道具だ。

 振り回すには不便だが、その大きなメリットとして――やはり飛行魔法に適しているという点が挙げられる。メインデバイスではなく、飛行用デバイスとして所持し併用している者も多い。


 箒に跨り、空を飛ぶ。それは最早、魔法使いにとっては様式美といっていい。掃除道具としてよりも飛行道具として使う者の方が多いくらいだ。


 だが、それは――飛べるだけ。


 大きく口を開けるドラゴンから、生存を約束してくれるような魔法道具マジックアイテムではない。


「――――フィアちゃん!!」


 なるほど。

 飛び降り自殺をするかのように唐突に足場から跳んだ少女は――自力で空を飛べた。


 しかし、箒という道具で重力からは逃れられても――死の危機から逃げ切ったわけではない。


 目の前にドラゴンが迫っているのに、フィア・ライトヘイムは、空中でそのままホバリングの体勢に入った。


 陽菜が再び叫び出す中、俺は思考する。

 見込み違いだったか……? この位置では、あの女子を捕食した数瞬後に俺たちにもドラゴンは到達する。


 陽菜は助けようとするだろうが――ここは、俺が『カラス』を出してでも、陽菜を連れて離脱するべきか。


 俺は術符に手を掛けながら、フィア・ライトヘイムの観察を続けた。


 彼女は、ドラゴンの咆哮を受けて肩を震わせながらも、大きく息を吸い込んで――そして。


「……詠唱、している?」


 此処からでは、彼女の口が動いていることしか分からない。


 だが、彼女の身体を黄緑色の光が包み込んでいることから、それは明らかだった。


 フィア・ライトヘイムが、魔法を発動しようとしている。


 ドラゴンの大口が、目と鼻の先に迫ったその瞬間――轟音が、世界を迸るように駆け抜けた。




  


 ◆ ◆ ◆






 世界で最も貴き魔法一族――ライトヘイム。


 ライトヘイムにとって、『雷』とは、すなわち奇跡の象徴だった。


 己らの住処たる森を燃やす、天の怒りとして降り注ぐ雷。

 かつて、誰もが頭を垂れ、両手を組み、どうか許してくださいと、祈ることしか出来なかった天の鉄槌を――その身で受け止め、その手で掴み取り、我が物とした。


 それこそが、魔法使いの始まりであり――ライトヘイムの君臨の歴史の始まりでもある伝説。


 故に、ライトヘイムの名を継ぐ者たちは、『雷』の魔法こそを己の切札として研鑽する。


 その『始祖』の血脈を己の中に流す嫡流の者は当然として――養子として一族の末席に名を連ねることになる者たちも、雷の魔法の習得は義務であり、当然の通過儀礼だった。


 しかし、『里』において、雷の魔法はそれこそライトヘイムの象徴として神聖なものだ。

 故に『里』の一般の魔法使いは敢えて雷の魔法を習得することはないため、『門』でのカリキュラムにも含まれていない。


 この『里』の中では雷の魔法を振るえるのはライトヘイムのみであり――ライトヘイムを名乗るのならば、雷の魔法を振るえなければならない。


 しかし、それはつまり――勝手に使うなと、掟として禁じなければならないほど、雷の魔法の習得自体は決して難しくないことを意味している。


 魔法黎明期ならばともかく、魔法の世界と称される程に、魔法が当たり前になったこの『里』に暮らす魔法使いならば。


 火を灯すように、水を流すように、風を起こすように、土を盛るように――雷を降らせることもまた、当たり前のように可能である。

 無論、ライトヘイムの一族が振るう雷の足下にも及ばないが、雷をその手から生み出す程度は誰もが可能な――筈、なのだ。


 それも、まさか――『門』を優秀極まる成績で卒業し、ライトヘイムの養子となれるほどの才能を持つ子供ならば、その習得は前提であり、そこから先の研鑽こそが本番であると、歴史が証明していた。


 だからこそ――異端なのだ。

 誰も想像だにしていなかった。『門』の首席通過者が、まさか、ライトヘイムが治める『里』で生まれた子供でありながら。


 その手で、ほんのわずかな雷すらも、生み出すことが出来なった――フィア・ライトヘイムという少女わたしは。


――有り得ぬ……。


 儀式場に集った全ての人物が、信じられないものを見たという顔で、私を見詰めていた。


 これは、前述の通り、ただの通過儀礼だった。

 雷の魔法の、ほんの初歩。これまで火や水や風や土に対して唱えていた詠唱を、雷に置き換えて唱えるだけの簡単な魔法だった。


 これまでは禁じられていたが故にやらなかったことを。

 ただ、『門』の教師やこれまで十年間育ててくれた保護者たちへの惜別の形として、そして、これから新たな家族の一員となるライトヘイムの一族へ向けての己が才能のアピールとして。


 初歩の魔法であるが故に、その出来栄えによって己の才能が明確になるからこそ。

 己がいかに雷に愛された者であるか、その片鱗を表現する――ただ、それだけの、儀式である筈だった。


 成績上位十名が、下位から順番に、生まれて初めての雷の魔法を披露する式典。

 つつがなく進んでいた。何とか上位十名に滑り込めた己の双子の妹が、緊張しながらも放電出来た際には思わず拍手をしそうになったくらいには――私は浮かれていた。


 これで私も、ライトヘイムの一族になれる。

 この里の王族に、この世界で最も貴き血族に――そして。


 私は、己の名前が呼ばれて前に出ると、儀式に参列しているライトヘイムの方々の末席に――私たちと同い年の男子がいることを確認して。


 思い出の男の子が、私を見ていることに――にやけそうになりながら。


 すらすらと、いっそ得意げに、詠唱文を唱えた。


 だが――不発だった。


 雷は全く発生することなく、ただ静寂だけがみるみると膨らみ、空間を包み込んでいった。


 何かの間違いだと、次第に騒めき出す声を掻き消すように、私は何度も詠唱文を唱えた。間違えているのかと思い同じ詠唱文で火を生み出したが、それは問題なく発生した。だが、雷を出そうとすると、まるで拒絶されるように、うんともすんとも言わなくなってしまう。


 やがて、私が――だらんと、魔道具デバイスたる箒から手を離して、それが床に落ちる音と共に、誰かが言った。


――有り得ぬ……。


 誰が、こんな『異端』をライトヘイムにした、と。

 そんな呟きが、私の心に突き刺さる中――私は、まるで壊れた人形のように、そちらへと向いてしまった。


 三百六十度、全方位から侮蔑の視線が注がれる中――彼も、また、例外ではなかった。


 否――例外だったのかもしれない。

 彼は、私に、侮蔑の視線を注いではいなかった。


 ただ――何もなかった。

 何の色も、何の重みも、何の感情も感じさせない、無の瞳。


 そもそも彼は、私のことなど、見向きもしていなかった。


 見てくれていると思っていたのは私だけで。

 同じ場所に辿り着いたと思っていたのは私だけで。

 近付きたいと思っていたのも、私だけで。


――すごいな、お前。


 かつて、私に向けてくれた、光り輝くような笑顔はもう、何処にもなくて。


――…………あ。


 その瞬間、私の何かは――折れてしまった。


 大人たちの侮蔑も、子供たちの軽蔑も、何もかも、私の中には届かなくて。


 それからの三年間は、これまでの期待と称賛を引っ繰り返されるような――迫害の日々だった。


 一度ライトヘイムの名を与えた以上、それを剥奪することは掟の上で出来なかったらしい。例えライトヘイムの象徴たる雷が扱えない異端でも、其方はあくまで暗黙の了解であった以上、私は塀の外に出ることは出来なかった。


 故に、ライトヘイムの方々は、私に何としても雷の魔法を覚えさせようとした。

 それは正しく拷問といえる苛烈さだったが、私はそれに応えることは出来ず、一族内での私の立場は追い込まれていく一方だった。


 私の居場所は、訓練以外の時間を逃げるように過ごす――魔法図書館の中だけだった。

 相変わらず時折ながら彼のことは見掛けたが、変わり果ててしまった彼に何と声を掛けていいのか分からず、同じライトヘイムの名を得ても――距離はまるで変わらなかった。


 否――かつてよりも、遠く離れてしまったのかもしれない。


 近付けると思っていた彼との間には、断崖絶壁を隔てていることに、気付いてしまった私は。


 何も出来ず、ただ、逃げるように本を貪り――夜な夜な祈ることしか出来なかった。


 かつて慕ってくれた、あるいは認めてくれていた、同級生たちからの軽蔑の視線を恐れて。

 布団を飛び出し、月明りの下で、必死に両手の中に雷を呼び続けた。


 だが、天はまるで応えてくれなかった。

 いっそのこと、かつての伝説のように怒りの鉄槌でいいから、雷を私に振り下ろしてくれと唾を吐きかけたこともあったが――唾は己の顔を汚すだけで、余計に惨めになるだけだった。


 四方を山で囲まれ、更に小さく塀に囲まれたこの世界は、徹底的に私を否定し続けた。


 日々砕かれていく自尊心に耐え切れなくなった私は。

 だから、唾を吐きかけるのをやめて――祈りを捧げることにしたのだ。


 天に。神に。あるいは、別の何かに。


 ずっと、ずっと、祈り続けてきた。


 分不相応の、もはや叶える為には祈ることしかない――その願いを。


 どうか――叶えて下さいと。


 その日も、私は祈っていた。

 彼が、妹が、そしてかつて同級生だったきょうだいたちが、華々しく一族の方々に見守られて――『水晶』を手に、大人たちの前で魔法学校の入学試験に挑んでいたのと同時刻。


 律儀にも、自室に引き籠っていた私の元にも送られてきた、その吸い込まれるように美しい水晶に――その問いを投げ掛けられた時も。


 私は、いつも、そう祈っているように――愚かな願いを、口にしたのだ。



――お前はどうしてこの魔法学校にいる? 



——お前は、どうして、魔法学校このばしょに、やってきたのだ?



 決まっている。


 私は――。






 ◆ ◆ ◆






「――――天の怒りを、我が身に。『霹靂雷零ゼロ・ライトヘイム



 



 ◆ ◆ ◆



 



 世界を駆け抜けた轟音――その正体は、雷鳴だった。


 青天ならぬ夕闇の霹靂は、世にも珍しく、天から降り注ぐのではなく――天へと突き上がっていった。


 まるで唾を吐き散らすが如く、天へとその怒りをぶつけるように。


 そして、突き上がった稲妻は――そのまま大口を開けていた、ドラゴンの顔の横を掠めるように通過していった。


「グォォォォォォォォォォァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 咆哮を天を仰ぐようにして轟かせたドラゴンは、そのまま方向転換するように――背後を向いた。


 己の捕食を逃れた、謎の稲妻の正体を確認するが如く。


 そう、天へと突き上がった雷の正体は――正しく、己が喰らわんとしていた小さな女子生徒、フィア・ライトヘイムその人だった。


「フィアちゃん!!」


 俺と同じく天を仰いでその軌跡を追っていた陽菜が叫ぶ。


 あんな腐った眼をしていても、ライトヘイムの名を与えられた子供なんだ。それなりにやる筈だとは思っていたが――まさか、『雷化』の術式とは。


 雷の魔法の究極系にして、真髄。

 ライトヘイムの誰もが目指し、それを習得することに生涯を費やすとされる奥義。


 俺自身が、雷となることだ――か。

 口で言うほど簡単じゃない。火でも、水でも、風でも、土でもそうだ。


 己の体を他の何かに変質させるというのは、魔法の中でもとびっきりに難易度が高い最上級魔法だ。


 ましてやそれを、ライトヘイムの雷で実現するなんて。


 フィア・ライトヘイム。

 俺が思っていた以上に、重要キャラクターなのかもしれないな。


「……ううん、違う」


 だが、そんな俺の思考を読んだかのように、俺の腕の中で天に突き上がる雷光を見上げる陽菜は――ぽつりと、呟く。


「――あれは、ライトヘイムの雷じゃない」






 ◆ ◆ ◆






――それは、ライトヘイムの雷ではない。


 私のこの術式を一目見て、彼は――兄さんは、そう冷たい眼差しのままで一刀に断じた。


 己の体を雷とする――雷化の魔法。

 雷を信奉するライトヘイムが目指す極地であり、雷の魔法の奥義である。


 掌の中に雷を生み出す初歩中の初歩すら会得出来なかった私が、人知れず独自の修行を重ねたことにより、いつの間にか雷の魔法を習得するどころか極めていた、というわけでは、勿論ない。


 私が三年間の、文字通り血の滲むような、拷問が如き修行と独自の研究の果てに、辿り着いた先が――この雷化の魔法もどきの『贋作オリジナル魔法』であったという、ただそれだけの、つまらないオチだ。


――この『里』の図書館には、人間が生み出したとして、『科学』の知識を記した魔法も所蔵されている。無論、歴史として保存してあるだけの閲覧禁止たる禁書としてだが……。この里の誰からも既に見放されている貴様は、その禁書の棚に忍び込み放題だったというわけだ。


 科学邪法で生み出した贋作にせものの雷――それが、お前の全身を包むけがれの正体だと、兄は吐き捨てた。


 断罪した。

 どれだけ手を伸ばしても手に入らなかったが故に、紛い物たる禁じ手に手を伸ばした――罪人たる愚者を見下すように。


 正確に言えば、科学的に雷を生み出したわけではない。

 科学の知識を用い、この世界の真なることわりを用いて――当たり前の物理現象を学習して、至極当然の物理法則で以て、雷を発生させたのだ。


 無から生み出すのではなく、何もない場所から魔法オカルト的に雷を生み出したのではなく。


 湿った空気を暖めて雲を作り、それを冷やして氷を作って、それをぶつけ合うことで静電気を発生させて――雷を作る。


 そんな自然現象を、順序立てて、使、再現しただけだ。


 己の体を魔法の被膜で覆って、その表面で、雷の発生プロセスたる物理現象を一瞬で再現することで――己の体を、魔法人工的に雷で覆ったのだ。


 無論、いつでもどこでも、如何なる時でもどんな体勢でも、そんな真似が出来るわけではない。


 空の上で。箒に乗って。最大速度で飛行している時のみ――私は、雷になれる。


 こんな私でも、雷と化すことが出来るのだ。


――お前の馬鹿げた飛行術があってこそ可能な手品だな。お前は昔から、空を飛ぶことに関しては突出していた。


 彼の言葉は、私がライトヘイムとなってからの研鑽を振り返っての感想だろうか。


 それとも、もしかしたら――もはや思い出と呼ぶにも懐かしい、幼き頃の出逢いを、彼も覚えていての言葉だろうか。


 こんな有様に成り果てたのに、そんな浅ましい期待を捨てきれないでいる私を――尚も見下げ果てるかのように、兄は私に背中を向けながら言う。


――このような曲芸を持って、己もライトヘイムの雷を宿したなどと吹聴して回ってみろ。お前は今度こそ、この王邸はおろか、里の外まで放り捨てられることだろう。


 兄の厳しい言葉に、それでも思ったほどの恐怖や絶望はなかった。


 ショックを受ける程に――ショックを受けなかった。


 三年間の迫害に耐えながらも編み出した、最後の希望たる贋作オリジナルの雷魔法が、完膚なきまでに否定されたというのに。


 自分でも、これは違うとは分かっていたからだろうか。

 目的と手段をはき違えている。雷を纏うことが目的なのではない。ライトヘイムの雷魔法を身に付けることこそが目的であった筈なのに――自分は既に、そんなことも忘れてしまうほどに迷子になっていた。


 だから、だろうか。

 既にもう――疲れ果てていた。


 ライトヘイムから勘当され、この『里』から追放されて――それがどうしたというのだろう。


 既に、この場所は、私にとっては只の檻と化していた。

 甚振られ、否定され続けるだけの――地獄のような世界だった。


 両親はもはや私の存在など初めからいなかったかのように、妹だけに目を向けていた。

 その妹も、同じ敷地内で暮らしているのに、最後に会話をしたのがいつだったかすら覚えていない。


 誰も、私の存在を認めてくれない世界なんて――存在しないのと同じじゃないか。

 それならば、さっさと勘当なり追放なりされて、外の世界で生まれ変わった方がマシなのではないかとも思える。


 いっそのこと兄の忠告を無視しして、贋作オリジナル魔法を真昼間の『里』の上空で堂々と披露して、決定的に捨てられてやろうかと、そんな風に土を握り締めながら――それでも、私は。


 涙が溢れた瞳を上げて――その背中を、見詰めてしまう。


 無様にへたり込む私など見向きもしない、決して大きくはないけれど、私のそれよりも大きくなり始めた――同い年の男の子の背中を。


 もう、無理だと分かっている。

 逃げだったのかもしれない。目的をはき違えていたのかもしれない。


 それでも――私に出来る、全てを費やして生み出したのが、この贋作まほうだった。


 だからこそ、怖かったけれど、恐ろしかったけれど、彼にだけは――披露したのだ。


 それでも――届かなかった。

 響かなかった。まるで、認めてもらえなかった。


――すごいな、お前。


 あの時のように、褒めては、くれなかったじゃないか。


 笑っては、くれなかったじゃないか。


 だけど――それでも。


 そうすれば楽になれると分かっているのに。

 もう、それしかないと、分かっているのに。


 捨てられない。諦めきれない。


 だから――私は。


 もう一度、箒を手に取ったのだ。



――すごいな、お前。



 私には――ずっと、これしか、なかったから。



 空を飛ぶ。


 それだけは――ドラゴンにだって、敗けられない。






 ◆ ◆ ◆






「――凄まじい、の、その一言に尽きるな」


 同感だと、俺はレオンの言葉に首肯する。


 陽菜がライトヘイムの雷ではないと断じたフィアの魔法だが、それでも、その効果たるや凄まじかった。


 否、全てが魔法の効果とは思えない。

 陽菜の『』曰く、あれはあくまで物理現象的に発生させた雷を纏っているに過ぎないとのことだから。


 その原材料足る水分、静電気は魔法産とはいえ、雷の発生プロセスはあくまで物理現象のそれ。つまり、あの雷はただの雷であり――そこに魔法的な効果は存在しない。


 ならば、より一層——凄まじいと称するしかない。


 何故ならばそうなると――フィア・ライトヘイムは、己の能力と技術だけで、あのドラゴン相手に飛行戦を圧倒しているということになるのだから。


「グォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 ドラゴンの咆哮にも、どこか苦渋が込められているような気がする。


 空気抵抗云々は、あの纏っている雷が魔法ごつごう的に何とかしているのだとしても――その眩い雷光を追いかけ続けるドラゴンは、何度その口を開閉しようとも、その黄緑色の光を喰らうことは出来なかった。


 縦横無尽に、自由自在に、まるで絵画を描く筆のように夕闇の空に軌跡を残す、箒に跨る魔法少女は――恐ろしきドラゴンを翻弄しきっていた。


 本人は必死なのかもしれないが、此処から見るとまるでドラゴンをおちょくっているようにすら見える。


「……信じられない。ドラゴンだぞ。飛竜種――神話ファンタジーの怪物だ。ペガサスなどには飛行速度で劣るかもしれないが、それでも紛れもない、魔法の世界における空の王者だ。それを、あんなにも簡単に……」

「簡単なんかじゃないよ」


 レオンの呟きを、陽菜が否定する。

 その声色はいつものように朗らかではなく――確かな尊敬に満ちていて。


「ずっと、頑張って来たんだよ。きっと、積み重ね続けてきたんだよ」


 あれが『贋作』だと言われれば、俺のような書物の記述でしか『里』というものを知らない奴でも容易に想像がつく。


 雷を使えないライトヘイム――そんな少女が、これまでどんな世界で生きてきたのか。


 そりゃあ、目も腐りもするだろう。自尊心など粉々に砕け散るだろう。

 死んだ方がマシだと、身を、命を、投げ出したくなったことも、一度や二度ではない筈だ。


 それでも彼女は、箒を手放すことなく――空を飛び続けたのだ。


 ドラゴンすらも置き去りにする雷光の軌跡を真摯に見詰めながら、天に愛された、世界に選ばれた側の少女は言う。


「あれが、フィア・ライトヘイムなんだ」


 陽菜は――真っ直ぐに、その主人公の瞳を、背後の俺に向けて。


「――助けよう、あの子を」

「仰せのままに。マイヒーロー」






 ◆ ◆ ◆






 何度目かのドラゴンの追撃を躱す――けれど、躱す度に、崖の上の洞穴から遠ざかっていってしまう。


 陽菜さんたちからドラゴンを引き離すのが目的の一つだから、それでいいといえばいいのだけれど――そうなると、この追いかけっこをいつまで続ければいいのかという話にもなってくる。


 このドラゴンは魔法機械生物マジックマシンモンスターではない。

 学校側が試練用の標的として用意したものではない以上、この魔法生物の森に暮らす罪なき生命だ。試練のルール的にも傷つけるわけにはいかない。そもそも私なんかに傷つけることなんて出来ないということは兎も角として。


 そうなると、どうにかしてやり過ごさなければいけないのだけれど、すっかりヘイトを買ってしまったようで、このままだと地の果てまで追いかけてきそうだ。


 ならば一気に距離を離して視界から消えるしかないのだが、残念ながら既に最高速度を出し切っていて、捕まらないようにするのがやっと――むしろ、このままだと魔力を使い果たして、徐々にスピードが落ちてくるだろう。そうなればゴールはドラゴンの胃袋しかない。


 どうする……どうする……ッ。

 箒を握り締める両手に汗が滲む。身体を動かしているわけでもないのに全力疾走を続けているかのように心臓が荒れ狂い、肺がズキズキと痛む。


 そして、気が付いたら――私は洞穴の方へと進行方向を向けてしまっていた。


「しま――っ!」


 まずい。

 魔力よりも先に思考能力が落ちていた。

 ただ闇雲に空を動き回ってドラゴンを躱すのにいっぱいいっぱいになっていた。


 いつの間にか、ドラゴンと洞穴の間に私がいるといった位置関係になっている。


 もし、今――と、私が最悪の予想をするのと同時に。


 ドラゴンの口腔内に、炎が揺らめいた。


「――――ッ!!」


 最悪の予想が当たる。

 この位置関係でを放たれたら――おしまいだ。


 私が躱すのは容易い。

 だけど、そうなったら、その矛先は――その、野生の銃口は――。


「――フィアちゃん!!」


 力強い叫び声が聞こえた。


 それは崖の上の洞穴からだった。どうやら陽菜さんたちは無事に辿り着いたようで――よかった、これで何とか役割しごとはこなせたかなと、力が抜けるような安堵に身を委ね掛けた所で。


「――――来てッッ!!」


 陽菜さんが、身を乗り出すようにして――こちらに向かって、手を伸ばしていた。


「行こうッッ!! 一緒にッ!!」


 それは――私を、求める叫びだった。


 私に向かって、差し出された手だった。


「――――ッッ!!」


 それを見て、それを認めて――私は思わず、唇を噛み締めてしまう。溢れる何かを、零れる何かを、必死で抑え込むように。


 だって――なかった。

 誰もいなかった。誰も――伸ばしてくれなかった。


 私に向かって――救いの、手なんて。


 誰も彼もが、手放した。

 放棄した。私という異端を、誰も彼もが――見放して。


 それでも彼女は、真っ直ぐに私を見詰めて――私に向かって、その小さく綺麗な手を伸ばし、叫ぶ。


「――大丈夫! 私を――私たちを、信じて!!」


 その言葉に――私は。


「後悔――しないでよ、ねッ!!」


 竜の炎に背中を押されるように、一直線に空を駆け出した。


「――――ッッ!!!」


 残る魔力を搾り尽すように、私はいつの間にか切れていた『霹靂雷零ゼロ・ライトヘイム』を再び発動する。

 詠唱を唱える暇もなかったので、あくまで空気抵抗から身を守るくらいの意味しかないが。


 黄緑色の雷光の軌跡を描きながら、背に迫る竜の業炎ドラゴンブレスの追撃を躱すべく加速する。


 だが、トップスピードは僅かに落ちてしまっていた。

 それに巨大な体躯による飛翔よりも、その出鱈目な神話ファンタジー種の魔力によって放たれる業炎ブレスの方が、遥かに宙を駆ける速度が速いのも、また必然だった。


 追いつかれる。

 そして、この場合、追いつかれるというのはすなわち燃やされる――殺されるということを明確に意味していて。


「――――っ!」


 分かる。ずっと、幼き時から半身のように、共に空を飛び続けた魔道具相棒なのだ。もはや体の一部と言っても過言ではない。故に――分かる。


 箒が――燃えている。

 尻尾に火が付くように、穂先がドラゴンの炎に食われて始めている。


 ダメ――もう、もたない――ッ!!


 思わず瞑りかけた目の中に――それが映る。


 こちらに向かって手を伸ばし続ける――私を求める、友達の姿に。


「――――――ッ!!」


 私も思わず、彼女に向かって手を伸ばしながら――もう片方の手で、相棒の箒を、より強く握り締める。


 頑張って――私の『飛翼つばさ』。

 

 いつも、いつも、アナタに縋るだけの情けない所有者マスターでごめんなさい。


 それでも――私は、アナタを信じてる。

 アナタはずっと、私を助けてくれたから。


 だから――お願い。

 どうか――私を。


「――――友達のところに……連れて行ってッ!!」


 ただ、それだけを――強く、真摯に願って。


 私は、己の全てを委ねるように、ずっと一緒にいてくれた一本の箒に――全魔力を注ぎ込む。


 そして、まるで願いを聞き届けてくれたように。


 私は――全てを置き去りにするように、光の世界へと飛び込んだ。






 ◆ ◆ ◆






 まっすぐに、こちらに向かってドラゴンのブレスが近付いている。

 つまりは死が目前に迫っているというのに、陽菜はそれに向かって手を伸ばしながら――ただただ純粋な、感嘆の息を漏らした。


「…………綺麗」


 無論、それは竜の息吹に対しての呟きではない。


 その竜の炎に決して呑まれず、むしろ置き去りにするように引き離し始めた――黄緑色の雷光に対しての感想だ。


 先程までのそれとは比較にならないほどに――それは、美しかった。


 どうしても完全に塗り潰すことが出来なかった、不格好な人影もない、不純物をまるで含まない――鮮烈な雷光。


 近付いていく内に、まるで世界を染め上げるがごとく膨れ上がっていくその光を見て――俺には、どうしても、それが贋作であるとはとても思えなかった。


「ライトヘイムの……雷」


 レオンも、思わずそう呟く。


 ドラゴンをも置き去りにする雷光は、そのまま竜の炎に侵されることなく――何よりも速く、この洞穴にまで辿り着いて。


 そして、いつの間にか、人の姿を取り戻していた雷光は、その手で確かに――陽菜の手を掴み取った。


 パァン、と、小気味よく響いたその音で、俺はようやく我に返る。


「エヴァ――!」

「分かってる」


 俺ら情けない男子たちとは違い、ドラゴンの炎を目前にしても、眩い雷光が視界を覆い尽くしても、いつも通り氷のように冷静だった少女は――俺の合図を追い抜かすように、最高のタイミングで魔法を発動させた。


 ここまでに既に詠唱を終えていたのか、少女はただ結びの一言だけを告げる。


「――――顕現せよ、極氷の大地。『氷結剛山グレイス・ダイアモンド』」


 エヴァが生み出した分厚い氷の壁が、フィアが内部に入り込んだ瞬間に、洞穴の入口を塞ぐように生み出される。


 それによってドラゴンの息吹の侵入を一旦は防ぐが「……やっぱりダメ」と、エヴァは無表情ながらも早口で言う。


「相性が悪い。直ぐに溶けちゃう」

「いや――」


 エヴァの魔法の完成度がいくら高くても、氷と炎だ。それも神話ファンタジー種たるドラゴンの炎。一瞬防ぐだけでもエヴァの技量の高さが伺える。


 だが、それでいい。


「一瞬稼げれば十分だ」


 俺は指に挟み込んでいた術符に魔力を通す。


 エヴァの氷の壁が溶け切るよりも前に、あらかじめその氷の外周部分——つまりは洞穴の入口部分に円を描くように張り巡らせていた術符と連動させて、用意した結界術式を発動させる。


「――開け、異界への扉。繋がれ、誰も知らない場所へ。彷徨い、迷え。『守隠かみかくし』」


 俺の魔法詠唱が終わると、氷の壁に注がれていた竜の炎は――今にも溶けてしまいそうだった氷の壁と共に、きれいさっぱり消えてなくなった。


「……消えた?」

「いや、一時的に――だけだ」


 守隠かみかくしは、本来は追跡者を躱す時なんかに使う『移動術式』だ。


 とある一本の道を、無関係の別の道と、空間を超えて、ぎ変えるように――入れ替える。


 ようは、飛び込んだ路地を、全く異なる座標の別の道と、オモチャのレールを外して別のレールを付けるように、無理矢理に繋げる術式だ。


「こんなこともあろうかと、さっき陽菜が恐竜レックス種の標的を倒した時に、その標的が宝玉を隠していた洞穴の中に術符を撒いて登録マーキングしておいた。つまりこの洞穴の口とさっきの洞穴の口を、繋げて、入れ替えたのさ。そこから外に出てみ? もうそこは崖の上じゃなくて、森の中に筈だから」

「……空間術式、か。それもこんな規模のものを――土御門は姉だけじゃなく、弟も規格外か」


 レオンはそう呆れるように言うが、そんな大層なものでは決してない。例えば陽菜がこれと同じ規模の魔法を発動しようとすれば、アイツは事前準備など必要とせず、タイムラグすらなしに指を鳴らすだけで実現するだろう。


 俺は、たまたまこういうこすい小細工が得意だというだけだ。

 それもこんなものはまだまだ序の口——俺のは、まだまだたんまりと存在する、が。


 それはまた、別の話。

 今はこれからの話をするべきだ。


「——そんなことより、当初の目的を速やかに遂行しようぜ。俺のこんな嫌がらせみたいな魔法は当然ながら長持ちしねぇ。早いこと済まさねぇと、自分の住処を荒らされたって、マジギレドラゴンが突っ込んできちまう」

「……そうだな。あれこれ考えるのは全部終わった後の風呂の中にでもしよう。さっさと先に進もうぜ」

「お。やっぱお前らも来るのか? お前らは宝玉持ってるんだからさっさとクリアしてもいいのに」

「ここまで巻き込んで今更何を言う。ヤバいと思ったらそうさせてもらうが――付き合えるところまでは付き合うよ」


 面白いものも見れそうだしな、と、クスリともせずにレオンは俺らを一瞥して言う。


 ……ちょっと派手にやり過ぎたかね。まぁエヴァ・グーリエフはさっきの魔法を見ただけでも分かる要注目のキャラクターだし、そんなエヴァの許嫁だというレオン・ノヴァークも只者である筈がない。お互いがお互いをとしているのならば、一緒に行動するに越したことはないだろう。


 さて、そうと決まれば――さっさとクライマックスの現場へと向かおう。


「――おい。いつまで抱き合ってんだ、御両人。さっさと行くぞ」


 俺は地面に倒れ込んだままの、フィアを抱き締めるようにして受け止めた体勢でいる陽菜にそう言う。


「あ、あの……陽菜、さん?」


 フィアはどうやら力を抱き尽して動けないらしい。腕を上げることも出来ないのか、陽菜の未成熟な胸に顔を埋めたままもがもがとそう言うと。


 陽菜は、そんなフィアの頭を思い切り、己に押し付けるように抱き締めると――ふにゃふにゃの笑顔で、その耳元に囁くように言う。


「ありがとう、フィア。私たちを――たすけてくれて」


 そんな主人公ヒロインの言葉に、まるで誰よりも救われたように。


 フィア・ライトヘイムは、瞳に涙を溢れさせて――解き放たれたような、ぐしゃぐしゃの顔で笑った。

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